天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

湘子『黑』5月上旬の句を読む

2024-05-08 06:21:47 | 俳句

鬼の洗濯板


藤田湘子が61歳のとき(1987年)上梓した第8句集『黑』。荒行「一日十句」を継続していた時期であり発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の5月上旬の作品を鑑賞する。

5月1日
世は然もをみな強くて幟立つ
「よはしかも」と読む。世はさように女が強い。この発想だと「世は然もをみな強くて雛飾る」もあるかと考えたがやはり付き過ぎか。若干ずらした「幟立つ」が効いているだろう。
五月来ぬ歯もて糸切る妻あはれ
五月は生命力旺盛の季と作者は見ている。そのとき歯で糸を切る妻をはかなむ。年がら年中、女は糸を歯で切るのであるが。

5月2日
産月の牛ゐる暮し幟立つ
5月の節句はふつう子供のためのものだが、牛の生殖はちょっとずれておもしろい。「幟立つ」が「産月の牛」を荘厳にする。

5月3日 宮崎
干潟現れ日向の大き旭現れ
「現れ」のリフレインに託して干潟と太陽を謳歌。雄大な景色。
焼酎や暮れゆく海がたらたらと
「たらたらと」は沈む日が波に漂っているさまなのだが焼酎もたらたら注いでいる感じ。焼酎が美味そう。

5月4日 鵜戸・高知
雨虎(あめふらし)鬼の洗濯板にかな
電化生活の前、洗濯は衣服を洗濯板にこすりつける力の要る仕事であった。それにちなんだ名称「鬼の洗濯板」。鵜戸神宮とならぶ宮崎の名所である。
春潮を堰く岩門あり鵜戸といふ
下五「鵜戸といふ」が厳か。由緒ある宮崎の名所を格調高く詠む。
日を負ひて恍と端午の土佐にあり
「端午の土佐」がいい。「日を負ひて」から流れに破綻なく文脈の展開する爽快さ。まさに端午の句である。

5月5日 高知 故揚田蒼生へ
汝の墓ありてわが行く金鳳華
揚田蒼生さんを小生は知らない。大事な門弟であったようだ。墓に詣でた、と単純に書かず表現でふくらみを出した。
買ひたしと遍路のものを売る店に
何を買おうとしたのか。好奇心の旺盛さが句作りの原動力。

5月6日
卯波立つ巌群統べて鵜戸の宮
この日はすでに高知は来ているはず。たぶん23日前の鵜戸神宮を思い出して作ったのであろう。「巌群統べて」でこの神社の立地を過不足なく伝える。

5月7日
うしろ見ず巣季(どき)の鴉通りけり
鴉がせかせか先を急いでいる。鴉が通ったというだけのことだが、「うしろ見ず巣季(どき)」の流れが冴えて句が立っている。
夏浅し草にふれゆく水の嵩
水量が増えはじめるころの川である。水の流れる勢いも増している。季語がこれをぴったり受ける。
遍路老い合掌の手のそろはざる
憐れだが老人によく見る場面。頑張って歩いてご苦労さまという内容。

5月8日
(ぬか)白きをみなを好みてんと蟲
白い額にてんと虫が飛んで来た。長い時間いたとは思わぬがその瞬間、女を美しく賢く感じた。「額(ぬか)白き」で女を象徴したのはさすが。

5月9日
熱き茶と梅干と足り懈怠かな
食欲がなく茶と梅干があればいいという状態。なにゆえ疲れているかに言及はないが「懈怠」は転じて読み手をはっとさせる。俳句の妙味である。

5月10日
荒々と神田祭の宵の雨
荒煮(だき)を見事にねぶり新社員
荒煮とは鯛のあら煮のこと。鯛の頭に新社員が食いついたのである。骨の上についた身をねぶり食う。ゼラチン質の目玉とかなかなかの美味。荒煮と新社員の結合が冴えた句。
野の虹をたたへ乙女の腋にほふ
腋臭というほどの不快な匂いではなく官能的な感じ。そうでないと湘子は句にしないだろう。「あの虹きれい」という女の腋の下を見るとは、これぞ俳人魂にして好色の極み。

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