天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

なぜか高円寺なぜか埼京線

2024-09-24 04:43:09 | 身辺雑記

「こうえんじ」は読める結


9月は暑いうえに14,15,16日と21、22、23日と3連休が2度もある。世間の3連休を子守りする爺にはきつい月である。
行くあてが尽きかけた22日、自転車に乗った結が「高円寺に行きたい」という。先方から要求があるのはありがたい。自転車を西国分寺駅へ向ける。
中央線に乗る。祭日、中央線は高円寺に停車しない。並走する総武線に乗り換えるのだが長い間、結はこれに乗ることを拒んだ。理由は知らない。
電車は総じて好きで、挨拶代わりに「常磐線は乗ったことがある?」と聞くほど。総武線も東西線も会話にしゅっちゅう出る。
三鷹へ行くと総武線と東西線が出ることは知っていて吉祥寺の動物園、水族館へ行く際、ホームでしばらく総武線と東西線の行き来を眺める。すごく興味を示すがどちらかへ乗ろうとすると爺の手をしっかり握りそれを阻止する。足を踏ん張って。そういうことを何度か経験した。不思議な子である。
ある日、突如、「高円寺に行きたい」といった。なぜ高円寺なのか。どうしてその駅を知ったのか不思議だ。「高円寺に行くには休日中央線が止まらないから総武線に乗らなきゃだけど、いい?」と聞くと「いい」といい、そのとき総武線へ乗ることを拒否しなかった。22日は2度目の総武線であり2度目の高円寺下車となった。
ねじめ正一のヒットした小説に『高円寺純情商店街』があるが、結に駅から出て何かを見たいという発想はない。この日高円寺から新宿まで行った。
新宿には山手線が走っていいることは知っているがこれに乗ることは拒否する。不思議な子である。



埼京線に乗ってご満悦


23日、自転車に乗ると結が「埼京線に行く」と言う。
埼京線は結の父が通勤で使っているから会話で出たのであろう。ヒトはあらゆる契機に学習する。新宿は爺と結には長旅であり連日の新宿である。
座りたいので一番後ろの車両に入る。座席は空いていて座ろうとすると結が運転席(車掌席)を見るという。そんなもの見ていたら座席が埋まってしまうがいたしかたない。結は「ワイパー、ワイパーが動いている」と感動する。子供っていいなあ。この感覚で俳句を書くんだな、と思い知らされる。
新宿駅へ行っていまの山手線は扉だけが緑であることを知る。むかしはぜんぶ緑であった。世の中は常に動いている。
中央線から降りると埼京線がすぐ見える。結は「あれに乗る」といってどんどん歩き、同じホームに湘南新宿ラインがあるとそれにも好意を持ち、乗る。興味を持ったことを妨げないのが爺の仕事。
湘南新宿ラインが東海道へ入り小田原行きであることをお知り、渋谷で下車し今度は埼京線に乗り引き返す。
池袋で下車し帰りは山手線に乗せようとしたら電車が来ないのにここが山手線ホームであることに気づき、「山手線は乗らない」という。勘がいい。なぜ山手線を拒否するのか、わからない。
結がいま興味あるものは何なのか、目の動きを見るのがおもしろい。理由がわからない領域で結がいろいろな反応するのを楽しんでいる。
けれど新宿へ行ってそこでむやみにいろいろな電車に乗ってまた帰るのは疲れる。歩行や水泳より疲れる。
やっと3連休が終わった。


新宿は忙しい駅である


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鷹中央例会へまた一人

2024-09-23 05:09:46 | 俳句

西国分寺駅周辺


「ひこばえネット」のМ.Мから先日の土曜日、鷹中央例会へ出席した旨のメールが来た。「井の中の蛙だとしみじみ感じました。指導者がいるとはこういうことなんですね」とおっしゃるから意義深い一日であったのだろう。出した2句のうち1句が主宰に採られたという。めでたい。
小生がはじめて鷹中央例会へ出席したのは平成2年7月。伊沢惠に連れられて行き、その人数の多さに「この結社は大会を毎月やっている」とたじろいだ記憶がある。当時主宰は藤田湘子であった。あれから34年。この4年中央例会に出ていないが30年間はほぼ毎月出たから350回は出席しただろう。
ひとことでいうと中央例会は鷹のエンジンなのだ。KBJ句会もそうだが鷹同人が指導する小句会も出る意義はあるが中央例会は格が違う。そこでは鷹主宰が4時間出席者全員の句に入選落選にかかわらず言葉をかけるのである。
湘子のころ参加数は190名ほどであったが軽舟さんになってそれを越し4年前210名になりいま260名とか。それぞれが2句ずつ出した句が印刷されていて一覧が配布される。そこから主宰が採る採らないの意思表示をし、採る採らないについて語る。自分の句が他と比べてどういう水準なのかが直にわかる。それをМ.Мも感じたのだろう。
一般は1人1句選。日光集・月光集同人はもすこし多く選句する。日光集・月光集同人選に入り主宰選にも入る。日光集・月光集同人選に入ったが主宰選に入らない、といったことも出来する。また主宰特選は実に興味深い。
小生は30年の間に特選を何度か経験したが忘れられないのが平成2年、入った年の11月に湘子から受けたことである。
その句は、
ボクサーの双耳異なる霙かな わたる
である。小生は先生の直前の席に毎回いたから(遅く行ってもそこだけは空いていた)休み時間、先生の句稿の小生の番号に\ぐるぐる赤い線があるのが目に入った。これはいいことの先触れと思ったら休憩後、特撰とあいなった。しかしこの特選はいわくつき。原句は「霙かな」ではなくて「霰かな」であった。横に奥坂まやがいて湘子の読み間違えを「先生、霙じゃなくて霰です」と正すと「霰だあ? ここは霙じゃなくちゃだめだ」と言って、「霙で採るぞ」とのご託宣で特選となった。できる人はいいフレーズに出会うと最後の季語を予想して読んでしまうのだ。中央例会へ出て間もないころの幸福なエピソードである。ああして拾い上げてゆくのが主宰かと思う。
今も昔も鷹主宰は選句が挑戦的である。日光集・月光集同人などの実力者たちが誰も採らない句を一人特選にしたりする。そうして鷹の句がパターン化、停滞しないことを常に考えている。主宰選にときに違和感を抱くことがあるがこの違和感が大事。80%の納得と20%違和とで人は成長するのである。
もう出なくなった身の上で言うのは心苦しいが中央例会260名は限界を超えているのではないか。
4年前210名になったとき限界と思った。湘子の190名を超えたのは快挙と思ったが1句1句へかける言葉の量が減る。130名二つの句会を試みてはどうか。試案として年間の中央例会を12回から18回に増やす。3カ月に1度、月2回中央例会を催す。何か手を打たないといけない事態になっているのではないか。
それはさておき、「ひこばえネット」においてМ.Мがもう少し小生の句評に耳を傾けてくれることを期待する。本質的に主宰とそう違うことを言っていないと自負する。
彼女がこれからも中央例会に主席する、すなわち鷹に入れば、小生が毎月コメントしている膨大な量の言葉に親近感を抱き理解してくれると思うのである。
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大の里時代到来

2024-09-22 05:01:28 | 大相撲




大相撲秋場所14日目、注目の関脇大の里が大関豊昇龍を破り13勝1敗で優勝を決めた。
小生は、下手投げで3連敗している豊昇龍戦が横綱を張れるかどうかの試金石を見ていた。鋭い立ち合いから大関に何もさせずに一気に押し出した。13日目は大関琴櫻戦であった。最初の一番立ち合い負けして差されて寄られて危ない相撲を凌いで取り直した。取り直して琴櫻に正対して寄り切ったとき自力で凌駕しているのを感じた。大関二人よりを凌ぐ地力をつけたことを目の当たりにした。

大の里9連勝したとき全勝してほしいと思ったが12日目、若隆景の足腰のよさと粘りに敗れた。もったいないと思った。今日誰が相手でも勝って14勝で締めくくってほしい。久々の14勝の優勝を見たい。
巷では新大関誕生と騒ぐがその先の横綱になる器である。できることなら11月場所、来年の初場所と連覇して春場所に綱を巻いて欲しい。遅くとも夏場所には横綱を期待する。怪我や故障のないかぎりそうなる可能性は大。久々に大相撲界に表れたスターである。大相撲の大谷翔平である。
野球は日本でもやるが本場はアメリカのメジャーである。日本で活躍した有為の選手がメジャーを目指す。その象徴に大谷がいる。本塁打50本打って盗塁50を決めた。その数字をさらに伸ばしている。彼にとって日本の野球は箱庭のようなものだった。アメリカの大きい舞台が似合っている。
世界のスーパーマンである。

振り返って大相撲が日本の固有のものでありほかのどこにもこれをやっているところがないことに安堵する。
せっかく生まれたスターがよその相撲がいいと言って数場所で移籍されたらまた大相撲の魅力が衰退してしまう。大相撲が日本のものであることがこんなにうれしいことはない。大の里はどこへも出て行かない日本のスターである。
スターが日本人であることに小生はそう拘らないが移籍する心配がないことに安堵する。
大の里が長いこと綱を張ってくれることを期待している。

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湘子『黑』9月中旬を読む

2024-09-20 05:30:39 | 俳句




藤田湘子が61歳のとき(1987年)上梓した第8句集『黑』。荒行「一日十句」を継続していた時期であり発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の9月中旬の作品を鑑賞する。

9月11日
野分後の明星ひたと母に侍す
ずっと母は臥せている。その命数はもう長くないのかもしれない。抒情的な格調を誇る句。
口惜しさをときどきおもふ夜なべかな
口惜しさの内容はわからぬが夜なべという季語と引き合う。
電線の鳴一鞭(めいいちべん)や秋の暮
「鳴一鞭」は造語。突風のような強風が来たのか。
犬の貌して犬通る秋の暮
犬が犬の貌というのは当然。当然のことを書いてあるとき様になるのが俳句。秋の暮で様になったのではないか。

9月12日
店番の尻重たくて秋晴るゝ
何の店番であろう。冬瓜のような尻を思った。言葉の不思議な連結で味を出していて痛快。
秋祭密会の手を與へたる
要するに逢引。「密会の手を與へたる」と格調を出して正当化しているのが可笑しい。
秋風や銜(はみ)を喰はせし馬の貌
競走馬ならさあ走るかときりっとしたか。中七下五が言い得ていて季語が決まっている。

9月13日
太郎こそ男の名なれ新松子
各国に典型的な名前がある。わが国では童話に浦島太郎、桃太郎があり太郎は男の子の定番。新松子には打ってつけである。
曼殊沙華沼の平らを闇が来る
曼殊沙華の色が効いて闇が豪壮。凄絶な秋の夕暮。

9月14日
八朔や爪かむ人の徒心(あだごころ)
八朔は旧暦の八月朔日(ついたち)。「爪かむ人」は成人であろう。なにか屈託があってそうしている。9月は落ち着かない季節である。
芋虫はみどりを尽くし秋晴るゝ
晴天のもとの緑の芋虫。その生命力を寿ぐ。

9月15日 秩父
帽にまづ兜太の町の霧しづく
金子兜太の故郷、秩父への挨拶句。軽く仕立てていて巧い。
威銃観光バスの尻へ撃つ
これも軽く仕上げて可笑しみがある。
女郎花の寺・真性寺
雨すぎし桜もみぢを拾ひもす
吟行で作者は凝った句を書かない。見たまま、したままを素直に言葉にする。「拾ひもす」あたりの抒情の出し方は倣ってもいい。
藤袴の寺・法善寺
吊鐘は音のかたまり箒草
「吊鐘は音のかたまり」は大胆な切り口。質感の正反対の箒草が実によい。
桔梗の寺・多寶寺
日暮とも雨けむるとも白桔梗
雨模様の日暮である。かわたれどきに置いた白桔梗の存在感。抒情の湘子の面目躍如の句。
萩寺の和尚が雑な里言葉
萩が咲くような寺の和尚は品があると思っていた。それが話してみると違った。「雑な里言葉」という端的な表現が決まった。

9月16日 秩父
秋海棠しづかな色に出でにけり
これでどうだ、という一物ではないが文字通り静かに置いたような句。「色に出る」は湘子の十八番でほかに「人参は丈をあきらめ色に出づ」がある。この叙法をまね湘子を超えようと思うができない。湘子の美意識の極致の語法である。

9月17日 同前
茸干す日和乏しと札所寺
寺の境内で茸を干していることじたいおもしろい。「日和乏し」は僧の言った言葉か。吟行ですばやくここまでまとめられるのは凄い。
稲雀兜太の石を逃れしか
兜太なら雀に石を投げそう、という発想があっての句。やんちゃな兜太への挨拶。それに稲雀を関わらせる詩精神にただ感嘆。

9月18日
三日ほどの月あるべきを桑の雨
三日月が出てしかるべきだが雨か。桑の雨と凝縮して地勢を出した。
稲雀寺の人出にかゝはらず
こう書くことで寺の混雑と秋の田の雀がよく見える。二物衝撃の巧い展開。

9月19日
南瓜喰うて子規忌の腹をつくりけり
健啖であった正岡子規。彼をやや揶揄していると思わせるのが「南瓜喰うて」。南瓜の嫌いな男が多いと聞く。子規なら何でも食っただろうな、という作者である。「腹をつくりけり」という格調が湘子ならではの味わいである。
人の死を待つ冷たさにつづれさせ
人は母であろう。もうどうにもならぬ運命であるから「人の死を待つ冷たさ」なのだ。俳句は真実を書くとき強い。下五に「つづれさせ」を置いたのが抜群の冴え。

9月20日
うるほへる草に沁むまで雁のこゑ
「うるほへる草に沁むまで」、このような叙情の発露は湘子しかしないのではないか。たとえば愛弟子であった小澤實はこういった濡れた叙情に背を向けて即物主義を邁進している。小川軽舟も抒情の人だがここまで濡らさずからっと仕上げる。奥坂まやにははなから濡れた叙情はない。先生はあるとき女より女っぽい感じがする。短歌的抒情である。

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窓の広い本多図書館

2024-09-19 04:06:16 | 身辺雑記





きのうは賃仕事の無く結も見ない日。
懸案であった胡桃を割って朝から汗びっしょり。すぐさまプールでシャワーを浴び約40分900m泳ぐ。
中山七里の『ヒポクラテスの悔恨』と『ヒポクラテスの悲嘆』を探しに、本多図書館へ出向く。府中市民だがプールも図書館も国分寺市のものを利用させてもらっている。ありがたきかな国分寺。
本多図書館に新刊はなかったがそうこだわりもない。中山七里の『作家刑事毒島』を読み始めたらおもしろい。図書館に居座って本を読むことはないのだが本多図書館はそうしていたい雰囲気。天井が高く窓が広い。それが静けさとなっている。本を読んで30分したら11時になった。
さて帰ろうとしたら体にエネルギーがない。水泳を40分やるとその後あまり動きたくない。
図書館の中に食堂があり中年女性スタッフが甲斐甲斐しく働いているのが見える。
食堂は11時30分に開く。定食のみだが650円は安い。ここで食べる気になった。






食堂も窓が広く高く、外の大欅が見えて気持ちいいこと。欅は病葉を落とす。そのさまを見ていて飽きない。座って飯を食いながら大樹を見るのは乙である。ときどき来てもいいところであると思った。



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