・・・オバマ来日・・・緒葉間ですか、小浜(おばま)・・・「瀛(エイ・ヨウ・うみ・おき=沖)」=「氵」+「吂(ボウ)=亡(ボウ・モウ・ナイ)+口」+「月+女+凡」・・・既に、この日記でも、ボクの「HP」や、「ブログ」でも何度も書き込んで問題にした漢字だが、類字の「贏(エイ・ヨウ・あまり)=吂(ボウ)+貝(目ハ)+凡(ボン・あまねし)」は、「史記・天官書」では「早く出るモノ(惑星)は贏」で「客」とある。「晩く出るモノ(惑星)は縮」で「主」とある・・・「客が贏」、「主が縮」・・・訪問客が来て、接待、持成す主人が「萎縮」とは、この「客」は主人にとっては「危険」な客人であるらしい・・・結論的に「贏」は「彗星=客星=箒星」を意味する漢字である・・・だが「瀛」は漢字分解しても「氵+嬴(エイ・みつる)=氵+吂(ボウ)+月+女+凡」で、月と凡の間には「贏は貝」であり、「嬴は女」である。だが、怪しい・・・のだ。
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類字は
「蠃(ラ・かたつむり)=吂(ボウ)+虫(中ム)+凡」
=「蠃蚌(ラボウ・かたつむり・まいまい)」
=「蝸牛」
「贏(エイ・ヨウ・あまり)=吂(ボウ)+貝(目八)+凡」
「羸(ルイ・つかれる・やせる)=吂(ボウ)+月+羊+凡」
「臝(ラ・はだか)=吂(ボウ)+果(田木)+凡」
=「躶・裸」
「果」=「カ・はたす・はてる」
=田+木(十八)
「嬴(エイ・みつる)=吂(ボウ)+月+女+凡」
である・・・
氵(水)、虫(中ム)、貝(目ハ)、羊、女、果(田木=囗十十八)
「羊の女」とは・・・
サンズイ(みず)
チュウ(なか)
シ(よこしま)
モク(まなこ、め)
ヨウ(ひつじ)
ジョ(おんな)
デン(た)
イチ(ひとつ・はじめ)
ジュウハチ(とおあまりはち)
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天武天皇=大海人皇子
=天「渟」中原「瀛」真人
在位期間
673年3月20日~686年10月1日
元号 朱鳥(あかみとり)
先代 弘文天皇
次代 持統天皇
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誕生 631年?
崩御 686年10月1日
大和国
陵所 檜隈大内陵
御名 大海人(おおあま)
異称 天-渟-中原-瀛-真人
浄御原天皇
父親 舒明天皇
母親 宝皇女(皇極天皇/斉明天皇)
皇后 鸕野讃良皇女(持統天皇)
夫人 藤原氷上の女(娘)
藤原五百重の女(娘)
蘇我大蕤娘
子女
草壁皇子
高市皇子
舎人親王
皇居
飛鳥浄御原宮
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・・・
「瀛」
うみ・大海・大海原
「瀛海=エイカイ」=大海・大洋
「瀛表=エイヒョウ」=大海の向こうがわ
「大瀛=タイエイ」=大海
「東瀛=トウエイ」=東方の海・東海・日本
ーー
487年(太和十一年)
定州
河間郡
及び
高陽郡、
冀州
章武郡に
瀛州が設置
ーー
「瀛州=エイシュウ」=
隋王朝は瀛州を設置し
下部に
四郡十一県を管轄
596年(開皇十六年)に
蒲州、及び
景州が
分割設置
605年(大業元年)
廃止され管轄県は
瀛州に統合
607年(大業三年)
郡制施行
瀛州は
河間郡と改称
下部に十三県を管轄
ーー
「瀛洲」
フエ・皇城(阮朝王宮)の
和平門の東北隅に位置する庭園
ーー
「大瀛」
1759年
(宝暦九年一月二日)
~
1804年5月4日
浄土真宗
安芸(あき・広島県)
報専坊の
「慧雲」に師事し、・・・彗星の雲
京都
西本願寺学林で真宗学を学ぶ
新義派の智洞の説を批判する
古義派を代表
文化元年
江戸で
智洞と対決シ、敗北
俗姓は森
名は廓亮
号は芿園・天城・金剛庵・瑞華
著作
「浄土真宗金剛錍」
「真宗安心十諭」など
ーー↓
瀛州(エイジュウ)
中国の神仙思想に基づく仙人の島
東方海上にあるという三神山の一
渤海にあったという伝説上の神山
蓬萊(ホウライ)
瀛洲(エイシュウ)
方丈(ホウジョウ・方壺)の
三島を指す
仙人たちが住む
不老不死の薬がある
いずれも
「壺(つぼ)」の形をしているので
「三壺山(サンコザン)」とも・・・
ーー↓
瀛洲
始皇帝が見た「蜃気楼の島」は
始皇帝が治所として
琅邪郡を置き
↓ ↓
↓ 琅邪(ロウヤ)=琅+邪(よこしま)
↓ 中国の古地名
瑯邪=瑯琊=琅玡
春秋時代
越王
句践(クセン・コウセン)が
山東省膠南県南西の地に
黄海(渤海)を望む台館を建て
↓ 諸侯と会盟
↓
二十八年(前219)
泰山封禅の後、琅邪台を設け
秦朝の
頌徳碑を建て
(琅邪台刻石)
「蓬来閣」を築いた
↓
前漢も「琅邪郡」を置き
後漢は臨沂(リンギ)県周辺を
琅邪国とした
王氏は琅邪・臨沂の出自
↓
山東省の蓬来沖の
海原に大きな島が現れる
渤海の「蜃気楼」
始皇帝はこの
「幻の島」を見た・・・実体は「日本」?
渤海の中には
三つの神山があり
遠くから見ると雲のごとく見え
近ずくと水に没する(史記)
ーー↓
「後王思想」=在位皇帝の絶対的王権
「廬生」の「真人説」
「真人」とは
「荘子・内篇・大宗師」で
水で濡れず
火に焼かれない人物
「内篇・斉物論」で
「神」と言い切られた・・・
神=精→エッセンス(essence)
本質・要素・精髄・・・?
越撰主
の「超人」・・・?
「廬生」が
仙人(真人)から
不老不死の薬を譲り受ければ
「真人」になれると
始皇帝に騙しこみ
始皇帝は、
一人称を
「朕」から
「真人」に変えたが
「真人」は現れもせず、存在もせず
粛清を恐れた
廬生は逃亡
約460人が拘束
始皇三十五年(前212年)
坑儒(儒者の生き埋め)
焚書と合わせて
「焚書坑儒」
ーー↓
大瀛の水(の水精こりて)
伊達 九郎(改め二荒芳徳) 作詞
小松 耕輔 作曲
明治四十一年(1908)
寮歌募集の当選作・・・多少修正
学習院寮歌
ーーーーー
・・・伊達九郎=二荒芳徳・・・明治四十一年(1908)・・・
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