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コジキジゲン

「鳥船」に乗った両翼のウマとコジキ・・・

2016-07-25 14:37:32 | 古事記字源

 ・・・「古事記」に記されている「鳥船」とは、飛行機、飛行船か?、「盥(たらい)舟」とは、「空飛ぶ円盤」か?・・・「鳥=白+丂+灬(㣺)」と「馬=丂+‡(≠・十+丅)+灬(㣺)」の漢字だが・・・「馬」の「灬」は「四足=四脚=四肢」で「下心(㣺)」ではなく「灬」であるのは明白だが、「鳥」の「灬(㣺)」は「四足=四脚=四肢」ではない。「鳥」類の「灬(㣺)」は「足=脚=肢」は「四本」ではなく、「二本=ニホン」である。耳で聞くなら「似本=にほん=日本」でもあるが・・・多分、「鳥」の「灬」か「㣺」の示唆は「両翼=二羽」と「二肢」であろう。そして、「音=おと=嗚訳」からは「奥羽=おうう→おおう=大胡=被う・覆う・蔽う・蓋う・弇・幕」である。「鳥の船」であるのは「櫂を使って舟を漕(こぐ)」という「櫂=木(き)+羽(はね)+隹(とり)」の漢字構成である。「櫂は一般に長い棒状であり、一端の平らな部分を水に入れ、漕ぎ手はその反対側の柄の部分を握って操作するモノ」である・・・「ボートで使用する舟べりに支点を持つものを oar(オール)で、カヌーなどに用いる舟べりに支点を持たないものを paddle(パドル)と区別し、日本語漢字でも、「櫂(オール)」と「橈(バドル)」と区別するコトがあるらしい・・・漢字分解からは「鳥=とり=隹」は既にボク的な理解は出来たが、「馬=うま=午=甜(うま・テン)=宇摩=旨(うま・シ)=右馬」は厄介で、「馬(バ・メ・マ)」で、「め」とも訓んで、「ケンタウロス(Kentauros・ラテン語は Centaurus・ギリシア神話に登場する半人半獣の種族で、馬の首から上が人間の上半身・その下は馬身」もいれば、「翼を有する天馬(ペーガソス・ペガサス・Pegasus, Pegasos)=ポセイドーンの命により、天界にも届きそうになった山を蹴って元に戻した・馬の主ベレロポーンはペーガソスに乗って、怪獣キマイラを退治したが、落馬して足を折った」もいるとか・・・漢字の熟語の名からはもっと複雑になる・・・羅馬、邪馬台国、司馬遷・・・泣いて「馬謖」を斬る・・・「司馬江漢=鈴木春重=安藤峻=上田某」、そして、「聖書」の漢字名の「馬借・馬子」は「瑪拉基(マラキ)・馬太(マタイ)・馬可(マルコ)」・・・
 「舟=上弦の月」・・・



 「珍敷塚・鳥船塚」古墳にはその壁画の中には条件が揃っているが・・・
ーーーーー
 前回書き込んだ、
 「円」の「直径・半径」
 「円(圓)」=巴の変形だが、
       「冂+丄=Π(π)+丄」
           「㊀+|」
           「○+丄」
           「円」=「П+丄」だろう・・
 下部の「◡・⋃・u」を欠落した
 楕円、半円(∩)に半径(丄)を加えたモノである・・・?
 「D」は半円か?・・・「Dの月」が出たならば上弦・・・?
 弓の「弦」にあたる欠け際が
 上を向く場合を上弦の月
 下を向く場合を下弦の月
 弦月(ゲンゲツ・half moon・half-moon)=半月
 一ケ月には2回
 初め半月となる月相7は上弦の月(角度=90度)→☽
 月齢は平均7.38日
 次に半月となる月相21は下弦の月(角度=270度)→☾
 月齢は平均21.15日
 1か月を3旬に分けた
 上旬・中旬・下旬と同じ用法で
 太陰太陽暦(太陰暦)では
 上弦の月は上旬
 下弦の月は下旬
 に現れる
  ↓↑
 上弦の月の運行は
 太陽に6時間遅れで
 12時にのぼり24時に沈む
 夕方や夜浅くに見える
 下弦の月の運行は
 太陽に6時間進んで
 0時にのぼり12時に沈む
 深夜過ぎや未明に見える
 夜浅くに西の空に見える上弦の月は、
 弦の部分(弦月の円周でない直線状の部分)→☽
 が上に見え
 午前中に西の空に見える下弦の月は、
 弦の部分(弦月の円周でない直線状の部分)→☾
 が下に見える
  ↓↑
 月の輝き部分
 上弦=月の後方半球(公転運動の後ろ側)、
    東半球、北を上にしたときの右半分
 下弦=月の前方半球(公転運動の前方側)、
    西半球、北を上にしたときの左半分
 輝いている部分の面積は同じだが、
 月の海
 月の陸
 の配置により、
 上弦のほうがわずかに明るい
  ↓↑
 月の
 下半分が輝いていて弦が上にあるのが上弦
 上半分が輝いていて弦が下にあるのが下弦
 「上・下」は単に
 出現する順序を表しているだけで
 同じ月相の月でも、
 昇った直後
 と
 沈む直前とでは
 上下がほぼ逆になる→「☽→☾」・→「☾→☽」
 深夜と早朝を除く
 時間帯に見える月の形は、
 上弦の月の弦は上→☽
 下弦の月の弦は下→☾
 に観える
  ↓↑
 青=主+月・・・月→(冃・肉・舟)
           上弦での
           三日月、半月は
          「舟」の形に比喩
 逭=主+円・・・円→(丹・冄)
         太い
         円柱を輪切りにした
         盥(たらい)のような舟もある
         新潟県
         佐渡ヶ島
         小木海岸の
        「たらい舟」の
         磯ねぎ漁
         ↓↑
        「たらい舟」の発祥の由来は
         地震による沿岸岩礁の変質で
         長い舟よりも円形が
         岩礁との衝突に
         安全で漁業がし易い・・・とか・・・
         人間の知恵ってスゴイッ・・・
         が、「お椀の舟」は
         「一寸法師のお椀の舟に箸の櫂」
         室町~江戸時代の
         「御伽草子」
         寛文年間(1661~1673)
         大坂心斎橋の書肆
         渋川清右衛門が
         「いにしへのおもしろき草子」
         を選び、
         「御伽文庫」と名づけ
         「板行」した23編中の一
 ↓↑       ↓↑
         「舟」には
         「蛭子(蛯子)」の
         「葦(芦・蘆・葭)舟」→モーゼの芦舟
         「出雲国譲り」の
         「鳥之石楠船」
         「鳥磐橡櫲樟船(とりのいわすふね)」
         「山幸彦」の
         「駕籠舟・竹舟」
         「記紀」の
         「天磐舟(諸手船)」
         「天鳥舟(天鴿船)」
         「ぶんぶく(分福茶釜)茶釜」の
         「泥舟」
         などがあるが、それらの「形」は?
         「鳥船」は
         「帆掛け舟
         (帆船・ジャンク=戎克・Junk
          中国の木造帆船・帆は莚(むしろ)、
          麻布の縦帆)」だろう・・・
 ・・・「鳥=とり=隹=禽=酉(樽=たる・壺=坩=つぼ)」をイメージさせる漢字からは舟(船)に関する「櫂」と「羽根車」だが、
ーーーーー
 ↓↑
 羽根車
 水車・タービンなどの回転軸に
 羽根を取り付けたもの
 水や蒸気などをこれに受け車を回転させる
 impeller・vane wheel・runner
 インペラー(impeller・impellar)・・・隠経覶蛙?
 液体用のポンプや発電機等、
 ターボ機械に使用される
 羽根車のこと
 蒸気タービン(steam turbine)・・・多阿(蛙・鴉)備務
 蒸気を、
 タービン(羽根車)と軸を介して
 回転運動へと変換する外燃機関
  ↓↑
 黒船・四隻
 ペリーの蒸気船
 外輪式蒸気軍艦
  ↓↑
 古代アレクサンドリアの工学者・数学者の
 ヘロン(10年頃~70年頃)が考案した
 「ヘロンの蒸気機関」・・・・経論?
 蒸気を
 円周上のノズルから噴出させ
 回転力を得るもの
 反動式タービンの原型・・・
  ↓↑
 産業革命期(18世紀~19世紀)
 蒸気を動力源とする
 蒸気機関が実用化
 シリンダ・・・詞理務拿
 と
 ピストン・・・比素訳務・秘素遁
 を使った
 往復運動をベースとする
 レシプロ式の蒸気機関・・・
  ↓↑
 蒸気タービン
 1629年にイタリアの建築家
 ジョバンニ・ブランカ (Giovanni Branca)
 衝動式蒸気タービンの概念を図に書き記した
 1882年にスウェーデンの
 グスタフ・ド・ラバル
 (Gustaf de Laval,1845年~1913年)
 衝動式タービンを開発・試作
 1884年にイギリスの
 チャールズ・アルジャーノン・パーソンズ
 (Charles Algernon Parsons,1854年~1931年)
 多段階反動式タービンを開発・試作
 1889年に発電用に実用化
 1895年にアメリカの
 チャールズ・ゴードン・カーティス
 (Charles Gordon Curtis)
 二段階
 多速衝動タービンを開発
 1898年にフランスの
 ラトーが現在の原型にあたるタービンを実用化
   ↓↑
 蒸気タービン
 1894年
 舶用原動機として
 タービニア号で登場
   ↓↑
 外輪船
 水車型の装置である外輪で推進
 外車船・パドル船
 paddlewheele
 外輪式蒸気船
 paddle steamer
 左右の舷側に外輪を持つ船
 sidewheeler
 船尾 (stern) に1つの外輪を持つ船
 sternwheeler
 外輪=paddle wheel (side wheel・stern wheel)
 基本的に、機関で外輪を回転させる推進器
   ↓↑
 中国の歴史書『南史』
 418年の
 王鎮悪・・・・王鎮惡=373年~418年)
        東晋の軍人
        本貫は北海郡劇県
        前秦の
        王猛の孫
 率いる
 水軍の活動として
 人力推進の
 戦闘艦の記録・・・
 明確に
 外輪の記述があるものは
 552年の
 梁の水軍が
 侯景の乱に対して使用した
 「水車」と呼ばれる
 外輪船
 同時期に
 「双輪」
 「歩艦」
 とも呼ばれる
 船の記録があり、
 踏み車を利用していたと考えられる・・・
 唐代以後
 中国水軍では
 外輪船
 宋代には
 船尾外輪
 や
 船首に衝角を装備した船や、
 舷側外輪一側を20から30付け
 戦闘員を200~300人載せられる
 「海鰍船」・・・鰍=カジカ(杜父魚・鮖・Cottus pollux)
           中国語で「鰍」は泥鰌(どじょう)
           日本のカジカとは異なる・・・
 と呼ばれる
 大型の外輪船が登場
 外輪船の発達は
 モンゴル(蒙古)軍によって
 宋が滅ぼされるまで続いた
 外洋航行ができなかったために
 元の時代には廃れた
   ↓↑
 ロバート・フルトン
 最初期の蒸気船の推進力は外輪
   ↓↑
 ・・・「鳥の翼」、あるは「アヒル(鴨・鶩・家鴨・阿比留)の翼と両足」をイメージさせる形態は「ガレー船」の両脇に突き出る「オール」であるが・・・
   ↓↑
 ガレー船(galley)
 古代
 主として人力で櫂(オール)を漕いで進む軍艦
 前700年頃エジプト人、クレタ人などが
 帆付きの
 ガレー船を軍用と商用に使用
   ↓↑
 ガレー船(galley)
 中世から近代まで地中海で用いられた軍用船
 低い舷側と細長い船体をもち
 多数のオールを備えている
 古代以来の伝統をひく軍用船だが
 二段櫂船
 三段櫂船
 のように
 漕手の席が上下に段をなしていない
 ベンチに2名、3名が並んでオールを漕ぐ
 1本から3本のマストを持ち三角帆を備え
 小型のものでは40~50本
 大型のもので200本ものオールを備え
 50tから200t程度の荷を運んだ
   ↓↑
ーーーーー
 中国の帆船(ジャンク)がなぜ、ジャンク(junk)になったのかは
       chuan(チャン)中国語
       djong(ジョング)インドネシア語
       junk(ジャンク)英語
       で、外洋船として
       この船の様式が18~19世紀に廃れた・・・
       「ジャンク=廃品・不要物」になった?
       ↓↑
       兎に角、
       「〇形の舟」とは
        円柱体に対する視覚的角度の
        正面、側面、平面で、
       「平面の○」である・・・
         ↓↑
         1802年12月9日
         享和二年
         十一月十五日(旧歴の満月)
         佐渡小木地震
         佐渡島小木付近で発生した
         マグニチュード M6.5~7.0の地震
        「享和佐渡地震」は
        「小木町は総戸数453戸が殆んど全潰し、
         出火して住家328戸、土蔵23棟、
         寺院ニケ所を焼失、死者18名、
         湊は、地形変じて干潟となった
         (『一話一言』・『佐渡年代記』)
        『佐渡年代記』には
         巳刻(10時頃)に
         所々破損する程度の地震が起こり、
         未刻(14時頃)に
         大いに震い御役所を始め
         人家に至るまで破損に及んだ・・・
         金鉱山の坑夫たちは数日前から
         異常を察知し坑道に入らず
         犠牲者は無かった・・・
         小木半島の海岸では
         約2mの隆起が生じ
         露出した
         中新世の枕状熔岩を観察
         ・・・出来るらしい・・
         ↓↑
         関ヶ原の戦い
         石田三成の家臣、
         「山田去暦」の娘・・・サンタ去暦?
         「おあむ」が、
         「たらい(盥=臼+水+皿)」に乗って
         落城する大垣城から逃げ延びた
         (『おあむ物語』)
         ↓↑
         カンボジアの
         トンレサップ湖には
         (琵琶湖の3倍、雨季に5倍)
         「たらい舟」があるらしい・・・
         ↓↑
         泥船
         高橋 泥舟(デイシュウ)
         天保六年二月十七日(1835年3月15日)
         ~
         明治三十六年(1903年・2月13日)
         徳川慶喜の幕臣
         山岡鉄舟(小野鉄太郎)は、
         泥舟の義弟
         後、骨董鑑定屋
  ↓↑
 「丹後」・・・たんご=単語・譚語・譚漁・・・乙姫浦島
            端午・田子・丹呉
            反後・・・反語?・版語・判語
            tango
            アルゼンチンとウルグアイの
            境界線の
            リバープレートに沿って
            1880年代に
            クレオールタンゴとして広まった
            アルゼンチンタンゴ
            単純な4拍子とバイナリ音楽形式
  ↓↑
 「丹」
 丹砂(水銀と硫黄が化合した赤色の鉱石)を
 採掘する「井戸」の象形
 「丹砂」、「赤色の土」、「濃い赤色」
 「丹」の文字、字形
 U+4E39 U+E0100 ならば、中を点とする「冂+ヽ(ゝ)+一」
 U+4E39 U+E0101 ならば、中を縦棒とする「冂+丄」
  ↓↑
 「清」=「芿」
  ↓↑
 「冉(冄)」=あやうい・ゼン・ネン
        毛の垂れるさま、柔らかな、弱い
        何かが垂れるさまの象形
        飾り紐、頬髭(髯の初文)などが垂れるさま
        tender, weak, gradually alternating.
        冄の構成文字
        㚩、𢪈、𨙻、枏、𤴿
        蚦、耼、𧧛、䫇、䶲
  ↓↑
 魏冄(ギゼン・生没年不詳)・・・・偽善?
 中国戦国時代に秦に仕えた政治家
 封ぜられた地から
 穣公・陶公とも
 秦の
 恵文君(恵文王)・武王・昭襄王の
 三王に仕えた
 丞相、相国
  ↓↑
 丹(に・あか・タン)
 辰砂=硫化水銀からなる赤色の鉱物
 仙丹=霊力のある薬
 丹色=赤・朱系の色
 丹土=赤土=赤みがかった土壌
 燕の太子、丹=中国戦国時代・燕の太子
 地理
 丹波国・丹後国・伊丹市・丹生郡・丹南
  ↓↑
 井・丼・円・冃・甘
 「丼(どんぶり)」=井戸に物を投げ込む意味
 「丼」=井戸の中に落ちた物が水面で発する音
     食物を盛るための
     厚手で深い陶製の鉢
どんぶりばち
     職人などの腹掛けの前部につけた
     大きな物入れ
     サラサや緞子 (どんす) などで作った
     懐中用の大きな袋で
     江戸時代、若い遊び人が好んで用いた・・・
     丼物 (どんぶりもの)の略
  ↓↑
  「#」=ナンバーサイン (number sign)・スクエア
  「井桁(いげた)」代わりのヌメロ(NUMERO号)、NO
シンボル#=番号記号、ハッシュ、シャープ記号
   音楽記号のシャープ
   「♯」は
   五線から見分けるために横線が斜め
   縦線はまっすぐ
   「#」は
   横線はまっすぐで縦線が斜め
   ##♯
  ↓↑
 井戸の地上部の縁に、
 上から見て
 「井」の字形に組んだ木枠
 井幹(セイカン)
 下から見ているなら、
 「丼(どんぶり)」の「ゝ・ヽ」は「釣瓶」か「上を見ているカエルの視線」だろう・・・
ーーーーー
 ・・・ヨッポドのオッタッキーじゃなければ・・・「?」であるカナ・・・

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ナニを望んでいるのか・・・「収集、育成、対戦、交換」の要素

2016-07-25 14:22:28 | 古事記字源

 ・・・ポケモン騒動・・・ポケモン(ポケットモンスター・POCKET MONSTERS)はナニを望んでいるのか・・・「収集、育成、対戦、交換」の要素って、ナニなんだか?・・・ボクにとってはどうでもイイけれど、知っている「ポケモン情報」とは、むかし、ニュースでTVアニメをみていた子供達が「癲癇状態」になって病院に搬送されたとかだったが・・・「光過敏性発作(Photosensitive epilepsy)で、TV画面から視覚に飛び込んできた光に異常反応する症状らしく、「ポケモンショック」=「光過敏性癲癇」と云う事件だった。調べたら「1997年12月16日」の事件で「患者は約750人、135人が入院」とあった・・・その騒動がおさまっていたのか、今から6、7年前ころ、TVでは「ポケモン」が再度、人気番組になっていて、知り合いの子供のお母さんからモノガタリのアウトライン(outline)を訊いたコトがあるが「友情がテーマ」で、彼女も子供と一緒に観ていてナケルとのコトだった・・・なるほど、「友情」がカネにもなる「社会」なんだ、と・・・生きてきて知らないコトがワンサカだけれど、ドウテイの青二才で若いころには「おんな」を知らずして死にたくないなぁ、がボクも含めたオトコ同士、友人の会話でもあったカナ・・・ゲスで、ゴメン・・・「同綴」の「掛意和」は「音名」を「詞等事詞照」・・・「詞根留」か、です・・・
 ソレを知らずして生きていけるか、死んでいけるか・・・「理不尽」な状況は、今現在変えれないカモだが、せめて、その「理不尽の根拠」ぐらいは知っておきたいのが人間だろう・・・起こってしまった過去の「事故・事件」はどうするコトも出来ないが、ナゼ、そうなったのかを知りたいと考えるのは「人間の本質」ではないのか・・・
 それを知って反省し、生き方を変えるかどうか別だが、自分自身の納得ができないでは「生きていけない、死にきれない」だろう・・・
 ・・・だから「生きる」ってか?・・・そんなコト考えないでも生きて行くヒトビトは生きて行く・・・大きなお世話かも・・・


 以下、ウイッキペデアからのコピペ・・・
ーーーーー
 1868年・慶応四年
  ↓↑
 エドワード・ガントレット
 (George Edward Luckman Gauntlett)
  1868年12月4日~1956年7月29日
 イギリスのウェールズ出身の語学者、音楽家
 1941年、日本に帰化
 ウェールズのスウォンジ生まれ
 父親は英国国教会の牧師
 大叔父に「ダビデの村に」を作曲した
 ヘンリー・ガントレット
 ロンドンの音楽学校に進学し、
 建築学、工学、美術等を学んだ
 20歳でアメリカに渡り、
 その後
 カナダに移り、教会に属し、
 そこの宣教師として
 1890年に来日、
 1919年から英語教師
 東京商科大学、第六高等学校、
 山口高等商業学校などで
 英語・ラテン語などを教える
 日本での
 パイプオルガン普及、
 エスペラント語普及に努めた
 日本メソジスト教会本郷中央会堂の
 聖歌隊を指導
 日本人の音楽家を育て
 「東京行進曲」を歌った
 佐藤千夜子さんはその一人
 山口県秋芳洞を学術調査
 Royal Geographical Societyの会員として
 海外へ初めて紹介
 妻は
 山田耕筰の姉の
 山田恒(恒子)
 ガントレット恒の名で
 日本キリスト教婦人矯風会の主力メンバー
 2人の間には
 6人の子供
 長男のジョン・オーエン
 (進駐軍の教育部に技術顧問)
 英語に関する著書多数発刊
 長女フランセス(カナダ留学後帰国)
 次女キャスリン(英国の修道院附属学校教師)
 次男トレバー(記者)
 三女ウィニー(旧華族の土井家に嫁ぎ、英語教師)
 四女ベアトリス・エイミー
 (宣教師の夫とともに
  夫の故郷の
  南アフリカのヨハネスバーグや日本で教会活動)
 日本に残った子孫に
 Jackie, David, Saiko
 など・・・
ーーーーー
  ↓↑
 慶応二年
 五稜郭完成
 慶応三年
 ええじゃないか起こる
 10月14日、大政奉還 の上奏
 12月9日、王政復古の大号令
 慶応四年1月
 戊辰戦争
 5月、北越戦争
 慶應義塾が芝新銭座へ移転
  ↓↑
 慶応四年(1868)
 1月3日
 鳥羽伏見の戦い
 旧幕府軍が敗退
 1月4日(1868年1月28日)
 阿波沖海戦
 日本史上初の近代軍艦による海戦
 旧幕府軍側が勝利
 だが江戸に撤退
 1月8日
 徳川慶喜、大阪城を出て江戸に戻る
 1月11日
 神戸事件。岡山藩兵、神戸でフランス人を殺傷
 2月9日
 新政府、有栖川宮熾仁親王を征東大総督
 2月13日
 徳川慶喜、寛永寺で謹慎
 2月15日
 堺事件。土佐藩兵、堺でフランス人を殺傷
 3月6日
 新選組、甲陽鎮撫隊を組織
 甲斐の柏尾で新政府軍に敗退
 3月13日
 勝海舟と西郷隆盛、会談
 3月14日
 日明治天皇、五箇条の御誓文を発する
 4月2日
 甲陽鎮撫隊・近藤勇、新政府に投降
 4月11日
 江戸城、無血開城
 4月25日
 元新選組局長・近藤勇、斬首
 4月
 福沢諭吉、慶応義塾を開塾
 閏4月8日
 近藤勇の首級が京に晒される
 閏4月17日
 新政府、浦上キリシタンを弾圧
 5月3日
 奥羽越列藩同盟を締結
 5月15日
 彰義隊、上野で新政府軍に敗退
 7月17日
 江戸を東京と改称
 8月19日
 旧幕府海軍総裁
 榎本武揚ら、軍艦八隻を率いて北海道へ
 8月23日
 新政府軍、会津若松城を攻撃、白虎隊自刃
  ↓↑
 10月23日
 (慶応四年九月八日=明治元年9月8日)
 元号が慶応から明治に改元(一世一元の詔)
ーーーーー
  ↓↑
 五榜の掲示(ゴボウのケイジ)
 慶応四年三月十五日
 (1868年4月7日)
 太政官が立てた五つの高札
 太政官(明治政府)が
 民衆に対して出した
 最初の禁止令
  ↓↑
 前日に
 五箇条の御誓文が発出
 施政方針は公卿や大名に示され、
 都市で発売されていた
 太政官日誌に布告されるのみ
 五榜の掲示は、
 全ての国民を対象に、
 全国各地の高札場で掲示
  ↓↑
 五榜の掲示
 民衆への新政府の姿勢表明
 第一札から第三札は
 「永世の法」
 第四札から第五札は
 「万国公法の履行」と
 「外人殺傷の禁。並びに脱籍浮浪化の戒め
 五榜の掲示の内容
 君主や家長に対する忠義の遵守
 集団で謀議を計ること
 徒党・強訴・逃散の禁止、
 キリスト教・邪宗門の信仰の禁止
 江戸幕府の政策を継承
 同時に旧幕府時代の高札の廃棄
 五榜の掲示の
 第三札(切支丹邪宗門の禁制)は
 慶應四年(明治元年閏4月4日=1868年5月25日)
 「切支丹宗門」
 と
 「邪宗門」を別条で禁じ、
 密告褒賞を削除
 明治四年十月四日
 1871年11月16日
 には、
 第五札が除却
 873年(明治六年)2月24日
 高札制度が廃止され
 同時に
 第一札から第四札も除却
 五榜の掲示に示された各条は
 事実上廃止
  ↓↑
 五榜の掲示
 第一札:五倫道徳遵守
 第二札:徒党・強訴・逃散禁止
 第三札:切支丹・邪宗門厳禁
 第四札:万国公法履行
 第五札:郷村脱走禁止
  ↓↑
 第一札
   定
 一 人タルモノ五倫ノ道ヲ正シクスヘキ事
 一 鰥寡孤獨癈疾ノモノヲ憫ムヘキ事
 一 人ヲ殺シ家ヲ焼キ財ヲ盗ム等ノ惡業アル間敷事
       慶應四年三月 太政官
 第二札
   定
   何事ニ由ラス宜シカラサル事ニ大勢申合セ候ヲ
   徒黨ト唱ヘ徒黨シテ強テ願ヒ事企ルヲ
   強訴トイヒ
   或ハ申合セ居町居村ヲ立退キ候ヲ
   逃散ト申ス堅ク御法度タリ
   若右類ノ儀之レアラハ
   早々其筋ノ役所ヘ申出ヘシ
   御褒美下サルヘク事
       慶應四年三月 太政官
 第三札
   定
 一 切支丹邪宗門ノ儀ハ堅ク御制禁タリ
   若不審ナル者有之ハ
   其筋之役所ヘ可申出
   御褒美可被下事
       慶應四年三月 太政官
  ↓↑
 閏4月4日改正
 先般御布令有之候
 切支丹宗門ハ年來固ク御制禁ニ有
 之候處其外邪宗門之儀モ總テ固ク
 被禁候ニ付テハ混淆イタシ
 心得違有之候テハ不宜候ニ付
 此度別紙之通被相改候
 條
 早々制札調替可有掲示候事
  (別紙)
 一 切支丹宗門之儀ハ是迄御制禁之通固ク可相守事
 一 邪宗門之儀ハ固ク禁止候事
       慶應四年三月 太政官
  ↓↑
 第四札
   覚
 今般 王政御一新ニ付
 朝廷ノ後條理ヲ追ヒ
 外國御交際ノ儀被
 仰出諸事於
 朝廷直ニ御取扱被爲成
 萬國ノ公法ヲ以條約御履行被爲在候ニ付テハ
 全國ノ人民
 叡旨ヲ奉戴シ心得違無之樣被
 仰付候
 自今以後
 猥リニ外國人ヲ殺害シ
 或ハ
 不心得ノ所業等イタシ候モノハ
 朝命ニ悖リ御國難ヲ醸成シ候
 而巳ナラス一旦 御交際被 
 仰出候各國ニ對シ
 皇國ノ御威信モ不相立次第
 甚以不届至極ノ儀ニ付
 其罪ノ
 輕重ニ随ヒ
 士列ノモノト雖モ
 削士籍至當ノ典刑ニ被處候條銘々奉
 朝命猥リニ暴行ノ所業無之樣被
 仰出候事
    三月 太政官
  ↓↑
 第五札
   覚
 王政御一新ニ付テハ
 速ニ天下御平定萬民安堵ニ至リ
 諸民其所ヲ得候樣
 御煩慮被爲
 在候ニ付此折柄
 天下浮浪ノ者有之候樣ニテハ
 不相濟候
 自然
 今日ノ形勢ヲ窺ヒ
 猥ニ士民トモ本國ヲ脱走イタシ候儀
 堅ク被差留候
 萬一脱國ノ者有之不埒ノ所業イタシ候節ハ
 主宰ノ者落度タルヘク候
 尤此御時節ニ付無上下
 皇國ノ御爲
 叉ハ
 主家ノ爲筋等
 存込建言イタシ候者ハ
 言路ヲ開キ
 公正ノ心ヲ以テ
 其旨趣ヲ
 盡サセ依願
 太政官代ヘモ
 可申出被
 仰出候事
 但今後
 總テ士奉公人
 不及申農商奉公人ニ至ル迄
 相抱候節ハ
 出處篤ト相糺シ可申
 自然
 脱走ノ者
 相抱ヘ不埒出來御厄害ニ立至リ候節ハ
 其主人ノ
 落度タルヘク候事
    三月 太政官
ーーーーー
 ・・・

コメント
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