物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

偶然の出会い

2011-05-05 14:19:42 | 外国語

偶然の出会いを「邂逅」とでも日本語ではいうのだろうか。

出会うということを表すにしてもその出会いが偶然であるということを意味するときにはこのような特別な語を使う。

先日のドイツ語のクラスでdie Begegnungという語を出会いという意味に使った方が居られ、R氏がこれは偶然に出会うという意味だと言われた。

そういう意味は日本語の邂逅にもあると思うが、外国語にも対応した語がある。英語ならencounterと言うのだろうし、フランス語ならla rencontreとでもいうのだろうか。また英語ではrun across someoneというような言い方もあったのではないかと思う。

この最後の表現はノーベル賞物理学者のC. N. Yangが彼の最初の奥さんと出会ったのがニューヨークのどこかの街角であったとかいうのに使っていた。彼女は彼が教えた高校の教え子の生徒の一人であったらしいが、中国では知り合いになってはいなかったとC. N. Yangの論文選集には書いてあった。

(2011.5.15付記) 5月12日のドイツ語のクラスで、医師の I 先生からBegegnungの綴りがちがっているよとご注意を受けた。それで、ようやく今日訂正をする。 I 先生有難うございました。これからもミスがあったら、どなたでもご指摘下さい。


鎮海とハングル講座

2011-05-05 13:39:47 | 外国語

私はハングルを勉強したことはないが、先日ラジオを聞いていたらNHKのハングル語講座で鎮海(jin-hae:チネ)のことを話していた。ここチネは、桜の季節には街の人口の何十倍、何百倍の人が訪れる桜の名所である。

講師の先生は鎮海の桜のことをいうのに大阪の造幣局の桜の通りぬけから、チネの桜の並木の様子を説明していたが、私は造幣局の桜の通りぬけは知らないが、このチネの桜の方は知っているのである。

いつだったかかなり、昔にこの鎮海のことをこのブログでも書いたことがある。この町は実は私が生まれて間もない頃、1940年から1944年まで住んでいた懐かしい町である。また、その町にその後行ったことはなかったのだが、2001年5月に従兄姉たちとほぼ56,7年ぶりに出かけた。

私の住んでいた家の傍の川(人工の川)もあり、もちろん家自身は違う家だったが、やはり小さな家が商店か何か建っていた。私たちの家も3室の小さな家であったから、それほど変ったとは思わなかったが、この地で1941年に生まれた妹にはとても粗末な家に思われたらしい。だが、もともと私たちの住んでいた家も小さな家であった。

その後、大学の同僚だったWさんが奥様とこの地を桜の季節に訪れたらしく、桜を写した写真をもらったように思うが、どこかにはあるのだろうが、探さないとどこにあるかわからない。


母の日とカーネション

2011-05-05 13:01:07 | 日記・エッセイ・コラム

5月8日は母の日である。妻が二人の方からカーネションをもらって喜んでいる。

一つは知人の娘さんからもらったもので、私たちは男の子しか子どもをもっていないので、「カーネションをもらう機会がないでしょう」とのことでもらった、真紅のカーネションであった。

ところが昨日帰宅したら、息子のパートナーからカーネションを送ってもらったと、とても喜んでいた。こちらの方はピンクとか赤とかのカーネションのミックスであり、人が違うと感覚も違うものだと思った。

妻はすぐに息子にお礼の電話をかけたらしい。こういうことで簡単に喜ぶとは思わなかったが、カーネションを送ってくれるなどとは、息子には思いつかない心遣いである。

そういえば、2年前だったかに私の古希ということで、これは別の息子の嫁が配慮してくれて古希のお祝いの図書券をもらった。その配慮にとても感謝したものである。おかげでそのときに購入したいと思っていた書籍を数冊購入することができた。

息子たちはその気はあっても恥ずかしいという気が先にたつのだろうか、お祝いなど言われたことがない。いや別にそれで恨んでいたりはまったくしないのだが、義理の仲になるとそういう配慮をしてくれるということでもある。

どうも私が妻の両親にそういうことをしてあげたという記憶がないので、後悔してもしかたがないが、なんとかしてあげるべきだったかと考えている。