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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

学歴偏重

2017-05-22 22:29:44 | 教育
>■一日で人生が決まる、根強い学歴偏重社会

困ったものですね。一瞬で一生が決まる宝くじに近いものですね。

>もちろん、他国においても大学入学試験というのは大学受験生にとって非常に重要な意味を持つに違いない。

そうですね。どこの国でも、大学は高等教育機関として重要ですね。

>それにしても韓国の入試騒ぎは異常と言えるレベルである。

本当に、そうですね。熱しやすい国民性ですかね。

>なぜか?

それは、韓国民が人間序列の基準を求めてやまないからでしょう。

>理由は単純だ。

日本語にも韓国語にも、階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、’上とみるか・下とみるか’ の判断は、国民にとって重要です。人間の ‘品定め’ に対する要求は、強迫観念の水準にまで高められていますね。この強迫観念は、日本人にも、韓国人にも死ぬまで持続することでしょう。

>出身大学、つまり学歴がすべてを決める韓国で修学能力試験日は、まさに「人生が決まる一日」であるからだ。

出身大学で人生が決まるとは、大変なことですね。大学の学歴は、哲学を勉強する歴史ではないようですね。単なる上下のレッテルなのでしょう。大げさですが、日本にも似たような傾向がありますね。両国民は特に出身大学にこだわりますね。

>韓国で学歴は就職、収入、結婚において非常にメリットが多いため、それが決まる入試には受験生も家族もみんな必死になる。

学歴が、人間序列の目安として使われているのですね。学歴が処世術 (現実) の中に組み込まれていますね。大学の教育は、哲学 (非現実) のはずですがね。大人になるための教育です。高等教育を世俗的に解釈する以外に方法がないのでしょうね。

>受験生にとってそのプレッシャーはかなり重く、毎年入試に失敗した受験生が自殺したというニュースが集中するのもこの時期だ。

序列社会の道具立てとして受験が役割を果たしているのですね。本当の勉強はないのですか。我が国においても、人手不足はあるが、頭脳不足は聞いたことがありません。

>もちろん、大学に進学しなくても、自分の才能を活かし各分野で成功している若者もいる。>そして、一流大学の卒業ではないが優れた実力で認められて成功する人もいる。

そうでしょうね。大学は、韓国だけにあるわけではありませんしね。国際的な大学を目指すべきですね。

>政府や教育界でも色々な改革を行い、最近では「成績」ではなく「適性」と「能力」に合わせたコース、専攻を選択するように誘導して、ある程度の成果を得ている。

そうでしょうね。でも、日本語にも韓国語にも時制というものがありませんから、せっかく大学に入学しても、哲学 (非現実) の勉強は困難を極めるでしょうね。

>にもかかわらず毎年このような騒動が起こるということは、まだそれらはレアケースであって大学という看板が韓国社会で成功するための最も重要な「道具」であるという現実を韓国人はよく分かっているからである。

大学という看板が、序列社会の道具立てにしっかりと組み込まれているのですね。無哲学・能天気の道は、また成功への道でもあるわけです。無哲学と人間序列の国民が、最も容易に見つけられる人間序列の目安でしょうね。こうした言語に関する社会問題は、一朝一夕には解決が難しいでしょう。



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Wall Street J.

2017-05-21 05:21:55 | 日本語脳
>・戦後の米国にとって日本に対する大きな懸念は、日本の軍国主義の復活を防ぐことだった。

そうですね。米国は、ひどい目にあいましたからね。こりごりですね。軍国主義者に対処するのが、当面の課題でしたね。

>米軍の日本占領期に、ダグラス・マッカサー司令官の幕僚たちによって草案が作られた日本の新憲法は、9条で戦争を放棄し、軍隊の保有や「武力による威嚇または武力の行使」を禁じている。

彼らにとって、集団安全に関して、日本は頼むに足りぬ国でしたね。

>・これらの禁止事項は、日本が民主主義国家となった以上、もう不要となった。

そうですね。一応、我が国は民主国家ですね。衆愚的ではあるけれども。軍備に関する足かせは、必要ないですね。

>だが、日本は米国の安全保障の傘下に避難していることに満足してきた。

日本人は、利口ですからね。要領が良い。処世術をはたらかせますからね。今だけ、金だけ、自分だけです。だが、本当に、米国人は日本の安全のために血を流してくれるのかな。

>・憲法9条は、もはや日本にとって危険になりつつある。

相変わらずの責任転嫁ですからね。日本人は変わりませんね。事後の捕り物帳にしか興味がありません。これは、危険なメンタリティです。

>なぜなら憲法9条の制約は、日本の同盟諸国との集団自衛を阻止するからだ。

日本は、実力を発揮して、同盟諸国の集団防衛の核となる必要がありますね。憲法を盾にして、集団防衛を阻止するのでは逆効果です。

>・自衛隊は、日本が外部から直接的に攻撃された場合にのみ自衛を許されるという条項によって正当化されてきた。

そうですね。これでは、我が国の被害は防げませんね。日本人には常に事実が必要です。予測・推測は難しい。日本語脳では、未来の世界に関する内容の展開が難しいからです。非現実に関する正しい (矛盾のない) 考えができない。

>だが、今や北朝鮮の核兵器が日本や世界に対する脅威となった。

その通りですね。世界は時々刻々と変化していますね。天下泰平の憲法では時代遅れとなりました。脅威を前にして、’めくら、へびにおじず’ の状態ですかね。
日本人と米国人では、考え方が違いますからね。
米国人の方は、矛盾のない考えはすべて正しい。だから、正しい考えはいくらでもある。
日本人の正解は、与えられた内容を間違えずに答えること。だから、答えは一つに限られる。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

>中国も軍事力の行使範囲を拡大している。

そうですね。物騒ですね。中国は、伝統的な覇者の国ですからね。覇権の樹立に余念がない。覇権熱は収まったためしがない。

>日本は自国が直接的に攻撃を受けていない状態でも、米国などとの共同の軍事行動に参加できる攻撃能力を持つ軍隊が必要となったのだ。

そうですね。もっともなことです。だが、日本人には判断力が無い。だから、攻撃にも自信が無い。再び暴走の危険がある。もっと聡明にならなくてはいけない。それには、英米流の高等教育が必要ですね。



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能天気の拙さ

2017-05-14 11:49:34 | 政治
>ドイツがヨーロッパの盟主みたいになってきましたね。これは第二次世界大戦時での蛮行に対しても徹底した反省とその対策による取り組みを周辺諸国が受け入れたことによると考えられるのです。

そうですね。反省と対策が必要ですね。
意思があれば、加害者意識もある。加害者意識は罪の意識であり、深刻な反省を伴います。改心すれば、周辺諸国もそれを受け入れるでしょう。
意思が無ければ、罪もない。人は死んでも、死刑執行人は殺人罪に問われない。彼らには、殺意が無いからである。
日本人には意思が無い。無心であるから、我が国には罪が存在しない。贖罪のための宗教は広く受け入れていない。罪の意識のない大人の生活を見て恨めしくなる。だから、周辺諸国の不信は消えない。

>ところで、日本はどうなのか。不都合の中に「開戦にいたる経緯」もあるわけですよね。ABCD包囲網とか、アメリカの石油禁輸とか、・とかを理由に挙げていますけど、こじつけとしか考えられないのです。

そうですね。’ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、’ という歌がありましたね。あれですよ。罪が無い。考えがない。

>関東大震災時の朝鮮人虐殺も葬り去られてきていますよね。デマを流して・・した将校は、この後満州に送られていろいろやったと司馬遼太郎氏が「雑談 昭和への道」で述べられていました。ソロバン勘定もできないので無茶苦茶をしてきたということかな。

我が国においては、人手は考えられても、頭脳は考えられない。今日でも人手不足は指摘されているが、頭脳不足は聞いたことが無い。非現実の内容が深く考察されていないと、現実の生活までも杜撰になる。

>織田信長が勝ち続けた要因の一つに「兵糧は持参、略奪暴行は厳禁」というのがあったというのです。日本軍は兵糧の現地調達をさせていましたから、今頃になっても「軍票」などの問題が出てくるのですよ。

軍隊は、自給自足が原則ですね。餓死者、病死者が多数出ては、戦力が落ちる。行き当たりばったりでは、まともな戦いもできない。信長の兵法は尊重されなかったのですかね。

>また、沖縄戦での県民に対する日本軍の行状が無視されてきているようにも感じています。県民を守るはずの日本軍がね。日本国民に対してこのような状況なので外地で何をしてきたかについては「証拠隠滅の日本軍」で、先の自衛隊日報のことでも片鱗が出てきますよね。

証拠隠滅ですべてが無くなるという発想ですね。日本軍は、県民を盾に使ったのですかね。たとえ一億総玉砕であっても、驚く国民はいなかったのでしょう。皇民化教育が徹底していたのですね。

>将兵に対してもジュネーブ条約を教えていないのですから、残虐行為があったり、捕虜になったときにベラベラしゃべったりとか。玉砕なんて戦略のない大本営の無策の結果ですよね。

誰のアイデアですかね。日本人は世界の中にあって、世界に属していないのですかね。無為無策。座して死を待つ。玉砕・犬死ですか。それでも、頭脳不足は考えられない。
 
>慰安婦の件は問題の一つであって、慰安婦の日韓合意で幕引きを図ろうとしている今の状況は日本が歴史を鏡としていない証拠ですよ。「未来志向」と口先だけでいって、実際は逆行しようとしているとしか思えないです。

無哲学・能天気でいては、未来もなければ過去もないですね。過去の考察もないので、未来に関する提案も難しいですね。未来の内容も、過去の内容も、非現実ですからね。哲学がないと、議論にはなりません。不毛の議論に見切りをつけることが難しい。
 
>「雑談 昭和への道」で司馬遼太郎氏は日本は近隣諸国に「1000年経っても忘れられることないことを」をしてきたとね。パレスチナ人は十字軍に先祖が殺されたことを覚えていることをNHKスペシャルで放送されたことがありました。

そうでしょうね。対馬の人たちも、蒙古軍にやられましたね。



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日本人の道

2017-05-13 10:46:14 | 政治
>戦後の日本の言論界を支配していた「空気」が変わろうとしている。
>山本七平が『「空気」の研究』で書いているように、日本人にとっては「何かの最終決定者は『人ではなく空気』」なのである。

彼は、観察力の鋭い人でしたね。

>戦後の日本の平和は、憲法9条のおかげではなかった。
>日米安保条約や自衛隊の抑止力が働いていたからであり、理想と現実は違っていた。

理想の内容は、頭の中にある。現実の内容は、頭の外にある。両者は同じでないのが当然です。
強者の怒りは、抑止力になります。だから、日米安保条約や自衛隊の存在が抑止力として働いた。
丁度、それは仁王様の様なものであります。彼らは仏法の守護神であり、不法に対する怒りを顕わにしています。仁王立ちになりその怪力を示す。好戦的でもなければ、軍国主義でもない。その怒りは抑止力となっています。

>しかし、多くの言論人は論理的な議論を拒否し、「空気」を読んで発言してきたのである▼「空気」には逆らえないからである。

無哲学・能天気の人々と付和雷同の言動は、表裏一体ですね。

>「平和憲法」という命題が絶対化され、それを批判することは許されない、不思議な言論空間ができあがったのである。

金科玉条と信じられた平和憲法は、我々の平和を守らない。
それは、横断歩道が歩行者の安全を護らないようなものである。わが身の安全は、相手次第で決まります。相手をよく見ることが大切です。 ‘オオカミと7匹の子ヤギたち’ の話の様なものか。

>それに水を差したのがネットである。

ネットの投稿は、考える力をつけてくれますね。

>物事は単純に割り切れないことを、様々な情報から日本国民は判断するようになった。

お題目の暗唱では済まされませんね。暗記力を頼りにする勉強だけでは、足りませんね。

>善悪の二つに分けて、解釈することの愚かさに、ようやく気付いたのである▼それでもまだ「空気」を一掃するにはいたっていない。

自己に哲学が無いのであるから、何よりも空気が大切でしょうね。一掃は難しいです。

>朝日やNHKなどが必死にこだわるのは、「平和憲法」を持ち出すのが楽であるからだ。
>思考停止状態であれば、自分自身が混乱しなくてもすむ。

無為無策。座して死を待つばかりですね。単純だ。迷いはない。

>「空気」のせいにして責任を放棄するのである。

この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。誰がどう間違ったのかを言わない。今でもわからない。個人主義が無い。

>日本人は「空気」を抜きに語ることは難しい。

‘他人の振り見て、我が振り直せ’ と言われていますね。気分・雰囲気に酔って自主性は有りませんね。

>それは勢いともいうべきもので、孤立することを恐れて、誰もが本音を口にするのをためらうのである。

基準が無いのであるから、断言できない。自己判断ができないのであるから、孤立することは恐ろしい。

>ようやく「空気」が変わりつつあるのは歓迎したい。

どのように変わるのですかね。

>「世の中はそういうものじゃない」とのバランス感覚が大事なのだから。

‘どっちつかず’ ということですか。これからも優柔不断・意志薄弱で行くのですか。行方も知らぬ日本人の道かな。


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「からっぽ」な時代

2017-05-10 06:08:59 | 日本語脳



>三島由紀夫 「からっぽ」な時代での孤独 リンク より
>昭和45年7月7日、サンケイ新聞(当時)夕刊に、ある記事が掲載された。

>「果たし得ていない約束-私の中の二十五年」と題されたその記事は、異様なまでの焦燥感にみたされていた-「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」。

本来、無哲学・能天気の日本人は ‘からっぽ’ の存在です。それに日本人らしき色合いをつけているのが序列メンタリティですね。
抜け目が無いのは、’今だけ、金だけ、自分だけ’ の処世術のためです。哲学 (非現実) が無い世の中では、処世術 (現実) を頼りにして生きて行くしかないのです。
それでもいいと思っている人たちは、無哲学・能天気な人たちです。貴方が適当な改善策をださないのなら、口をきいても無駄ですね。無力感、焦燥感と続くのでしょうね。

>世間は、3月にはじまった大阪万博に酔いしれていた。岡本太郎の「太陽の塔」が、高度経済成長の象徴のように君臨していた。人々が空気のように豊かさをむさぼり吸っている傍らで、三島由紀夫はひとり立ち尽くし、口を覆っていたのである。

我が国は、経済大国になるのですね。金の力を信じつつ、序列万能のメンタリティから少しづつ解放されるのですね。なんだか、むなしいものがある。

>もし日本人の日本人らしさが「豊かさ」にあるとしよう。ではそれを失ったらどうなるのか? 他国がより安い製品を作れば失われてしまう、そんな場当たり的な価値観を「日本人らしさ」の基準にしていいのか。

それは、場当たり的ではないのです。繊細な揺るがぬ日本人独特の価値観に裏付けられて得た ‘豊かさ’ の結果です。
無哲学・能天気の日本人には哲学的な価値観が無い。‘らしさ’ は気分・雰囲気の問題ですね。言語で言い表すことは出来ない (nonverbal) が、品定めならきる。
この非言語の価値観にも、真の価値が有る。それを人々は現実に求めています。金を払う。だから、我が国は、金を得て ‘豊かさ’ がある。ただの ‘安さ比べ’ の道には豊かさは無い。
趣味は、論拠にならない。(There is no accounting for tastes). だから、日本人は議論ができない。だが、現実に力がある。気分・雰囲気の表現に徹すれば、歌詠みになる。

>確かに学生たちは繊細だった。昭和43年の学生運動、「全共闘運動」と呼ばれる大学生たちの反乱には、戦後=民主主義への違和感があったからだ。耳に心地のよい正義感、正論を吐いている学者たちは何をしているのか。しかも日本は経済的な快楽に溺れ、アメリカの言いなりになっている。正論の裏にある、時代の空虚と偽善、その閉塞(へいそく)感を破壊せよ。そのためには民主主義にすら、一度は「否」をつきつけよ-学生もまた三島同様、焦燥を募らせていた。

民主主義には違和感がありますね。その成果は自己判断の上に立脚している。それが出来なければ、民主政治は衆愚政治となる。
学者たちは、受け売りをしているのです。耳に心地の良い正義感、正論を吐いているのは、 ‘今だけ、金だけ、自分だけ’ の処世術に因るものです。無哲学・能天気の人はそうなります。
自己が無ければ、相手の言いなりになるしかないでしょう。民主主義は最低である。だが、それ以上に優れた政治形態がいまだに発表されたことが無い。

>だが、と三島は思った。私は万博に酔いしれる人々はもちろん、彼ら大学生たちとも違う。学生たちは私三島を誤解しているし、半分までしか理解しあえない。

そうでしょうね。同感です。酔いしれるのは、日本人の自己慶賀の伝統に因るものです。そのあとから脱線もついてくる。
大学生も伝統的です。現実に対する不満はあるが、非現実に関する自己の提案はない。そして、やけっぱちになる。
両者はともに伝統の枠から逃れえない。同じことの繰り返しである。日の下に新しきことなし。だから、閉塞感がある。

>なぜなら自民党がつくりあげた戦後社会を、私三島は呪っているからだ。「からっぽ」な社会を否定する気分は、学生と同じだ。では何がちがうか、それは私は日本の文化を守るために戦後を否定しているのであって、学生のように破壊と否定、革命だけを夢想していないからだ。

無哲学・能天気の人々の社会はもとから空っぽですね。それは、頭の中が「からっぼ」だからです。日本の文化は文章化できない。以心伝心・不立文字です。しかしながら、非言語 (nonverbal) でも価値が有る。だから、世界の人がそれを求める。我が国に、資金か還流する。呪ってばかりはいられません。

>私には明確な目標がある、否、正確に言えばまだ果たしていない「約束」がある。それは戦前の若者が、なぜ死なねばならなかったのか、何のために命を投げ出したのかに答える、という約束である。

それは ‘空っぽ’ の頭と ‘序列メンタリティ’ のなせるわざでしょうね。’○○は死ななきゃ治らない’ といわれていますが、実際には死んでも治らないですね。

>だから私の人生は、つねに死を飼って生きてきた。最初は戦争で、2度目は多くの友人が死に、そして3度目は戦後を生き延びた「老い」の感覚によって。

わかりかねますね。死んでも治らない。

>そして三島は思った、文化を担う「天皇」だけが、この約束を果たす存在であると。戦後のふやけきった日本を停止し、文化の咲き誇る「日本」を取り戻すには、天皇こそ必要なのだ。全共闘の学生は、三島のこの言葉=天皇を受け入れることはなかった。だから三島と学生は、「半分」までしか理解できないのだ。

序列メンタリティの人間は、天皇を原点として世界を展開しなければならない。だから、その内容はグローバルにも、ユニバサルにもならない。全共闘は破壊に熱心。新世界の内容を提案しない。内容を提案しても意味が無い。日本人にはその意思が無い。

>三島は経済大国日本にも、また学生にも同調できなかった。戦後のどこにも居場所はなく、その華やかで過激なまでに豊穣(ほうじょう)な小説群に抱かれながら、なお、自らは孤独であると感じていた。

不満はあるが、提案はない。駄々っ子の様なものですね。哲学的な自己主張がない。消去法により自己主張しようと試みるが、それは無益というものですね。消去法オンリーの戦いでは不毛の議論になる。’からっぽ’ の国民性が問題です。’からっぽ’ と消去法の矛盾が根本にありますね。

>そして思った、戦前の人々と交わした約束を守るには、戦後の象徴天皇制はもちろん、明治立憲制下での天皇にも疑問があると。天皇は政治ではなく、文化のためにこそ奉仕すべきであり、神でなくてはならないと。

そうですね。下々は現人神をまつらなければならない。それが、序列メンタリティというものでしょう。西洋の皮を被った天皇制には不満がありますね。無哲学・能天気の人間が、‘考える人’ になる事はおいそれとはゆかない。それは、言語の問題があるからです。この根本原因を精査して、着実に改善を実行する以外にありませんね。私は、それを目論んでいるのです。

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