gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

学歴社会

2019-12-12 16:37:41 | 文化

>姜ヨセフ ( 28 会社員 ) 19/12/11 PM10 【印刷用へ】
>日本という国は学歴社会である。

学歴という美名で隠されている序列社会ですね。序列は非常に大切な価値観になっています。

>小学校から学校以外にも、学習塾に通うのが当たり前である。 >有名大学の付属校では、小学校に入学する段階から既に『受験』が待ち構えています。 

いよいよ過当競争の始まりですね。

>そして、世界でも類を見ない過酷な受験戦争に巻き込まれるのであります。

同次元で序列を争う競争は、没個性であるがゆえに過酷なものになりがちであります。

>大企業に就職しようと考えるなら、ある特定の大学に入学しなければなりません。 >また、大企業に就職して出世コースに乗ろうと思うならば、東大に入学しなければいけません。 >あるいは、医者になろうとするならば、最低でも偏差値60以上の学力を持ち合わせていなければならないのです。 

学問の内容の話ではなくて、処世術の話になりますね。

>このような事情が我が国にはあり、東大あるいは京大に入学すること自体が人生の目的みたいになっている子供達が大勢存在するのです。

そうですね。手段の目的化が起こっていますね。学問の真の目的が疎かにされている国・社会に我々は住んでいますね。 

>しかし、日本人はなぜ?こんなにも勉強しているのか?あるいは勉強させられているのか?ということを考える人は少ないのです。

そうですね。わが国は、日本人には何の不思議もない世の中ですね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。’上と見るか・下と見るか’ の世俗的序列的判断が疎かであると、日本語の日常会話にも差し支えるほどであります。
その上、日本人の礼儀作法は序列作法になっているので、世俗の上下判断が疎かであると、礼儀正しい日本人にもなれません。人を見損なってはいけないという想いから、序列判断は日本人の強迫観念の域に達しています。ですから、堅苦しい日常生活を送っています。始終緊張して、‘頑張って’ とお互いに声を掛合ったり、’お疲れ様’ と慰めの言葉を掛けています。

>なぜ?日本人はこれ程までに勉強しなければならないのか?と言うと、『勉強させない為に』勉強させられているのであります。

勉強する意思の無い思考を停止している人間には、時間つぶしの作業が必要になりますね。

>「何だか矛盾した表現だな!これは一体どういうことなんだ?」とあなたは思うことでしょう。>実は日本では愚民化政策が行われているのです。

国家の政策など言うものではない。これは大昔からの仕来りでしょう。

>無意味な暗記中心の勉強をさせられ、肝心な「考えること」を奪われているのです。

そうですね。方向違いの努力ですね。手作業は分かりやすくても、哲学は難しいですからね。  

>ですから、学校で習う古文や漢文、歴史の年表、あるいは、何年学んでも会話できない英語、さらに大学では英語すらできない学生に第二外国語を履修させているのが現状なのです。

勉強は良い人生を得るための手段です。手段の目的化が進んでいますね。

>このような環境で一生懸命勉強して一流大学を出たとしても、優秀な人材には成り得ないのであります。

その通りですね。

>人間は思考することが大事であり、一流大学出の暗記ロボットでは世の中を動かすこと、変えることは出来ないのです。

そうですね。自己の非現実 (考え) の内容を現実の世界で実現できれば、それは創造の仕事をしたことになりますね。

>この『思考すること』が本来の意味での勉強であり、「どのようにしたら私達は豊かになれるのか?」「どうしたら日本という国家が繁栄できるのか?」ということを考えることが本当の勉強なのです。

そうですね。自己の考える ‘あるべき姿’ が大切ですね。

>この本来の勉強を出来ないように仕組まれているのが我が国の教育制度なのです。>つまりは、日本の教育というものは、『学べば学ぶ程バカになる』教育を施されているのです。

そうですね。現在のような思考停止の状態では、人は賢くなりませんね。

これは意図的にアメリカの圧力によって行われております。

日本人には、意思がありませんね。ですから、能動が無くて受動ばかりがある。誰にやられたかを一生懸命に考えるのに忙しい。
意思は未来時制の文章内容である。しかるに、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人の脳裏には未来時制がなく、日本人には意思 (will) がない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. ところが、日本人には意思がない。仕方がないから無為無策でいる。これが、我々の大問題であります。自主性のないのが問題なのであります。 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず'  山本五十六 (やまもと いそろく)





日本の宗教

2019-12-12 11:47:34 | 宗教
(略)
>●日本の宗教についての偉人賢人たちの言葉
>・山本七平 「無神論を主張し火で燃やされたジョルダーノ・ブルーノは日本にはいなかった。日本人はずっと無宗教に対して寛容であった」

日本人は、無哲学・能天気である。無哲学・能天気の人々は、宗教哲学に対して寛容にならざるを得ないですね。だが、各人に哲学は必要です。Everyone needs a philosophy.

>・芥川龍之介 「日本にいくら宗教を根付かせようとしても無理なのは、日本が古来から八百万の神を崇める、神道などに見られる独特の宗教観を持つからで、釈迦もイエス・キリストも日本にくれば神々の一人という扱いになる」 

日本人は、宗教が無くて困ったことは無い。日本人の魂は救済を必要としてない。だから、宗教はいくらあっても困らない。

>・村上春樹 「神は人々の心の中にのみ存在する。日本では、神は常に柔軟でどのようにでも捉えられる概念だった」

哲学は言語の内容であり、忖度は非言語である。日本人には、哲学がなくて忖度 (推察) がある。だから、宗教哲学とは無縁でいられる。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。

>・加藤弘之 「宗教は恐怖に依存する概念だ」

そうですね。西洋人には意思がある。だから加害者意識にさいなまれる。罪の意識に苦しまなくてはならない。そのために贖罪の宗教 (キリスト教) が発達した。罪を知らない日本人に謝罪させようとしたら、それは自虐の強要になる。

>・福沢諭吉 「言うまでもなく、宗教は社会の平和と安全の維持という目的のために必要なものである。>しかし、私には宗教的な性質がまったくなく、宗教を信じたことはない。

福沢諭吉の宗教観は、野球に関するルールのようなものですね。それが無くては、野球はなり立たない。あくまでも便宜主義的なものですね。行為の規範を欠いていて軽薄な感じですね。

>他の人が宗教的であることを非難するつもりはないが、私自身の良心としては、自分が宗教を信仰するなどということは許さない」

福沢諭吉は、あくまでも御都合主義ですね。

>・二宮尊徳 「世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある。

真理の内容は人それぞれでしょうね。

>仏教、神道、あるいは仏教でも天台宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗などいろいろあるが、これらはいずれも一つの真理へ到達するための道に付いている沢山の入口の名前に過ぎない」

現実の内容はただ一つ。それよりも大きくも無ければ小さくもない。真理は非現実 (考え) の中に存在する。真理は個人によりその内容に違いがある。ご唱和の世界は完全にものとは限らない。

> 二宮尊徳さんが言うように「本当の真理はある」けれど、そこに近づくための方法は「どれでもいいやん」というのが日本人の価値観のようです。

無哲学・能天気は則ち日本人の自由ですね。日本人には、忖度 (推察) がある。その内容には誰も干渉できない。忖度は現実直視になっていないから、議論にならない。勝負無し。それで、歌詠みになる。’何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる’  (西行法師)

>これはほとんどの他の国の人たちには理解できない感覚であり、それはつまり、「無理に理解してもらう必要もない」ことなのだと思います。

そうですね。非言語は、理解を超えていますね。 無理な理解などありえない。‘東は東、西は西’ ですね。

>そして、これからも日本人は同じ信念の上を進んでいくと思いますし、それが日本人という存在としての最後の砦だと私は思っています。

日本人は、無哲学・能天気である。無哲学・能天気の人には信念がない。同じ信念の上には信念がない。我らの無信念は最後の砦。’民 信無くば立たず’ (論語・顔淵)
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官).


.