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本日、綜絖始める

2020-08-31 | 機織り

筬框を外して、綜絖のろくろをなるだけ前に移動。

こんな感じで。

裂き織りなので基本は平織り。

途中で糸で模様入れたくなるかもしれないので、4,3,2,1で通す。

少しずつ残った糸のあれこれ、裂いた布と一緒に板杼に巻いてなるだけ減らす。

つくるのはマット。台所か、車の後部座席か未定。

買っても安いけど、洗濯機で洗えるのが気持ちいい。木綿が気持ちいい。

明日はまた出かけるけど、なるだけ早く仕上げて、保多織りに取り掛かりたい。


稲の穂が出た

2020-08-31 | 日記

朝、起きたら稲の穂が出ていた。

立春から数えて210日目を七十二候のひとつ、二百十日という。今年は本日、8月31日。

稲の穂が出るころで、台風が来る季節でもあり、稲が風の被害に遭わないようにと昔から言い伝えられてきた。

昨今の台風は風も強く、風媒花の稲に強風は困る。

我が水田、玄関に入れておきますか。

重いので、段ボール箱でも被せましょうか。

心配。

あと、二百二十日もあります。

街中の農家、気がもめることです。

稲の花

白いのがオシベ。メシベはガクの中に隠れている。って水田地帯の真ん中にある小学校で習った。

虫媒花のような華やかな花弁はなし。匂いも。

ストイックな稲の花でした。

華やかでなくても暮らしの基本を支える。そういう人に私はなりたいって宮沢賢治風に・・・


着物あれこれ

2020-08-30 | きもの

大東亜共栄圏帯の持ち主の方に、着物コレクターの方の論文、送ってもらったんだった。そのあと、美術展の図録も買う。

ブログはもうないけれど、写真倉庫の一部が残っていた。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/sanpokimono/

とても楽しそうに着ておられるのが印象的で、私が着物の楽しさに目覚めるきっかけになったのもこちらのブログ。

着物ガラケー女。県立美術館で2011年。

下は大島着てるけど、その上からウールのコートに毛糸のキャップでは洋服か和服か分からない。

でも自分の着るものですからね、誰にも遠慮せず、自分の好きなものでよし。

このころ、冠婚葬祭がいろいろあり、和服はたいそう役に立った。

三男の結納、尾張徳川家から家紋の使用を許されたという名古屋のさる料亭でしていただいた。

こんな時、デパートへ洋服探しに行ってもたいてい気に入ったのに出会わない。出会ったとしても高い。洋服だと宝石も要るし、結局、色留袖に。

浅野内匠頭の違い鷹の紋が付いていた。あとで紋替えしたけれど、しなくても誰にも文句言われない筈。実家の紋ですと言えば済むこと。要らんお金使ってしまった。反省。着物はお手頃だったけど、京都へ頼んだ紋替えがーーー。

ホテルに前泊、部屋で自分で着る。二重太鼓も何とかなった。何とかした。

上半身柄がないのでおかみ風。

ホテルから河文までは羽織着た。これは母のお下がり。

母も高松空襲で亡くなった芸者さんのを買ったと言う。

リサイクルのリサイクル。細かなちりめん地で、正攻法の古典柄。子供のころは柄のあしらいの源氏香の意味が分からなかった。

解いてスカートにするつもりだったけど、しなくてよかった。80年は経ってる羽織。しみじみと着物は長生き。

帰りは着物着たまま新幹線で広島まで帰る。

途中の伊吹山が、着ている着物と似た色合いで、嬉しかったのを憶えている。

こんな裾模様の着物、いいですよね。

やれやれ、着物でよかった。何よりの効能は、金額の多寡より、気後れせずに済んだこと。着物の効用、ここにあり。

改めて、楽しく着物を着ている方にネット上とは言え、出会ったことに感謝。着る楽しさがうんと広がった。


昨日は駅中の「和久バル」というカキ料理の店で友達と会食。本店は平和公園近く、元安川に浮かぶかき船「かなわ」。真夏のカキ料理、おいしかった。

ホームページより。

ご飯は白ではなく、カキ一個丸ごとゴロン乗せの炊き込みご飯だった。

そのあと、新幹線口が見えるカフェでお茶飲んで解散。次は年末にと言うことになった。

久しぶりに、広島駅へ行くと、表口は工事中だった。最近遠出しないので、広島の田舎者になっている。


夏の夜の写真整理

2020-08-30 | 日記

ミズアオイの仲間 2007年 八幡湿原で

アマゾン原産のホテイアオイは根が水中に浮遊。

こちらは土に根を張るので水は酸欠にならず、他の生き物に優しい。

在来種、自生は珍しいのではないかと思う。

このほか、牧野富太郎句碑近くにホザキシモケを見たと言う報告が複数あったけど、たぶん誰かが植えたのだと思う。

今もあるかどうかは未確認。

ホザキシモツケは六甲高山植物園でも見た。こちらも植えたもの。


インタークーラー撤去跡?

これで今出川通を通って高雄まで連れて行ってもらった。

乗り込もうとしたとき、通りかがった若い二人連れの男の子が噴き出していた。

あとで、

何がおかしかったの?いやあ、ありえんくらい変な車見た。そうなの、気が付かなかった。親は注意しないのかしら。いや、親もおかしいやろと話したかどうか。

高雄、高山寺で。2006年ころ。

車から降りられないのは、車高が異様に低くて、足を出しても重心を地面に移すのが難しいから。決して太っているわけではありません。

しかし、なんでそんなに低く走る。

よくレースに出ていたらしい。本人は言わないけど、ネットでばれた。


これは友達の車。時々見て笑って、元気になる。

http://rmckuac.nobody.jp/bensi/1.html

こちら本人の車。何台目かは不明。

ライトが異様に不気味。夜の高速であおられたら怖い。

車はディラーで買ったことがあるのかどうか。

自分で車検持ち込むけど、未成年なので親の実印がいるといきなりメールが来て、京都陸運局の車検に同行したことも。

車検場でバッテリー切れで動かなくなり、という貴重な体験も。バッテリー買ってきて、自分で付け替えて、車検はクリア。やれやれ。

車検場は業者さんばかり、金髪の子供とおばさん。浮いてました。


15年くらい前、着物コレクターの方の美術展が広島でもありました。

こちら戦争柄の帯。神武東征で現れた鷲?鷹?・・・でしたか、それが朝鮮半島からアジアへ進出するという柄。

鳩は平和の使い。朝鮮、日本、同じ国としてともに栄えようという意味?

右は当時レアな柄の着物を次々着て、ブログに上げていた方のコレクション。

結ぶとお太鼓のところに大きな柄が出て、インパクトありました。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/sanpokimono/2004_10_21_p04.jpg

当時、花柳界では軍人さんに喜ばれたとか。威勢のいいおめでたい柄だったのではないかと思う。

何の関係もなく

鳥取の投入堂。国宝。

ここから先へは行けません。感動しました。

登山道は40分くらいだったけど、険しくて、途中、道の切れ落ちたところもあり、踏み外すとまっさかさま・・・怖がるのも楽しかったのは若かったから。

近所の方に釣ったメバルをいただく。

息子さんによると、もうなくなられたとか。

このほか、チヌなどもいただきました。

古川上流部。

広島市内を流れる太田川は、近世初めの洪水で安佐南区で流路が変わり、それまでの川は古川として流れています。

今は親水公園に。最上流は伏流水になっているそうですがまだ行ったことありません。

山間から急に平地に出る部分、昔から洪水が多かったのでしょうか。

流路がたびたび変わって古川と太田川本流の間は砂地に。水田には不向きで、広島菜の栽培をしています。

2007年頃、長野県の守屋山登る。諏訪湖の見える山です。

中央道、恵那山付近。

平和公園の最北端、元、慈仙寺の場所に原爆に遭いながら、引き取り手のない遺骨の供養塔があります。

どこで回収された遺骨か説明版が欲しいと運動している方と知り合い、少しだけお手伝いさせていただきました。

その後立派な説明版が設置されました。

名前のない遺骨はあった場所がその遺骨の名前、とその方は言っていました。私の身内も必ずここにいるはずと。

沖縄の平和の礎のように、末代まで語り継げる場であってほしいと。

兄二人は留守番させて、末子だけ連れてさる集まりに。

皆さんに遊んでもらって大喜びしていた。

ご迷惑だったでしょうが、やむに已まれず。

天皇陛下の弥栄を願って已みませんと読むところを、願っていませんって。昔なら大変なことになっていたはず。不敬罪とか。不敬罪を称揚する私ではありませんが。教育勅語、読み間違えて自ら命を絶った校長とかいませんでしたか。

いや、相手がだれであれ、失礼千万。私なら怒る。

漢字に自信がないなら前もって原稿を読み、分からない読みは周りの者に教えてもらいましょう。一事が万事、危機管理に問題あり。小さな管理ができなくてなんで大きな危機管理ができる?

小泉訪朝について行って株上げたので、期待していた人もいると思いますが、全然何もしなかったのでは。

どんなに細い、民間のきずなも手繰り寄せ、ルートを作り、難しい交渉を秘密裏に必死でしたのでしょうか。していないと思います。こんなことしていると家族にその都度説明すれば、少しは安心し、信頼したのでは。

裏取引も必要と思います。いい悪いかではなく、人の命の重さを、上に立つ者、真剣に考えてほしかった。

今回のことも、ある程度人が死ぬのは仕方ない。終わらない流行はない。何していいかわからないけど、高度の緊張感をもって見守っていく。という考えだったのでは。

それに森加計、桜 河井選挙違反、何も説明していない。

憲法改正って言いながら、してほしくないけど、こちらも難しいと分かるとやる気なくしているように見えました。その陰で条文そのままで、解釈替えたのは許しがたいけど。

いったい、何のために長々と。

病気は気の毒ですが、それでチャラにできるわけがない。能力ないのは仕方ないとしても、倫理観なら努力して身に着けられるはず。って、自分のことは棚に上げて言っておきます。

コメントは認証制です。あなた様の貴重なご意見を反映しない場合もありますので、ご了承ください。


機織り、本日は千巻の取り付けまで

2020-08-29 | 機織り

暑いけど、エアコンつけて頑張りました。

椅子の脚に糸を括り付けて、千巻を作る。巻きながら向こうへ進んで行く。

今回も無事綾返しができました。やれやれ。

粗筬が向こうへ移りました。それを今から抜きます。

綾棒まで抜かないように。うっかりして、一度抜いた。後が大変だった。

織り機のところへ行って芯棒を入れ、織り機にセット。

作業する場所が狭いので、いつも手こずる。

今日は暑くて大汗かいた。

夏の機織りは苛酷。

明日は久しぶりに友達に会うのでできないかも。焦らずに少しずつ。少しずつしていたらいつかは完成。


ついでに2011年8月の写真

2020-08-29 | 旅行

2011年8月末、従妹とツアーで大連へ行く。

大連駅は日本人が作った。上野駅に似ているような・・・

いずれも東北地方への入り口。

この時は駅前のホテルに投宿。

お土産物はちょっとあれだけど、中国の果物のおいしさと安さに感動した。

市場で量り売りする果物は新鮮で、ブドウ一房が日本円で75円くらい、モモは一個25円くらい。日本の1/10。

持って帰れないのが残念。夜、ホテルで食べた。


東北大震災の年、福島県の支援のため、福島を旅行する。

新幹線福島駅前でレンタカー借りて、山へ。

東吾妻山の花いろいろ。

ゴゼンタチバナ。

東北の山の秋は早い。すでに実。

マイヅルソウ。実。

チングルマの実、エゾオヤマリンドウ。

宿泊は新野地温泉の一軒宿相模屋さん。週に一度、週末には福島駅より往復バスがあり。平日は送迎があるようです。

いい感じ。

今年はもうこれで涼しくなるんでしょうか。とどこからか声が。

暑い広島へ帰りたくないと思う一瞬。

露天風呂ったって、本当の露天風呂。木で囲って目隠し。

女風呂から帰る時、男風呂が丸見え。いゃあ、びっくり。もちろん、目をそらしましたけど。

地面のあちこちから温泉の蒸気が。

地面を掘り下げた、本当の露天風呂独り占め。

帰り道。あちら男性用。

野趣満点。

夫が「福島を支援に来た」と言って、地元の人に喜ばれたとか。

この時も小さな余震が続いていました。縦波、横波とはっきりした揺れではなく、ズズズズーと大地が複雑にうごめく感じ。マントルの歪みを微調整していたんでしょうか。

駅前で、くだもの農家の販売所があり、モモが大量に売れ残っていました。

夫が何の考えもなく、「放射能、大丈夫ですか」と聞くと、とても悲しそうな顔されました。申し訳ありませんでした。

この年と翌年、モモを箱で取り寄せました。西日本からの注文は珍しいと言われたので、旅行中で持ち帰れなかったのでと説明。

紺野果樹園さんです。モモ以外にもいいろあります。


この後が消えてしまった。夜も更けすぎた。

残りはいずれまた。

 

 


2010年、夏の旅の思い出

2020-08-29 | 旅行

昨日の写真の続きです。

那須岳はロープウェーがあるので、残り一時間くらいの登山。下山は大回りして下りる。

昔は山小屋があったらしいけど、今は子供連れの日帰り登山の山。楽に歩きました。

那須塩原から宇都宮に廻り、そこから日光へ行くつもりでしたが、元上司の方が野岩鉄道なら簡単に行けると、中三依なかみより駅まで送ってくれました。

この鉄道は会津若松が終点、東武鉄道に乗り継げば東京の浅草、亀戸へも行けるのです。

切符がとても大きくて、昔のバスの切符を思い出しました。

中三依は山間の小さな集落ですが、昔は街道が通っていて、参勤交代のルートでもあったとか。行ってみないと分からないこともあり、北関東、東北の広さをしみじみと感じました。

日光、戦場ヶ原。

17年前、Niftyのサービスでホームページ始めたころよくお借りした素材「自然いっぱいの素材集」は、こちらの写真が多かったのだと、行ってみて気が付きました。

とても癒されるのはなぜ。

小さな木は、戦前に試しに植えたそうで、溶岩の地質で育たなかったそうです。独特の景観。

花、いろいろ。

この日は雨で、殆ど人が歩いていませんでした。それもまたよし。

見渡す限りの湿原。湿原大好き。

中善寺湖畔のペンションに一泊して、翌日、夫は登山。

私は息子たちが帰省するので、奥日光から日光経由で東京へ。一日早く広島へ帰ります。

東武鉄道特急、二時間で浅草まで。

車内で、日光駅前で買ったお弁当食べる。

ユバのちらし寿司。塩味がしっかり効いて関東風。汗かいてたのでおいしかった。

電車は意外に空いていて、斜め向かいに四歳くらいの女の子とおばあさんが。

東京に近く、芸能人みたいな人ばかりと私のような田舎者はつい思いますが、素朴な二人連れは、遠い昔の自分と祖母みたいで、懐かしかった。

窓の外の景色、乗客ものんびりしていて、そのまま、スカイツリー最寄りの、業平橋・・・に下りました。

東京の下町は、北関東、東北と続いているのだと知りました。東京下町は、旅行者には歩いていて、楽な街。住む人にとっては本音でありのままに暮らせる街。そう思いました。


一昨夜、庭で鳴いていたコオロギ。昨夜は聞こえず。水撒きの水に当たってどうかなったのかしら。だとしたら、ごめんよ。せっかくうちの庭に来てくれていたのに。


粗筬終える

2020-08-29 | 機織り

昨夜は夫が居間の大きなテレビで野球見るので、ベッドに退避。宵の口2時間ほどエアコンなしで眠ってしまった。汗が出て目が醒める。

起きてみたら、夫は仕事場の事務室で、ヤフオクやっていた。姑様の本、せっせと出品している。よく売れるらしく、昼休みは近くの郵便局へ2日に一度は行っている。自分のCDも売る。

CD、聴いていないのがたくさんあるそうで、せいぜい長生きして全部聞いてほしいものです。

さて、私は台所でエアコンつけて、整経の後の行程、粗筬をしました。

これは決まった幅と長さに切りそろえた経糸を、織り機に掛ける幅に広げる作業です。

整経台から外し、綾に綾棒を入れて、一本ずつ数えながら、50センチの幅に広げます。

糸を漬物用重しと水入りペットボトルで固定。粗筬の代わりに卓上織り機の30/10cmの筬で。箱を置いて作業用空間を作る。数と間隔はテキトー。

この作業は糸を広げるのが目的で、粗筬はあとで外すのできちんとやらなくてもいい…と自分で勝手に解釈しています。

しかし、色の組み合わせ、あまりきれいでないですね。同系色にすればよかったけど、残り糸の整理なので。最近こんなんばっかり。

次は千巻と織り機に取り付けるところまで。できれば土曜日のうちに。

機織りの作業、ものすごく汗が出る。でも汗は出た方がいいと思うので、頑張ります。

千巻・・・習い始めたころ、先生にいきなり「今日は千巻つくるけんね」と言われて、年末なのに粽作って食べさせてくれるのかと勘違いした私。

教室は、手取足取りじゃなくて、自分で覚えなさいというスタンス。初めは先生と皆さんの話す用語が全然わからず、唯一、***を+++しての「を」と「して」の部分だけ。

いっぱい怒られて、いっぱい恥かいて、今は私なりに機織り楽しめるようになったので、先生と友達、5年間の時間に感謝。

明日も、もう今日だけど、頑張ります。


写真整理・10年前の夏

2020-08-28 | 日記

2010年、この年の夏は那須、奥日光、東京へ旅行。東京は男体山に登る夫と別れて一人で観光。

またいつか、関東へも行きたいものです。

八月に咲くタマアジサイ。

全然知らなくて、初め別の花とばかり。

玉が開くと左のような花が。関東から中部地方の一部に分布。西日本はないそうです。

奥日光の、中禅寺湖畔、今日イタリア大使館別荘へ行く途中の遊歩道で。

ナガバノコウヤボウキ。

広島のコウヤボウキが草のようにパラパラと生えているのに対して、枝分かれしてこちらは大きな塊になっている。

一年目は茎が柔らかく、二年目はしっかりした木になるのが特徴。

これも初見でした。

クロイチゴ。同じく奥日光で。深い山に見られるそうで、こちらも初見。

ホザキシモツケ。

日光戦場ヶ原の大群落。

分布は北海道、岩手県玉山村、栃木県奥日光小田代ヶ原・戦場ヶ原や長野県霧ケ峰などだそうです。

木道を行けども行けどもホザキシモツケ。雨でほとんど人影なし、貴重な体験をしました。

写真、順不同ですがこの時は夫の元上司だった方の那須の別荘で一泊したのでした。

朝霧に浮かび上がる別荘の庭。

こんな手すり、春に我が家に作ったウッドデッキにつけてほしかったのに、果たせず。残念。

那須岳で。フウチソウ。涼しげ。

夏の初め、鉢植でよく売られます。


2010年8月半ば。スカイツリーは408メートルまでできています。

背景に入れようと苦心しています。

模型を作って置く人。電飾付き。

皆さん、喜んでいました。

橋の上から。

一枚に収まりません。

遠くから

浅草から。

東京モード。1,000円から。

一休み。


このほかにいろいろ。2010年でないのも。

山口県、安蔵寺山に生えるアシオスギ。芦生=アシュウと読むのではと思います。

京都大学の演習林に見られるのが名前の由来。日本海側の杉です。

枝が下へ垂れます。

このころは車運転して、一人で福富町、志和町へたまに行っていた。

夏の終わりのひまわり畑。

帰りに、R2、信号待ちで写す。なぜ?

関西ナンバーでした。

三男が結婚式の余興にいるからと、落研時代の着物、独身寮へ送る。

南京玉すだれも一緒に。なんという裄の長さ。

大学時代は芸道一筋。

落語、漫才、その他色物全般。

人を笑わすことが大好きな性格はこの後も変わらないでしょう。

ずっと漫画のネタにされてきた私。。。。

白島電車通りの道端のポンプ。

試しに押してみたら水が出たーーー


今年の夏は格別暑いので、押し入れの中身を全部出して干して整理中。

自分の服も日陰で風に当てた。

写真もこうしてもう一度見ると、その時々で楽しく過ごしていたことが分かった。

健康でいられたことに何よりも感謝。

 

 

 

 

 

 


次は裂き織り

2020-08-28 | 機織り

二か月ぶりの機織りです。

次は裂き織りでマットのつもりです。

先日のこの整経台、糸を立てる棒を切ってしまったのですが、いろいろ思い違いがあり・・・

今回はすでに巻いてある糸を経糸に使うので、太い棒でよかったわけで・・・

思案の挙句、糸立ては卓上織り機を使うことにしました。

階段の手すりに括り付けて、後ろで糸を立てました。

これは整経が終わったところ。

2.7メートル。周回できずに途中で引き返します。

滑り落ちないようにとりあえず紐で固定。後ろから糸を引き出して前で整経。

織りの先生が見たら「まあ、面白いことしてぇ」と言われそう。

一度に8本綾を取るので早くできました。

残り糸なので、あまりきれいではないですね。

黒、浅緑、辛子色、ピンク、濃いピンクなど。

色の和名、全然知らない私。

横はこれを使います。

次男が大学進学の時に持たせたコタツ布団、引っ越すときに置いて行った。

古い木綿は今では貴重品。布団も最近はポリの混紡が多いので。

試しに裂いてみると、ピリピリと気持ちよく裂ける。これで行きましょう。

来月中に仕上げたいもの。

今回の計算、長さ1mを2枚、幅は仕上がり45㎝、掛幅は50㎝。

60/10の筬で60×50で糸は300本。両端は補強にして304本。

一度に8本綾を取るので、304÷8=38

38回綾を取りました。

つまらないことを長々と書くのも老化防止のため。お許しを。


昨夜、初めて庭で秋の虫が鳴いていた。街中の小さな庭にも季節が巡るのだとしみじみして、今夕、水やりしていたらコオロギが一匹、跳び出してきた。びっくり。

コオロギ見るなんて数十年ぶり。初め小型のゴキブリかと思った。

新しい庭にして5年目、なるだけ自然な感じを目指していたけど、コオロギがいて嬉しい私でした。


夏にはどう眠るか、それが問題。

2020-08-27 | 断想

午前4時前、あまりに寒くて目が醒めた。

窓、3つ空けて、扇風機はタイマー設定にしてなくて、ずっと回っていた。

宵の口、暑くてワンピース一枚で何もかけずに寝てしまい、気温にしたらそれから2度も下がってないはずだけど、その変化にこの体がついて行かない。

浴衣着て、布団かぶってしばらく横になっていたけど、眠れないので起きて、1時間くらいネットと読書。5時過ぎるとさすがに少し明るくなるので、静かに庭の木や草を少し刈込み、庭掃除もして、裏口は砂利を一袋バラまいた。

何か所かの猫除けの網、夫のつけ方では猫が簡単に出入りするので、網をやっとこで切り、尖った先をたくさん出して改造してみた。

猫は玄関からよりも、裏と横のブロック塀の上を歩くのを好む。そしてひょいと飛び降りて糞して去っていく。ああ、悔しい。

地域猫活動ですか…人さまが何しようと止められませんが、エサやった猫の糞、すべて回収してこその活動ではないでしょうか。猫が格別好きでもない私のようなものに、糞の始末は全部お任せではいけませんね。

今朝はあまりに早く起きすぎて、午前中から寝る。

乾燥して風がよく通って、熟睡した。

本当は今日から機織りの予定だったけど、夕方孫が来るので、しばしの休息。多分今日はしない予定。

エネルギーの塊の二人、相手するだけで、エネルギー、すべて使い果たしそうで、今から休んで夕方に備えます。

そのほか、今朝は姑様の古い蚊帳、洗った。裾の藍染布が欲しくて。何にするかは未定。麻の方も何かにすればいいんだけど、また考えます。

義妹に二年間くらい、数度にわたり、要るもの持って帰ってと言うも、本と服少し持って帰っただけ。着物たくさんはないけど、古いのは裂き織りしますかね。


写真整理2

2020-08-26 | お出かけ

地元の花火大会。10年くらい前。

この時は、プリンスホテル裏の山の上から見る。

先日、日曜日の花火大会は、飲食店している人が市や消防署の許可を取り、個人でやったそうです。みんなを元気づけたいからと。

何と奇特な方でしょうか。感謝、感謝~

昔の三男のホームページより。

今は消滅。

敷いているティーマットは織りの先生が下さったもの。

三男のお嫁ちゃんに渡した。

先日の大久野島で、「うんちが焼けたらやけくそだあ」とエンドレスて繰り返していたのはこの人です。「汚いこと言ったらいけんよ」とたしなめていたのはこの私です。

7年前。

中軽井沢から見る浅間山。噴煙あり。

活火山はそれだけで尊敬してしまう。山としての格が高そうで。。。

数年前、サツマイモの花を見た。

ヒルガオに似ているけれど、真ん中がサツマイモの皮と同じ色。

元々は熱帯、亜熱帯でしか咲かないそうだけど、道路横の緑地帯に個人が私的に開墾した畑で見た。暑くて咲く条件が整っていたのかもしれません。温暖化もここまで。

30年以上前ですね。床の間は掛け軸引っ張って遊ぶのですぐに物置に。

今は窓開けて床の段も廃止して、広く使っています。

引き続き、恥ずかしき写真の数々、見ていただいてありがとうございました。

 


とりあえず写真整理

2020-08-26 | 日記

一月余り、布製バッグに服いろいろ作っていたけど、とりあえず終了。

明日からはまた機織りの予定で、きょうはゆっくりしている。

ゆっくりついでに、今までの写真、整理。すごく昔のは、プリントした写真をデジカメにとって、以前のブログなどにアップしていた。

本人の了解取ってないけど、もう面影ないので許してください。

1983年、芋堀り遠足。次男と三男。

これは昨年。孫の要望を入れた卓上流しソーメン機。上から流して下でも回る。

事故多発、水漏れ再々。組み立て面倒片付け煩雑。ばあちゃん、毎回泣く。

ミシュラン、最高は三ツ星でしたっけ。

そのミシュランになる前の「なかしま」の料理。

以前はたまに行ってたけど、敷居が高くなって最近は全然行ってません。

仁和寺前。三男の車に乗せてもらう。

紐はなんか訳があるらしい。

この時は助手席足元にクーラーボックスがあり、バッテリーが入っているとか????

ああ、意味わからんーーーー

車になんで煙突が要る?

木炭車か???

今は某自動車会社で働く身、くれぐれも変な車造らんよう頼みます。

孫娘のお宮参り用着物。

お嫁ちゃんの実家から届けてくれた。

かわいい~

大学近くの喫茶店で落研の寄席。

見るために夫と二人、わざわざ上洛した。

だって、全然帰省しないんですもの。

19年前。我が家だけの遊び。

座布団払い。略してザブハラ。

大学生と高校生。次男は岡山に遊学中。

2006年秋。追分の分去わかされ。

左、国道交差して旧中山道へ。右、北国街道。

旧中山道へは車進入禁止。

2011年、就職三年目に豊田へ初めて行く。

駅前に迎えに来た息子の車は後部座席がなくて、夫が焦った。

ものを積むのに邪魔だそうで。

えっ、これに乗るんか!!

変なもの大好き。

山口県の山奥に、個人が作ったオブジェ見に行く。

雪。2010年ころ。元旦に。

1985年ころ。

広島平和マラソンの応援。

コアラ大好き。

1984年ころ。

乗り物大好き。

気に入らないことがあると、乗ったまま突撃していた。

自宅クリスマス会で大泣き。

お兄ちゃんたちがクラッカーさせてくれなかったと、開いたクラッカー持って身をよじって泣く。


個人的な写真いろいろ、見ていただいてありがとうございました。

 

 


夏長けて秋未だ遠し

2020-08-26 | 随想

高齢者は適宜冷房つけて・・・と言われるけど、とうとう今年の夏も就寝中、冷房なしで済ませた。寝るときに開ける窓は三つ。タイマー付けた扇風機で風を通す。

同居人はどうしているのかな・・・只今、家庭内distance励行中。二階の一番向こうの部屋で寝ている。

多分閉め切って、一晩中エアコンつけて、冷え冷えとしていることでしょう。

私が部屋を開けて寝られるのは、家の中に男という名の人が、一人いるから。その安心感。感謝しているけど、将来一人になったら、要所要所の窓は格子を付けて、夏はやはり開け放して寝たいもの。

気が付けば、しみじみと昔人間になっている。

夏休みの終わりのころだったかな、祖父が私と弟をお寺の法座に連れて行ってくれた。途中の大きなムクノキの下で、祖父が弟に自転車の練習させたら乗れるようになったから、その時は子供用自転車は私が乗って、弟は荷台に乗って行ったのかも。

夏には夏のあれこれを思い出す。

はるばると来ぬる我が人生かな。

出かけないので室内をば。

わっ、写真大きすぎた。

最近、日差しが斜めになって部屋が暑いので、ブラインドを下ろし、あれこれ置いて目隠し。

家の前の道に出てみる。庭木もあるけど、こうしていると何となく安心。

近所の甘味処「梅丸」さんの・・・何だったかな、抹茶アイス。

これは昨年、今年はまだ行けてない。

京都御所西隣、虎屋のかき氷、おいしかった。

自分の画像探しけたけど、Niftyのホームページのサービス終了で消滅。残念。

こんな感じでした。

https://macaro-ni.jp/62543

またいつか行けるといいけど、京都の暑さに軟弱になったこの体がついて行けるかどうか。

幻のかき氷。絹のような氷。京都はかき氷だってみやび。高いのはみやび代。

虎屋は元は京都のお店で、明治天皇について東京へ行ったんですよね。御所横の店の庭には、16世紀に敵に追われた戦国武将をかくまったという蔵が。

もちろん修復しているはずだけど、確かに蔵がありましたね。

京都と言えばこの人、

大学自動車部の昔のホームページ、まだウェブ上に残っていたので、顔加工してないのと二つ、画像フォルダに入れた。

何しているかと言えば、大学対抗のレースで、道路わきに事故車がいると見せかけて、他大学の注意をそらし、味方チームの勝利に側面から貢献する・・・

筈が、誰もそんな小細工には目もくれず、唯一、同じサークルの後輩たちに受けまくり、笑いを取り、結果として全く反対の効果しかなかった模様。

いったいなんやねん?

ごく小さい時から、面白いことするのが大好き。学部四年間は落研も掛け持ちで忙しかった模様。

自動車の整備全般自分でするし、人のまでするし、兄の結婚式では南京玉すだれで皆さんに喜んでいただいたし、あとは子供ができると言うことないんだけど。まあ何もかも望むのは欲張りと言うもの。と私を慰める。

お正月はお嫁ちゃんが風邪で来なかったので、もう一年会ってない。ラインは時々あるけれど。

かき氷の写真探していて発見。

2015年6月、フランス南西部、ガヴァルニー圏谷。

雪を頂くあの山の向こうはスペイン。こちらも巡礼路だったかな。そんな説明だった。

雪を見て少し涼しくなりたいもの。

友達が、私の電動糸巻き機見て、使い方、いる道具など教えてほしいと言うので、涼しくなったら来てもらう。

その前に整経台の改造。

初め、ビニールパイプをカットして、ミシンのボビン糸まくところに割りばしと布巻いてパイプを固定して糸巻いていた。涙ぐましい工夫。

糸立てるところはパイプに合わせた太さ。

今は東京手織りの糸枠と大管に巻いているので、作り替える予定。

夫に頼むのは糸立ての棒をカットして、ステンの細いパイプを整経台の幅にカットしてもらうこと。機織りしない人に説明してもなかなか通じないので、今朝はよけい暑くなる。

改善後は、8本の糸で整経するので時間は半分になるはず。それで友達に見てもらいます。

いずれにせよ、夏が終わるまで全部お預け。陽水の「夕立」ですね。


我が地区も高齢化

2020-08-25 | 断想

今の家に越してきたのはまだ20代、長男1歳、次男0歳のころ。

我が家の建つ土地は、元は倉庫で、敷地の真ん中に私道を通し、10数個の分譲地として売り出されたその中の一つ。私たちが結婚するまだ前に、舅様が隣接する区画を買っていたもの。

住み始めたのはまだ20代、近所の人たちよりも若かった私。近所付き合いも難しかったけど、40年以上が経ち、最近ではあまり歳の差も気にならなくなった。

他に家を建てて出て行った人もいれば、ずっと住み続けている人もいる。うちの子供たちが小さい頃は外で遊ぶ声が賑やかだったけど、今は子供は皆無。ご主人が亡くなり、一人暮らしの人も増え、しみじみと地区全体で高齢化したなと思う。

我が家のお向かいは一戸建てに一人暮らし。軽く認知症になっているように見えるけれど、週に一度、息子さん夫婦が食料などを運び込み、その時多分ごみも持ち帰るのだと思うけど、一人で頑張っておられる。もう数年以上、挨拶以上の話をする機会がない。

それでも息子さんのところへは行きたくないのでしょう。施設も嫌なんでしょう。介護保険も全然利用してないようだし、老後の迎え方、自分であまり窮屈に考えるのもどうかなと思うけれど、ご本人はそれが快適なんでしょう。

って一人一人紹介していたら、長くなる。人がそれぞれ個性的なように年寄だってみな個性的。年寄りとひとくくりにされる性格も生活様式もない。つて、気づくのはその当たり前のこと。


去年、地区の女性の親睦会に誘われ、参加している。私以外はみな一人暮らし。準備は85歳の方、手押し車で荷物運んだりされていたので、若手の私が来月から代わってお世話することになった。

結局はこうなっていくのかにとしみじみとした感慨がある。

こじれて気まずくなるのが面倒で、今まで、近所づきあい以上の話をしてこなかった人たち。若いころは遠くへ出かけて、文学がどうのこうのと言い合える仲間を探し、文学がどうのこうのと話していた私。

あの熱情あふるる時代を通り越して、いろんなことがあって今の私がある。まだ体は動くので、ここらで一つ、何か人のお世話をするのも悪くはないと、来月から頑張ります。

しかし、今の女性は年取ってからも元気。一人暮らしで子供たちに遠慮することもないし、昔話もあまりしない。あまり昔だと憶えてないのかな。

生きてたら、自分の10年後の姿、見たくもあり、見たくもなし。

コロナまでは食事会だったけど、お茶会になったのでやれやれ。毎回、スーパーのお惣菜でちょっと寂しかったので。さて、何を準備しましょうか。

話題は持病と病院の話が多いかな。私は検診以外は医療機関へ行かないので、よそさまの噂もなるほどと聞いている。

まあ、人生何一つ無駄なことはない。というか、無駄にするしないは、自分の心持ち次第。

この人生、もう少し頑張りましょう。


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