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豪華客船の出港

2013-04-30 | 日記

昨日、野呂山からの帰り、都市高速四号線の上から大きな船が見えました。

正午頃、停泊中。昨日は見学会もあったようですが、きょうは近寄れません。残念!!

船はこちらhttp://www.iace.co.jp/cruise/campaign/princess/

4/27に横浜を出て、広島、長崎、釜山、博多を経て再び横浜へ帰ります。乗客は日本人が多い模様。

でかいです

午後一時、出港です。ヨッコラショと船尾を回して

岸壁から離れます

向きを変えて

次の寄港地へと向かいます。それにしても大きい。

六管桟橋の向こう、見る見る遠ざかっていきます。けっこう速いです。

プリンスホテルの向こう、宇品の先へと船は消えて行きました。動くホテルと動かないホテルと・・・

いいなあ、豪華客船の旅。いつかは行ってみたいなあ。。。。と、おばさんは羨ましがりつつ、見送りました。


連休前半好天結構

2013-04-28 | 日記

野呂山へ行きました。夫、私、三男。お嫁さんは一足早く帰りました。

東端、弘法寺からの眺め

お父さんの方が背が高い

滝へ降りて行きます

山の上はまだ春の盛り

遅い春が山頂へやっと届きました

放置された開拓地

いいお天気でした

ぬいぐるみで遊んでいます。

夕方、山陰へ旅行していた長男が干物のお土産を車で持ってきてくれました。ありがとね。

今年の連休はお天気もよさそうです。

 

 


多忙な一日

2013-04-28 | 日記

はもう昨日になった。

三男夫婦が帰省。それに合わせてお姑様の家でみんなで食事した。

孫娘の言葉。夜、長男と私、手をつないで道を歩いて車の場所まで行くときに(昨日はお嫁さんは都合が悪くて来られなかった)

「ママが赤ちゃん産んだら、**ちゃんがびっくりするねぇ」

「そうだね、赤ちゃん生まれるの嬉しい?」

「嬉しい~」

「可愛がってあげてね」

「うん」

「**ちゃんもお腹に赤ちゃんいるんだよね」

「うん、男の子~」

「いつ生まれるの?」

「分から~ん」

「ママよりあとで生んでね」

「うん」

すみません、バババカで。書き留めておかないと忘れそうなので、なにとぞお許しを。

そうだね、あと20年以上は間を開けてね。

その頃までおばあちゃんも生きていたいけど、生きてなくても見守ってるからね。

一つ発見、三男のお嫁さんにすごくなつく。若い女性が馴染みやすいのかも。


ワカメ料理いろいろ

2013-04-27 | 日記

私が紹介するまでもなく、こちらにいろいろ http://www.nhk.or.jp/asaichi/2013/04/23/01.html

この中でメカブを使ったものを作ってみました。メカブとは、ワカメの茎の根元にフリル状についた胞子葉です。

① 生のままの芽株をなるだけ細く刻む。

② ざるに入れて70℃くらいの湯につけ、色が替わったら引き上げる。

③ 混ぜて混ぜてまた混ぜて、混ぜ倒すうちにとろろ芋よりも粘っこくなったら出来上がり。

何でも脳梗塞の予防になるそうです。ほのかな甘味と塩味があって調味料なしでおいしく食べられます。


ワカメを採りに行く

2013-04-26 | 日記

きょうは午後が大潮、一月ぶりに友達と待ち合わせてワカメを採りました。

きょうは人少な目。友人と私と男性一人。これは私の収穫の一部。

沖行く高速艇。大きな波が来ます。

もうヤマフジが。ひと月前はヤマザクラだったのに。

昨日の山の幸。タケノコとワカメの天ぷら。ついでにコロッケも作った。


 

ワカメは採り過ぎて、玄関先で洗っていたら近所の人が通りかかったので二人に差し上げた。

ワカメは洗うだけで、午後七時までかかった。大急ぎで夕ご飯作って、そのあと夫と二人で、団塊世代向けの番組で、タイガースの瞳みのる氏を見た。今の若い人には、そんなプロ野球選手知らないけど。。。。という感じでしょうか。

人も自分も歳月は平等に流れる。でも、その時間をどう使ってきたか、これからどう使うかは千差万別。人ががんばっている姿を見て、元気をもらう。


本日午前中は織りへ。綜絖通しを始めたら、一部綾が通ってなくて、先生が直してくださった。粽も逆に入れていた。先生は厳しいところもあるけれど、間違いには気長に付き合って直してくださる。というか、いつまでたってもきちんとできない私って、おかしいんじゃなかろか。としばしの反省。

あすはいよいよ息子夫婦の帰省。掃除全然してないし、ワカメとタケノコもあるし、買い物も行かないといけないし、怠けた付けが一度に来て、あまりのプレッシャーに、手抜きの限りを尽くしている姑は押しつぶされそうです。


タケノコを採りに行く

2013-04-25 | 日記

本日午後からタケノコ採り。午後三時過ぎ、墓地の後ろの竹藪到着。

年毎、木も竹も生い茂り、藪を払いながら分け入る。

一つ見つける。

目が慣れると、次々見つかる。右は取ったタケノコ。

次々見つかる。

結局大小20本ほど。あとは掘ったその場に放置。道にも顔を出しているので、それも掘って放置。今年はイノシシより先に出かけたのでたくさん採れた。

ワラビもたくさん。向こうは住んでるのかな?普段地元にいないので分からない。

夫は竹や木を切って、風通しを良くし、日も当たるようにするつもりだけど、いい道具を持ってないので、あまりはかどらない。そのうち夕方になったので帰宅。

半分に割って皮を取って、あく抜きをします。実際はこの三倍くらい。あまりに採りすぎて、持て余しています。

町に嫁に来て、まさかタケノコと格闘することになろうとは。

夜はタケノコとワラビのてんぷら、コロッケ、高菜に似たアクのない野菜などをオカズにした。疲れたけど、久しぶりに陽にあたって体を動かし、竹取の媼をするのも楽しかった。

いつまでも春のつもりが、空は青く透き通り、緑はまぶしく、もう初夏でした。一年で一番いい季節です。

 


「袋小路の男」 絲山秋子

2013-04-24 | 読書

広島大学旧理学部一号館←被爆建物近くに咲くムラサキツユクサ。2011年。

ピンクは劣性遺伝でたまにある色だそうで、放射線には関係がない。放射線の影響はオシベに顕れるらしい。生殖機能が異常をきたす?


三つの作品から成る短編集。袋小路とは家がその場所にあるからで、追い詰められているわけではないけれど、付かず離れずの二人の関係を暗示している。

袋小路の男

高校で一学年上だったあなた、私は思い続けるけれど、思いはかなわない。ただ細い糸でつながっていて、進学しても就職しても何かのきっかけで連絡を取り合い、会えば話をする。私はあなたが好きだけど、あなたは一定の距離以上には近寄らせない。

あなたはジャズバーでアルバイトをしながら小説雑誌の新人賞に応募し続けている。結果はまだでてないが、私は応援し、飲みに行った帰り、酔って自分の部屋に来てもそっと寝かせるだけ。

小田切孝の言い分

前作を三人称で書いている。小田切は文芸誌の新人募集で佳作になり、短いものが雑誌に載る。しかし、あとが続かず、行き詰る。

大谷日向子は会社勤めをしながら、別の男とも付き合うが長く続かない。うっかり妊娠してその中絶手術に付き添ってくれる。

結婚するでもなく、別れるでもなく、二人は中年に差し掛かる。そして日向子は小田切の近くにマンションを買って引っ越すことにする。

二作とも面白かった。人と人の関係を表す言葉はいくつかある。男と女なら、友達、恋人、夫婦、不倫関係とそのくらいだろうか。二人には性的な関係がないけれど、友達と呼ぶには近すぎるし、と言っても男女の仲ではないので、言いようがない。この距離感が絶妙。思っても報われないのに、離れられない。恨みつらみはなく、さらりと乾いている。気が付くと、お互い、相手のことをよく分かってたりする。

うーーーん、こんな関係に陥ったら辛いだろうか。辛くないような気がする。血の繋がっていない身内のような感覚、それもかなり親しい間柄。間柄に二人が安心している。合わせ鏡のように、相手を見ながら年月を重ねていく。女の方がずっと大人だと思った。男は賢い女だから、振り回されることもない。なかなか現実にはありそうにないけれど、あったら面白いだろうなあと思った。

 


準備着々

2013-04-23 | 日記

普段あまり使わない大皿をいろいろ出してみた。頂きものが多いけど、右上の四角なのは夫、三男と新名神開通直後に信楽へ行って買ったもの。

迷っていたらお店の人が「どこから来たんですか?」と聞くので「広島」と答えると、「広島の人ならこれが好み」と選んでくれた。嫌いでないので買ったけど、あとで考えたらその日来ていた服と同じ色。さすが、勧め方を心得ておられる。

デパートでも、接客のテクニックとして着ているのと似た服を勧めるらしい。

網目模様は20年以上前、地元デパートでスパゲッティ皿として売っていたのを一枚だけ買った。縁が立ち上がっているので使いやすいです。

手前はデッドストックの昭和の器。染め分けがレトロ。私が子供の頃、今みたいに合成樹脂のお椀がなかったので、普段はもっぱらこんなのを使っていました。器なんていつの世も同じではありません。いつの間にか目に触れなくなって、忘れてしまってても、現物を目にすると蘇るその時の気分。。。。

この器は確か五客100円で買ったと思う。デットストックなので新品です。多分使わないと思うけど、持っているだけで心の支え。私には心の支えが多すぎ。結果、ものが増える。


「不愉快な本の続編」 絲山秋子

2013-04-22 | 読書

取り敢えずノートパソコンに立てかけてみる。


変わったタイトルだけど、それは読んでいくうちにわかる。不条理の殺人からはじまるあの小説を受けて、自分ならこう書くと、作者が己の力技を見せた渾身の一作。

いゃあ、うまいですねぇ。面白おかしいお話の溢れる昨今、その対極にあり、そして小説の極北にあるようなこの作品を読み終えると、人の存在の不可解さ、おぞましさに、私のこの身が、ざわざわと鳥肌立ってくる。小説を読む醍醐味とはそこにこそあるから、こんな男がいたらとっても不愉快だけど、人間の奥深さに触れて心地よいという二律背反。

意味があることに意味があるのか、主人公ボクは読者にそう突きつけてくるようだ。

人はたぶん自分の価値観に照らして、あれを捨てこれを拾い、自分の道を歩いて行く。そんな当たり前と思っている生き方を思いっきり相対化してくれる小説。意味がが解体した後の荒涼とした光景。とでも言おうか。そりゃ不安です。信じていたものが揺さぶられるのだから。

あらすじはそう複雑ではない。呉市吉浦出身の(この設定が絶妙、身内や故郷を描くときはめちゃくちゃリアリティがある)ボクは大学進学で上京し、女性のヒモと金貸しをしているが、フランスにも留学し、読者に、刑務所に行ったこともあると匂わしている。

金を貸した友人について新潟へ行き、結婚し、離婚し、富山へ行き、昔の女友達と再会し、呉に帰ってみると実家のあとには歯科医院が建っていた。実家は全焼し、そのいきさつも巻末近くで明らかになるけれど、弟も死んでいる。

自分もまた死んで、書かれたことになっていく。。。。この結末はすごい。字に書いたものはもちろんそれだけのことだが、その記号を読むことで人は頭の中に立体的な像を結び、あたかもあることとして認識する。本の中でものも人も出来事も生きている。そういう前提である。

ボクはまた本の中に戻っていく。今まで生きていたものが標本となって、ただの字の連なりになるという表現。何という空しさ。そしてシュール。字さえあれば人はどんなことも表現できる。字がもともと形を抽象化したものだから、字一つで無限の想像力を読者をして掻き立てる。それさえ相対化していく。

読んだ後、とっても寂しくなる本だけど、ものの見方の幅は少しだけ広くなったかも。心の筋力をつけていると、思いがけない場面にも対処できる・・・かな?


備忘として

本日午前中庭掃除。木の枝をだいぶ落とした。午後は旅行会社にクーポン券取りに行き、ついでに海外旅行のパンフ貰ってきた。

ある人に、今度海外旅行に行くとき一緒に行こうと誘われたけど、私は夜更かしなので迷惑かけて嫌われると思う。それに本音を言えば、ずっと誰かと一緒なんて窮屈すぎる。さてどうする?

夜は町内会の集金。改めて一人暮らしの人の多さに驚く。

お姑様は週末食事会の準備に張り切っている。


小鹿田焼ほか

2013-04-21 | 日記

器は、その時々で気に入ったものを買ううち、いろんなものが溜まってしまった。一度買うと、数が揃わなくなってもなかなか捨てられない。

器も整理しないといけないけど、出してはまた片付けて、断捨離の道険し。そもそも断捨離なんて、果たしてできるのだろうか。それって生きてきた時間を捨てるようなもの、とwetになる私。

左二つ小鹿田焼、右上高取焼(ツアーで茅葺の窯元で買った)、右下上野焼(いろいろ買ったけど、今あるのはこれだけ)

織りの先生にもらった敷物がよく合う。

コーヒーカップは1979年頃、山なみハイウェイのドライブインで三客購入。当時の我が家には家計に響くほどの大散財だった。このころは九州道もなく(たぶん)、息子二人を後ろに積んで過酷な車の旅。

ティーカップは2006年頃、九州の窯元めぐりツアーで。

2005年、お盆、由布岳登山の帰りに窯元まで行って買った。

中皿は一枚しか残っていない。やることが雑で、器はよく割る。この間もグラス割ったし。その前にはお茶碗二つ、一気割り。

嬉しくて当時は多用。

陶土を砕く唐臼。木の窪みに水が溜まって重くなると、てこの原理で反対側が跳ね上がって水を落とし、反動で土を搗く。

川の水が枯れない限り、この繰り返し。昔ながらのやり方。水のpotential energyを利用した再生可能エネルギー。

登り窯

山深い小鹿田焼の里。川沿いに窯元が集まる。食事処は一軒。

店の器も小鹿田焼。

同窓生のブログによると、近々値上げだそうで。どんな料理にも合い、一層おいしく見える小鹿田焼、当地では販売している店を知らない。うーーーむ、どうしようかな。もう少し欲しいけど。。。。


春深し

2013-04-21 | 日記

昨日の記事、ちょいと自慢モードでしたね。亭主陳謝。すんません。最近こんなことで自分を鼓舞でもしないと、気持ちが上向きにならないのでと、一応の言い訳。

次は連休明け、友人の家に数人で集まり、近況報告会。六月はうどんツアーと、すべて食べ物がらみ。いけませんねぇ。


 

午前中、片付け。午後外出。夕食は外で済まし、私は電車、夫は徒歩で帰る。いいお天気だけど、風強し。

葉まで赤いツバキ。不思議。近所のお宅。嫁入りしたころから家も庭も変わっていない。稀有。

花はスイカヅラ。でも木のようだし、名前は????

懐かしいムラサキツユクサ。もう咲いている。六月頃、小学校の花壇でよく見た。

確か、放射能の感受性の強い植物じゃなかったかしら。

ハナミズキ。花が次々と咲く。

クスノキ。明るい色が嬉しい。

ヤエザクラ。少々木が痛んでいる。

ハナミズキ。

遊歩道。

久しぶりにゆっくり歩いた。いい季節になった。暑くなるまでの束の間の時期、せいぜい歩いてみよう。


港の家具屋など

2013-04-20 | 日記

朝刊におしゃれな家具屋の紹介が。何だ、近いじゃないの、知らなかった。ということで雨の中、歩いて出かけました。

あれ、いつの間に????一番向こうの店は一月くらい前に行ったけど、気が付かなかった。

FLEX GALLERYです。若い人向けのシンプルで手ごろな値段の家具と雑貨、バッグ、洋服なども。海側、中二階はカフェです。

向かい側にも駐車場有。古い倉庫を利用。加藤海運→PARKING FLEX GALLERY

この付近は40年前には、貨物船から小麦?などの荷揚げをしていて、日雇いの労働者専門の職安もあり、とても賑わっていた。

いつごろどんな理由で貨物の荷揚げがなくなったのか知らないのだけど、今はひっそり。

子供たちが小さい頃はまだまだ軍港跡の広い空き地に茅が生い茂り、大きくて元気のいいバッタがたくさんいた。今は都市高速とウォーターフロントの再開発。なんともはや。

家具屋さんは三軒、おしゃれで高級→北欧系のビンテージ家具中心、やや手頃→手ごろで若い家族向けと並んでいるのが面白かった。雑貨好きの人は楽しいかも。例によっておばさんは完璧買うものがありません。買うものがないというのもつまらないものです。


連休前半、息子たち家族と義妹夫婦が集まり、お姑様の家で食事することになった。大人10人、こども1人、お姑様は昔から人にものを作って食べさせるのが大好き。今回はさすがに仕出しを取ることにしたけど、準備に張り切っている。

昔、夫が大学に合格して、親戚を呼んで食事したら大姑がとても喜んでくれたそうで。歳とると、家族が集まってくれるのが何より嬉しい。その時の話をきのうのことのように、話している。姑89歳、「私ももう最後かもしれないので」と言うけど、私はまだまだ嫁でいたいですう。何にも知らない不出来な嫁は居心地いいですう。お義母様。

翻って我が長男が合格した時は、舅死亡10日後くらいだったので、祝い事はしなかった。実家の父がすごく喜んでくれて、子供三人つれて春休みに実家へ行って祝ってもらった。いいことがあって喜んでくれる人が少しずつ少なくなるのは寂しいけど、今度は自分が喜んで祝ってやる順番、そう思うと楽しい。

食器も座布団も、お姑様が自分のを使うと言うので、お願いすることにした。お金も出してくれるそうで、我が家はお酒各種を準備する。


 

きれい好きな三男お嫁さんのため、二階の片付け。冬物も少しずつしまう。こんなものも出てきた。読んでるとはかどらない。

三男の小4の時の連絡帳。毎日の日記つき。

例えば2月2日

おいだしたいおには、お母さんについているおこーるおに(・・・でも我が家は豆まきをしない家なので)だからいつになっても家はかみなりゴロゴロ

2月6日

(習字「父母」を書いたらしい)ぼくは、お父さんを思い出してみると。仕事がおわればぼくをオモチャみたいにあつかいます。

お母さんは「べんきょうした?」といわれて「した」というとしつこくうたがいます。

いい親じゃないのでいい字も書けませんでした。でもがんばって自分でもいいのができたのでよかったです。

小学生の正直な日記は家の中のことが筒抜け。その他、長男の日記で、お客さんが来るので、お母さんが家の中を必死で片付けて見違えるようになりました。なんてのもありましたね。いやはや。

昔、雑誌に掲載した原稿も出てきた。一枚目は原稿返却のお知らせ。印刷に回したので、多少書き込みがあるけど御寛恕願いたいとのこと。はいはい、寛恕いたしますとも。

パソコンにワープロソフト入れて書き、プリンターが連続用紙のみ対応なのに、ワープロソフトは今みたいに一枚ずつ入れるタイプ、どうしても合わないのでミシン目無視して、100枚くらいの原稿を物差しあてて切り離すという手作業。書くよりそっちが面倒だったかも。

今は入稿もメール添付でしょうか?時代も変わったものです。

なんてことをしみじみ思うので片付けがはかどらない。明日も引き続き片付ける予定。

 


必殺!!AYAGAESI

2013-04-19 | 機織り

きょうは次に織るものの粽を作った。

三か月かに一度くらいするのに、その度にうろ覚えで戸惑う。本日は改めて図に描いてみる。

① 粽に、整経した糸の端を、織り幅+左右に一目盛ずつの幅で結びつける。

② 粽を巻いて糸を巻き取る。

③ 糸が残り少なくなったら、綾棒2本を仮筬に引き寄せる。

④ 仮筬の向こうに物差しを差し入れて縦にして、筬の前後に空間をつくる。

⑤ 筬の手前の空間に、手前の綾棒を入れる。

⑥ 向こう側の筬棒の手前にも同じように物差しを入れ、筬の前後に空間をつくる。

⑦ 2本目の綾棒を仮筬の手前の空間に入れる。

⑧ 完成!! これで筬の向こうの綾が筬の手前に移った。

本日は粗筬に二本取り二本組を丸羽で通し、粽をするところまでやった。ここまでで織りは9割方できたと、先生は言われる。


来週の予定。織り機にセットした粽を少しほどいて糸を綜絖に通す・・・ところまでかな。四枚綜絖で合計362本。

再来週は10センチ80の筬に、二本取り片羽で通して織り始める。縦糸は合計で362本、出来上がり幅は約40センチの予定。幅の広いランチョンマット。なぜならば、ディナー皿一枚径27センチをよく使うので。

何か一枚敷くとテーブルの当たりがいい。塗装が10年目で剥げて、夫と二人で塗り替えた。10年後にはどうなってるかな????

 


花と宮島

2013-04-18 | 日記

9:05 新幹線で広島へ着いた従妹を出迎え、山陽本線、ひろでんシャトルバスで造幣局へ。

ただいま八重桜、公開中


続いて宮島へ

宮島口で穴子飯を食べる。名物店なのであまり期待してなかったけど、とてもおいしかった。穴子の歯応え、たれ、ご飯、すべてがうまくかみ合っておいしい。穴子飯を見直した。浅からぬ縁の店の名前。

紅葉谷をロープウェー乗り場へと向かいます。昨年秋、紅葉見物に来たところ。若葉紅葉の美しさ。伸び行くものの清々しさ。

ロープウェイは往復1,800円。ロープウェイ、船、ひろでん電車乗り放題2日間のフリー切符だと2,000円。ロープウェイ往復ならフリー切符がお得。

頂上付近で。瀬戸内海沿い、標高500メートルくらいから見られるアカガシ。

霊火堂。中には、弘法大師が修業に使った火が1200年後の今も燃えているとか。

右石段で山頂へ。

弥山へロープウェイで上がったのは40年ぶりくらい。それ以後は下から歩いて登った。二時間半くらいかかったと思う。

本日黄砂で眺め悪し。

そのあと我が家へ来て、少し話す。駅まで行って、お好み焼き+握りずし+吸い物の夕食を食べて別れた。

疲れたけどいい一日でした。


引き続き片付け

2013-04-16 | 日記

昨日は小さな包装用の箱が出てきた。3年前の年末、偶然再会した40年前の教え子が、携帯のストラップをくれたときのもの。

ストラップはちぎれて、ヘッドだけ保管している。箱と袋も捨てられないので、置き場所替えて保管。

おとなしくて目立たない子だった。成績も悪くはないけど、目立つほどよくはなかった。

でも当時は毎日がとても楽しかったそうで、いい旦那さんにも巡りあって幸せに暮らしていることが分かってとても嬉しかった私。未熟で迷惑ばかりかけていたけれど、若いということだけで、付いてきてくれた生徒達。みんな幸せでいるかしら、と箱を見てしみじみしてしまった。

だから捨てない。

寒い間に織りあげる予定だったショール二枚、やっと完成。ウール100%で軽くて暖か。羊さん有難う。材料費は一枚1,450円くらいです。お稽古代もとても安くて、ワイワイガヤガヤ楽しいので、なかなか止められない。

次はランチョンマット、織ります。

本日のお昼は、業者さんからもらったお弁当。新製品の宣伝販売、昼休みに時間を取ってもらうお礼らしい。私は聞いても分からないのでそちらはPassして、お弁当だけ貰った。

ぬあんというボリューム、ご飯も十穀米にシメジ、穴子飯の二種類。鶏の付け焼き、そのほかいろいろ、白いのはゴマ豆腐風豆腐。おいしかったと言いたいところだけど、全体にとても濃厚な味付けで食べにくかった。いただいたのに文句言って悪いんだけど。冷めてもおいしいように濃い味付けなのかも。


 

昨日は、先日の講師の先生のyou tubeをたくさん見たけれど、研究室でお弁当食べながらパソコンの画面見て仕事しているのがなかなか良かった。

とても手の込んだ手作り弁当、それを見るとなんかいいなあと思ってしまった。暮らしの一端が伺えるようで。きっといい家庭をお持ちなんでしょう。

学問は政治や経済の下僕であってはいけない、学問はただ真実に対して忠実であるべき。

和歌山県日高町の原発建設差し止めで勝訴した原告側弁護士が、電力会社が連れてきた学者は何も言えずに黙っていた、こちら側の先生方は理路整然、筋が通っていて立派だったと、痛快な様子だった。それも動画サイトで。

学問は何のためにあるのかと言えば、人々の平穏な暮らしと幸せのため。学問を仕事としている人はここぞというとき、我々庶民に還元していただきたい。社会から隔絶した狭い学問の世界で、知的ゲームに陥らないようくれぐれもお願いします。

先日の先生は、机の横にゲルニカの小さな複製画、亡くなった同僚の方らしい写真。人となりがよく顕れていて、こちらもなかなかよかった。


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