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「いのちの姿 完全版」 宮本輝

2018-10-31 | 読書

後書きによると、めったにエッセィは書かないそうですが、京都のさる料亭の宣伝誌に書く縁があり、19編が収められている。

どの作品も人物像がくっきりと濃厚で、宮本作品の原風景を見るような。いえいえ、小説よりも小説らしいエピソードの数々は、戦後すぐのころ、関西での暮らしが子供の視点から活写されている。

死も身近にある。いかがわしい話もたくさん。偽の翡翠をつかまされたのを、それは象牙石、もっと貴重なものと知り合いが言い抜ける。

人とのつながりも濃厚。父親違いの兄に偶然出会った話、若いころに働いていた店の主人が、小舟で38度線を越える話。そのとき手助けしてくれたのが、自分が朝鮮で雇っていた現地の人たち・・・

そしてパニック障害という厄介な病気。結核にもなっている。それぞれは体験しなくていいものもあったけど、それがまた書く時の力になる。宝石のような小説の材料をいっぱい持っている人だと思った。

同世代なのに、(今は住宅地になってますが)私の住んでた場所は見渡す限りの水田、農家、よろずや、製麺所、農協、たばこや兼貸本屋などが視界の範囲。近所はみな知っている人、子供はうじゃうじゃ生まれ、年寄りは家で静かに死ぬものだった。

日本は広い。楽しいばかりではないけど、人の集まる都会では田舎よりもずっといろんなことが起きていたらしい。


日本文学100年の名作「アイロンのある風景」 

2018-10-27 | 読書

1994年から2003年まで、16作の短編を収める。

どれも短くて読みやすく、15年くらい前になるけど、たぶんどの作家も存命なはず。同時性という点でもわかりやすかった。

書き方は、短編なのでそう実験的なのもなく、難点を上げるとしたら、起承転結にこだわるあまり、性急に落ちを付けるのはよくないのではないかと。

小説はその中で閉じてしまってはいけない。一部謎を残し、読者に考えさせないと。

印象に残ったのは村上春樹「アイロンのある風景」。村上作品が好きというのは、今や気恥ずかしいと思っていたが、なかなかどうして、さすがノーベル賞候補の噂のある人だけに、人物の陰影がよく書けていた。人は誰しも多面性がある。それを感じさせる書き方だった。

浅田次郎「ラブ・レター」もよかった。歌舞伎町で働く男、中国人女性と偽装結婚する。相手が日本にいられるために、会ってもない人の夫として戸籍を作る。女性が死ぬ。夫として遺体を引き取り、火葬をし、女性の日本語の手紙を読むうち、初めて哀れと思い、愛情が湧いてくる。

浅田氏らしい、人情の機微に触れる作品。わかっていて、ツボを刺激される心地よさ。

どれも数十枚から二百枚程度の短編。短さの制約があるので、長編とはまた違った腕が必要。短いからと侮ってはいけないし、また別の技術がいるのだと思った。


尾道は暑かった、、、

2018-10-25 | 旅行

春秋一度は尾道へ行く私。個性的な個人商店が頑張っているので、見て歩くだけで楽しい。

でもきょうは定休日だそうで、大半の店が閉まっていました。残念。

林芙美子の像と尾道城。城は昭和に建てられた展望台。今は使用されていない。

海へ抜ける路地。

いつもの店でお昼をいただく。ビストロルーシェ。

右上、紫芋を空揚げしたのがおいしかった。

ロープウェー乗り場横。

艮うしとら神社の巨大なご神木。

それにしても暑い。朝は寒かったのでフリースが邪魔。

千光寺への一本道。暑いので次の機会に。

降ります。山陽本線をくぐるお寺の参道。

降りて海まで歩きます。向こう尾道大橋、新尾道大橋。

尾道渡船。海上五分。向島と結んでいます。

いいお天気です。きょうははここを描くことにしましょう。

前と同じ、風が強い。

10分くらいで仕上げました。下手ですねぇ。太い筆一本で描いたのが悪かった。



きょうは久しぶりにバス往復。3,000円。安い。

車内静かなので、復路は爆睡。

いいお天気で、もう少し時間あればよかったのですが、次また頑張りましょう。


10/8 ドイツの森を見て帰宅

2018-10-24 | 旅行

10/8 朝は雨も降って肌寒い。姑様が、ショートステイから17時には帰宅するので、早めに帰ります。

城崎温泉は日本海がすぐのところ、でも曇天なのでパス。一路自宅へと。

途中、山陽道瀬戸で降りて「ドイツの森」へ行きます。

とても広い農業公園とのこと。さてどんなドイツが待っているでしょうか。

山陽側は夏みたいに好天。連休最終日、家族連れいっぱい。

入場料は大人1,000円、シニアは500円、コアラは無料でした。

入り口からなだらかな坂を上ります。

ローテンブルクみたいな時計が。

2012年11月 ローテンブルク。市庁舎の時計。うーーーむ、ちょっと無理あるかも。

よく写真で紹介される道の向こうの教会…がよく似ているかな。

広場になっています。周りは飲食と土産物のショップ。

2015年4月、ドイツ、ゲンゲンバッハ。像は15世紀のもの。

手に持つのは、街の自治を認めたローマ教皇からの勅許状…だったかしら?

うろ覚え。

この町はさらに横の路地へ入ると「エンゲルガッセ」という、ドイツそのものみたいな眺めがあるそうですが、事前リサーチ不充分で見逃しました。

またクリスマスシーズンには市庁舎の窓の明かりが一日ずつともされて、アベントカレンダーになるそうです。

フランクフルトからは電車で一時間ほどの田舎町。無人駅だそうです。

クリスマスシーズンのツアーでも行かない場所。行きたいけど、もう行くこともないでしょう。残念。

門をくぐって、中はレストランなど。広場で休みます。

2012年11月。ハイデルベルク。

イギリス風モニュメントは、英国から嫁いだ王妃を慰めるためだったそうです。

向こうにローテンブルク風の時計あり。

日本の日差しの下、バラがきれい。

キバナコスモス。こちら日本。暑さに強く、花期の長い花。

赤い花はサルビア。日差しは強く、まだまだ夏の名残りが。

ゲートをくぐって

城門の外へ。2015年5月、ドイツ、ゲンゲンバッハ。

敵が侵入したら、杭のついた扉を落とす。おーーイタッ!!

くつろぐ人たち。

ケヤキはドイツにもあるのでしょうか。

斜面はブドウ畑。ヨーロッパ風にブドウを低く仕立てている。

10月は収穫が終わり、剪定して冬に備える時期。支柱は木材。

2015年4月、一面のブドウ畑。リューデハイムに向かう車窓から。むこうライン川。

ヨーロッパではコンクリートの支柱のようです。

2015年4月 ドイツ、コブレンツ。山全体がブドウ畑。

2015年4月、ドイツ、ザスバッハバルデン。

ブドウ畑の中の道を歩いていると小さな教会が見えてきました。

タンポポの咲く畑に、作業用の車が置いてあります。

とても広くて伸び伸びできました。ボールなどの遊具持ってきたら、子供連れて一日遊べそうです。

建物がドイツ的。

2012年11月。ドイツ、ニュルンベルクで。

元はワインの醸造所、現在はレストラン。


ドイツ風のお土産もいろいろあり、楽しい場所でした。一度経営破たんしたそうですが、なかなか頑張っている印象でした。建物はどうしても劣化するし、花の手入れも大変、でも広々としたいい場所でした。


不届きな長男嫁、「ああ、また海外旅行行きたいよ~」と言うと、「四国か?」と聞かれました。

違うパスポートのいる海外だよ~。飛行機乗りたいよ~。あの緊張感が好きなんですう。

せめて昔の写真出して、思い出してます。旅行自慢深謝。今は地味でおとなしい暮らしをしています。


10/7 コウノトリの郷公園から城崎温泉へ

2018-10-23 | 旅行

わずか半月ほど前ですが、ずいぶん昔のような気がします。記憶は指の間から砂が落ちるように、さらさらと消えていきます。

老化とはこのことかと、愕然としますが、いえいえ行ったこと憶えているだけで、まだマシ。先日の実母、三月に姑様のお見舞いに来たこと、すっかり忘れていました。

自分の名前と娘の名前は憶えているそうですが、孫8人の名前と生まれた順になるとあやふや。でも記憶がなくなるのは一方ではいいこと。同居家族の愚痴もほとんどなくなった。一ときはとても激しく、聞かされる私は不整脈に過呼吸で具合悪くなってた。やれやれです。


豊岡市のコウノトリの郷公園。

置物みたいですが、柵の上にはアオサギにコサギ。柵の中はコウノトリ。

ありふれた鳥は中に入るのを遠慮しているのかしら。

水田の中の巣。鶴に似ていますが、鶴より首が短い。

夫、あっ、コウノトリと飛んでる鳥を指さす。

私、あれのどこがコウノトリ?ただのトンビじゃないの。

でもそのあと飛んできました。写せず残念。

コウノトリは数が少なくなったので捕獲して増やし、生育しやすい環境も整えて、40年かけて再び野生に戻したそうです。

とは言え、水田に農薬を使わず、コウノトリのえさ場を作っています。人も他の動物も近寄れないようにしています。

タカなどの猛禽類はどう防ぐのでしょうか。夕方になったので、一路城崎温泉を目指します。


細い温泉街の道路、大渋滞。何とか宿にたどり着いたあとは、何はともあれ温泉街の散策。

城崎温泉は京都発の山陰本線が日本海へ出る直前にあります。鉄道で行ける場所なので、志賀直哉も行ったのでしょう。

 

宿近くの立ち寄り温泉。宿でもらった入浴証で入れるけど、まだ早いのでパス。

お寺のようなこちらへ行きました。こちらも温泉。連休で、人がとても多かった。

ちなみに私は服にスニーカー。夫、服に下駄。

この私には、浴衣は身幅が足りず、丈が長い。下駄は転倒骨折が怖い。

色浴衣着て楽しいのは若い人だけ。年寄りはまずは安全第一。

泊ったのはこちら。

温泉情緒

柳が旅情をそそります。

土産物店、射的場など温泉らしい店がいっぱい。


わーい、わーい。食事です。部屋で食べます。

床の間全体を装飾。これなら壁のシミなども目立ちません。いいアイデア。

高価そうな置物。

古備前かも。割ったら大変。

ロビーに展示していた掛け軸。南洲とは西郷隆盛のこと。直筆らしい。

幕末、禁門の変(蛤御門の変)で焼失した範囲を報せる瓦版。

上が東のようです。賀茂川の際まで焼け、焼死者多数とのこと。

この戦いで長州藩は京都から追い落とされますが、のちに武力を蓄えて再び攻め上がります。

京都へ行き、天皇をいただいて正当性の根拠とする。京都を中心にして政治の激変の時代、明治維新まではもうすぐです。

蛤御門の変の後、桂小五郎(のちの木戸孝允)が隠れていたのが、私たちの泊まった「つたや」さん。建物は建て変わっていますが、のちに司馬遼太郎が訪れ、投宿したそうで、由緒あるお宿です。

木造三階建て。その三階まで食事が届きます。恐れ入ります。

右は木戸夫人。祇園芸者だった美女で、のちに鹿鳴館の華と呼ばれたのではなかったかしら…うろ覚え。

おとなしく隠れていたわけではなく、地元の芸者さんたちと楽しく過ごしていたそうで、木戸夫人は心配してここまで様子見に来たそうです。

松菊とは孝允の雅号らしい。宿の玄関横にあります。

維新史跡 木戸松菊公遺蹟 揮毫は松木屋…。

隣は志賀直哉の泊まった三木屋さん。いつか行くことがあれば泊まってみたいものです。

 


祝・「重松日記」増刷

2018-10-23 | 読書

今朝の朝日新聞広島版に、絶版となっていた「重松日記」の増刷の記事があります。

「重松日記」とは、井伏鱒二の原爆小説「黒い雨」の資料となった日記。

 

https://www.amazon.co.jp/重松日記-重松-静馬/dp/4480818189

当時、宇品陸軍糧抹支廠(現在は広島市郷土資料館)に勤務していた重松静馬は、横川駅で被爆したのち、千田町の居宅から宇品の警察署、再び市内を抜けて古市まで避難します。

1945年8月6日に見た広島と、その後を記した日記を井伏に託し、それをもとに井伏は「黒い雨」を完成させます。

原爆の体験記はものすごくたくさんあると思いますが、私が読んだ中の白眉。もう一つは蜂谷道彦の「ヒロシマ日記」です。広島逓信病院院長の立場からの日記。これも被爆直後の人々の様子がよくわかりります。悲惨なだけではなく、たくましく生きる被爆者。戦争が終わった解放感などが読みどころかと思います。

話を戻して「重松日記」、冷静に書いているのがいいと思います。初版一刷では巻末避難ルートが????だったので、筑摩書房に連絡を取り、依頼された資料も地元で集め、三刷からはめでたくルートを変えていただき、その経緯については前のブログで描きました。

https://blog.goo.ne.jp/samubuto/e/b8e32698085cdb40fe3e764ec94f2112

今後、新たな資料が出てきてまた変わるかもしれませんが、たぶんそれはないはず。小説の記述とも矛盾がなく、これでいいと思います。

重松静馬≒(小説の中では閑馬重松)の家は、現在の千田小学校南端から道路にかけての部分にあった長屋の一つでした。隣は大学農園。広島文理科大学の農園です。

家から取り出した鍋を大学のプールに沈め後日取りに来るつもりでしたが、午前中に水のあったプールは午後には原爆の劫火ですっかり干上がっていたそうなので、(松重美人「なみだのファインダー」)、鍋は回収できなかったと思います。鍋は避難先ですぐ必要なので、何をおいても持ち出したと戦争体験者の実母が申しておりました。

プールは、私の高校時代の恩師の情報によると広島高等師範の学生も戦後利用していたそうで、千田小学校に移管され、15年くらい前には使われないまま残っていましたが、現在では平野町公園の南端部で更地となっています。

御幸橋西詰から角のショールーム裏手の道、広電本社裏から現在の仁保行きのバス通りを通って広島大学キャンパスの東北角へ出て、鷹野橋、あとは電車通りを北へと避難します。

おやまあ、前のブログと似た内容、興味ない方には面白くもなんともない記事でごめんなさい。

原爆のことであれ、なんであれ、事実が何よりも大切。感情的な文言は受け取る側で付け足せばいいと私は思っています。

長い年月が経ち、事実でないことが大げさに独り歩きするのは、被爆体験、戦争体験の継承にとってよくないことと思います。

アマゾンでは中古本もありますね。興味あれば読んでみてください。


10/7 兵庫県朝来あさご市は日本のふるさと

2018-10-22 | 旅行

ずいぶん前になります。なかなかまとめられなくて今日になりました。

10/7 宿を出て一路、播但道から朝来市竹田町へ。ここは、中世から近世初めまで、竹田城のあった町。

秋の終わりから冬にかけて、向かいの山から霧の中に浮かぶ石垣の眺めが「天空の城」として有名になった場所です。

夫はいつか行きたいと言っていましたが、わが家から日帰りはちときつい、今回やっと念願叶いました。

城へは30分くらいの登山。いい汗かきました。

https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/f54c99b38b83f9d7978c1df20f45d688

城から降りて

竹田の町はちょうど秋祭りの日でした。

豪華なおみこしです。担ぐのではなく、下にタイヤがついてます。

お寺の前を通ります。

お寺の奥様が、ご祝儀渡そうと待っています。

本堂からご住職が見ておられます。

地元の人が子供たちと川の鯉を見ています。

お寺は竹田城最後の城主、赤松氏の墓所のある古刹です。

いいなあ、こういうsituation、お寺の奥さんなら御仏のすぐ近くで心安らかに過ごせそうです。

がしかし、お寺に嫁いだ母の叔母の話では、なかなか大変だったそうで。

境内、本堂、庫裡は広いし、常にだれか来るし、葬式は待ったなしだし、この私では到底務まりません。ちょっと想像してみるだけにしておきましょう。

通り過ぎます。

この先もずっと続いて欲しいこの眺め。

地元の皆様、いいもの見せていただいてありがとうございました。

JR線路の先が姫路と豊岡を結ぶ旧但馬街道。街道筋の面影が残っています。

各町内ごとのおみこしが出るようです。法被も色違い。

立派なお祭りです。

こちら白い法被。お神輿二台。後ろは太鼓を乗せて叩いています。太鼓台というのでしょうか。

行ったのがたまたまお祭りの日、私たちはラッキーでした。駅に近い観光駐車場は無料。これも嬉しい。このあと豊岡市のこうのとりの郷公園へ行きますが、それは又次回に。


「ある男」 平野啓一郎

2018-10-16 | 読書

期待にたがわず、たいそう面白い小説でした。高速バスの中と電車の中、寝る前にも読み、足掛け3日で読了。

あらすじ。

弁護士、城戸は以前、離婚裁判を頼まれた里枝からある依頼を受ける。

その依頼とは、再婚し子供まで生まれた相手が誰だったのか調べて欲しいというもの。二度目の夫は仕事上の事故で亡くなり、絶縁状態だった親族に一周忌に来てもらうと、全くの別人と判明。ではなくなったのは誰?

推理小説のようでもあり、死刑制度、民族差別、夫婦の危機、とそれぞれの枝葉もよくできていて、本当にあったことのような臨場感があった。

一番驚いたのは、戸籍のロンダリング。実際にあるのかどうかは私にはわからないけれど、二人の戸籍をそっくり入れ替えて、それぞれが今までと違う人間として生きる。そのための仲介業の男の食わせぶりな造形もよくできていた。

名乗っていた男の元恋人に出会い、その女性が名乗っていた男の名前でアカウントを取ると、ある男が代理人としてコンタクトしてきた…

この小説で、人のアイデンティティは何に拠るのかということを考えさせられた。

どんな家に生まれ、どんな人たちの中でどんな風に生きて来たかは、人間の核を作るものと私は思っている。しかし、その経歴を消したい人が、別の人間を名乗ると案外簡単にその人の人生を生きられるという登場人物の言葉に、そういうこともあるのかと、自分の常識がゆすぶられる感じ。

それにしても、それにしても、こんなに簡単に別の人に入れ替われるのだろうか。小説なのでそう読まないといけないけど、パスポートや免許証持たないと、顔が国に、本当に把握されていないのだろうか。不思議、不可解なことで、それがこの小説の肝。

その人はなにによってその人なのか。自分がこだわってきたことなど、簡単に取り換えられる軽いこと、とも言える。

里枝と二人の子供たちはこれからも強く生きていけるだろうけど、弁護士城戸は妻が上司と不倫しているらしい。こちらは小説の中では解決ついていないけど、この後どうするのかなあと、他人事ながら心配。と言っても架空の人物ですが。

でも心配してしまうほど、それぞれがよく書けていると思った。

書き方は、そうですね。カズオイシグロに似ているかも。ストーリー性があるのがやはり面白いと思った。


10/6 旧閑谷学校から山上の宿へ

2018-10-09 | 旅行

土曜日、午前中の仕事終えて出発。まず私が運転し、助手席の夫はお弁当食べます。

小谷SAで交替、今度は私がおにぎり二個食べて時間の節約。

久しぶりのドライブ旅行です。たぶん二年近く行ってない。ショートステイのおかげです。

 

岡山JCT付近。米子道が分岐します。

15時半ころ、備前市の旧閑谷学校到着。岡山藩が江戸時代初め、庶民教育のために作った学校。 

講堂は1973年完成。国宝。学問の場らしく、簡素で力強い形をしています。

中はとても丁寧に使われています。

建具、火頭窓の窓枠などは拭き漆仕上げです。

 

塀は中国式の上部が丸くなった形。

なぜか居住まいただしたくなります。不思議。

明治になって、私立閑谷中学校として再興されます。

こちら1905年建設の本館。現在は資料館。

瀟洒な洋風建築。

もうコアラは余計だわ~ 

正面玄関

建物は文化財

学校の階段と踊り場の好きな私。

学校がいちばん学校らしい場所。

公園でもなく、塀のたたずまいはやっぱり学校。

イタリアコアラ、何思う。 

川をさかのぼると来客用の茶室あり。

この付近まで来ると山も深い。

帰ります。左、講堂。右は孔子廟、さらに右に創設者の池田光政をまつった閑谷神社があります。 


国道二号まで南下してしばらく行くともう兵庫県赤穂市郡。

今夜の宿は車で利用しやすいこちらにしました。

 

部屋は四階、上郡の町がよく見えます。山陽本線の列車がとことこと走っています。

食事はレストランで。

いただきます。

この他に名残の鱧鍋…ここは最西端とはいえ関西。

但馬牛の焼き物、てんぷら、ホタテの真薯とマツタケの椀物、アサリご飯、味噌汁なども。

とてもおいしかったです。

公共施設で職員の方も親切丁寧、お勧めのお宿です。備前インターから車で20分くらい。


すぐ下に池が。農業用水でしょうか。

カヌーの練習もするそうです。

きょうからはお得なプラン。お得すぎるプラン。

これなら家にいるより安くつくかも。布団もあるはずです。

私達はなんかのキャンペーンで二人で20,012円でした。

隣は古墳。

古墳時代末期の石棺がいくつか発見されたそうです。

埋葬されたのは、当地の有力者と考えられるそうです。

周りは私の好きな雑木林。

桐に絡みつくボタンヅル。

山里の秋。むこうは寺院。

朝食です。いただきます。

朝食後は姫路東JCTから播但道で北上するはずが南下してしまいます。

最初のランプで引き返します。やれやれ。

運転する夫が悪いか、道案内の私の落ち度か、深く追及しない。

年寄りの旅はあわてず騒がす。のんびりと行きましょう。

このあと竹田城に。城もさることながら、城下の竹田の町が、信じられないくらいいいところでした。

行ってみれば太宰治の「津軽」の世界。どんなことがあっても変わらない良き日本。

人々は親切で勤勉で、仲良くて、そんな場所でお寺の奥さんやってみたい。

それは又次回に紹介いたします。


コアラと旅する備前、但馬地方

2018-10-09 | 旅行

さて、連休の老夫婦二人旅に、ついぬいぐるみを持参。

ただ写真撮るだけでは飽きたので。

いい歳してお恥ずかしい。

ぬいぐるみは、三男への旅行土産。昔、ローマ三越で買った。イタリア製?

手足が短いのが何とも。。。。

岡山県備前市閑谷しずたににある閑谷学校。

江戸時代初め、岡山藩が庶民のための学校として建てる。

世界最古の庶民のための公立学校で、備前焼の瓦葺き、立派な講堂は国宝だそうです。

わーーーい。

丸く石をついた塀は中国風。学問の場という雰囲気。

講堂の奥には、明治時代、私立閑谷学校へと受け継がれたときの建物あり。

瀟洒な洋風建築は現在、資料館に。

今から帰ります。

季節には紅葉の名所で多くの人を集めます。

わあーーきれい。

宿は兵庫県に入ってすぐの上郡町で。山の上の一軒宿。

いただきまーーーす~♪

翌日は竹田城へ登り、午後から豊岡市のこうのとりの郷公園へ。

水田の中に巣があります。

二羽います。

奥には餌場があります。

塀の上に並んでいるのはアオサギとコサギ。下にいるのがコウノトリです。

個体数が少なくなって保護し、40年かかってまた放鳥できるまでに増やしたそうで、周りは農薬や化学肥料を使わない環境を作っているそうです。


二泊目は城崎温泉へ

古備前? 

わーいわーい。

宿は木戸孝允、司馬遼太郎が宿泊したつたや。

隣の三木屋は志賀直哉の滞在した宿だそうで。あっちにすればよかったかなあ~

こちら翌朝、雨に煙る温泉街。まだ店は開いてません。

寒い)))

瀬戸内へ来ると快晴。夏のように暑い。

山陽インター下りて30分くらい、車で行くドイツ。

家族連れ多し。入園料は大人1,000円。シニア割引は半額。

ゆっくり見たかったけど姑様がショートステイから帰るので早めに帰宅。

久しぶりに車で旅行しました。たぶん一年半ぶりくらい。

わがまま言わず、素直にショートステイに行ってくれるので有難いことでした。

きょうからまた介護に頑張ります。といっても主に夫ですが。

10月は遊びの予定もいろいろと。いつまでも遊びたい老嫁です。


「夢見る部屋」日本文学100年の名作

2018-10-04 | 読書

シリーズ第一集、1914年から1923年の10年間に発表された11の短編を納める。

以前呼んだのもいくつかあるけれど、この本の中で初めて出あったのもあり。

どれも個性的で、明治時代の小説よりもうんと題材の幅も広く、楽に書けているように思う。

小説黎明期の作品は、まず文体の問題があり、近代的な自我をどう打ち立てていくか、封建的家制度と個人の軋轢などなど、何をどう書くかということに、それぞれの作家がよく闘っているという印象。

第一次大戦と関東大震災に挟まれた10年間は、日本の歴史としては凪のような時間だったのではないかと思っている。都市が生まれ、土地と家から自由になった市民が層として生まれた時期。

都市は人を自由にする。小説も作家がいろいろな作風を試している。都会に住む人間、売るものは自分の労働力だけ、伝統から切れたところで展開する話がそれぞれに面白かった。

森鴎外「寒山拾得」、内田百閒「件」が枯淡の味わい。庶民や労働者の暮らしと成長物語は長谷川如是閑「象やの粂さん」、宮地嘉六「ある職工の手記」などなど面白く読んだ。

探偵小説や幻想小説もこの時代に生まれたそうで、江戸川乱歩のほかに佐藤春夫、芥川龍之介の作品も取り上げられている。

谷崎の「小さな王国」も面白かったし、荒畑寒村の「父親」では吉祥寺付近がものすごく田舎だそうで。私は東京をほとんど知らないので今と比べどうか分からないけれど、東京もこの百年の間にものすごく拡大したのだと思った。

荒畑寒村は長生きの人で、私が20歳の頃はまだ生きていた。雑誌で対談して、いい着物着ていたことを覚えている。

今は別の本読んでいるけど、このシリーズ、また読んでみたいものであります。


この人ですが、10年前、長野県、車山高原で。

最近ブログ見ると、何とお嫁ちゃんとフランスへ行ってるらしい。

夏来た時、勤続年数がどうのこうので・・・旅行するとかしないとか・・・ごにょごにょ相談していたのはそのことだったのね。

海外旅行の3条件。お金、健康、時間。どれが欠けても行けない。

若いときにはお金と時間が、年取ると健康が足りなくなる。

時間は仕事、子育て、介護など、今自分がいないと廻って行かないことの数々。

行けるときに行くのはいいことだと思う。

新婚旅行でツアーに参加して懲りたと言っていたので、どうも個人旅行のようです。

きょうはベルギーに行っているらしいけど、ベルギーってチョコレートとダイヤ加工、その他には知らない。ベネルクス三国がEUの基礎になったんですよね。

オランダやドイツも行くのかしら。続編が待たれるところです。

ちなみにたまたま見つけたブログ、誰にも言ってない。もちろん本人にも。


「トランプのアメリカに住む」 吉見俊哉

2018-10-01 | 読書

著者は東大大学院の教授。専門は社会学、文化研究、メディア研究で、2017年に10か月間、ハーバード大学に招かれて教鞭をとる。

時あたかもトランプ政権、発足直後。その時のアメリカ社会を滞在する者としてリアルタイムに観察し、社会学的に考察する。

これがたいそうスリリングで、面白かった。

章立ては、ハーバードで教鞭をとることになった経緯。トランプ大統領当選にあたり暗躍したロシアのこと。政権に抗議するスポーツ選手たちの行動。日米の大学教育の違い。銃と性的暴行、男性性がもてはやされる建国以来のアメリカの病弊とそれに対する若者の抗議。大統領支持層の、没落しつつある白人労働者の現在。「米朝」会談の裏側にある米朝両政府それぞれの思惑など。

最後は、25年前にメキシコシティにやはり客員教授として滞在した時に見聞きしたことが併載されている。

本書で特に印象深かったのはトランプ大統領のいい加減さと、それでも当選したやばい経緯と、支持層が生まれたアメリカ社会の変質だった。

知的エリートだったオバマ元大統領に比べて、現大統領は近しい人によると、おそらく本一冊も最後まで読み切ったことのない集中力のなさだそうで、そういう知的資質に恵まれない人が、ロシアの諜報機関によって発掘され、ネット時代の情報戦によって大統領にまでなっていく。現実はスパイ小説よりもずっと先を行っている。恐ろしいことだと思った。

ネット時代になり、人は事実の裏付けの検証なしに情報を発信し、自分の信じたいものだけを信じる傾向が強くなった。間違いを指摘されると、ももう一つの真実と開き直る。こうした傾向はこれから世界中に広がるのだろうか。とんでもないことである。

ロシアはコントロールしやすい大統領を作り上げるため、早くから現大統領に目を付けていたそうで、資金の流れなど、公にできないことがありそうである。本書で私が感じたのは、モスクワ行ったときに何か不祥事を起こし、その弱みを握られているのではないかということ。不祥事って、公になると政権が持たないくらいのことだろうかと、私の想像力は膨らむわけです。言いがかりでなければいいけど。

それでもアメリカという国はあらゆる面で強い。その一つを支える大学教育、日本とは全然質的に違う。子供のころか自分で考えて議論し、それを発表する訓練を受けたアメリカ人。人と仲良くすること、意見を調整することに長けた日本人。学問をするときには日本人のよさも裏目に出るのかなと思い、アメリカの大学の質の高さの一端としての詳細なシラバスの話も蒙を啓かれた。

古典を読み、また立ち返って現代社会の動きも知る。いい読書体験だった。


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