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「戦国大名と分国法」 清水克行

2018-11-28 | 読書

面白かった。分国法とは戦国大名が領地を治めるときの法律。

本書では結城氏新法度、塵芥集、六角氏式目、今川かな目録、甲州法度之次第の六つが取り上げられている。

畿内先進地方から東海、関東、東北まで地域は様々で風俗習慣、生産段階の違いもいろいろある中で、中世からの慣習法にのっとったうえで、大名たちは苦心して領国経営のためのルールを作り出している。家臣団が横暴で統制に苦労する中でのぼやき節、家臣と領主の契約の戦国版マグナカルタ、滅びる寸前まで条文を練り上げる今川氏など、それぞれに個性的。

しかし分国法は現在11が知られているだけで、ほとんどの戦国大名は分国法を作らず、領地を拡大して家臣に与えることで国内の矛盾や不満を帳消しにしてきた。そのパワーを持つものが大大名として次の時代にも残った。

分国法の意義は中世からの法律、慣習に一元的な法の網をかけて整備するという試み。そこに近世への萌芽もありそうで。

文庫本と新書がほとんどの私の読書。読むのは電車の中と寝る前。重い本は疲れる。さて、次は何を?


「身ぎれいな終いじたく」 天沼寿子

2018-11-26 | 読書

公民館で、中身よく確かめずに断捨離の本と勘違いして借りてきた。

だって、素敵な年配女性が、素敵な部屋でお茶飲みながら微笑んでいるんだもの。

でも読み始めてビックリ。胆管がんにかかり、再発後は放射線治療をせず、なるだけ普段通りに仕事をこなしながら、身の回りの整理もして死んでいくという、同時進行の記録だったから。

でも普通の闘病ものとは全然違う。死後、誰にも迷惑かけないようにと仕事や身の回りの整理をする。要る人にどんどん上げる。不動産も生前贈与する。

動揺せず自分らしく最後まで暮らす。その思いに貫かれている。

近いうちに死を迎えるとしたら、本当に要るものはわずかだとこの本は気付かせてくれた。

また、家族がいないので、入院後は友達に世話になるけれど、友達は時間がある時に来てくれる、家族は何をおいても来てくれると書いている。そうなんですね。家族を大切にしないといけない、そう思った。

それと入院中、あそこにあるあれ持ってきてと頼んですぐわかるように、普段から要らないものは捨てて要るものだけ分かりやすく整理整頓しておく、その大切さも気が付いた。

著者はアメリカに住んでいたこともあり、日本でカントリーアンティークを広めた人。一時は全国に店を持っていたらしい。全然知らなかったけど。

著者のお宅の、温かみのあるシンプルな雑貨とインテリアの写真もあり、見るのも楽しい本でした。

放射線治療しなかったのは、若年性アルツハイマーになったお母さんを介護して思うことがあったからだそうです。医師に勿体ない、それならすることはもうありませんと言われたそうな。家族がいたら、家族のために生きたいと思ったのでしょうか。

潔い、冷静な人という印象。この本の脱稿後、半月ほどで亡くなっている。動揺しない、本当に強い人だと思った。


癒しの讃岐平野

2018-11-25 | 旅行

ずっと長い間、ゆっくりと故郷の田んぼ道を歩きたいと思っていました。実家付近はすっかり都市化して住宅街に。昨日は思いがけずに懐かしい眺めに出会い、癒されました。

高速インターのバス降り場から歩いて行くと、こんな家が見えました。

土壁の二階建て、隣は納屋に車庫。子供の頃の実家に似ています。

二階は風通し悪く暑いです。我が家は物置として利用していました。

別の家を私が20歳のころ建てて、古い家は家全体を物置にしていましたが、22年前、道路などが通ってすべて取り壊し、別の町内へ移転し、今は記憶の中にしかない家。

その家を思い出しました。後ろは高速高松道。

見えてきました。あの漆喰壁のお宅のようです。国の登録有形文化財です。

東側から。クスノキが目印。きょうは見学者、友の会などたくさんの人が来ています。

家は何棟かあります。こちらが新しい方で、庭木なども。

橙?

わが実家にもありました。

続いてバスと電車で、藩主の菩提寺に行きます。高松は生駒家から松平家へ。初代頼重は水戸出身、光圀の兄で幕末に至るまで水戸徳川家との関係の深い家柄でした。

涅槃像を室外から写す。室内は撮影禁止です。

遠足で見学した時は、釈迦の弟子たち、動物が嘆き悲しむ迫力が怖かったです。

よくできた彫刻です。

京都の清凉寺の釈迦像と併せて、嵯峨の立釈迦、讃岐の寝釈迦と呼ばれるそうです。


門前の通り、ケーキ屋さんで一休み。

ちょっと早いけど、駅前、めりけん屋でセルフうどんを食べて、同行者と解散。

右の練り製品はエビが入ってます。昔はご馳走でした。

代金330円くらいだった。感動の安さ。

物価は安く、眺めは広々、日当たり良好、讃岐路の旅でした。


 


そうそう、きのうの最後によかったこと。

帰る前に駅から友達♂に電話して、またまたミニ同窓会の相談。次は京都の友達♂にも来てもらうことにした。6月に来られなかったので。

もちろん女子も呼びます。来年かなあ~、楽しみです。

もういつ何があるか分からない年齢なので、したいことして会いたい人にも会いたいというと、激しく同意してくれた。

夫は話が次々進まない人なので、先回りして説明する私。その癖が昨日は出て何度か話遮る場面も。失礼しました。

これでまた来年まで楽しく生きて行けそうです。

ねぇ、愚痴を言っても自分も楽しくなく、周りに害毒まき散らすでしょ。

友達と楽しく話すのはお金かからず、気分も晴れ晴れ。家族はもちろんだけど、友達大切にしないとね。人を大切にしてこそ、人に信頼され、いい関係が結べるって教えてあげようかしら。


文化財の水車を見に行く

2018-11-25 | 旅行

昨日は日帰りでこちらへ行きました。

場所は香川県高松市六条町です。讃岐平野は条里制の名残りの地名も散見され、古くから開けた土地でした。

知り合いのご実家です。お父様が経営されていた水車小屋を近年復元し、国の登録有形民俗文化財となって、昨日は月に一度の公開日でした。

私は高松中央インターで高速バスを降り、あとは徒歩で。昔は一面の水田、今は家が建て込んだところを10分ほど歩くと着きました。

公開にあたっては、ボランティア団体の方が運営されています。丁寧な説明もあります。

敷地の横のこの水路から水を引きます。

きょうは水量が多い方だそうで。あまりの小さい水路(子供の頃はこの程度でも川と呼んでいた)が意外です。

水は敷地内の暗渠を通って水車小屋の地下へと引き込まれます。

ゴミ受けの網と柵があります。

屋内にある水車は直径5メートルの巨大なもの。地下に水をためて流し、水車を回します。

芯棒は鉄を松で覆ったもの。

木の歯車で力を伝えます。

小麦粉を作る碾き臼。

ベルトコンベアーでふるいのところへ運びます。小さな粉は布を通って落ちます。落ちないのは再び碾き臼に戻ります。

天井まで水力で動くベルトコンベアが廻り、再び碾き臼に戻ります。

これを何度か繰り返して細かな小麦粉にします。

製麺機。うどんを作ります。日本製パスタマシーン。

水、小麦粉、塩を適量混ぜ、こねずに上から落として伸ばし、半分にしてまた伸ばしを4回だったかな?繰り返し、今度は歯のついた道具を通して細く切り、適当な長さで切るとうどんができるそうです。

讃岐うどんがブームになって以来、手打ちが珍重されますが、忙しい農家が日常的に、手間かけてうどん作ることはなかったようです。この機械だと練った小麦粉をすぐに製麺しますが、おいしくできるそうです。

昔は、ここへ小麦を持ち込み、うどんにしてもらったそうです。

こちらそうめんを作る道具。うどんは最近使ったそうですが、そうめんはまだ使ってないそうです。

精米機もあります。動力は水車ですが、田植え時期は水田優先で水車は止まり、代わりに発動機で回していたそうです。

いつごろのものでしょうか?


その他に昔の農機具がたくさん保管されています。

昔はどこの家にもあったものですが、ほとんど廃棄されて建物とともに残っているのは珍しいのではないでしょうか。

鋤、鍬各種。それぞれ名前があり、用途も違います。

昔の農業はすべて手作業。勤勉な当時の人々の様子がしのばれます。

と言っても、まるきり知らない人は何のことやら。

私ですか?昔人間なのでわかりますよう~

田植え定規。縦70センチ、横140センチくらい。これを水の張った田に置き、桟に着けた印の場所に苗を植える。すべて終えると手前を支点に裏返し、後ずさりして続きを植える。

大きさは一人で手の届く範囲。

5年生くらいから手伝って植えていました。中学生になると勉強優先でまったく手伝いませんでしたが。

小さいころ農作業しすぎたので、プランターで野菜や花を作ろうと思わない…と言い訳する私。

手で田植えした世代もやがては消滅の運命?

皇居では毎年、手植えの光景が見られますが、あちらは定規なしですね。

鶏の餌箱。両側から餌を食べる。

草鞋を作る道具。

麦を撒く道具。筒の中に種を入れて押して歩く。

肥桶とひしゃく

七面鳥の出荷用籠。

関西へ出荷していたそうです。

カキ。知り合いはこの下の家で住んでいたそうです。

写真撮ってもらいました。いいお天気。


雨の少ない讃岐平野で、乏しい水を最大限利用して大掛かりな水車を回し、製粉、精米、製麺をする。その技術の高さに驚きました。

水はどこでもいつでも利用できる究極の再生可能エネルギー、昔に戻るのは無理かもしれませんが、限られた条件を最大限生かして、地域で使うものは地域で作る。輸送コストもかかりません。この精神は見直されていいのではないかと思います。

近いうちに小学生も見学に来るそうです。昔の産業と暮らしの生きた教材ですね。

復元、指定、公開にあたっては大変にご苦労があったようですが、次の世代に残て欲しい遺産でした。


「もう、忘れたの」 酒井順子

2018-11-20 | 読書

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どうにもこうにも読む本がなくなって、読んでない本もたくさんあるけど今は読みたくないし、公民館で三冊借りてきた一冊。

2011年5月からの一年間、週刊現代に連載した40本のエッセィをまとめたもの。時事的な話題が多いので、当時の世相も分かるし、酒井さんらしい辛辣な見方もあり、面白く読めました。

出先から帰るとき、新幹線に乗るとあとは家に帰るばかりとホッとする。ってわかる気がする。乗り慣れたシートに身を沈めていると、あの時、この時の旅のいろいろが思い出されて、自分を取り戻す、という感覚。私の場合。

車内も変わっているはずだけど、この変わらない感覚がくつろぎを生み出す。もう田舎のおばあちゃんちとも縁が薄くなった私達世代、新幹線に乗ると喚起されるものがある。

酒井さんは何もそこまでは言ってない。それは遠い昔の、新幹線開業時を知っている世代の感覚。


温泉旅館へ行くとする。食事会場で黙っているカップルなら夫婦もの、やたらベタベタして、女性がはしゃいでいたら不倫関係との観察、面白かった。

私事で恐縮ですが、以前ヨーロッパツアーで、夫婦4組、一人旅は私を含めて3人、女は私だけというたいそう静かな経験をしました。大型バスがガラ空きだと、並んで座ることもしないのが夫婦。あれは、なかなかにいい旅行でした。

それにしても不倫旅行の場合は宿泊費奮発して朝夕部屋食、露天風呂もついてるプランを奮発してもらいたいもの。その予定はないけど、私ならケチな男だなあと思うはず。それとも見られた方が盛り上がるのかしら。やったことないので、わかりませんが。


結婚している最近の若い男性は、家事も嫌がらずにするそうで。子育ても同じ。高校生になった娘の下着も洗い、畳み、片づける。娘も嫌がらない。そういうのは知っていたけど、だって、息子たち見てたらそうだろうなあと思うから。

私達の世代は共学で男の子とも対等にものを言い合って来たけれど、まだまだ専業主婦も多く、家事は家にいるものがするというルールがあった。だから多少の違和感もあるけれど、男が家事をする延長上に、親の介護、その肝の排せつの世話もあるわけで、なるほど、息子が家事をするのは悪いことではないと思いなおした。

私自身のことを振り返れば、息子のお嫁ちゃんに違和感持つのも間違い。二人の間のルールで家の中が回っているのであれば、姑の私が間然するところはない。


九州男児考では、外で威張らせてもらってはいるけれど、家の中は奥さんがしっかりと管理して、その手のひらで転がされているという見方も面白かった。

博多の山笠などは男性性をもろに出したお祭り、女性は下手間ばかりで参加させてもらえない、と思っていましたが、男女がそれでうまくいくのが九州の文化かもしれません。

東京で知り合った女性と結婚して破たんした事例が挙げられていましたが、これは四国にも当てはまるかも。私の狭い見聞からですが、まだまだ男も立てられてなんぼの社会。東京で知り合ったお嫁さんと結局別れた事例を、身近に複数知っています。

長い休みは旅行したい、と実家へ帰って盆正月の行事を夫婦でしたいという文化の衝突。この場合、大切なのは夫婦の絆、伝統や家はその次。はき違えてはいけませんと、離婚した子供の親たちに言いたい。って余計なお世話ですが。


蔦屋書店はおしゃれとほめてありますが、私は疲れるばかり。本なら本だけをたくさん、系統立ててわかりやすく並べていればそれでよし。と思うのはわたしがもうこの歳だからで。

おしゃれな雑貨、もういらない。愛着のあるもの、思い出のあるものもどうやって減らせばいいかと思案する毎日。本を買いに行って、あらいいわねとほかのもの買うはずもなく。

こうやって人は世間のトレンドからずれていくんですね。しみじみと実感。

総じて、軽く読めるけれど、それによって喚起される思いがあり、こうして感想まで書けてコスパのいい読書でした。


「老いの生き方」 鶴見俊輔

2018-11-17 | 読書

数年前に読んだ本。

再読。

数年前よりまた一段と老境に差し掛かり、以前はなるほどといちいちうなずいた部分も当たり前すぎてさらりと読めた。

また以前は分からなかったところが実感できるところもあり、同じ本は二度と読むことのほとんどない私だけど、たまにはいいかなと思った。

付箋いっぱいつけているのは前にいいなと思ったところ。今はどこがいいのか分からなくなっているのもあり、それだけ私が変わったと言うことだろう。

普段からほとんど泣くことのない私だけど、唯一涙が出たのは、高森和子「へそものがたり」の中の「幸せな男」。

ある老齢の男性、著者の読者であり交流が続いていた人をしばらくぶりに病院に見舞うと、奥さんの急死の後、息子が交通事故に遭い、後遺症で痴呆が出ていたと言う。

大学で教えていたその息子は家庭を持ち、かわいい女の子までいたけれど、恢復の見込みがないので、お嫁さんは孫を連れて離縁、再婚したと言う。

男性一人で面倒見ていたけれど、失禁し、訳の分からないものを紙に書くだけでとても手がかかり、とうとう入院させようとした朝、部屋中に漂う便の匂いで目が醒めたら、息子は「かあちゃん」と字を書いてこと切れていた。。。。

成人した子供の下の世話である。他人なら逃げ出すところを、男性は「…早ようオシメを替えてやろうと思うて、抱き起そうとしたら…」もう死んでいた。その言い方に、私は限りない愛情を感じて涙するのである。

翻って、わが姑様の下のお世話、ほとんど夫がするけれど、夫不在でどうしても私がしないといけない場面では、大でありませんように、内側の尿取りパッドだけで収まっていますようにと念じている。もう、早く済ませたいと。

これが肉親と嫁との違い。

肉親の愛って見返りを期待しない。無償の愛。我が夫もオシメ替えには全然愚痴言わないし、昨日みたいに姑様が元気なころの性格が戻ると喜んでいる。

話戻って男性は、妻も息子も見送り安心して死ねる。私は幸せな男、と言っている。そうかもしれない。辛いことを乗り越えた後の安心の境地。まだまだこの世に心を残す人にははたどり着けない心境だと思う。

老齢の迎え方は人それぞれ。

室生犀星の妻ウメ子、歩けなくなってからも座布団に座ってそれを引いてもらい、夫の来客にも対応。その人がまた神様みたいな人。

「あとさき」からの引用。

何でも許し何にでも信を置いている倖せな人には、ほとんど私は感謝され通しであり…引用終わりという信じられないくらいの人柄。

末尾の8行もよかった。夫婦はバラバラに死んでいく。生き残った者はしばらくすると、ぼんやりとあの人はどこへ行ったのだろうと。そこまでは私も想像できる。

が、この一節、美しいものがほろんだ後に、もっと美しいものが見えてくるのを期待する。というのはまだ未知の領域。連れ合いとまだわかれてないので。

でもそう思えるのなら、歳とるのも、夫に先立たれるのも、静かに受け入れたいと願う。

森於菟の耄碌寸前もよかった。・・・ここまで書いたら孫が来た。残りはまた後程。

 


日本文学100年の名作「ベトナム姐ちゃん」

2018-11-14 | 読書

島根県、三瓶山山麓で。2016年11月。


1964年から1973年の間の短編、12編を収める。

今から半世紀前、戦後20年たったころである。私で言えば高校から大学生、そして結婚するまでと、人生の節目のいくつかが見事にこの10年間に詰まっていることに改めて気が付いた。

作家の作品集などで読んだのもあるけど、発表当時、リアルタイムで読んだのは一編もない。忙しかったのもあるけれど、その頃は文芸雑誌を読むこともなかったので。

毎月の雑誌、追いかけて読むのはよほど熱心な読者。それよりやりたいことたくさん、と言い訳してみる。

一読した感想は、読む前の予想に反して戦争の影が色濃く作品に反映されていること。当然かもしれない。戦争の記憶はまだ生々しく、戦争に駆り出された人が壮年になり、自分の体験を小説として昇華するのに必要な時間だったのだろう。

私が若いころは戦争からもう遠く隔たった平和と繁栄の時代と思っていたけれど、この作品集を読んで、まだまだ戦争に近い時代だったという発見があった。

作品の良しあしは甲乙つけがたいですが、好きなのは木山捷平の「軽石」、古山高麗雄の「蟻の自由」でしょうか。

そう突飛な作品はなく、まだまだ日本人が共通の価値観を持っていた時代、という印象です。大江健三郎の作品も当時は斬新だったはずですが、今読むと、正統的、王道を外してないように思えます。

川端康成の美意識には、私のこの歳ではもうついて行けない。というか、川端の美女好き、その他の感覚は私には理解できないところもあります。以前、「古都」を読んで、呉服問屋の主人がいきなり帯職人を殴る場面にびっくりしたのです。

「くだんのはは」小松左京は、内田百閒の「件」の本歌取りをした作品ですが、元歌の方が私には面白かった。

司馬遼太郎「倉敷の若旦那」は幕末混沌の時代の、血気盛んな若者の革命未遂譚。これは数年後の時代を先取りした作品かもしれません。最後は悲劇的結末に終わる。滑稽で救いようがないけど、本人はいたって真剣という70年前後の数々の事件を思い出した。

うーーーむ、これより遡るのは今の時代の感覚では読みづらいかも。古典があり、大家の作品があっても、今の時代の小説が書かれなければならない理由がそこにはあります。小説を読んで元気をもらいたい、物事の筋道を解き明かしてほしいという人はいつの時代にもいるのですから。

最近の作品も全然読まない私ですが、誰か、これはというのを教えてくれないかなあ。一つ一つ付き合うには、もうばあちゃんには時間がない。


最後に余談。昨夜の話。

私が家空けてヨーロッパへ行くのと、機織り機、家に入れるのとどっちがいいって夫に聞いたらヨーロッパがいいそうです~♪

ヨーロッパは10日間だけど、織り機はずっと邪魔になるそうで

で、織り機がよそに行く、もううちには来ないことはまだ言ってません。言いそびれています。

夫が「やはりいないと大変だから海外旅行は困る」と言えば、「2015年1月からの病院への付き添い、その後の三度の骨折以来いろいろお世話した自分へのご褒美。だめと言うなら今後の対応は考えざるを得ない」って言おうかな。まるで脅迫笑。

織り機を家に入れないことから始まった、姑様の介護から解放されるこのわらしべ長者的三段論法、実行するかどうかは別にして、自分で笑ってしまった。


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