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「日本ボロ宿紀行」 上明戸 聡

2019-02-27 | 読書

那須温泉湯本鹿の湯 2010年8月


日本ボロ宿紀行という有名なブログがあり、それが単行本化されたときは話題になった。その文庫版。

電車の中で、旅先で、はたまた寝る前に顔の上にかざして読むのに小さな本は便利。で、買ってしまった。

面白かったです。仕事の関係で(何の関係かは明かされていない)日本全国を飛び回る著者。宿泊はどこもよく似たビジネスホテルではなく、昔からある古びた旅館と決めている。やがて、古い旅館に泊まることを目的に旅に出るようになる。

ボロ宿とは悪口ではなく、歴史ある建物と個性的な経営者との触れ合いが楽しめる宿のこと。値段もそう高くない。経営ができなくなると、後継者がいないと、やがて消え去る運命にある。

ボロ宿を愛する心は、消え行くものへの郷愁と著者は言う。

ここに紹介される宿は東北から九州までほぼ全国に渡り、それぞれに個性的で、くつろげる宿。

読むうちにどこてもいいので泊まりたくなってきた。女一人でも本読んだと言えば泊めてくれるかしら。行ってみたいなあ。旅心を激しくそそられる罪作りな本であります。

作者はつげ好春「貧困旅行記」をリスペクトしていて、そこで紹介された伊豆の宿にも泊まっている。おかみさんとつげ氏は以来年賀状のやり取りをする中だとか。

こういう出会いのあるのがボロ宿のいいところ。絶滅危惧種のボロ宿、泊まってみたいなあ。

この中でぶっちぎりに個性的なのは那須湯本老松温泉喜楽旅館。潰れかけの宿に湯治客と著者の二人だけ。泊まりたいと電話入れると「うちはボロだから」と断られそうになるので、他のぼろい宿にも泊まったことがあると言うと、「あそこが大丈夫なら」とやっと受けてくれたといういきさつから始まり、宿の様子や宿を続けている事情など、面白かった。

部屋は外観に比べてごく普通、食事は量が多く、何よりも高齢母子の経営者が、まるで身内のように隔てなくもてなしてくれる。親せきの家に行ったような懐かしさ。ボロ宿の醍醐味はそこらあたりにあるのだろう。

9年前、那須に行ったとき老松温泉の前も通った。気が付かなかった。川沿いに宿が並んでいます。川も温泉の成分で白濁しています。

こちら鹿の湯。とても熱い湯で、茹で上がる思いでした。

煮豚になるって?その前に湯から出ました。

 


2/20 最後は博多の街を歩きまくる

2019-02-26 | 旅行

2/20 九州弾丸日帰り旅の最後は博多の街歩きです。

16:30頃 西鉄の天神駅到着。帰りのこだまは21:36、まだまだ5時間もあります。

築後吉井に行ってもよかったけど、博多でゆっくりするつもりです。今からあちこち歩きながら、博多駅まで行くつもりです。

ビルがぎっしり。都会。

明治通りを西へ。最初が薬院川。続いてこちらの那賀川。

ラーメン一蘭本店。

繁華街(歓楽街)中洲を越して、博多川。

博多川端商店街の入り口

地元密着型のお店が並ぶ。

途中に山笠の展示あり。本物ではなく、8/10スケールの模型。

模型でも大迫力です。弁慶、義経、安徳天皇に二位の尼(高倉天皇妃徳子の母親)でしょうか

祇園祭のような車に乗せるのではなく、6本の棒を36人で担ぐそうです。

後ろ。

出てきました。1キロはありそうな商店街でした。

櫛田神社の裏とつながっています。

右手の博多餅だったかな?は梅が枝餅とよく似ています。何年か前に買いました。

こちらも模型でしょうか。

日本武尊征熊襲がテーマです。

キャナルシティへの通路あり。行ってみましょう。

中の広場

街の中にまた街がある仕組み。

上から見下ろす

再び商店街に戻ってちゃんぽん麺を食べます。

ややあっさりめで、夕方の軽食にちょうどいい。

店内は女性の一人客も多し。人気店なのかも。

こちらです。

大回りして、やっと駅に着きました。

駅の二階ベランダから駅前を見る。正面は朝日新聞。

南方を見る。この日はとても暖かく、いい旅行になりました。

21:36博多発、23:19広島着。

市内電車はないのでタクシーで帰宅しました。

この日は25,410歩歩きました。

夫に土産話をするうち、もう日付も変わりました。

思い切って出かけて、気分も変わり、いい旅行になりました。

何よりも一人で自由に歩いたのがよかった。またお得な切符で出かけたいものです。

 


太宰府でさだまさし「飛梅」を歩く

2019-02-23 | 旅行

「飛梅」とは、昔、はかりごとで太宰府に左遷された菅原道真が、出立前、庭の梅に別れを惜しんだ故事に拠ります。

主を慕って、一晩で京都から九州の太宰府まで、梅の木が空中を飛んで行ったという…

平安時代、藤原北家が政権の中枢に上り詰めるまで、ライバルを次々追い落としていくのですが、道真もその一人。その死後、都では天変地異が続き、その魂を鎮めるために北野天満宮が整備されます。神社はそれまでは素朴な農耕の神様だったと言われています。

学識経験豊かな道真はやがて学問の神様として、受験生とその家族の信仰を集めています。

もう子供も受験の時期はとうに過ぎたけど、せっかく九州へ来て素通りはいけません。ご挨拶していきましょう。


西鉄久留米にバスがついて、天神行きはもう入線していました。乗るとすぐ出発。

西鉄小郡で急行に乗り換え。

なら慌てて乗らずに初めから急行利用すればよかったと、あとで気が付く。

知らないことに迷い、戸惑い、これも旅の醍醐味。

間違っても自分の責任。これまた一人旅の楽しさ。

電車が来ました。途中、二日市で乗り換えて太宰府へ行きます。

電車下りて、門前の商店街を、人の後をついて行くと自然にお天満宮様に着きます。

境内、梅多数。二月は盛り。

先ずは心字池にかかる橋を渡ります。

以下さだまさし、「飛梅」風に

https://www.youtube.com/watch?v=3sCnCjyvBEQ

心字池に架かる三つの赤い橋は・・・

一つ目が過去で二つ目は今

 

三つ目の橋で君が転びそうになった時、初めて君の手に触れた僕の指。

(渡って、今来た橋を振り返ります)

手を合わせた後で君は神籤を引いた

(おみくじの自販機)

大吉が出るまでと、もう一度引き直したね。

上り詰めたらあとは下るしかないと、下るしかないと気付かなかった。天神様の細道。

裏庭を抜けて

お石の茶屋へ寄って

君が一つ、僕が半分

梅が枝餅を食べた。

来年も二人で来れるといいのにねと、僕の声に君は答えられなかった。

時間という樹の

思い出という落ち葉を、拾い集めるのに夢中だったね君。

あなたがもしも遠くへ行ってしまったら、私も一夜で飛んでいくと言った。

忘れたのかい?飛梅。

あの日と同じように今ハトが舞う。

東風吹けば、東風吹かば君は、どこかで思い起こしてくれるだろうか?

太宰府は春。

いずれにしても春。


お石茶屋は、裏手の昔からある茶店。

店内土間。お餅一個でもたっぷりの熱いお茶が付きます。

他に軽食メニューもあります。

お土産に六個買いました。

古きよき時代のお参りを体験できるお店。たぶんたたずまいは、何十年と変わっていないのでは。

ゆっくり落ち着けるお店です。

太宰府は五度目くらいだけど、今回もやっぱり行ってよかった~


静かな八女の街を歩く

2019-02-22 | 旅行

2/20 九州弾丸日帰り旅行、まず福岡県八女へ行きます。

目的はひな人形をたくさん見ること。

公共施設はたくさん展示してましたが、個人のお宅はそう多くなかったです。がしかし、箱雛に起き上げ、道具類がたいそう凝っていて見ごたえがありました。

また八女は伝統工業が盛んな街で、それらは八女伝統産業会館で紹介されています。

 

石灯籠の産地。八女匠の門と呼ばれる日本一の大きさの石灯籠。

石は黒い。安山岩?

仏壇の産地で、大きな仏壇、飾っています。

手前の装束はぼんぼり祭りの始まる時、京都で特注したそうで、応募した中から毎年二組を選び、結婚式をこの装束で上げるてもらえるそうです。

こうしてみると生地をたくさん使っていることがよく分かりました。

籠を編んでいます。真竹を裏表二枚に薄く裂き、編んで行きます。

真竹が節の間が長くて、孟宗竹より柔らかく、扱いやすいそうです。

最近ではベトナムから安い製品が入ってくるとのこと。

というようなことを見学していて教えてもらいました。

隣は紙漉き体験のできる施設です。

紙すきの材料、楮を水にさらしています。

糊状のものを掬いあげて作ります。力が要りそうです。先を急ぐ身なのでパスしました。残念。

春らしく。

こちら柳やレンギョウに見えます。おしゃれ。


観光案内所で旧郡役所への道を教えてもらいます。

 建物は修復中で一部カフェなどもあります。

門は古い。建物は傷むけれど、門柱はそのまま残っているようです。

 すっきりときれいな街並み。平日の昼間、人も車も少ない。

八女はお茶の産地。日本茶の店もたくさんあります。

洋風のデザイン。裏へ廻ると日本家屋、表だけを洋風に整えます。

玄関周りのデザインがおしゃれ。

こちらもお店。ランチなど。

 立派なお店。

このあと街角のパン屋さんでパン買って、無料コーヒーで昼ご飯。コーヒーがあまりにおいしいのでパンを追加で買いました。

一人だとちゃんとした店に入りにくいけど、帰ってからじっくり見たパンフによると昔の検番の建物がそのままレストランになっている店があり。

残念!!

いつか機会があれば行きましょう。

このあとバスで西鉄久留米まで。50分くらいかかりました。いいお天気でバスの中は暖かい。

この後太宰府、天神など行きましたがそれは又次の機会に。

 


福岡県八女市・八女ぼんぼりまつり

2019-02-21 | 旅行

博多日帰り激安チケットで、九州のお雛様を見ることにしました。

広島発7:35のこだま。福岡着9:10

そこから鹿児島本線に乗り換え羽犬塚はいぬづかまで。

さらにバスに乗り換え10:48に最寄りの八女学院でバス降ります。

福島城あと。建物は一国一城令で破却されたとのこと。

店先のポスター。

造り酒屋木下家(堺屋)住宅。M30建築。入場無料。

管理の方がいるだけで、見学者は私だけ。

最初に見たひな人形。

箱入りで驚いたけど、昔はこの地方のスタンダートだったとのこと。箱雛と言う。

仏壇の職人が庶民相手の人形を作ったのが始まり。布も仏具用を使い、地方色のある素朴な人形。

昭和30年代までは製作されていたとのこと。

片づけるのはふたを閉めるだけ。合理的で簡単。

床の間

続き間。

町並み。

古い布などを販売する店。琺瑯看板はコレクションらしい。

八女伝統工芸館の展示。

御殿飾り。茅葺風が珍しい。

人形の顔は、その時代の人を映しているのではないかと思う。

正直、勤勉、穏やかなどなど。

箱雛各種。

こちら新しい立雛。衣装も忠実に再現。こんなの欲しいなあ~。

八女は人形や羽子板の産地で、とても大きな展示即売場もあるようです。今回は行かず。

後ろもいいお顔。

手前は起き上げというこの地方独特の人形。

押絵のようにやや膨らみを持たせた平たい人形を立てて飾ります。

こちらも初めて見ました。これは動きがあってとてもよくできています。

人形各種。

大きな市松人形。

顔、髪、着物、どれもよくできています。


続いて観光案内所に行くと、座っていた方がすぐに立ち上がっていろいろと教えていただきました。

珍しいろくろを切った人形。

福岡特産八媛人形 発明品 福岡県福島工業試験場

この地区にあった福島工業試験場が作ったもので、この地の特産品に育てようとした木のひな人形。

観光案内所にも展示いろいろ。

木目込みもかわいい。

こちらでは帰りの久留米行きのハスの乗り場を教えてもらいました。とても親切で助かりました。

久留米からのバスは便数が多いようですが、八女まで50分くらいかかります。


続いて横町町屋交流館へ行きます。

わおう~本日二度目のびっくり。

こちら女性たち。壮観。

おぼこびな。表情がかわいい。

参考画像。九州国立博物館で。2011年。

今年も見るつもりだったけど、先を急ぐ旅の身、見損ねてしまった。

また次行ってみましょう。

新作の箱雛。

横町町屋交流館。

カップを展示している家も。

店先にその家伝来のひな人形と道具の展示。

繋がった枕がかわいらしい。寝にくそうだけど。

ケースがあってうまく撮れず。今では作れる人もなさそうな細かな仕事。

新聞販売店で。

掻い巻き布団もあります。

姑様は人間用を上手に縫っていたけど、古くなってダニがたくさんいそうで、分解してゴミに出しました。

罰当たりな嫁=私です。

素晴らしい道具の数々。

人形いろいろ。相撲の押上もあり。

本当に素晴らしい台所と水屋。

ヤフオクならって・・・ヤフオク見てるのがばれまくりだけど、3万円はいくかも。

まだまだ八女の写真はありますが、今回はこの辺りで。

ところ変われば品変わる。九州のひな人形が珍しくて楽しかったです。

人出は少なめ。静かないい町でした。

続きは又次回にご紹介します。

 


九州弾丸日帰り旅へ

2019-02-19 | 旅行

飛梅。太宰府天満宮 2011年3月


少しずつ春が兆して、明日は九州へ日帰り旅の予定です。

こだま往復激安チケットでの一人旅。

八女、大宰府天満宮へ行き、最後に福岡の天神から箱崎宮櫛田神社辺りの地元商店街を歩く予定。キャナルシティは時間が余ったら行く。電車、バスの乗り継ぎがうまくいって全部こなせますように。

八女は夫が赤ちゃんの頃、お舅様の仕事の関係で少し住んでたらしいけど、もちろん全然覚えてないそうです。


本日午前中、自分の荷物の片づけ。午後から、裏のマンション工事の関係者がお見えになって、我が家の補修の段取りの説明があった。

大々的な工事で、四月いっぱいかかりそう。台所は3週間も使えないとかで、家の中でキャンプ生活?

今は家族二人だし、姑様の食事の支度もないし、何とかしのいでいきましょう。


「庭のつるばら」 庄野潤三

2019-02-16 | 読書

21年前、文芸誌「新潮」に一年にわたり連載された小説。

作家とほぼ等身大と思われる語り手は70代後半、日本語なので主語は省略。このあいまいさが、作家自身でもあり、どこか架空の人のようでもあり、文章自体もあわあわと、事件、事故もなく、日々、つつがなく進んでいきます。

ご近所、子供たちとの交流。花を貰ったり、お寿司をおすそ分けしたり。駅近くまで出かけて、銀行やパン屋、スーパーの「石井」に回り買い物する。

昼間は家で仕事、夜はハーモニカを吹き、妻がそれに合わせて歌う。妻はピアノも習っている。

庭の木や花、野鳥が来る。と物事はつつがなく進む。

唯一事件らしい事件は、マイクロバスで、子供の家族みんなで旅行に出かけること。海で泳ぎ、温泉に浸かり、お金は割り勘。後で、幹事の長女一家にお礼をする。

長女はユーモア溢れるしっかりもの、50前後だろうか。その息子の縁談が調うところで小説は終わる。

人柄は一朝一夕にできるものではないけれど、日常の一つ一つに喜べる感性は老いのひとつの理想。

私も死ぬまでにはこういう境地に達したいもの。今はまだまだ未熟です。


岩国市の山、二つ登る

2019-02-12 | 山歩き

2/11 本日は、夫友人と夫、私で山二つ登ります。

リュックは上着脱いで入れられるよう大きい方を。

ストック持って行ったけど結局、使わなかった。

R2バイパス佐方SAに9時待ち合わせ。

廿日市ICから山陽道に乗り、玖珂で降りて登山口のある比叡神社Pに車置きます。

9:46 いざ出発。右の本コースへ。

癒しの里山

山頂は霧で見えません。前は2006年の元旦に。13年ぶりです。

一部、崩落しているようです。行ってみましょう。

スギの樹林帯。

霧、晴れず。

11:21 稜線まで来ました。山頂まであと少し。

11:45 山頂。2時間かかりました。お弁当食べて30分後に下山開始。

登りより下りが緊張します。

橋の左側、石がたまっています。

登山道はほぼ消滅。山肌に残ったわずかな場所をたどりつつ、下りて行きます。

振り返ると岩だらけ。

登山道が流されています。川を渡って振り返る。橋もあったのかもしれません。

木が根こそぎ流されてます。

13:30 下山して振り返る。晴れてきました。あの一番高いところへ登りました。

よく登ったあ、いい山だったあ、というのが本日の感想です。

上山2時間、下山75分。


続いて手前の小さな山に。標高は206m。

車はグラウンド横に入れる予定が満杯。別の場所に停めました。

私三度目。夫二度目。夫友人の方、初めて。

14:13 行きましょう。今度は楽なはず。

歩きやすい遊歩道が続きます。地元の方の散歩コースらしく、何人かの人に出会いました。

西国街道を見渡せる山城があり、毛利氏が周防で攻め落とした最初の城。

14:41 さっき登った山。くぼんだ所がひよどり越え。左へ最初のピークが山頂。

玖珂の街。向こうの山付近に山陽自動車道が。一番高い山は一昨年登った氷室岳。

https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/d/20171210

山陽新幹線。あちら広島方面。列車がトンネルへ入る時の音が、ドーンと響きます。

下関方面。

15:22 降りてきました。山頂の展望台が見えています。

ここで解散。各自車に乗り、自宅へと。途中、運転代わって、夫は助手席で眠っていた。

こういうことがあるので、山へ行き始めた40代半ばになって私は運転免許取ったんだった。

今まで事故がなかったので、(動かないものにぶつけたのは何度も。電柱とか)これからも慎重に。

もう少し山歩きもしたいものです。

体をよく動かして、晴れ晴れとした気分になった一日でした。


高松の宿と倉敷の街

2019-02-03 | 旅行

明日は立春、我が家ではひな人形を出す日。半日がかりです。それで今日中に、先日の旅行、まとめます。

姑様のお世話がなくなって一日が長い。気が付けば自分もまた老境の入り口。

きょうは月遅れ分の請求の整理、姑様立替分の計算、税理士さんに渡す資料を袋に入れる(延々やっていました)のをした後は、自由時間。

のんびりした今日みたいな日がいつまでも続きますように。

16時過ぎ。とりあえず部屋に落ち着く。

夕暮れまではまだ間があります。

日没は18時過ぎ。

部屋の上り口。向こうは約2畳の着替え専用室。

姿見。枕元だけの明かり。

人と同じ部屋で眠れない私は結局、ここへ布団引っ張ってきて寝た。

廊下の左右に水回りがあり、向こうが12畳の部屋。

母は椅子が座りやすそうでした。

自作のマフラー。


食事は9階の食事処へ。

懐石料理のテーマは「大寒の頃 讃岐路」でいろいろいただきましが

刺身とか

蓋物 蕪?(漢字が読めない)饅頭は蟹、花麩、亀甲あん(亀は本字)、木の芽

焼き八寸

オリーブ鰤照り焼き、あと9つの食材が。引用省略。

このあと小さなステーキやしゃぶしゃぶ、天ぷら、などなど。

写真省略。

デザートまで食べるとお腹いっぱいに。92歳母も完食。

翌朝。

もうすぐ太陽が昇ります。通称、前田の山。実家からよく見えた。

高い建物は県庁の新館。


朝ごはん食べて、9時には宿を出ます。

チーズや

サラダやいろいろ頂いて

海もよく見えます。

ロビーの飾り。節分仕様。

棋王戦。

将棋盤など。

ホテルの前からの眺め。女木島、郷東川など。今日もいいお天気。

母はデイサービスに行くと一足早くタクシーで帰りました。

デイサービスは大好き、毎日楽しいそうです。よかったよかった。

年寄りになったら若いもんの負けとったらえんや、とのこと。20年くらい前に気が付いてほしかったけど、とりあえずはよかった。

次はいつになるか分からないけど、もしかしたら一緒に宿に泊まるのは最後かもしれないけど、よろこんでもらってよかった。

送りのバスは香港から来た中国人2人と一緒でした。英語で聞いたらそう答えたのです。次は高知へ行くとか。切符出して見せてくれました。

袖触れ合うも他生の縁、ハブアナイストリップと言って別れました。


高松駅で人と待ち合わせて、今度は岡山県の倉敷へ行きます。

倉敷も最近よく行きます。歩いて楽しい町です。

神社のある山から下りて行きます。

急な石段、二人とも歩くの大好き。どんどん下りて行きます。

蔵元

街並み。

街角。

ねえ、お昼、どこで食べる?

どこがいいかなあ?

と歩くうち、かぎ型の掘割を過ぎて美観地区の外まで来ました。

取り合えず入った、川沿いのビル一階の店は大正解で…

1,500円税別の定食は天ぷら、刺身付き。とてもおいしくボリュームいっぱい。

大将はコンピューターの会社辞めて脱サラしたそうで、「どちらがいいですか」と聞くと、「そりゃ今です」とのこと。

目の前で上げていただいた天ぷらがとてもおいしいです。また行きたいねと、話しました。

アウトレットモールの中のカフェで長話して、もう帰ります。

彼女は香川県に、私は広島県へ。遊ぶのは岡山が一番いいかも。

花見の約束して帰りました。

倉敷でのお買い物は洋品店のスカート地。

いつ縫えるかなあ~


今回の旅の収穫は、宿にあった地元の広報紙、

香川県ではよく見かけるデザインばかり。

どれも同じ人が手掛けたそうで、近年、注目されているようです。

https://yousakana.jp/kunibo-wada/ 

有名なところでは、歴史の教科書でよく見る、第一次大戦後のバブル経済の時、成金がお札燃やして灯りにしたという風刺漫画。

琴平町出身の人って、知らなかった。いい旅の収穫になりました。


日本一長い高松のアーケード街を歩く

2019-02-03 | 旅行

1/29 快晴。琴電栗林公園駅に向かう途中から左折、市中心部へと歩きます。

この道は高校時代の通学路の一つ。わがホームグラウンド。そして、チャリ通なので、その日の気分でいろいろな道を通った。

道はたぶん古い琴平街道たと思う。

香川県ではすべての道はこんぴらさんに通ず。ローマ街道みたいなものですね。

途中で分岐して塩江方面へも行けるはず。その先は徳島県の穴吹。日本一小さな県は隣の県も近いのでした。

古い商店。昔は文具も扱っていた気がする。いや、それは別の店だったのかも。記憶あいまい。

人生初めてのクレパスはどこで買ってもらったのだろう~???

M書店。学校帰りによく寄って、文庫本など買った。

志賀直哉、川端康成・・・薄いと50円、厚いと100円くらい。月千円のお小遣いで間に合った。

徳島へ行く高徳線の高架。昔は平面交差で踏切があった。

アーケード街南端。昔は田もあったので田町、と習った気がする。

ここから延々アーケードが続きます。総延長2.7kmは日本一だそうです。

ほっぽろは方言。

ほっぽろ焼きは、具なしのお好み焼き。

小麦粉を水に溶いてフライパンで焼き、ネギと削りガツオ、ウスターソースをかけ、巻いて食べるおやつ。

たくさん作って、三時のおやつに農繁期の田んぼへ持って行く。作るのは高校生だった叔母の仕事。

近所にお菓子屋ができたり、おやつの出回る昭和30年代後半にはもう作らなくなった。

今、この言葉の意味を知る人も少なくなったと思う。

R11と商店街の交差するところにあるスーパーマルナカ。

60年くらい前はバナナなどの卸売業者。だったかな。

青物市場に勤めていた近所のお姉さんが、こちらの御子息と結婚して、わが家の近所では初めてホテルで結婚式を挙げたのでした。

その頃は自宅婚が普通、折詰のお土産どっさり、それを近所におすそ分けするのが習わしだったけど、その時はお土産一切なしの新式、時代が少しずつ変わっていくのでした。

こちら正面。

学校出て故郷で勤めていたころ、やっぱりチャリンコで通勤していたので、こちらは通勤ルートの一つ。

帰りにときどき買い物していた。と言っても親かかりなので、おやつなどを少々。校区なのでたまに生徒と遭遇。やばい!!

一級国道11号線は中新町交差点で南下するルートに変わったらしい。

あの先が勤めていた学校。学校の前が国道だった。

アーケード下は自転車通行自由。

雨の日は助かった。急な雨でも濡れずに帰る。アーケードなくなると思い切り濡れたけど。

あちこちの店によって、楽しい通学路でした。

右、琴電瓦町駅への分岐。トキワ街。向こう、南新町。これも南へ伸びて行った商店街の名残りの名前。

この辺りも校区だったかな。たまに商店の二階に住んでる子がいて、店の中通って家庭訪問したことも。

店は閉じていました。トキワ街はとてもさびれているのは郊外に大型店がたくさんできたから。

昔はトキワ街からずっとアーケード街を歩いて買い物するのが楽しみでした。

14時ころ、さか枝南店で昼ご飯。しっぽくうどんあるのを知らなくてこんなチョイス。残念、そして後悔。残りの寿命考えたら、一食ずつ好きなもの食べたい。

うどんその他で310円。激安。

まだ南新町。まだまだ歩きます。北へ行くほど商店街の格が高く、昔は老舗が多かった。

丸亀町商店街。

生駒氏が城下町を作る時、丸亀から商人を呼び寄せた町。ということは丸亀の方が古い町ということでしょうね。

アーケードの屋根が高い。

丸亀町グリーングリーンという広場。再開発した場所だと思う。

店の一部を後ろに引き、広場を作って、二階部分も回遊できる仕組み。

視点がいろいろ交わり、楽しい気分に。

お菓子屋さん。おんまいは、お菓子の幼児語で方言。

おんまい、食べまい(お菓子、たべなさい)という風に使う。

あんたあ、おんまい、いるんなあとか。

わが故郷は関西文化圏の最西端、言葉もアクセントも関西風であります。

さらに歩いて行きます。

解放的なアーケード。

ユトリロ的、パリの裏町的建物。

反対側。

階段は公道ではなく、ビルの一部。

本来は建物の中にある階段を外付けにして、しかもカーブを付け、二、、三階に何があるか興味を持たせつつ誘導する。

この階段なら上がって見たくなるでしょう。いわば建築の持つ力。

以前、安藤忠雄設計の(うろ覚え)、似た構造のステップというビルがこの付近にあった。同じものかどうか。

ステップは片側だけだった気もする。その精神を生かしつつ、建て替えたのかも。

何しろ帰省しても長い間、ここへは来ることなかったので浦島太郎的気分です。

続いて宮脇書店本店。昔のスポーツ用品店はもうなくなっていた。

宮脇書店は特別な場所。人とよく待ち合わせた。もう私を待つ誰かがいるはずはないけど、おばあちゃんもしばし、昔を思い出す。

故郷に残る人と、出ていくものと。出て行った者同士は、よほどのことがないと疎遠になるばかり。

さて有名なドームのところまで来ました。

ブランド店各種。

天蓋。

二階の回廊から今歩いてきた街を見下ろす。

アーケードの屋根はビルの三階の高さ。そして明るい。木も本物らしい。おしゃれ。

でも、この付近は初めの頃より元気がない感じ。せっかくのいいアーケードだけど、人は理念では動かず。イオンやゆめタウン、はたまた郊外型の店へ行くのかなあと愚考した。

店もだいぶ変わり、英会話学校やクリニックなど。

人は集まり、人は去る。一瞬のすれ違いの繰り返し。

自転車で通れる商店街。便利。

兵庫町商店街を西へ。広い道路の向こうもアーケード街。

両側、ホテル。

兵庫町は兵庫(神戸)から商人を呼び寄せたとか。あと鍛冶屋町、大工町、紺屋町などあります。地名に残る城下町の面影。

昔からある書店。嫁入り前に料理の本を買った。まだ持ってる。

地元の証券会社。もうすぐJRの駅です。

今回は個人的センチメンタルジャーニー。長話深謝。

 


「せきれい」 庄野潤三

2019-02-02 | 読書

この人の作品は、若いとき、「プールサイド小景」その他を読んだだけで、熱心な読者ではありませんでした。

一人称を省いた日記体、事件が起きないのが、主張が感じられないのが物足りないと、若いが故の不遜な偏見。しかし今になると、このしみじみとした味わいに癒される私がいるわけです。

主人公は、作家をほぼ等身大に映したと思われる老境の作家。毎日、家で仕事をし、その合間の日々の暮らしがあわてず騒がず、淡々と描かれている。

武蔵野台地の、広い庭のある家。庭木や花、野鳥、近所や親せきと食べ物を上げたり貰ったり、子供たちもみな独立、その子供たちや孫との交流。

年に二回は関西に墓参りに帰り、友人の作家の娘さんが宝塚のスターで、その舞台も楽しみに見る。

いいなあ、こういう老後、と思った。

人に聞こえのいい仕事があり、お金の心配もなく、周りの人に恵まれ、自然の中で、四季の移ろいを感じながら暮らしている。

これが小説だろうかと思いながら、やはり小説以外の何物でもないと思うに至る。

主人公と妻の清潔な人柄。足るを知り、人に施すにやぶさかでない。相手を責めず、小さな毎日のことに喜びを感じる。周りに感謝する。

道徳的に読んではいけないのだろうが、結局、文は人。その人柄に打たれた。

面白かったことのいくつか。

買い物を頼まれて、豚のこま切れ肉と蕪が分からない。20年以上前とは言え、何という浮世離れしたおじいちゃん。ここでジェンダーがどうのこうのと持ち出すのは場違い。それで家の中が廻っていくなら、いいじゃないの。というか、知らないのに買い物かって出るのは頑張ったと思う。

夜、ハーモニカを吹き、妻が歌う。時には踊る。面白い人。そして二人でいい歌ですね、いい歌だなあと言い合う。

妻はピアノも習っている。その話題もほのぼのとしている。

お正月には一族13人の用意を70過ぎた妻が一手に準備。各自にお年玉を渡し、ゲームなどして過ごす。今年は姑様がいたので必要最小限しかできなかったけど、機会があればこんな楽しい大宴会もやってみたい。

生きるヒント、ものの見方のヒントがいっぱい詰まった、いい本でした。


高松の栗林公園を歩く

2019-02-02 | 旅行

1/29 好天。ダウンコートにリュックと小さなバッグ、登山帽。山へ行く格好で街を歩く。

暑い。暑いけど、頑張って歩く。

正門(東門)行ってすぐの物産館。明治の建物。立派。子供の頃にはもうあった。

ヒマラヤスギも大きい。

以前あった動物園に美術館はなくなった。

松をとてもきれいに育てています。

南庭なんていの梅園。

隣接する茶店のサネカズラ。

この店は奥が住居。幼稚園のとき、この店の子がいた。

公園の中に住んでいるのがうらやましかったけど、本人にしたら遊び相手がいなくてつまらなかったかも。

橋。寅さん映画でこの橋が出てくる。志々島の診療所の話の、最後の方の作品。

昔はハートには刈り込んでなかった気がする。

寒鯉。とはいえ、元気。

南端。湧水。

一番のビューポイント。建物はお茶会などに使われる。

学校出て、故郷で勤めていたころ、忘年会をしたのはもう少し山際の店。シンシンと寒かった。暖房もまだまだの時代。

北庭の紅梅。

蓮池。

最後の藩主で東京へ行って、華族になった人ではないかと思う。

公園を下賜した功績をたたえて像があるらしい。未確認。

東京の三田に昔、県出身者用の学生寮があり、たぶんそれも下屋敷の跡か何かだと思う。未確認。

今は讃岐会館という、宿泊や宴会のできる施設になってるようです。さる方が外務省辞めて結婚するときの送別会をここでしたと何かで見た。平成ももうすぐ終わり。しみじみと時間が経ったものです。

場所は山手線田町駅から慶応大学へ向かう途中にあるはず。

行ったこともない私がなんでこんなこと知ってるかって?

10代の終わり、その県人寮にいた友達と、夏休みに帰省してここを歩いていたことを、思い出したから。

少女は長い時間をかけて、ばあちゃんに。でも、公園はほとんど変わっていない。同じ場所に立つとその日の記憶や、会話の声が鮮明によみがえってくる。

昔のことほどよく憶えているのが老人の特徴。読者諸氏、許されよ。

スダジイの巨木。

北庭は観光客が来ないので昔も静かだった。よく歩いた。

水車みずぐるまの展示。川の水を田に入れる道具。

両側に支えの棒があって、それに掴まって次々と板を踏むと回転して水が田にいる仕掛け。

川の水面が田より低いときに利用。水の乏しい讃岐平野では必須の道具。

もちろん我が家にもありました。

今見ると精巧な細工に驚かされます。

満開。

物産館の裏。この辺りは新しい施設。馴染みがないし、植栽も今風で、ちょっとよその土地へ行ったみたい。


本当に久しぶりに栗林公園を歩きました。いろんなこと思い出しました。昔はもう少し雑然としていたけど、今はとてもきれいに整備されましたね。

四国へ行くことがあればぜひどうぞ。シーズンには結婚式の前撮りも見られます。

公園前の小さな神社。我が家ではみょーけんさんと言っていた。

どんな字を書くかは知らない。

昔は夏祭りが盛んだったらしいけど、道路が拡幅して境内は狭くなっている模様。

琴電栗林公園駅まではとても賑やかな通りだったけど、今は昔日の面影なく、マンションなどになっています。

人の流れも行く場所も、50年もたてばすっかり変わるのでした。


高松市の栗林公園は映画のロケ地

2019-02-01 | 旅行

香川県高松市の栗林りつりん公園は、旧藩主の所有していた回遊式庭園、兼六園、後楽園と並んで日本三大庭園と言われています。

先日、あまりにもお天気いいし、チェックインの時間まで散歩しました。

正門から入園してしばらく歩き、左手。

昭和時代の社長漫遊記シリーズ(森繁久彌主演)の、香川県が舞台の作品で、若き日の黒沢年男と岡田可愛がデートしていたのはあの丸い植え込みの手前。

梅林は二か所あり、こちら南庭。今が盛り。四国は暖かいらしい。

奥へ行くと遊歩道の一番高いところからの眺めよし。うしろは紫雲山。その麓からの湧水を池に巡らせて、美しい眺めになっています。

ここは三島由紀夫原作の「春の雪」で、宮家と婚約の整った華族(公爵とかそういうの。詳細失念)令嬢が、自宅の庭で舟遊びする場面で使われた。

どこかで見た場所・・・と思ったら、やっぱりここだった。

あと、寅さんシリーズで渥美清が渡っていた橋もあります。後日、紹介します。


以上は南庭で、観光客も多いのですが、北庭は自然の風情を生かした洋風庭園、明治になってから整備されたそうです。

昔はその良さが分からなかったのですが、今は人もあまりいなくて癒されます。

ハスの池。季節には見事なことでしょう。

スダジイの巨木。

赤松の多い当地の山ですが、それは二次林。元々はカシやシイ、ヒサカキ、などの照葉樹がうっそうと茂っていたことでしょう。

街中の貴重な森、これからも時間があれば訪れましょう。


マツの手入れをしています。

三大庭園の中では、庭木の形のよさは一番ではないかと。いつ行っても何かの手入れをしています。

垣根の整備。棕櫚縄で結びます。特別の結び方、見て憶えるつもりでしたが、憶えきれません。

まだまだ写真はあります。次回以降、少しずつ。


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