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「軽井沢の風だより」 早坂真紀

2013-07-29 | 読書

 

 クリックで拡大。R18御代田付近からの浅間山。2008年


 

最近雨も降るけど、夏はまだ折り返しにも来ていない。

近所の公民館に行ったとき、涼しげな題にひかれて借りてきた。少しでも暑気払いできるかなと。

著者は内田康夫氏の奥さんで、自身もエッセイなど書く人らしい。これは10年くらい前の婦人公論に連載した短文を集めたもの。

1985年、軽井沢に二千坪の別荘地を求め、それ以来通年そこに住んでいるとか。子供はなく、愛犬もこの本を出した時点ですでに死んでいる。

軽井沢の四季が読みやすい文章でつづられる。自然の中に暮らすのは誰にとってもたぶん憧れだけど、冬は寒いし、夏は虫が出るし、それを楽しめる人だけが、軽井沢を楽しめるのかもしれない。

軽井沢の歴史だとか、今の時代の矛盾に対する考えだとか、そういうものをこの本に期待してはいけない。あくまでも文字でつづる淡い水彩画、ひととき味わって楽しむもの。人の心を不安で攪乱したり、これではいけないと何かに目覚めるきっかけになる本ではない。

自分でお金を出しては買わないけど、あれば読んでもいいかなと思えた本。それにしても、軽井沢関係の本って、なんで軽く自慢モードが入ってるのかしらと不思議。

カラマツも白樺も結構だけど、そればかり植えるのはどうかな。多様な植物があってこそ、本当の自然。

追分駅から追分宿までの別荘地もカラマツばかり植えていた。辺りは暗く、生き物の気配の感じられない死んだ森。カラマツを植えるという決まりでもあるのかな。管理がしやすいのかもしれない。自然の力って、たまに来るだけではコントロールできないので。

もう一つは雲と霧。雲の一部が地面に接していたら霧というのが一般論だけど、富士山にかかる雲はやはり霧ではなくて雲ですよね。雲の中に人が巻き込まれて、あるいは間近に見る場合のみ霧というのかも。

秋口に広島県の盆地に見られる雲海、中に入る人にとっては霧。徐々に霧が上がると雲になるけど、これもやっぱり人の近くにある場合は霧なんでしょうね。

曖昧模糊とした日本語の、わけても違いのはっきりしないのが雲と霧。それをこの本を読んで改めて考えた。


「夕映えの信濃追分」 日達良文

2013-07-22 | 読書

信濃追分からは浅間山がよく見える。2006年10月。写真は以下同じ。

信濃追分の今昔についてのエッセイなどをまとめたもの。1999年刊行。

著者は川崎生まれで戦時中から戦後しばらく長野県諏訪地方の原村というところに疎開し、その頃から幾度も追分を訪ねたという。

その追分への愛がよく感じられる本。話は重複することや、資料の引き写しみたいなところもややあり、話の筋が辿りにくいけれど、戦後の写真多数。それが珍しかった。今は木が茂る追分だけど、30年代は原野のよう。思うに戦中、戦後に燃料として木は伐り出されたのかも。

また明治時代にはまだまだ宿、商店多数。まだまだ交通の要衝だったのでしょう。

著者は今もご存命で、今年も自費出版で本を出されたとのこと。

http://www.shinshu-liveon.jp/topics/node_235638

追分は中山道と北国街道が分かれる宿場が置かれ、昔はたいそう賑わったという。今は軽井沢からしなの鉄道で西へ二駅の静かな町。

中軽井沢の方からが山の形はいいかも。軽井沢からは手前の山が邪魔して見えません。

追分宿の面影

油屋旅館 戦前、文学者定宿だった油屋は火災に遇い、別の場所に建てられた。2013年現在、宿は廃業。建物は催し物などに利用されるていらしい。私が泊まったのは2006年、どっしりとしたいい宿でした。

分去わかされ。右、北国街道、左中山道。向こうは国道18号線。右にかすかに見えるのが旧中山道。車が迷いこまないよう標識があります。この付近も昭和30年頃は原野で、道路も舗装されていない。


 

詩集 風に寄せて

 夏の旅

   I  村はづれの歌     立原道造

 咲いてゐるのは みやこぐさ と
 指に摘んで 光にすかして教へてくれた――
 右は越後へ行く北の道
 左は木曾へ行く中仙道
 私たちはきれいな雨あがりの夕方に ぼんやり空を眺めて佇んでゐた
 さうして 夕やけを背にしてまつすぐと行けば 私のみすぼらしい故里の町
 馬頭観世音(ばとうくわんぜおん)の叢(くさむら)に 私たちは生れてはじめて言葉をなくして立つてゐた

これは昭和10年頃の追分が背景にあると思われます。みすぼらしい故郷の町とは東京のことですね。なんでみすぼらしいと言ったのか、追分がそんなに好きだったのかな。


狩人の「コスモス街道」は立原の詩を本歌取りしていると思われます。脈々と引き継がれる抒情の世界。

コスモス街道歌詞 http://j-lyric.net/artist/a002424/l006f35.html

夏、信州、避暑地、一夏の恋、別れ、風、木、草と小さな花、少女・・・何で引かれるのかな。

暑い街中で雑用に追われ、人間関係に疲れて、しがらみのない高原に思いを馳せるのかな。

白馬山麓という歌もありましたね。 http://www.uta-net.com/song/125376/

白馬岳に行く前、夫の仕事場の階段を五階まで、リュック背負ってトレーニングしていた時、いつも聞いてましたけど、行ったときには豪雨、白馬尻で通行止め、泣く泣く引き返しました。行くときは水量少なかった谷川が轟々と音を立てて、木の一枚板の橋を渡るのも怖かった思い出が。

少しうんちくを許していただくなら、白馬は元は代馬、すなわち代搔き馬のこと。山腹の雪が馬の形に融けた頃に田起こしをする目安にする。だから馬は白ではなく岩の色。

http://www.hakubamura.net/feature/snowmarks/

現在の白馬岳ライブカメラ、15分ごとに映像が替わります。http://www.vill.hakuba.nagano.jp/livecam/livecamera.php?id=1&y=2013&m=07&d=22&h=09&i=00

 いろいろな思いのある信州です。夏になると思い出します。


やれやれ

2013-07-17 | 日記

以前活動していて今は解散している被爆証言を聞いて本にする会 

http://homepage2.nifty.com/hiroshimaaozora/

解散して5年も経つけど、いまだに内容や残部について問い合わせがあるらしい。公民館で活動していたので、とりあえずそちらへ連絡が来て、元代表に問い合わせが廻るけれど、証言者とはその後連絡取ってないし、故人となられた方も何人かおられる。

**さん、ホームページのトップ直しておいてと元代表から言われたけど、それからが大変。

ホームページ作成のソフトを新しいパソコンに入れ、手許にhtmのファイルがないのでネット上からとって来て再編集→転送・・・あれれ更新できない。これを繰り返すこと十数回、思い余ってプロバイダーのサポートを仰ぐ。

インターネットのオプションを開いてどうたらこうたら、そんなことがこの私に分かるはずもない。接続をいったん外すなんて、そんな恐ろしいこと、できません。あとで繋がらなかったらどうすんのよ。

ふと思いついて、転送するhtmファイルの名前をindexに替えたらすぐできた。何だ、こんなに簡単だったんだ。

index・・・index・・・忘れないようにようにしなければ。

今朝はテレビのアンテナ調整に来てもらったはずが、二台目、三台目にはリコーダー経由で行く設定のそのレコーダーのコンセントが繋がってなかったという、年寄りのような間違い。いえいえ、こんなことするんだから、もう立派な年寄りです。

話を元に戻すと、証言してくれた方たち、どうされてるのかな。一緒に活動した仲間も散り散りになったけど、みんな元気でいると信じたい。

ホームページ作成は私が一人でやっていた。若かったなあ。ページデザインなど、ブログよりも自由度は高いけど、時間がかかるし、IDやらパスワード入れて転送するのが邪魔くさい。今はほとんどブログでカバーできると思う。

プロバイダーのホームページ作成のサービス、いつまで続くかは不明。

昨日は息子に送金。通帳確認しなされとメールしたのに返事なし。仕事が忙しいのだといいように解釈しよう。

ついでにこちらも復活できた。

http://homepage2.nifty.com/hiroshimaaozora/4kaigenrei.htm

私の署名は外した。前に試したのが2010年、その時はアクセス権がないと言われていたけれど、今日はなぜかできた。良かった。

それにしても、月日が過ぎるのが早いこと。

 

 

 

 


内子、大洲、高知、夏の旅・・・2

2013-07-16 | 旅行

14日、日曜日。朝の内子の街並

二階の手前の部屋に同行人がまだ寝ています。早く起きれ!!

本芳我邸の鬼瓦に鏝絵

骨董屋

山野草の盆栽

実業家の屋敷跡。今は地区の催物に使われている。

宿へ戻りました。坪庭で明るい。

朝ごはんです。ウィンナーはドイツで修業してきたご子息が作っているとか。spicyでおいしかったです。道の駅内子フレッシュパークKARARにも置いてあります。

道の駅で。

奥は川に面して休憩する場所

森の中のレストラン

川べりを歩いて吊り橋を渡ります。

上流

下流

水辺。

リゾート地のような白い椅子とテーブル、そして木陰。

立ち去り難い内子ですが、そろそろ大洲へ向かいます。

 

 

 


内子、大洲、高知、夏の旅・・・1

2013-07-16 | 旅行

7/13 午後から出かけます。広島都市高速→山陽道→しまなみ海道→松山道と走って、目的地は愛媛県内子です。宿に行くにはまだ早いので、小田川を遡り、大瀬まで行きます。

集落のT字路。魚屋さんが鯖を丸ごと焼いています。いい匂いの煙が漂い、近所の人数人が雑談しています。

家の後ろは川、国道、そしてすぐそばまで迫る森。

反対側の山裾には「大瀬の館」、旧村役場の建物を集会や宿泊の施設として再生しています。

 

藩政時代から製紙の材料、ろうそくの材料などの集積で栄えた村の面影がよく残っています。歩いて10分くらいの短い街並みですが、酒屋数軒、魚屋などもあり、豊かな地方だったことが想像されます。

この道は内子から久万高原町へ行く主要な通りだったようです。ビールケースの向こうがノーベル賞作家の実家です。土間で犬がずっと鳴いていました。

新聞販売店の軒下には、各紙取り混ぜて、家ごとに入れてあります。新聞は配達されるのではなく、ここまで各自で取りに来ます。車で来た人もありました。

種物各種。野菜の種類が多い。

大瀬小学校。山がすぐ後ろまで来ています。

この後お寺へ行く途中で女の子に話しかけられました。

「きょう、クワガタ獲った。水の上で泳いでいたので手で獲れた」と嬉しそうです。

「そう、よかったね。何歳?」

「六歳」

「一年生?」

「うん」

「もう夏休み?」

「ううん、19日から」

「そうなんだあ、一年生は何人?」

「十人。おばちゃんたちどこから来たの」

「広島よ。知ってる?」

「知ってる。結婚式で行った。車で行って遠かった」

「そう、またおいでね」

「うん」

それから女の子は家族が待つ軽トラの助手席に乗り込んでいきました。

「ばいばい、またね」

「またね」と手を振る私。かわいくて人懐っこい女の子でした。


 

万延元年のフットボール、芽むしり仔撃ち、同時代ゲーム、飼育・・・深い森に囲まれた谷沿いの集落が舞台になった小説の数々。村には、昔は砂利道の旧国道しかなかったのでしょう。

東京からシュトロエンで谷間の村へ帰る鷹四、万延元年の印象的な場面です。いまでも外車で乗りこんだら超目立つ集落、ましてや作品の発表された1960年代に置いておや。そうだ、あれもまた妊娠小説だった。

自分が大瀬に行くなんて夢にも思っていなかった。便利になったものです。長生きはするものです。


内子町の古い街並みの中に今夜の宿、月乃屋さんはあります。約束の18時に遅れること2分、ご主人は家の前で待ってくれて駐車場へ誘導してくださいました。

よくいらっしゃいました。我が家の畑で今年初めて採れた西瓜です。色はこんなですけど甘いです。

甘くておいしい西瓜でした。

お風呂の後、一階の坪庭に面した部屋で夕食をいただきます。新鮮な野菜たっぷり、野菜とコメは自家製だそうです。とてもおいしかったです。肉は養豚をされる親戚からの仕入れだそうで。

スペアリブがまたおいしい。こちらも内子産の豚だそうで、味が濃くてジューシィ~♪

アジとか

デザートもおいしいです。

田舎の親戚のようにくつろぎます。扇風機があるとぐっと家庭的。

囲炉裏もあります。蚊遣を炊いています。向こうが通りに面しています。

家の造りは通り庭に坪庭、奥にまた部屋と、京都の町中の家の造りとよく似ています。坪庭があることで、奥の庭にも光と風が通ります。

部屋にはぬあんと蚊帳が。もう使ったことない世代も増えたことでしょう。あんまりにも懐かしいのでつい吊るしてしまいました。蚊なんていないのに。

天井の明かりがぼんやりとして、そうそうこんな感じだったと、体の緊張がほどけて行きます。

内子の街は夏まつりでした。大勢の人が街に繰り出して楽しんでいます。子供は浴衣を着て、お小遣いでかき氷を買ったりして、嬉しそうです。

木蝋の取引で栄えた芳我家は立派な作りです。

うろうろしているうちに宿のご主人夫妻と出会いました。お二人もお祭り現物です。誘われて川のところまで行き、花火大会を見ることにしました。奥様が高校生のとき以来、何十年ぶりに復活したそうです。

川の手すりにもたれ、ご夫婦といろいろ話します。団扇を一つ貸してくださって、虫よけスプレーも貸していただきました。これはもう旅館の経営者と客という関係ではないでしょ。言うならば、親戚か知り合いの家に泊まりに行ったような感じ。ちなみに客は我が家の二人だけ。全館貸切。くつろぎます。

地元の人に交じって、よそ者扱いされることもなく、川の向こうに上がる花火を見ている。花火見て腹立てたり、悲しがる人はいないはず。みんな幸せそうです。その幸せが私にも伝わってきて、幸せな気分になります。

これはもう太宰の「津軽」の世界ですね。偶然だったけど、夏祭りに行き合えてよかった。

川の向こうの川原で打ち上げます。10分間だけだけど、すぐ目の前に見えて迫力満点。

涼しい風も吹いてきて、また来た道を宿へと引き返します。こんどまた別な人と来てみたい、そう思った癒しの宿でした。旅はまだまだ続きます。

月乃屋さん

http://www.youtube.com/watch?v=EZ_-ubYVr6U&feature=youtu.be


国民を守ってきた日本国憲法

2013-07-16 | 日記

http://blog.tatsuru.com/2013/07/12_1234.php

内田樹氏のブログはたまに読むけど、いつもなかなかに深い。

内田氏は、ブログを小さな出版社に見いだされて出版、それ以後刺激的な論考を次々世に問うてきた。ブログ出身のライターが、紙の媒体で出すのは大出世。ネット社会がいかに進もうと、この原則は変わることはないと思う。羨ましい。

この論の中で膝を打ったのはこのような趣旨の一節。

日本国憲法が施行されて以来、日本人の誰一人として戦死していないし、一人の外国人も殺していない。

私が思うに、なんという鉄壁のありがたい憲法であろうか。

こんなにはっきりとわかりやすいことに、なぜ改憲論の人たちは気が付かないのか。あるいは気が付かないふりをするのか。

軍事面で、アメリカの世界戦略に組み込まれてきた戦後の日本。朝鮮戦争、ベトナム戦争、日本は極東の重要な基地として位置づけられ、戦争に利用された。忸怩たるものがあるし、片棒を担いだ、担がざるを得なかったことは悔しいけれど、それでも日本人が戦争に参加しなかったことは、もっと誇りに思っていいと思う。

改憲論、なんか急に言わなくなったけど、巧みに論争を避けつつ、参院で多数を得たなら必ずや改憲に向かって猛進すると思う。勇ましいこと言うと自分が偉くなったように錯覚する、幼児的誇大妄想。国の指導者がそんな単純なことでいいはずがない。ほかの国々はもっともっとしたたか。

膨大な国家財政の赤字と、いまだ反応をし続けて放射能をまき散らし続ける原発事故、それなのにさらに借金を積み重ね、原発を再稼働へと向かう狂気。とてもまともな国と思えない。

選挙というのもまどろっこしくてイライラするけれど、取り敢えず政見をよく読み、勉強しておかなくては。


googleの功罪

2013-07-13 | 日記


 

昨日は織りのお稽古、最近、先生はipad持参で、雑談しているとすぐ調べてくださる。

昨日はgoogleのstreat vieawで各自の実家を見ることになり、たいそう面白かった。まるでその家に行き、周りを散策している感覚。

みなさんけっこう田舎だけど、田舎だからこそ、とても広い実家でびっくりした。白壁の塀をめぐらした旧家とか、何棟もの建物が建っているとか、現在地から車で何時間かかるまで表示される。

こんな情報が瞬時に得られるなんて、一昔前ならあり得ないこと。私も実家の画像見るうち、今にも母が出て来そうに錯覚した。

今度母が来たら、見せて驚かせようかな。


 

昨日は賞与を出した。最近、計算と振り込みは夫に頼んでいるけれど、今年は連休になるので12日、あわただしかった。しかしまあ無事に出せて一件落着。今月はまだ給料もあります。 

 


可もなく不可もなく

2013-07-11 | 日記

梅雨明けということだけど、蝉の声がまだ聞こえません。不思議、早い梅雨明けに戸惑っているのかも。

急に旅行することになり、宿を探す。もういいのが残っていない。いつものパターン。行った先で「こんなとこ来るんじゃなかった」とか言われそう。自分一人なら、すべては自己責任、どんなにか気楽。

孫娘に折り紙買ってやったら大喜び。

これ全部**ちゃんの~?いろんな色があるう~!! 98円でこんなに喜ぶなんて。

まず金でおうちを作り、次に大好きなピンクでマンションを。この子にとってはマンションは有り触れたアイテム。私が子供の頃はマンションなんてありませんでした。したがって一戸建てという言葉もなかった。

時代は流れる。

次にズボンとトマト。裏に線を引いてやってそれに沿って切らせた。ヘタは祖母作。

昨夜の超手抜きの夕食。ごはんは、もうし掛けてたけど、おかずは6:44start。食べ始めたのは7:05頃。いつもこんな感じ。小さく着るのが面倒だけど、一応鰻重のつもり。

鰻重の容器は、観音の業務用食器のお店で。確か一つが105円だったと記憶している。合成樹脂だけど、梨地仕上げが高級そう。変わった器がいろいろあり、見るのも楽しい。台所道具もプロ仕様がいろいろ。

食器は去年買ったけど、やっと出番となった。次はいつ出すことやら。

その他のおかずは、枝豆とトマト(屋上菜園で)、ワカメ(近くの海で)と、買ったものはないのが嬉しい。ほんとなら鰻も獲りたいところだけど、今となってはかなわぬ望み。

四万十出身の恩師の著作には、川底の砂利の中にいくらでもいた鰻の話が。アユは獲っても、鰻は戦前は獲ることがなかったそうで。それが今や絶滅危惧種になろうとしている。人間のあくなき欲望と狩猟方法の進化で、いつかは幻の魚になるんだろうか。

出かける予定だったけど、宿を探しているうちに出かけそびれた。この暑さ、ちょうどよかったかも。


夏になった

2013-07-10 | 日記

午前中、風が吹いてカラリと気持ちいい。いよいよ夏本番。

ヤブミョウガ 近所で

シュウカイドウ

ムクゲ。確か韓国の花では?漢字では槿。木の朝顔。涼しげ。

こちらも涼しげ

キョウチクトウ。早く大きくなるので原爆後の緑化に多用された。庭木には育ちすぎるので、今ではあまり見られない。廃院した産婦人科で。

アサとかオクラも似た花。名前は???

緑陰が嬉しい季節。

キスゲの仲間 花は一日でしぼむ。四つほどの花が四日間で終わる。山野草由来の花の潔さ。

カキは秋の準備。なぜか先月生まれた孫息子を思い出した。

さすがのヒャクニチソウも暑そう。

フウセンカヅラ・・・かな?

皇帝ダリアかも。勢いよし。

 

リンゴのようなツバキの実

ムラサキシキブ

夏は、自分で縫った和柄のワンピースを着て、座布団二つ折りで寝転がって本を読む。眠くなったらそのまま眠る。夜もここで寝る。夫は扇風機やエアコン大好き。寒くて、とても一緒に寝られません。

起きて半畳、寝て一畳。夏はシンプルに。

今からドライフラワーになる予定。

本日は納税と経費帳の整理。家の窓という窓は全て開け放ち、風を通す。室温は夕方でも30度。この暑さに慣れて夏を乗り切ろう。明日は外出予定。まあ何とかなるでしょう。夏には夏の暮らしと楽しみ。


すみません

2013-07-10 | 日記

孫ネタで。

日曜日昼より、昨夜まで孫を預かる。

日曜日、昼前連れてきて、おーソーメン食べさせて、息子と現場で待ち合わせ。夫は所用あり、孫娘を車に積んで出かける。一人で乗せたのは初めて、しっかり固定して慎重に運転する。何かあったら大変。

段ボールで三角のトンネルを作ってやったら大喜び。ステラちゃんと出てきたところ。この日は折り紙遊び、午後はイオンのキッズコーナーに30分350円で預けで大急ぎで買い物、そのあと90分は私がついて無料で遊ばせる。

昨日は絵付けの教室。タイ旅行のお土産にタイシルクのケース入りのお箸をいただきました。ありがとうございました。訳の分からない三歳児、先生と皆さんによくしていただき感謝。ありがとうございました。

小さなお弁当箱のお弁当を食べています。向こう側の方に「ズボンは水玉模様だね」と教えていただいて、帰宅後、私の服を「水たまり模様!!」と喜んでました。

水玉と水たまり、ちょっと似てるが大きく違う。

夜は冷たいご飯に冷たいお茶で、冷たいお茶漬けご飯~

お茶漬け大好き。

冷たくておいしいね。

ひゃあ疲れた。孫をお嫁さん実家へ送り届けた帰り道、助手席で眠りこけた私。帰宅後もそのまま寝てしまい、深夜目が醒めて今こうして楽しかった二日半を振り返っています。


 日曜日以来、エアコンと扇風機で風邪ひいて、葛根湯にしょうがをすりおろして熱湯で服用、やっと治りました。

冬に寒いのはけっこうだけど、真夏の不自然な涼しさに体がついて行かない私、この時期カーディガンは手放せません。電車は寒いので、外出はチャリンコが多いかな。

とは言え、連日の猛暑、皆様、なにとぞお大事に。

 

 


やれやれ直った

2013-07-08 | 日記

コンピュータのプロパティからシステムを復元すると直った。やれやれ。

原因は昨日DVD=RWから写真のCD=Rを抜くとき、受け皿が(というしかないパソコン音痴)がマウスパットに引っかかってエラーメッセージが出たのを放置していたためと思われます。

ついでにファイルが多すぎるとメッセージあり。動画をメディアに保存して削除するべきですね。やれやれ。


パソコン不調で泣く

2013-07-08 | 日記

 

孫が来ました。写真省略(木馬に乗る画像)

 

遊んでいます。写真省略(トトロのDVDを見る画像)

私は疲れました。今回はいつまで逗留するか不明。

パソコン不調。症状はデスクトップ上でマウスに反応しない。つまりフォルダが開かないというもの。何度してもダメ。プログラムや下の・・・・なんというんだ・・・帯状に並んだアイコンからだとアクセス可能。

きょうは古いUSBメモリーを差し込んだから?それともホームページビルダーをインストールして昔のサイトを更新したたら転送できるのに反映しないというトラブルのせい?これはウィルス対策ソフトが関係しているらしいけど、この私にわかるわけもなく。

こういうことが続くとめげる。なんか世の中の流れからどんどん取り残される感じ。

買った花がいい感じにドライになったのでリース作りました。

テキトーに差し込んだだけです。土台は以前近所の人にいただいた。

昨日は息子のことで外出。帰りに孫娘を連れて帰る。預けられ慣れているせいか、よく遊ぶ。

ああ、それにつけてもパソコンの不調。孫娘連れて三篠のなんとかいう修理屋へ持ち込みますかね。あそこは駐車場が入れにくくてそれだけでストレス。

 


「百年前の山を旅する」 服部文祥

2013-07-06 | 読書

2006年5月 滋賀県の武奈ヶ岳山頂付近から若狭街道(鯖街道)を見下ろす。右、小浜方面、左、大原を経て京都方面。

古代から中世の若狭街道は、小浜市内から遠敷川をさかのぼって山中に分け入り、山の稜線をたどったり、小さな盆地の集落を通り、鞍馬から鞍馬口へと出るルートだったとか。

向こう側の山並みの中にその街道があったとは、この時には夢にも思わず。。。。。

こちら鞍馬寺2007年7月


 

山歩きが好きで古いことの好きな私には、百年前の山歩きを追体験したこの本はたいそう面白かった。

著者は山岳雑誌「岳人」の編集者で登山家。日本近代登山黎明期の名著、ウェストンの「日本アルプスの登山と探検」、「日本アルプス再訪」、田部重治「山と渓谷」などに触発され、(ちなみにこれらの本は、私もよく北アルプスへ行っていたころ読んでいますとおばさんの見苦しい自慢平にご容赦)、はたまた山で拾った古い山歩き用の携帯コンロを直して実際に使ってみたりする山歩きは、山道具が未発達な時代の山登りが読み手にも想像できて、たいそう楽しい読書体験でした。

殆どは「岳人」に掲載された記事。分けても面白かったのは「鯖街道を一昼夜で駆け抜ける」というタイトルの山旅。

一昼夜とは24時間、「京は遠ても十八里」、つまりは72キロある。それを歩けるのだろうかと著者は2010年7月17日、二回目のチャレンジをする。

おおよその行程は次の通り。

3:30 小浜駅前発 6:45 根来坂 10:30過ぎ 久多中 12:00 オグロ峠 15:00 杉峠 16:00 鞍馬寺 17:30 大原

大原へ行ったのは友人の梶山正氏の家に宿を頼んでいたため。鞍馬寺から京都へは日没前に辿り着けたはず。

若狭から京都まで14時間歩いて着いたことになる。5貫目の荷物を背負い、山の中の道をたどったとして、24時間で京都まで荷物を届けるのは不可能ではないのではないか。著者の結論である。

そうかもしれない。テクノロジーに頼りすぎた現代人は昔の人の能力を見くびっている。久多中の集落で著者は老人に「どこか登ってきたんか」と声を掛けられ、「小浜からきて京都へ行くつもり」と自慢すると、驚くでもなく「あんたなら行けるやろ」と言われただけだったというのが面白かった。

山中のこの地区では、昔は人が往来していたという伝承があり、割と身近な話だったのではと私も思う。

こちら鴨川上流、高野川沿いの手作りの標識。2009年12月

 

 左、若狭街道旧道 右が現在の若狭街道 左京区大原で2009年12月 上の木札は左側の道にかかっておりました。

出町柳にある鯖街道口の石柱。2009年7月。

古代の鯖街道口はここではなく当然鞍馬口ということになるのかな。


 

45年くらい前、大原の奥の阿弥陀寺へ行ったとき、ご住職が「若いときは鞍馬寺に用事があったら京都まで下りて廻らず、直接山道を行った」と話しておられた。それは戦前のことと思われます。

この本の中では京都から大原へのメインルートは、昔は鞍馬経由で山中に入るのではなかったかと類推しているので、ご住職の話と照らし合わせると、そう大変な道でもなかったと思われます。途中には集落もあるし。

ああ、また旅行したくなった。出町柳から京都バスで滋賀県の朽木まで一時間半。ここで民宿か何かに泊まる。あとは歩いて保坂まで約8キロくらい楽勝。保坂からJRバスに40分乗ると小浜駅。帰りは今津までバスで引き返し、湖西線、新幹線で帰宅。

これで鯖街道完全制覇。行ってみたいなあ。。。。


雨である

2013-07-04 | 日記

月初めの事務も終わり、税金も納めるばかりに計算した。きょうは午前中、柄にもなくドライフラワーでリースを作り、午後から美容院と買い物。帰るころには上がっていた雨も降りだし、今の時刻はかなり降ってる。

雨が好きかと聞かれれば、そう嫌いではない。涼しいし、雨に閉じ込められると、思いが縦横無尽にあちこちへ飛び回る。この歳になると、生きてきた時間も長く、記憶もたくさん。古い引き出しを開けて、昔の千代紙や布を整理するみたいにいろんなとことを思い出すのも楽しい。

雨の音もいろいろな音色で聞き飽きない。今よりずっと若く、30代初めの私はひたすら待つ女だった。

子供たちが寝るのを待つ。夫が帰るのを待つ。昔の友達から手紙が来るのを待つ。この何事もない退屈な日が過ぎて行くのを待つ。日常にまみれた専業主婦の私。

夜中近く、まだ帰らない夫を待つうちに、雨音は人の足音のように錯覚していた。車で通勤だったので、歩いて帰るわけではないのに、待つ人の足音のような、いえ、もう会わなくなった、会えなくなった誰彼を思い出させる雨の音。

その頃は、永遠にこんな日が続くことを予想するだけでうんざりしていた。公園の砂場の縁にしゃがんでわが子を見ながら、いいお母さんの振りをする。。。。いいじゃないの、と今なら言えるけど、その時は訳もなく焦っていた。

まあ、それが若いと言うこと。若い日の残影を引きずっているのはまだ若い証拠、今は思い出しもしないし、若い日には二度と帰りたくない。あんなにいろいろとしんどいことの続く日々をもう一度繰り返すなんて、まっぴらごめん。

今の平穏な日々がなるだけ長く続いてほしい。それだけ。


きょうは初めは、街で見かけた有名人、芸能人というタイトルにするつもりでしたけど、いい年してあまりにミーハー全開なので止めました。

極め付けを一つだけ。数年前、一人で京都旅行しているとき、四条烏丸に近い某ホテルのエレベーターに、某有名男性歌手が若い女性と乗ってきたのにはびっくりしました。テレビで拝見するより、ずっと色白で優しそうな感じ、小柄な方でした。二階で降りて、非常階段使って外出したようでした。

豪華ホテルではなく、ごく普通のホテル。意外でした。

こちらは相手をよく知っている。でも相手は私を知らない。狭いエレベータの中の変な空気。有名人はいつもこんな感じで人に見られてるんだろうなと、少し同情。まああちらさんはその同情さえめんどくさいことでしょうが。

それとももう慣れているのかなと、無名人の私は想像してみるだけ。

 


「誰かと暮らすということ」 伊藤たかみ

2013-07-03 | 読書

濡れた文庫本。このブログ、編集画面で写真を自由に縮尺できなくなった。クリックしてください。

昼間、急に空が暗くなり、竜巻発生の恐れなんてテレビで言ってたので、夫の仕事場へ避難、移動の途中、文庫本を落とした。

大雨警報も出ていたので、当然ずぶ濡れ、3分の2は未読、一ページずつドライヤーを当て乾かしながら読んだ。うるさい読書。そしてページを持つ手が熱かった。熱い読書。

本を濡らしたのは20年くらい前、愛媛高知県境の笹が森で「四国百名山」を、そして高校二年の今頃、通学途中に高松一高の前で、通学かばんを水たまりに落として古語辞典だったか、英和辞典を落として以来。

本って濡らすと膨らんで読みにくい。今まで三回しか事故がなかったのは少ないと言うべきか、アバウトな性格は墓場までと言うべきか。


感想ですが、なかなか面白かったです。絲山秋子の人物はどれも男気があって、でも小説にとんでもない悲劇が仕組まれていて、その落差に読む方も元気づけられかつ辛いけど、この作家は男で、かつ普通の人の普通の心のひだをうまく書いてると思った。

会社の同期、たまたま近くに住むあまり社交性のない二人、何となく話をするようになり、ぎくしゃくしながらも少しずつ近づいて行く。その話をメインに、離婚や、脱サラや、流産などをする同じ地区の人たちの話を織り交ぜた短編集。

人と暮らすということは相手の良さも悪さも受け入れ、一人でいるよりはいいと寛容になること。幸せとは平凡な暮らしを淡々と続けること。忘れてしまうような一日の中にこそ、生きる喜びがある。

作者は1971年生まれ。2006年には芥川賞受賞。角田光代さんと結婚していたこともあったらしい。


私のささやかな幸せ。その日の用事を片付け、夕方から好きなことすること。

三男のお嫁さんからもらったハーヴティを自分で絵付けした器で飲むことかな。夏なので、テーマは海。金の砂粒もついてます。

こちらはティーバッグ受けに。元々はコースターのつもりだったけど。金の網目模様は金に見える絵具で。ピカピカしてなくて、こっちの方が使いやすいかな。

上の写真と二つ、いずれもずいぶん前に作った。

一人静かにお茶を飲む。。。至福の時かも。


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