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一眼レフを頑張る

2021-03-31 | 日記

29日、孫が一泊しました。

おばあちゃんの新しいカメラに興味いっぱい、自分で触って写しています。

何で知ってるの?

カメラはどれもおんなじ。と言いながら、後ろのパネルを二段階に引き出して自撮りしています。

えええーーーそんなことできるって知らんかったあーーー。

マニュアル本出して確かめようとすると、本があるんだあ・・・と言っています。

躊躇なくカメラ使いこなす10歳児、誰かが使っているのを見たのでしょうか。

 

お母さんがお迎えに来て、帰ります。姑様のところにあったオカリナを持たせます。

髪を伸ばしてヘアードネーションするそうです。サラサラのきれいな髪、きっとお役に立てることでしょう。

この後、弟の幼稚園の同窓会にお姉ちゃんも参加。大芝の交通公園で遊ぶそうです。行ってらっしゃい~


昨日午後からは搬出。遠い昔の文化祭のノリで。みんなで一つのものを作り上げる。楽しかった。

友達のお嬢ちゃんが車運転してくれて作品持ち帰る。助かった。

公民館の展示、あれはダメでしょう。絵に光が当たってないって。そのお嬢ちゃんが。確かに。

画廊はやはり画廊。来年も皆さんに見てもらえるよう頑張りましょう。


とりあえず庭、その他で花などを撮ってみる。

シャガ。好きな花です。昔は5月頃咲いていた気がするけど。。。。

ハイノキ。ピントが花に合ってない。カメラが重いのでぶれた?

これは昨年、店で

買って運んでもらった。常緑で葉が小さく、大きくならないそうで、狭い庭にぴったり。

ヤマアジサイ。

昨年、枝を切り込んだら今年はたくさんつぼみが。

友達から花をもらう。リンゴの花・・・?ということでした。

急に暖かくなって、一斉に花が開く春。

椿ももらった。

ワケギももらったけど、写さない。

明日、姑様が転院なので、叔父91歳が博多から訪ねてくる。病院へお見舞いの後、我が家へ。

一人暮らし、炊事は自分で。車でスーパーへ買い出し。畑へも通う。昨日家を出て子供の家へ。きょうは子供と二人で来た。

地元駅、博多の昨日の発着時刻、スラスラと答える。

恐れ入りました。スーパーおじいちゃん。声もはっきり、大柄で姿勢もいい。

今度の行く先は療養型病院ですが、面会は一切禁止。いつになったら自由に人が人に会えるのか、切ないことであります。


「地形の思想史」 原武史

2021-03-30 | 読書

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なかなかに面白い本でした。

日本全国七つの場所へ実際に行ってみて、そこに立ち上ってくる先人たちの気配を感じ、地形と人の関りを考えています。

作者の心は天皇制に親和性があるらしく、いくつかの章はその場所に、天皇、皇族の足跡をたどっています。

章立ては以下の通り。

「岬」とファミリー(浜名湖近辺)
「峠」と革命(五日市から大菩薩)
「島」と隔離 (瀬戸内の二つの島)
「麓」と宗教 (上九一色村から富士山の麓の宗教施設)
「湾」と伝説 (三浦半島と内房)
「台」と軍隊 (大山の麓の相武台)
「半島」と政治 (大隅半島)

私が最もインパクトを受けたのは、岬の物語。今の上皇一家が皇太子時代、いわゆる御用邸ではなく、民間企業の保養所に滞在して夏を過ごしたこと。家はごく普通の和風建築。家族と、時には未亡人になっていた皇太子の姉を伴い、家族水入らずで、地元の人と普通に交流して過ごしていたこと。今の天皇がユニフォーム借りて、地元の子供たちと野球ゲームしたことなど。

ほほえましい話だろうか。いえ、私は胸が痛むのです。天皇と一口に言っても古代と現代では生身の人間の暮らす時代が違う。生身の人間を制度の中に閉じ込めていいのかと。

普通に暮らすのが難しく、それをつかの間体験できることに喜びを感じる家族がいることにショックを受けた。庶民の私は家が広く庭も広かったらゆったり暮らせると思うけれど、広い御殿に住む人は、お互いの気配が感じられる狭い家で肩寄せ合って暮らすのに憧れるらしい。大原のベニシアさんもそんな話していた。

で、胸が痛むことと、そんなに苦労されて国民のことを常に考えてくださると思うことは容易につながっていく。これが天皇制の空間。天の下知らすめす皇尊の下、世は今日もことなしの空間。

天皇制のフィルターで景色を見るのは、このほかにもあちこちで見られる。

第二章の峠の話、歴史上、追い詰められた集団は東京都を流れる川に沿って山襞の奥深くへと入り込み、そこで再び都へ打って出る機会をうかがう。私の若い時、連合赤軍のグループが大菩薩峠で捕まる事件があったけれど、自由民権運動が先鋭化して同じ場所へと逃げ込んだ歴史を思い出していた。

なんで同じ場所かと不思議だったけど、東京と山梨の間の山はとても険しく、容易に超えられないと同時に谷あいに人が隠れるにはいい場所なのだと今回初めて知った。

連合赤軍が捕まった登山客の宿泊所に、今の天皇が皇太子時代、休憩で立ち寄ったのは、どんな人にも目配りを忘れないからと本書にはあるけれど、私はたまたまではないかと思う。ご本人に聞いてみるのが手っ取り早いけど。

半面、峠が低いと、歩いて移動する昔の人は今の時代に想像するよりもずっと容易に交流する。好例が八王子と五日市。五日市は低い峠で八王子と、八王子は絹の取引で横浜とも行き来があったとのこと。

明治憲法のできる前の民間の憲法試案が、五日市の旧家に残されていたのが50年くらい前に発見された。

民主的な内容を含むその憲法に上皇后が皇后時代触れている。私はあの時、ピンポイントでなぜそのことを言うのかと思ったけれど、その前に見学したらしい。また安部の改憲の動きに釘をさす意味もあったとか。それは感じましたね。政治的立場を表明できないので、あえて違う言い方で思いを伝える。

改憲は講和条約の後から延々言い続けて、言うだけで、その先には進んでいない。本気でするなら本気で議論を始めなければならないけれど、支持者向けの選挙対策にしか結果としてはなっていないように見える。内輪受けすることを話しているだけではだめ。考えの違う人を説得するだけの理論武装、してください。

そのほかの章も、紀行文として読んでも面白いし、まだまだ戦前の残滓が残っていることを知ることもできた。

天皇制、日本国民はこれからも選択し続けるのだろうか。男系で続いて行くには生物学的リスクが多すぎ。そのためにお妾制度、釣り合う家柄をキープし続けるための貴族制度(日本では華族制度)で補強しない限り、無理は明らか。

女性も天皇にとなれば、法律改正して継承順位も決め直すのでしようか。ハードルいろいろ。いろんなこと言う人が入るし、まあ、私が心配してもしようがないけど、皇族の厳しい暮らしをこの本では知りました。

現天皇が浜名湖の、子供時代の思い出の家を再訪してとても懐かしそうにしていたらしい。田舎のない人の、それは懐かしい田舎の家なのでしょう。しみじみ。


友達に会って孫が来た

2021-03-29 | 絵と山歩き

ランチ→平和公園→合同展。

一眼レフで写す。

一眼レフで写す。

これは昨日、一眼レフで。


コンデジで。

元安橋たもと。

遊覧船。

桜のトンネル。

初めて行った。平和公園内にあります。

ビデオ放映と展示がありました。

友人と見る。


昨日の写真。

一眼レフ。

墓所近く。

あぜ道を歩くキジ。歩き方はニワトリによく似ている。

椿たくさん。

己斐スクエアガーデン内の被爆建物。

JR西広島駅近くです。


本日、カメラ二つ持ち歩いて疲れた。

夕方から孫二人、お嫁さん来る。

下の孫が泊まらないと言うので、「大きくなったら嫌になるので今のうちに泊まったら」と言うと「もう大きくなってる」と答える。おやまあ、まだ7歳なのに。

結局上の子だけ泊まることにしていたら、いきなり仕事帰りに現われる息子。しばらく居てまた帰る。

もうお、一家四人が出たり入ったり。賑やかで賑やかで、疲れたよう~

夜は上の子と連想ゲームしたり、学校の話したりしながらしばらく布団にいた。

いつまで続くのかなあ。こんなことが。一瞬一瞬が人生の宝物。しっかりと味わいたい私がいるのでした。

それにしてもふうー今日は疲れた。


雨の日曜日

2021-03-28 | 日記

2015年4月。夕方の平和公園。今年は花見客の姿がほとんどないのが寂しい。


最近、日曜日ごとに雨が降る。

午前中、機織りして仕上げて、次の機織りのこと考えて、掃除していたらもう昼。

午後からは大雨の中、姑様のいた施設に、夫と二人、菓子折持ってお礼に行く。

それから夫実家の墓所へ。花供えて、簡単な墓掃除して、椿、ツクシ、ワラビなど採り、近くの従兄の家は留守だったので、手土産置いて再び市内へ。

東雲の安いスタンドでガソリン入れて、そのあと夫はバラが作りたいと、己斐のスクェア―ガーデンまで車で。屋上で鉢植えで育てるらしい。私も自宅で作る花の苗一つ買う。

夫実家の屋上と、自宅の庭とテリトリーが分かれているのでお互い要らん口出しせず、ケンカにもならず平和が保たれている。何にせよ、平和が一番。

写真はいまだカメラの中。

今日は雨だったけど、桜はまだ大丈夫みたい。でも今年は私が忙しく、次の日曜日は夫が仕事なので、花見は見送りになるかも。残念です。


鹿の井の桜

2021-03-27 | エッセィ

黄色いカタクリ。2015年4月、スイス、ドイツ国境のボーデン湖畔で。


ある方のブログで、鹿の井の桜がたくさん。

鹿の井という地名に反応する私。親戚があり、そのまた親戚はうどんや。おいしいうどんだった。

父が亡くなったのは20年以上前の9月だけど、その一年前のお盆には、父の運転で、注文していたうどん玉20だったかを受け取りに行った。

うどんの製造販売と併せてセルフのうどん屋も兼ねているので、食べる人はうどん玉を待つ人の横を通って涼しい店内に。

食べる人が来れば来るほど、待ち時間が長くなる。スダレを敷いた専用の容れ物には20玉入るんだったか。。。。お盆でお客さんが来る家はそのくらいは買うので列はなかなか短くならない。

炎天下で待つのは辛い。軒下には3脚ほどの椅子があり、そこまでたどり着くとあとは待ち時間も少し。せめてあの椅子に座りたい・・・そう思いながら待つ。誰も文句言わない。けど、テントくらい張ってもらってもよかったと思う。

父はがんの闘病中だったけど、その時は運転できるくらい元気だった。

そのあとのこと、それからのことはちょっとここでは書けない。いつかいっぱい涙を流して、心が浄化されるかもしれないけど。


なぜそんな地名が付いているかと言えば、水の乏しい土地で、出水(湧き水)に鹿が水飲みに来ていたのではないかと思う。

私が子供のころは水喧嘩の伝説がまだあちこちにあった。鹿の井の水喧嘩というのも聞いた気がする。

水田に入れる水をどう流すか、用水路の別れる場所で、利害の対立する農民同士が激しくケンカするのである。時には鍬など持ちだして威嚇しながら。普段はおとなしい讃岐の農民も、水に関しては別。死活問題。水利の取り決めはあらゆる法律の上位に、日本国憲法よりも上位にある決まり事だと、水の流し方を記した古い掛け軸を前に地区の古老が話しているテレビ画像を見たのは今から20年くらい前だったかな。

鹿の井のけんちゃんというのが親戚の子。その家は私の叔母の1人が幼児に養女に行き、親戚づきあいをしていた家。子供が生まれても育たないので、一人よその子を育てると次も大きくなると言われて、叔母は遠縁のその家に初めは遊びに行っただけなのに、待遇がよくて帰らないと言ったそうな。

穏やかな叔母で、養父もとても穏やかな人で、私が遊びに行ってもとても大事にしてくれた。

鹿の井と聞くと、農家の庭先や秋祭りの御馳走や、その家から嫁いでいった叔母の姿を思い出した。叔母は昨年亡くなったけど、懐かしいなあ~。けんちゃんは同学年。おとなしくて静かな子だった。19歳で結婚したまでは知っているけれど、あとはどうしたのかなあ。

昔は親戚が多いので、付き合いも濃淡いろいろ。子供のころ、法事にいつも来るおばさんがどこの誰だか全然知らなかった私。で、ある時フツリと来なくなる。

祖母に連れられて、その人の家に行った気もする。秋空バックにカキの実が実っていたように思うけど、そこまで遡るとあれは本当に見た景色だったのか、私の郷愁から来る願望の景色なのか、それともいつか見た夢だったのか、分からなくなる。

こうして遠くの記憶が淡く融けかけていくのは老いの境地かもしれない。それを焦るでもない私がいる。


イギリス、カンタベリー近くのライで。お菓子屋さんのショーウィンドウ。

2008年6月。


追記

ネット情報によると、鹿の井は12世紀の干ばつの年、居石神社に現われた鹿が掘り当てた出水だそうで。

地元には居石、立石、伏石の三つの神社がありました。合わせて三石。明治の初め、尋常小学校が創設された時は三石小学校という名前で始まったその石碑が、私の通う小学校の少し北、旧道沿いにありましたが、今はあるのかどうか。

立石神社と言えば、大正年間、日本三大小作争議の一つの伏石事件で逮捕されのちに釈放された小作人の一人が、取り調べのきつさから精神に変調をきたし、自殺した神社でもあります。(この争議では日本農民組合から指導に来ていた若き弁護士ものちに自ら命を絶つ)

狭く水の乏しい讃岐平野で、労働集約的な農業を営々と営んでいた先人たちを思う時、川土手が整備されて桜の名所になっている話は今昔の思いを一層深くします。

うーーーん、これは一度見に行かねば。


利休梅リキュウバイを一眼レフで撮る

2021-03-27 | 日記

「屋上に白い花が咲いとるで」と、夫言う。

「何の花?」

「知らんけどきれいに咲いとる」と、夫言う。

上がってみると、それは昨日名前を憶えたばかりのリキュウバイでした。

縮景園のは枝を折れないけど、姑様の花、遠慮なくたくさんいただきました。

朝の窓辺に。

障子は下の孫が2歳のころ、三日の間に二回も破ったので、それ以後貼らず。

緑と白、わずかに黄色がある清楚な花。

お茶花でしょうか。名前は梅だけど、バラ科。触ると花弁がはらはらと。

はかなげ。

場所を変えて。コンデジで。

今度は一眼レフで。

わーーー、花だけはっきり写ってきれい~嬉しい。

写し方、備忘の為に。

SPモード→撮影モードは花のマークを選ぶ→撮影!!

簡単だった。他の写し方も頑張ります。

以下は昨日の花いろいろ。

源平桃

一本の木に違う色の花。突然変異だとか。

こちらも。

白、赤、ピンクの三色。不思議。

コンデジでも、お天気いいといい写真が撮れる。

いい写真が撮れると嬉しい。

お天気、明日は崩れるそうで。

夫実家の山でワラビやツクシとったり、ツバキそのほかの木を切ったりしたかったのに残念。

機織りを仕上げる予定。


合同展の当番でした

2021-03-26 | 水彩画

入口。

ご挨拶。

桜。


自分の作品だけ写します。

秋の花。

ズッキーニ。昨夏、夫が屋上で栽培する。

二人では食べきれないので、人に配り歩いた。

梅。

ラ・フランス。

椿。

実りの秋。

作品の配置は先生が考えます。

私は昨年から参加、一階が定位置になるらしい。


今年はなぜか、昨年に比べて人の絵に癒され、心がほぐれます。

行動が制限され、人ともあまり会えないこの一年間、やっと窓を開けて外の空気を吸ったような気分。

きょうは友達が二人来てくれて、一時間くらい、絵を見ながら話をした。個別にはしょっちゅう会っているけれど、二人は20年ぶりくらいに会って懐かしがっていた。

絵の取り持つ縁、来年もまたこの桜の季節に会えたらいいなあ。。。。


そのあと、友達と縮景園の桜を見に行く。

今年から開花の標準木が変わり、ぬあんと18日だかに日本で最初の開花宣言。

今までの木は大きな木の陰で古くなり、今年から日当たりのいい場所の元気な木に変わったのです。

気象台の人とマスコミが来て今か今かと。

日本的桜の光景。

日本全国、たった一つの遺伝子のクローン桜なればこそ。

もう散り始めている。

利休梅りきゅうばいという花。

梅ではなくてバラ科らしい。

花の形がウメに似ているのでこの名前らしい。ひっそりと咲く清楚な花。

初めて見た。

姑様は4/1に転院が決まりました。朝9時半に病院へ行き、支払いなど済ませて、転院します。

今度も我が家から近く、徒歩圏内。行くのは楽です。そこから退院することはもうないような気がするけど、最後まで子孝行な姑様、と思ってしまった。


花の見えるレストランへ

2021-03-25 | クッキング・ランチなど

明日で結婚してまる48年になります。

それでご飯食べに行くことにしました。夜は出かけるのが億劫、昼間です。

これ着て行くことにしました。

染めの地味ーーーな大島紬、訪問着。

唐子が花びらで遊ぶ塩瀬の帯です。

羽織は・・・

落ち着いて(老けて)見えるので止めておきましょう。

着きました。ビルの二階、窓の向こうに元安川と広島平和公園。

花は8分咲きくらい。人はほとんどいません。


ランチのコースをいただきます。ヴェーネレ。

 

 

冷たい前菜は写真撮り忘れ、

かぼちゃのムースとホタテ、タイのカルパッチョにピンクのスープ、ナスを何かに見立てた複雑な一品など。

温かい前菜。紅茶に漬けたカモ肉と野菜のトマトソース寄せ。

カラスミとチーズの二種のソース。

フォカッチャとオリーブオイル。

平たいパスタ、ソラマメと何かのソース。

牛ロース肉のワイン煮込み、焦がしチーズ掛け。

デザートいろいろ。ゴマのプリン、マカロン、などなど。

大変おいしゅうございました。昼間なのでワインは遠慮しました。

窓を少し開けて、風通しがいいです。

店内のインテリアはカジュアル、お味は本格的でした。

この後、隣のビルの北欧雑貨を見て何も買わず帰宅。

桜の鼻緒。

もう脱ぎます。

わずかな期間しか締められない帯。あと何回締めるでしょうか。

姑様の転院はまだ先になりそうです。明日はとりあえず会場当番に行けるのでほっとしました。


京都府北部の旅2 湯の花温泉と福知山、最上稲荷

2021-03-24 | 旅行

3/20 美山町を出て今夜の宿、湯の花温泉を目指します。

場所は嵐山の北西。京都市内から少し離れるだけで、とても静かなお宿でした。

食事は感染予防のためか、席の間が空いていて、私たちは19時半から。それまで温泉に入りました。

あらかじめセットしています。

いろいろおかずあり。いちいち写真に撮ってませんが15品。少しずつなので何とか食べきれました。

シニア割引に何とか割引でリーズナブルでしたが、京風の洗練された料理でした。

夜は早く寝て、夜中過ぎに目が醒めてすることないので文庫本一冊読み切りました。いつものパターンです。旅に本は必携。


朝ごはんは我が家の夕食より立派。

夫は先に部屋に帰りましたが、セルフサービスのコーヒーでくつろぐ私。

温泉。宿のサイトより。

部屋。宿のサイトより。


続いて福知山城へ。昨日の道を少し引き返します。

駐車場横の食事処は、一戸建ての家みたいでおしゃれ。

天守閣手前の太鼓橋から。

夫は天守閣へ。私は鎧やむ刀見るよりこっち。

雛飾り。

糸巻き。

人形。

織り機いろいろ。体験もできます。

このアイデア、頂き~

と言うか、織機に固定している方がいいかな。

綿を平たく伸ばす道具?

座布団が素敵~

製品いろいろ。いいなあ、こんなところで機織りしたい。

手紡ぎのいい糸使っています。

このほかに進物用の米を入れる、この地方独特の米袋、八木袋などの展示もありました。


夫が天守閣から下りてきました。あんたなら走って行けるから、ここで待っているという言葉におだてられて走って天守閣まで行く。

ゼイゼイ。

展示はすっ飛ばして最上階へ。眺め良し。福知山は盆地なんですね。

大江山は雲の彼方に。

平安時代の人にとっては、大江山は鬼の住む異界、そのくらい遠い世界だったのでしょう。

大江山生野の道の遠ければまだ踏みも見ず天橋立。


この後、自損事故でJAFのお世話になり、2時間半ほどの時間ロス。雨も降り始め、テンション下がる。

やがて、フロントグラスにたたきつける豪雨。でも帰るしかないので、帰る。

岡山県に入るころは雨も上がり、夫の希望通り、総社SAから地道へ降りて最上稲荷へ。

インド風、山門。

本殿。

門前町へも行きましょう。

レトロ。

人影なし。縁日などは賑わうのでしょうか。

私二度目。夫初めて。

再びSAに帰って山陽道復帰。自宅へ。雨が降らないともっといい旅行でしたが、これはこれで。無事帰れてやれやれでした。

最悪、大阪まで積載車で。と言われた時は焦ったけど。


24日の本日は合同展の展示準備。

手伝いに行った後、我が家で反省会。コンビニでお弁当とおやつ買い、食べながら、お茶飲みながら16時ころまでしっかり反省する。最後は食器まで洗ってもらって解散。春になって、みんな元気になりましたが、コロナにはくれぐれも気を付けたいと思います。

 


京都府北部の旅 3/20

2021-03-24 | 旅行

3/20 春分の日。8時前自宅発。山陽道、播但道、中国道、舞鶴若狭道経由で舞鶴着が12時過ぎ。昼ご飯はSA内コンビニで調達して、車内で交代で食べる。

舞鶴赤れんがパーク前が海上自衛隊の桟橋。船いろいろ。

1902年から翌年にかけて建設されたとのこと。海軍の倉庫群。

日露戦争直前、準備を急いだのでしようか。

土産物や海軍関係の資料の展示。

舞鶴鎮守府初代司令官が東郷平八郎。その像もあります。

映画なら三船敏郎がやりそう。そんな映画もあったかもしれません。

この倉庫群は映画、ドラマのロケにもよく使われるそうです。

赤れんが博物館は世界中のレンガをコレクション。

アウシュビッツのレンガもありました。

続いて少し離れた舞鶴引揚記念館へ。車で10分くらい。

入ってすぐの床に、シベリアの捕虜収容所の分布図が。

シベリアと言いますが、ロシアのほぼ全域、遠く黒海沿岸にも収容所があったそうです。

ユネスコの記憶遺産に認定されたそうです。

人は言葉を持ち、文字でそれを記録し、遠く離れた場所と次の時代へ体験を伝えることができます。

その記録から学ぶことができるのが人間だと思うのです。

学びを放棄すれば、先人の貴い体験とその記憶もまったく無駄になるというもの。

謙虚に、学ぶ姿勢は忘れてはいけないと思いました。

白樺の樹皮に書いた日記。

人間は思いを言葉で定着せずにはいられない。

道具いろいろ。箸などは手作り。

収容所の再現。

寒い、ひもじい、自由がない、将来が見通せない、家族と連絡が取れない。(捕虜郵便はあったとのこと。場所は書けない。届くのは半年もかかる。返事は本人には届かないことが多かったそうです)

60キロの丸太を二人で運んだそうで、試しに半分の模型にチャレンジするもびくともしませんでした。

小さな手帳いろいろ。靴の中に隠して持ち帰ったそうです。

この記念館のそばが引揚桟橋だったそうで、身内を待つために舞鶴へ来て、そのまま住んだ人もいたとか。


一つ行くとしたら赤れんがパークよりもこちらでしょうか。

たくさんの学びがありました。ガイドボランティアの人にいろいろ教えていただきました。


続いて美山町へ。

京都縦貫自動車道わちICから山道を40分くらい行きます。15年くらい前、広島からの日帰りツアーで行きましたが、夫は初めて。

観光駐車場に車停めて見学です。雨の予報が外れて、曇り空の写真撮るには都合がいい空模様です。

15年前と景色はほとんど変わっていません。

全景。

歩きます。

農具。

美山町の春。

資料館。

16時で閉館。片付けています。

いいなあ、絣の作務衣着てここで仕事したい。

昔の暮らし。

続いてカフェへ。

 

縁側から。

座敷。

あぜ道。

お名残り惜しいけど帰ります。

さようなら。またいつか。

茅葺の家屋を保存してそこに住むご苦労を思いつつ、美山町を後にしました。

観光シーズンには人が来て、歩く。敷地に入る人もいる。

「いいわねえ、落ち着くわねえ」と話し声も聞こえる。

その声聞く人が落ち着くかどうか。

それでも重伝建に指定された誇りで暮らしておられるのでしょう。

景色に余計なものを持ち込まないのが京都的。街中から山の中まで、京都人のプライドを見たような気がします。

続いて今夜のお宿、亀岡市の湯の花温泉へ。18時には何とか間に合う。

ずっと車で移動して、京都は北西に奥が深いことを実感。いろいろと収穫の多い一日目でした。


一眼レフカメラで撮ってみる

2021-03-23 | 日記

一日一機能、一つずつ覚えて行けば、ばあちゃんだって一眼レフカメラも怖くない。

むむむー、この存在感。

コンパクトデジカメで写す。

コンデジ画像

一眼レフ画像。

ううむ、違っているようないないような。

きょうは静止画、アドバンストSRオートという、初心者用モードで、夜写す。

よく見ると、こちらの方が陰影が自然な感じがしますが。

スマホとカメラの連動は、アプリはダウンロードしたけれど、なぜかうまくいかず、後日再チャレンジすることにして、次回は動画の練習します。

ボタン操作などはコンデジとほぼ同じなのでそう難しくありません。

撮影範囲を決めるのに、レンズの枠を回してレンズを伸ばしたり縮めたりする私がかっこいい、と自分で思うことにしました。

このカメラをハンドバッグに他のものと入れるわけにいかないので、カメラ用のバッグ買うことにしました。

またアマゾンです。

それでついこのカメラの販売画面を覗いたら、タイムセールだとかで、またまた4千円くらい安くなっていた。ショック~。

でも買った以上は、せいぜい使いこなして、また次のカメラへステップアップしたいものですが、もはや寿命との闘いであります。


本日、一か月ぶりの写経の会。阿弥陀経を半分、ご住職の先導で唱和して、気分が盛り上がったところで、各自でお手本を下に敷いて書いて行く。

ものすごく静か。静かなのでいろいろなことを考える。本日は邪念が多く、いい字が書けなかったけど、門信徒会館と周りの庭もとても清潔で心が休まる。

女性ばかり7人の参加。会費は要らず、帰りにいつもお茶菓子とお菓子をいただく。

祖父はお寺の世話人で、いろいろな行事のお手伝いに行ってはよくお菓子などをもらってきていた。新聞紙にくるんだお菓子いろいろ、お土産に持って帰るのがとても嬉しかった。

その話を夫にすると、あんたあ、お菓子に釣られて写経に行ってるのかと笑われた。いえいえ、でもおいしいお饅頭でした。

邪念とは姑様のこと。症状が安定して、次の行く先が決まったけれど、日付は未定。転院には家族の付き添いが必要とのことで、私しか行く人がいない。

行くしかないので行きますが、責任重大で気が進まない。途中で異変があったら困るし、いろいろな同意書書くのも気が重い。

それに月末までいろいろ予定入れているので、それをうまくよけてくれればいいのですが。

先日98歳になりました。99歳は無事迎えられるでしょうか。うちの姑様なので、案外大丈夫かもしれない。老嫁はまだまだ嫁が卒業できそうにありません。


123456にするつもりが、2秒遅れ。残念。


旅行の整理まだまだ

2021-03-23 | 日記

旅行から帰って配達してもらった一眼レフカメラ。とりあえず充電します。

この大きいレンズが、ちょっとプロとまでは行かなくてマニア風でついポチっとしましたが、いつ、どこで何を写したらいいのか・・・まだ決めていません。

というか、とりあえず各部の名称をマニュアル本で確認。

知らない言葉、いっぱい。老化激しいこの頭に入り切るでしょうか。

人と一緒はもちろん楽しいけれど、一人でもどこへでも行く私。

大きいカメラ持つのは、徘徊老人じゃないですよう~というアピール。

それと、手前だけくっきりしたプロの真似事みたいな写真撮りたいので。

いつになるかなあ~

夫が横で、撮りながら覚えたらええと申します。確かに。うまくいかないとマニュアルに立ち返って確認。明日から少しずつ頑張ります。


今回の旅行でいちばん印象に残ったのは、舞鶴引揚記念館でした。

敗戦後、兵士、民間人、さらにシベリアへ抑留された日本人が多く帰還した舞鶴港。

その人たちの資料がいろいろ展示されていました。

戦争になると国民がどんなにひどい目に遭うか、それを改めて考えさせられる場所でした。


京都府北部は、昨年の大河ドラマ、明智光秀で盛り上がったらしい。福知山城も例外ではありません。

お城の横に、昔の衣類や袋物、機織り機を展示する場所がありました。コースター織る時間がないの出来上がりを買いました。

男物の浴衣地で色が複雑。横は100円の領収書です。

100円払って、福知山市長のお名前で立派な領収書いただきました。

ここまでは楽しく続いた旅行。

雨が降り出して、R9への入り口が、ナビと夫で言うことが違って入り損ね・・・何度も同じ場所をさまよい・・・

無事帰れてやれやれでした。


JAFの初体験

2021-03-22 | お出かけ

昨日、正午過ぎ。京都府福知山市内、国道9号線で。



ちょっとした不注意で、自損。自走不能に。
レッカー移動、タイヤ付け替えて355キロを帰宅しました。
 
雨の中、陸橋下で作業をつぶさに見ました。できればしたくない経験ではありますが、親切で手際のいい作業員様に感謝、ありがとうございました。
近くに大きなタイヤ店があり、営業していて助かりました。
 
立体交差の下で雨が避けられたはラッキー、バス停の車線に車を入れて、土日祝はバスが来ないのも幸運でした。
途中、岡山市内で最後の観光して19時帰宅。それからご飯仕掛けて、久し振りに家の食事、やれやれ。
 
これからは注意します。

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