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3/28 岡山の後楽園、半田山植物園

2019-03-30 | 旅行

高速バスは広島バスセンター発、片道2時間半、バス代は往復5,200円です。予約なしでもたいてい乗れます。

10時岡山着。待ち合わせて先ずは後楽園へ。

サクラちらほら。前撮り多数。薄曇りでコンディションよし。

雪柳。花は地味だけど集まると存在感あり。

ボケ。名前が気の毒。

椿は古木多数。

サクラの下に人は集まる。

降り注ぐような花、花、花…


続いて広い通りへ出てバスに乗り、植物園口まで。

ハナニラ多数。

紅花の馬酔木あせび

まだまだスイセン

頂上は配水池あり。明治頃からの施設。近代産業遺産のようなレンガがレトロ。

サクラ少々。

ハナニラとムスカリ。

寄せ植え。チューリップは何色でしょうか。

斜面にシャガがもう咲いている。こちら野生。

雪柳。存在感あり。

黄花のイカリソウ。野生ではなさそうです。

萱草かんぞうの園芸種らしい。

丈夫な多年草。群落をつくる。

トサミズキ。春を告げる花。

指導票充実。

木五倍子きぶし。お歯黒の染料にしていた。

いろいろ珍しい植物があり、楽しめました。こちらもサクラは来週でしょうか。

来週のお花見はさてどこへ。あと二回くらいは花を見たいものです。


「独女日記」 藤堂志津子

2019-03-26 | 読書

次の本が届くまでのつなぎに、公民館で借りる。

普段は読まない作家の、普段は読まないエッセイ。

エッセイは身辺のあれこれを書いているので、考えが似ていれば共感するけれど、そうでない場合は、私は入り込めない場合が多い。

小説はどんなに突飛なことが書かれていても、食指が動いて読み始めたら、自分の者の見方考え方を再確認したり、変えたりする心地よさがある。

いわゆる団塊の世代の作家。30年くらい前、デビューしてあまり経たないうちに直木賞も受賞し、順調に作家生活を送っていると思っていたけれど、この本の中では私生活のあれこれにも触れていて、どんな人にも悩みや苦しみはあるのだと、知った。

両親を見送り、過去には病気にもなったけど、この本に書かれている2010年ころは、小さな犬との生活に幸せを感じているとのこと。

犬ですか~

実家には最近までずっと犬がいた。でもぺットではなく番犬。ここまで可愛がってなかった。

常々私は、犬を家族としてかわいがる人の心理には無関心だったけど、この本読んで、直木賞作家の達意の文章で、大変によくわかった。

犬と人間、哺乳類としての種類は違うけど、この愛情の注ぎ方は子供と全く同じ。そうなんだあ。

今は核家族が増え、結婚しない人も増え、その代りにペットが人の心を癒す大切な存在になっているのだと。時代の必然なのだと思った。

犬を飼う人の生活もよくわかった。そして犬の洋服のあれこれも、高価だけど、子供と同じなのだから、買いたい人、買える人はどんどん買えばいいと思う。それで経済が廻っていく。

犬用の防寒スパッツが13,000円にも驚いたけど、犬用の靴があるのには驚いた。一体いくらするんだあ~

穿かせるととても嫌がり、全然歩かないそうで。いゃあ~面白かった。犬用の靴、見てみたい。


私ですか。ペットとはとんとご縁がなくて。一人暮らしになれば宗旨替えするかもしれないけど、今は旅行に行くときに困るのと、節約生活しているので。

この本でペットに愛情の注げる人は飼わない人に比べて、また別の愛情を知っていることが分かった。うーーーむ、たまには読んだことない作家の人のも読むべきと思った。


「ベーコン」 井上荒野

2019-03-21 | 読書

この人は作家故井上光晴のお嬢さんで、自身も作家になった人。デビューしたころは話題になったが、その頃から、私は小説とは離れて他のことしていたので、たぶん一作も読んでない。

直木賞を受賞したことも、この本の解説で思い出した。そう言えば聞いたような気がすると。

なんで急に読みたくなったかと言うと、瀬戸内寂聴師と妻子のある井上光春が昔、恋人関係にあり、その周辺のことを小説「あちらにいる鬼」として発表したから。

娘が、父親と存命中の作家の関係を書く。面白い題材だけど、スキャンダラスに書くだけで期待外れだったら辛いので、先ずはこちらを読んでみた次第。

で、とても面白く、小説の腕も確かだと分かった。「あちらにいる鬼」も読みたいけど、ただいま節約中。いつか読むこともあると期待している。


本書は10の短編から成る。どれも表題は食べ物。そして、どの話も結婚以外の男女関係を、妻の側から、夫の側から、子供の視点から書いている。食べ物は命をつなぐだけではなく、思いを託し、受け止め、時には言葉よりも雄弁に人と人を繋いでいく。

そこらあたりの描き方がうまいなあと思った。

年取ると空想と願望が混ざり合うとか、少々の年の差など関係なく全員が年寄り、パーティ会場で若い人との席がすぐそこにあるように、二十代だったこともついこの間のように思い出せる。。。。

トナカイサラミの中の描写。しかしあこがれていた舞台演出家はスェーデン人の女優と結婚してかの地に去るが、歳とって又帰国する。歓迎パーティ会場での演出家の無残な姿。若い時はすぐそばりありはしない。長い年月をかけてたどり着いた地点がたとえ不本意だったとしても、それを味わうのも人生。

深い作品だと思った。

子供の目から、両親の不安定な関係を観察している作品はどれもよかった。緊張感に充ちている。作者自身の体験も反映しているのかもしれない。

小説を書くときはどんな体験も大切な財産。無駄なことは一つもない。両親の関係が不安定なのは子供にとっては辛いことだけど、その修羅の日々の中で、作家は作家になる修養を積んでいたのだろう。

別な作品も読みたいと思った。


「日本ボロ宿紀行2月」 上明戸 聡

2019-03-15 | 読書

ブログから単行本になったシリーズ第二弾。

旅の仕方も文章もこなれて来て、前作より面白く読んだ。

ボロ宿とは悪口ではなく、伝統的な建物と人情味あふれるもてなしを味わえる旅館。残るのもあれば消え去るものもある。

作者が感じるのは郷愁。それを求めて旅をする。

ボロ宿のブログがだいぶ知れ渡ったので、正直に話したりするけれど、皆さん好意的。そして宿の人とのやり取りが面白い。

話すうちに同じ大学出身と分かったり、葬式行くので朝食は早く済ませて欲しいとか、お客さん来ないので友達と飲みに行く約束していたらあなたが来た、いいですよ、留守番していますよ、じゃあ行こうかな…という、とぼけたやり取り。

テーブルにもたれていたら脚が相撲の股割みたいに開いて行く…

私はこんな宿が好きだと気がついた。ビジネスホテルでは決して味わえない楽しさ。何が出てくるか分からないドキドキ感。そして激しく旅心をそそられる宿ばかりであります。東北が多いのが残念だけど。

旅に出たいなあ。誰にも邪魔されない一人旅。きっといつか行こう。ボロ宿に泊まろう。

うーーーん、今までで印象に残っている宿は、京都御幸町通の田中屋旅館。家族経営、腰の曲がったおばあさんが階段を上がって食事持ってきた。とってもおいしい京料理。今は宿とカフェに業態が変わっている模様。

https://kyotomoide.exblog.jp/19693953/

福島県の新野地温泉(字は間違ってるかもしれません)、山の中の一軒宿。

http://www.sagamiya.sakura.ne.jp/acces.html

宿の外の露天風呂は丸きりの露天。周りは地面に草など生えて、女風呂から帰るとき、上から男風呂が丸見え。見ないようにしましたけど。

東北新幹線福島駅より路線バスあり。私が行ったときは、一週間で一往復。即ち土曜午後に駅発、よく日曜日に宿発。ドライバーさんも温泉に泊まる?

今の情報はこちらから

https://sp.jorudan.co.jp/onsen/details/681/

宿から福島駅への送迎もある模様です。一時間かかります。

お盆に、今年はもうこれで涼しくなるかなあと、誰かの声。いいなあ。これからまた暑い広島へ帰る身にはうらやましい。 

愛媛県内子町の月乃家。

http://www.we-love-uchiko.jp/stay/550/

古民家を有名建築家がリノベーション。経営者ご夫婦がとてもいい方で、一緒に夏祭りの花火大会見た。うちわと虫よけ貸してもらって、親せきの家と同じ。泊まる日に、ご主人は宿の外へ出て私たちを待っていてくださった。

ああ、また旅行したいよう~老女絶唱。


「五十鈴川の鴨」 竹西寛子

2019-03-13 | 読書

パリの中州はシテ、広島の街の中心にある中州は中島町。

今は平和公園になっていますが、戦前は慈仙寺という大きな寺院があり、涅槃会で人を集めたそうです。お寺は戦後の都市計画で移転、今は原爆犠牲者の供養塔が建てられ、名前の分からない御遺骨、名前が分かっても引き取り手のない御遺骨を地下にお祀りしています。

20年近く前、ご遺骨がどこで発見されたかの経緯を掲示してほしい、それがその御遺骨の名前という運動をされている方とたまたま巡り合い、運動のお手伝いをさせていただきました。

今は分かる限りの経緯が掲示されていています。


姑様の本を夫がせっせとヤフオクに出している。

未だ一冊も売れてないそうです。ちょっと失礼してお借りしました。

姑様は短歌を詠み、本を読む人でした。

「ここまで分かったボケる人ボケない人」とこんまりさんの片付け本「人生がときめく片付けの魔法」はお借りして読みました。

分かったこと、ボケないように前もって予防することはほぼ不可能。超高齢になったら誰でも認知機能が衰える。程度の大小はあっても。長生きしてボケるか、癌その他で後に心を残して適当な時期に死ぬか。これからはほぼ二択。さて、私はどちらになるでしょうか。

片付けは本読んだからと言ってできるわけではない。片づけられないのは性格。優しく、何でも受け入れて、物を大切にする…と、普段の生活では美点が却って物を捨てる災いとなっている。

私の中では着物のブームもほぼ終わったので、母からもらった古い普段着などは捨てる予定。

端切れも半分に減らす。


おやおや、本の感想でしたね。

普段は読まない作家。ヤフオクに出す前に読み始めたけど、短編集の最初の表題作だけで、ギブアップ。

作家は広島の出身だそうですが、この書き方はないだろうと思った。プロの作家にえらそげで済みませんが、原爆被爆者が類型的。どこか陰のある幸薄い知り合い。死後、結婚できなかったという身近な女性が尋ねてきて、知り合いは被爆者だったと知らされる。私は結婚を拒まれたのだと。

いゃあ、何とも。被爆者を悲劇的に書きすぎ。被爆者は幸せになってはいけないのかと作者に問いたい。

被爆者でこういう人もいるかもしれないが、私の知りあった被爆者は皆さんしたたかで、前向き。10年位前、被爆証言集作る活動していたけど、私の中で被爆者のイメージが180度変わる体験でした。

被爆後三日で焼け跡にバラック建てた話。水道管ひねったら水が出たそうで、これなら生活できると思ったそうですが、地面はまだ熱かったとか、比治山神社の石柱を利用してバラック建てて寒いなと思ったら冬が来ていたとか。不謹慎ですが、その旺盛な生命力に圧倒されました。

何もかも失くした後でも、家族で助け合い、好きな人と結婚し、生き残った負い目を感じつつ、前を向いて行く、その話にいたく感動したものです。

この本の中の被爆者、こんなナイーブな人はどこの世界にもいそうですが、それを被爆と結び付けちゃいかんだろ。作家の善意が却って差別を助長することになりませんか。

やっぱり私達とは違うんだと思わせるのではなく、なんだ、元気にやってるじゃないの、私も頑張らなくてはと思えるような原爆小説を私は読みたいと思う。今まであっただろうか。寡聞にして思い当たらない。


昨日は孫が来たけど、ママ友の家に招待されているそうで、夜ごはんまでに帰った。

五歳児♂の言語習得能力には驚くばかり。

工作している写真撮ろうとしたら、「集中力が途切れるから写さないで」

おばあちゃんは昔の人間だからと言うと「昔って江戸時代?」ですって。

いゃあ、いくら何でもそこまでは遡らんだろ。

今度は土曜日に来るそうです。楽しみです。何して遊ぼうかな~


雨の倉敷ひな巡り2

2019-03-12 | 旅行

さて、3/10大橋家を出て食事の店へと向かいます。

途中の公開広場。スペインみたい~

美観地区至近せりべさんの定食。

オーナーシェフはIT関係のサラリーマンから転職した方。

今年二度目、窓の外の倉敷川を見ながらお話がはずみます。楽しかった~

日本酒は百種類くらいあるそうで、今度は夜行ってみたいものです。


観光客に加えてウォーキング大会もあったそうで、美観地区は人が多かった。

張り子の店

紙粘土で作れそう~

雨降りやまず・・・

大原美術館。小品が多いけど、コレクションいろいろ。

路地を抜けて

鶴形山の上の阿智神社へ行きます。神社の中にも会場があり、立派な人形が各種展示されています。

楽器いろいろ

着せ替え人形。

木目込みは昭和時代に流行った。

核家族化が進み、広い座敷のある家が少なくなったころの人形。

小さいけれど、人形の数は多い。

古いのやら立派のやら各種展示しています。

犬函、鯛などが珍しい。


商店街に下りていつもの店の前を通り

反対側の店で二重焼き小2個をお土産に買い、歩き続けて疲れたけど、頑張ってまたまた歩き、集合場所まで。

西口と勘違いし、北口へ廻って、結局南口だった。間に合ったけど。

一日一便、乗り遅れたらJRで自力で帰らないといけないので、ちょっと焦った。

老化の波がひたひたと。

アウトレット往復バスは今月末で終了。

残念です。街中のアウトレット、アウトレットには行かないけど、観光には便利な路線でした。

何度も利用させてもらい、楽しい思い出いっぱい。


バスは16:30出発、ひたすら西へ。18時はまだ明るく、気が付けばお彼岸ももうすぐ。春はそこまで~

 

 

 

 


「なぜあの人は整理がうまいのか」 中谷彰宏

2019-03-09 | 読書

コンコルド広場とマドレーヌ寺院 2014年4月。またいつか行きたいフランス。


公民館で借りてきて1時間弱で読んだ。たくさんある片付けの本の一つ。10年前の出版。

色々と参考になった。なるほどと思ったことを箇条書きにしてみます。

1 今自分が要るものだけを持つ。いつか誰かに上げようと、ものを取っておかない。

2 どんなに捨てても大切なものは捨てていない。必要ないものは貰わない。人に上げない。

3 ゴミ箱のゴミはすぐ捨てる。

4 きれいな箱や紙袋を取っておかない。

5 使ったものはすぐ元に戻す。保険証やパスポートはすぐ出るようにしておく。

6 整理は捨てること、整頓は元に戻すこと。

7 分厚いマニュアルはものを使い始めたらすぐ捨てる。古いマニュアルを取っておかない。

8 レンタルできるものは持たない。

9 衝動買いしたものは一度使ったら捨てていい。

10 捨てると、自分が本当にやりたいことが見えてくる。とりあえず取っておくことで、自分の本当にやりたいことが分からなくなっている。

啓発本はあまりにのめり込むと宗教がかってくるので、ほどほどに読まないといけないけど、私が実行できそうなのは、人に要らないもの上げない=私の場合は下手な手芸品や機織りで作ったもの。欲しがれば上げるけど。と、箱や紙袋、ビニール袋を捨てるということかな。

携帯のマニュアルも捨てる。


先日、夫が姑様の倉庫を整理していたら、30年以上前の粉ミルクや干しうどんが出てきて、さすがに見るだけで気持ち悪くなった。

とりあえず入れて置いたのでしょうか。古いのはどんどん奥になり、やがて見えなって忘れてたのでしょう。壊れた電気製品も全部取っています。捨て方が分からなくなっていたのでしょうね。私たちも気を付けてあげればよかったのですが、動ける間は人に頼らない人だったので。

捨てられない人は優しい人が多いそうです。優しくなくてもいいから、ものは捨てようと改めて思う。自分の死後にものを残して、人に迷惑かけないようにしたい。


「姑の遺品整理は、迷惑です」 垣谷美雨

2019-03-01 | 読書

面白くて、アマゾンから夕方届いたのをもう読みました。

姑78歳が脳梗塞で急死した。3DKの賃貸アパートの荷物を運び出し、なるだけ早く明け渡さないといけない。嫁の望登子は、片道1時間半かけて、パート勤務のない日に片づけに通うようになる。

ものすごい量の荷物=ゴミが部屋に残されていた。どれから手を付けていいか分からないけど、片づけ始め、エレベーターがないので4階から階段を使ってゴミの集積場まで運び出す。

消火栓、石、プランターの土、その上隣の部屋の住人が飼っていたウサギを預かっていると言う。途中で根を上げて、ごみ処理の業者に見積もり取ったら、98万円にもなる。驚いてまた片付け始める。

片付けながら姑の生き方をたどりなおすことになる。お節介で教養がなくて、なんにでも首を突っ込んで、思ったことはすぐに口に出す人だった。もうーー、なんでこんなにため込んだんですか。しかも安物ばかり。新しいもの買ったら古いものは処分してください。と、望登子は天井のあたりに気配のする姑と対話している。

それに引き換え、自分の母は立派だった。北陸地方都市の市長夫人として身を律し、上品で、自分に厳しい人だった。と思い返す。

荷物の整理に何度も通ううち、近所の人の話から姑の意外な一面を知ることになり、自治会の人たちがいい人だったと、快く手伝ってくれるようになる。それで望登子までいい人と思われるのが嬉しく心地よい。

実家は弟夫婦が処分して、東京の娘の近くへ行くと言う。帰郷し久しぶりにゆっくり話した義妹の口からは、実母と同居していた大変さを聞くことになる。自分の母親は理想的姑と思っていたのに、義妹にとってはそうでもない。そのことに気が付く。形見分けの宝石や着物も換金したと知る。

人はそれぞれ、遺品に生き方が凝縮されている。二人の母親の生き方から多くを学んだと望登子は思う。


遺品整理という、timelyな話題を早速に小説にした手腕はさすが。義母と実母、二人の対照的な生き方と向き合ううち、望登子も夫も改めて気づくことがあり、変わっていく。そこらあたりは軽く流しているけれど、この作品の読みどころかも。

いいことも悪いことも経験してこそ自分の血肉になる。それが次の困難に立ち向かう力になる。楽な事ばかりで済んでいく一生もあるかもしれないが、経験し味わってこその人生。

それにしても姑の多喜は急死するし、母もがんの手術を拒んで68歳で亡くなる。介護を全然しなくて済んだのは何よりの娘孝行、嫁孝行。うらやましい。

姑様の施設に今週は三度行った。ニコニコしているだけなので、お地蔵さまにお参りに行く感じ。自分の重しを確かめる気分。私が分かると無心に笑う。

一昨日はお舅様の命日だったので、写真立て持って行って見せるつもりだったけど、昏々と眠っていて、押しても引いても目を醒まさないので諦めてチャリンコで帰る道すがら、地元の友達に会ってまたまた立ち話。

話すうちにいろんな感情がこみあげてきて、気も緩んでいたんだけど、私としたことがちょっと涙が出た。大したことでもないのに、いったいどうしたことでしょう。恥ずかしや。

そりゃどこの家にも何かあるよ。うちだって言うだけのことあるし。

商売もどきのことをしているので、地元の人には家の内情、言わないことにしていたのに、聞いてくれる人のある有り難さ。ついつい話してしまった。

今度は元気に笑って会いたいものです。


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