月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

幻の酒の真実

2014-02-11 | 
毎年この時期に組まれる「ダンチュウ」の日本酒特集。


昨年は、もうネタ切れかなぁと思って見ていたが、今回は面白かった。

「新しい日本酒の道標」として、新たな日本酒の分類を提案しているのも良かった。
「モダン」「ローカル」「トラディショナル」「フォーザフード」「ネオクラシック」

数年前から吟醸や大吟醸といった部分にだけこだわることもなくなっていたが、最近の日本酒はものすごいレベルで進化しているものだから、辛口・甘口や、爽酒・薫酒・醇酒・熟酒、という分類すらもう当てはまらなくて。
その点、今回のこのモダン・・・という分類はすごくしっくりして、いい分け方だと思った。

また、「造りの工程」に焦点を当てて詳しく説明しているのもよかった。
それも有名蔵でその造りの部分だけを取材している。
例えば、「十四代」の「火入れ」とか。
あの十四代へ行って、火入れだけを取材するなんて、なんという贅沢!!
しかしながら、贅沢なだけあって充実した記事になっていたと思う。本当に楽しく読めた。

そんな中でも群を抜いて光っていたのが、「越乃寒梅」の記事だった。
先週、広島のホテルのベッドの上で読んでいたのだが、このような雑誌(グルメ情報誌)の記事にも関わらず、ひどく大きな感動と衝撃を受けた。


明らかに、情報誌の書き方ではないのだ。ノンフィクションだ。
また、題材が「越乃寒梅」であることにも驚いた。

「越乃寒梅」といえば、その昔、1970年代に起こった地酒ブームの火着け役。
生産量が少ないものだから手に入らず、「幻の酒」と呼ばれプレミアがついた。
もともとは1升瓶で2000円台のリーズナブルな酒なのだが、東京などでは1万円以上もの値がついていた。
少し前の焼酎ブームを彷彿とさせる。
森伊蔵、村尾、魔王など、確かに旨いけど、本来は安いはずの焼酎になんで?と思うような値で取引されていた。

それからブームも去って、新世代の日本酒が生まれ始めたこの数年は、私をはじめとする新しい日本酒ファンの中では「越乃寒梅」は時代遅れの酒のようなイメージで、見向きもされなかった。
「たいしておいしくもないのに、高い酒」
そんなイメージは、少なくとも自分の中でぬぐえなかった。

また、最近日本酒の仕事を始めると、業界の中で「越乃寒梅は絶対取材させてくれないから」「あそこは誰にも蔵を見せない」とのウワサを聞いた。
そうなのか・・・と思っていた矢先のこの記事。
え、取材させてくれるんやん!と思わず紙面につっこんだ。

そして、知る。
本当の越乃寒梅の姿を。この酒が辿ってきた哀しい運命を。そして、新たに「地酒とは何か?」ということを考えるようになった。ものすごい衝撃だった。

切り口も文章も素晴らしく、こんな記事を書くのは一体誰なんだと名前を見ると、「稲泉蓮」とある。
プロフィールを読めば、なんでも大宅壮一ノンフィクション賞を最年少で受賞、とのこと。
やっぱりなぁ・・と合点がいく。文章が光っていた。

また、自分の理想とする文章だとも感じた。
読みやすくわかりやすく、スピード感があり、情緒的にならず、ふつふつと文字では表現されていない情熱が見える。
もっとも基本的な取材記事の書き方で、非常に好感をもった。
確かに取材者はその場にいて、その人の目を通して書かれているのだけれど、書き手の存在がかき消される。
私がいつも目指していることだ。
「はいっ、今日はこちらへ取材に来ています!すごいですねー、私はこう感じますよー、実態はこうなんですよー、がんばってほしいですねー」
と、書き手の存在バリバリの記事を読むと、いつもしんどくなる。
テレビのレポーターじゃあるまいし。
そうじゃなくて、静かに、自身がカメラのレンズやマイクのような役割を担って、的確にその絵を切り取り、声を拾う。
視点や理解が正しければ、そのまま書き写すだけで、読者はまるで同じ場で同じものを見て聞いたような気分になるはずなのだ。
ただ、署名入りのノンフィクションで、書き手の私的な感情が入ることを前提としたものももちろんあるし、それはそれでありなのだが。

と、偉そうに書いているが、自分がそういうものを書けているかは、かなり怪しい・・・
あくまでも「理想」ということだ。
それに近づきたいと思って、毎日必死にやっているわけで

と、話が逸れたが、この記事に感動したわけだ。早速その場で検索して、この著者の販売されている本をすべてAmazonで購入。


偶然だけど、仕事をしない若者の話なども結構書いているので、今やっている案件の参考にもなりそうだ。
問題は、これをいつ読むのか、ということ。
電車の中で開いているけれど、久しぶりに睡眠不足で乗り物に乗るとすぐに眠ってしまう。

とにかく今週の山を越えよう。そして月末まで頑張ろう。
終わったら、またびりけん行って食べまくってやる。
友達にも会いたい。会っていろいろ話がしたい。
今は、週末に夫と二人でゴハンを食べて、おしゃべりする2、3食だけが楽しみ。
(1週間で21食あるうち、あとは全部一人で食べる私・・・孤食はダメね)



コミュニケーションが苦手なことは悪いこと?

2014-02-11 | 仕事
「忙しい」と言いつつもマンガを読むような余裕があった頃が懐かしい・・・。
本当の追い込みがやって来た。今週がピークだ。
冊子3冊とパンフ1つが同時に動いているのである。しかも今週締切が多いうえに取材2件と打ち合わせ1件。

今日は衝撃的な取材だった。
打ち合わせが終わり、ぼちぼちスタートした20ページほどの冊子。
(まだ1文字も書いていないのに今月末校了!締め切りじゃないよ、校了!という恐ろしいタイトスケジュールの冊子)
今回も1冊丸々書かせていただけるとのことで、はりきっている。
内容は、前にもちょっと書いたけれど、働く意欲はあるのにいろんな事情で社会生活がうまくいかずニート状態になっている若者(=レイブル)を支援するプログラム。
行政と支援団体がサポートしながら、その若者たちと企業のマッチングをはかっている。
この1年間、その取り組みをやってきたことを1冊にまとめたいというのだ。
(行政にとっては、これを「成果物」として提出し、その内容によって事業の継続や予算の割当が決まるので、かなり重要)

正直、よくわからないのである。
一体どういう人達なのか?
担当者に聞けば「コミュニケーションが苦手、もしくは苦手と思い込んでいる人たち」「学歴も高いのに一度社会で失敗して引きこもっているパターンもある」などなど、情報はもらえるが、どうもピンとこない。
そこで、別に取材というわけでもなかったのだが、今日はこのプログラムの終了研修があるということだったので参加させてもらうことにした。
とにかくこの目で見てみないことには、資料だけではいいものは書けない。(足で稼ぐライター!笑)

会議室のような会場に入ると、15人ほどのレイブルさんたちとスタッフが数名。
スタッフが歓迎してくれて、丁重な待遇を受けた。(ありがたい)
座って皆を観察する。
第一印象は「幼いな」というものだった。男女の割合は、女性が2名だけ。
19歳~30台前半までで、ほとんどが20代だと思うのだが、なんとなく幼く感じるのはなぜなんだろう。
そして、変な親しみや懐かしさのようなものを感じて一瞬戸惑った。が、すぐにその「感じ」が何かわかった。
・・・ひのきだ。
私が長年講師を務めていた学習塾の、あの空気がここにも漂っていた。
Cクラスのヤンキーのほうじゃなくて、シケメン(失礼!)のほう。もしくはAクラスの勉強はそこそこできるけど、大人しい男子たち。あの感じにとても似ていた。大人なんだけど・・・。

そんなことを考えていると研修が始まった。
私はセミナーみたいなものを取材することもわりと多いのだけど、今はこういうセミナーって、ほとんどがワークとグループディスカッションなんよね。私が学生の頃にはあまりなかったな、と思う。前を向いて先生の講義を聴いて板書して当てられるというカタチはもう古いんやね。
今は講師が簡単に説明するだけでテーマを挙げて、ストップウォッチで「はい、じゃあ5分間、話し合って!」みたいな感じ。
だから、机も前向きではなくて、班ごとにくっつけて島を作っている。
例に漏れず、ここもそうだった。

企業に10日間就労体験をしてきた、その感想のようなものを書き、ディスカッションする。
見つけた課題、一番よかったこと、課題に対する取り組み、明日からどうするのか・・・そんなことを書いて話し合う。

講師だけでなく4、5名のスタッフが巡回し、アドバイスをしたり盛り上げたりする。
私もじっと座っているのがイヤだったので了解を得て同じようにうろうろし始めた。
皆が座って何か書いている横を歩くこの感じ・・・懐かしい。
そう思っていたら自然に講師みたいになってしまって、ついつい覗き込んでしまった。
あ、この人たち、コミュニケーション苦手な人たちやった・・・。講師でもスタッフでもないのに、覗かれたら拒否されるだろうなと気がついて引こうとしたら、意外にも「見てください」とでも言わんばかりに用紙をこちらへスッと差し出してくれた。
調子に乗って「ふんふん」と見て、「これってどういうこと?」とつっこんでみたら、また意外にも、まるで1年間講師をしていた人に対するみたいな態度で「これは・・・」と説明してくれる。

あれ、と拍子抜け。
みんなこんな感じなの?
ためしに他の人にも同じように接してみる。
あ、ひのきのBクラスにいそうな女の子!きれいな文字がぎっしりと並んでいる。
「すみません、と声をかけられなかった」と書いていたので「そっか、なかなか自分から言えなかったのかー」と普通に話しかけたら、ニコッと可愛く笑って「はい、なんかいろいろやってるときに話しかけにくくて、迷惑かなとか・・・」と言う。
「そっか。人に気をつかってしまうんやね。もっと厚かましくなって大丈夫よ!」と、勝手なアドバイス。
そんなふうに、ほとんどの人と会話を楽しんだ。

世間から見たら、この人たちは何か変なところがあるのかな?
私から見るとみんなひたむきで、心根のやさしい人たちに見えた。
確かに、言葉は悪いけど、ちょっとオタクっぽいというか、あやしい雰囲気の人もいる。
でも、なんだろう・・・全然いいんちゃうん!!
むしろ私は親しみが湧いた。(ひのきっぽいからかもしれない)

あれ、レイブルさんってこんなの?確かコミュニケーションが苦手って・・・。
スタッフの人にそういうと、「プログラム前はもっと違ったんですよ。今日はプログラムを終えて、すごく良くなりました。最初はやっぱりコミュニケーション苦手さが出ていたし、緊張感バリバリでしたよ」と教えてくれた。
そうなのか。
でも、そうだとしたら、このプログラムってすごく大事なこと。
ひのきのときも思っていた。学校の勉強はついていけない。わからない。だから面白くない。でも、「わかる」ことをしてやれば、どんどん興味をもって楽しんで、勉強が好きになる。好きになるとできるようになる。できると自信がつく。このいい循環。
ここは社会人のひのきバージョンか、と思った。

こういう支援っていうのは、本当に大事。
誰でもが同じようにできるわけじゃないのだ。それは能力の違いじゃなくて・・・なんというか、タイミングのようなもの。
環境の違いも大きい。
だから、ちゃんとその人たちの立場に立ったやり方で教えてあげれば、すぐにできるようになるし、みんなこんなにイキイキと輝き出すのだ。
それはもうなんというか、感動だった。

講師の人が言った。
「企業が求めるのはだいたい『明るく元気な人』。なんやそれ。明るく元気な人しか働いたらあかんのかい!」

自分がひのきでいつも言っていたことを思い出す。
「アホで何が悪いねん!」

そういうと引く人もいたけど、引く人はきっとアホが悪いと思っているからなんだと私は思う。
アホでいいやん。たまたまやん。そんなことが人間の価値なんか決めるもんか!

講師の人が皆に聞く。「コミュニケーションが苦手、と思っている人!」
すると、全員が手を挙げる。

皆の書いている分析を読む。
自分の良いところは「無遅刻無欠席」「集中してできた」「最後までやり遂げられた」
反対に課題は「コミュニケーション」「もっとしゃべれるように」「仕事を早くできるように」
これが自己分析だ。

おしゃべりが上手で要領よくテキパキ仕事して、上司にも部下にもうまいことやれる人間が、この世の中では受け入れられるのか?
私は、時間に正確で、集中力があって、最後までゆっくりでもやり遂げてくれる人がいい。
何がどうなってるんだ?この世の中は。

スタッフが「プログラムで変わった」と言っている姿しか私は見ていないけれど、最後の1分間スピーチも、みんな上手にやっていた。
久しぶりに、こんなに真剣で、こんなにひたむきな人たちに触れた、と思った。

また、スタッフの人たちも本当に一生懸命で・・・。
中には自分自身も引きこもりだったという人もいた。
「1年間、仕事していませんでした。今みたいに寒い日はずっと布団の中にいて、トイレに行って、ゴハンも食べずにまた布団に入って・・・そんな生活。あのときは今こうやって皆さんの前でしゃべっている自分なんて想像もしていなかった。だけど、どっちがいいかと言えば、今の自分のほうがいい」

その言葉を聞いて、また得意の感情移入して泣きそうだった。
この人も「何か」を乗り越えてここにいるんだろうな・・・。そして今は、人を助ける立場になっている。素敵なことだ。
みんな同じように「何か」を乗り越えて、輝いてほしいな、と思った。充実した社会人生活を送ってほしいな、と。

「明日、何をするかが大事」と講師の人は繰り返していた。
今日でこのプログラムは終了。明日からまた一人ぼっち。止まったらいけない。このまま歩き続けてほしい。そんなことをずっと繰り返していた。
皆も真剣にうなずいていて、私も祈るような気持ちでそれを見ていた。

ふと昔のひのきの生徒を思う。
あの中の何人かは、今こんな感じになっているのかもしれないな、と思う。
1年接していてもほとんど声を聞けなかった子もいたし・・・。
大人になるまでのどこかのタイミングで克服して、立派に働いているかもしれないけど、もしかしたらコミュニケーションに悩んで鬱々と暮らしているかもしれない・・・。

本当に衝撃的な1日だった。
やる気がないわけじゃない。ただちょっとだけコミュニケーションが苦手で、人に気をつかいすぎて、不器用で、たまたま社会に馴染めなかった時間があっただけの人たち。
そんな人たちの存在を世の中にもっと知ってもらわなければならないし、また1ヶ月のプログラムでここまで変われるのなら、こういう支援はとても大事だと感じた。

今回、この仕事に関わらせてもらえて、とても嬉しい。
自分の書くものが、もし、誰かのためになるのなら。

【余談】
ふと、オードリーの若林くんが「ダ・ヴィンチ」に書いていたコラムを思い出す。
私が読みたいと言っていたら、W氏がわざわざコピーを送ってくれた。
今日のことといろいろつながってる。いろいろ考えさせられた。
またW氏とゆっくり話そう・・・。