月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

強さのかたち

2017-06-23 | 癌について
ずっと奇跡を祈っていた小林麻央ちゃんが亡くなった。

まったく関係のない芸能人だが、昨年自分が癌になっていたときに世間への発表があったので、なんだか勝手に一緒に頑張っているような気持ちでブログを見ていた。
私は一抜けで、元気になった。
それからもずっと、夫と二人でブログを見ながら応援していた。
日に日に弱り、このひと月くらいは特に、弱っていく姿を見て、心が痛かった。
でも、なんとか治ってほしい、なんとか少しでも長生きしてほしいと祈るしかなかった。

訃報を聞いて、芸能人の死に対して初めて泣いた。
残念でならない。

海老蔵さんが会見で話す姿を見て、また涙が出る。
強い人だな、と思う。
いや、たぶん強くなりはったんだなぁと思う。

人と麻央ちゃんの話をしていたとき、ブログで赤裸々に自分の病状などを書くことについて「すごいよね、強い人やね」と言う人が結構多くて、私はそれを不思議な気持ちで聞いていた。

強くなければ、大病の自分のことを冷静に、時にはユーモアも含んで、あんなふうに書くのは無理だと思う気持ちもわかるけれど、「書くことで救われると」いうことを、一般の人はあまり感じないのだなと気づいた。
私は癌のことだけでなく、これまでの人生をずっと「書くこと」で救われてきた人間だから、麻央ちゃんがブログを苦しい日も綴り続けた気持ちが少しだけわかるような気がするのだ。

強いから書けたのではなく、書くことによって(そして、それを読んでいる人がいることによって)、強くなれたのだと思わずにはいられない。

自分を客観視すること。
周りに感謝すること。
ユーモアを忘れないこと。
弱音を吐くこと、時々強がること。
大事な人への想いを綴っておくこと。
誰かの幸せを祈ること。

この1年、ブログでずっとやってきたことは、彼女を救ってくれていたと思う。
そして、たくさんの人を救っていたと思う。

麻央ちゃん、ありがとう。
今はただご冥福をお祈りいたします。

2種類の梅酒を作ってみた

2017-06-19 | 生活
日曜日、夫の実家へ遊びに行ったら、お義母さんが梅をたくさんくれた。
徳島の叔母の庭でとれたものらしく、「かおりさん、梅酒でも漬けたら?」とおすそ分け。

熟しているわけではないのだが、スーパーで売っているような「青梅」ほど青くない。
種類が違うのだろうか、薄い黄色でなんだか可愛らしい。
市販のものではないので、ところどころ傷みも見えたが、とても爽やかないい香りがする。

いろいろ調べてみると、一般的なホワイトリカー以外のアルコールに漬けても美味しいようなので、帰りにジンとウイスキーを購入し、早速漬けてみた。
私は梅酒の甘さがそんなに好きではないので、砂糖は控えめに、さっぱりとした梅酒を目指した。



1か月、3か月、半年、1年、3年と、年月で味が変わっていくのを試してみよう。
暑い日には炭酸で割って、梅酒ソーダにするのもいいかもしれない。
お酒があまり得意でない人が家に来た時にも出してあげられるなぁ。
どんな味になるのかとても楽しみだ。

今年はアメリカ行きでバタバタしているうちに、山椒の時期を逃してしまった。
いつも山椒を下処理して、塩漬けや冷凍にしておき、自家製のちりめん山椒を作るのだが・・・。
夫に「今年は山椒ないねん」と告げると、「え!あれ食べられへんの?」とかなりショックを受けていた。
私も残念だ。
「旬」のものには敏感になっておかないといけないな・・・。


アメリカ旅行 前編 ~あの日夢見た場所へ

2017-06-17 | 
8日に成田空港から飛び立ち、14日無事に帰国した。
さすがに疲れたが、とても中身の濃い充実したアメリカ旅行だった。
もちろん、旅先であや夫妻があれこれと世話を焼いてくれ、どこへでも連れて行ってくれたおかげだ。
なんだか途中で「優しい親戚のおじさんとおばさんの家に遊びに来ている子供」のような気持ちになった。
本当に、申し訳ないほどいろんなことをしてもらって。

到着した日は、広いお庭でバーベキュー。
4人で久しぶりの再会を祝して乾杯!
いい天気で気持ちがよかった。


この日のために美味しいお肉をたくさん用意してくれていて、それがとにかく全部うまい。





トルティーヤで巻くのもおいしかった。


大きなおうちで、2階はほとんどつかっていないので、2階を私達の部屋としてあてがってくれた。
ちゃんと専用のバスルーム&トイレもある。まるでホテルだ。
何の不自由もなく、とても居心地が良かった。

「行きたいところへ連れていくよ」という言葉に甘えて、少し遠かったがニューオーリンズを希望した。
快諾してくれたので、翌日から1泊のドライブ旅。
大阪~東京間くらいの距離があり、本当に申し訳なかったが、としくんとあやの2人に交代で運転をしてもらって、私と夫は気楽に後部座席でくつろいでいるだけ・・・。
どこまでもどこまでもまっすぐな道を走る。


アメリカの空と雲がどこか日本とは違うような気がして。
何が違うのかずっと考えていたら、どこにも山や高い建物が見えないから、目線の高さに空と雲があるのだ。
それがとても近く感じられた。
雲の形を見ながら、あれは何に似てるかなと考える。そんなことするのも何年ぶりだろうかと思った。
(必死に運転してくれているのに、のんきなもんだ・・・)

途中、大規模な石油コンビナートがいくつもあり、それがもう日本では想像もできないほどの大きさなので、びっくりする。
「大きな国だなぁ」と思う。
そして、やっぱり「資源がある」ということは、国力に直結するんだなと思った。
決して戦争を肯定する意味ではなく、はるか昔から世界中で土地の奪い合いが続いてきた意味が実感として迫ってきた。

果てしなく長い道のりをドライブして、14時頃にニューオーリンズへ到着!
6~7時間かかった。(お疲れさま!)
ホテルにチェックインし、まずは皆で遅いランチを食べに行った。
とても感じの良い店で、この辺りの名物的なメニューは一通りある。ビールで乾杯して、いろんな料理を味わった。


生のオイスター!
クセがなく食べやすいけれど、ちゃんと牡蠣のコクはあって。1人6個ずつをみんなペロリ。


フライみたいなのは、なんとザリガニ!
そう、アメリカザリガニだ。こちらでは普通に食べるらしい。
シチューみたいな味が勝ったので、特に「ザリガニ味」というのはわからなかった。普通においしい。


こういうサンドイッチみたいなのを「Po‐Boy」という。
中身はシュリンプ。美味しかった。

他にも、ガンボというスープみたいなのにご飯が入っているやつとか、ジャンバラヤなども食べた。
全部美味しくて満足!

そして、街を散策した。
公園では普通に、いきなりジャズが始まる。


10年前にシカゴへ行った時のことを思い出した。
あの時も3日間、昼から夜中までずーっとブルースライブを聴いてまわってた。
音楽がある街は最高だ。


セグウェイで街をまわる人々。こんなのもアメリカ的で思わずパチリ。

そして、夜のニューオーリンズは、さらに音楽の街へ。
フレンチクオーターやバーボンストリートを歩けば、あちらこちらから音楽が聴こえてくる。
私と夫の希望で、どうしても行きたかった「B.B.King's Blues Club」へ。
BBキングが経営していた店だ。

おおー!やっと来た!


おおー!!


おおおおーーーー!


「ルシール」はBBキング愛用のギターの名前だ。
テーブルに描かれていた。「ルシール」という言葉を口にするだけで泣きそうになる。
思わず「ルシール」というカクテルを注文したら、めっちゃ甘くて別の意味で泣きそうになった。


ライブが始まると、やっぱりバーボンが飲みたくなり、あやに正しい「Maker's Mark on the rock」の正しい発音を教わる。
(前にシカゴで何回言っても通じなかったという嫌な思い出がある)
なんとか伝わって、なみなみと注がれたバーボンを舐めながらブルースを楽しんだ。
残念だったのは、商業的なショータイムといった選曲だったこと。
もう少し本格的なブルースを楽しみたかったが、それでも今ニューオーリンズのBBキングクラブにいるのだと思うだけで気分は高揚した。

もう1カ所、ふらっと立ち寄ったオープンな店でジャズ(などいろいろ)を聴いて。


私と夫はもう少しこの雰囲気を楽しみたくて、ホテルに戻るあやたちと別れて街を歩き回った。


賑やかを超えて、どんどん騒がしくなる夜の街を歩き、また別のライブハウスへ。
そこでも残念ながら本格的なブルースは聴けなかった。
もう少し調べて、お金を払ってもいいから、ちゃんとしたブルースバンドが演奏しているところへ行けばよかったのだが、そこまで気がまわらなかったのだ。
でも、街の喧騒と酒に少し酔い、熱い気持ちでホテルへと戻った。

翌朝、有名な「カフェ・デュ・モンド」へ行き、ベニエとコーヒーで朝食。


タイミングよく座れたが、一瞬で長蛇の列!
ニューオーリンズへ来たら、これを食べなくちゃ!という店なので、みんな並んでいる。
(正直、そんなに美味しいものでもないのだけど)


そして、ついに、ついに、ルイ・アームストロング公園へ!!
それこそ20歳くらいからずっと「いつか行ってみたい」と思っていた場所だ。
当時やっていた同人誌でエッセイまで書いたことがある。
愛と平和を願って歌ったルイ・アームストロングの像の前が、皮肉なことにこの地域で最も治安の悪い場所らしい、と。

朝早かったので、公園にはほとんど人の気配がなかった。
ゲートをくぐり、静かな公園を歩いていった。ベンチに黒人が座っていた。
見上げると、その人は穏やかな表情で迎えてくれた。



ようやく来たんだなぁと、感動でドキドキしながら像へ近づいていった。



青空の下で見上げるルイ・アームストロングは、とてもいい顔をしていた。
公園は静かで、誰も争ったり奪ったりすることなんて考えていないように思えた。

ジャズって何なんだろう。
ブルースって何なんだろう。
自分はどうして黒人の音楽(もしくはそれをルーツに持つ音楽)しか心に響かないのだろう。

ある日、「ブルース」で検索して、夫のブログに出会った。
夫の書く文章に惹かれて、この人に会いたいと思った。
そして、本当に出会えて、結婚した。
ブルースが2人を繋いでくれたし、「ブルースをわかる」ということが、今でも私達のベースになっているように思う。
自分の一番深いところが、同じ人なのだ。

2人でまたひとつ、同じものを見て、感じられたことに感謝。
四半世紀前、夢に見た場所にようやく立つことができた。

公園を出て、アメリカ最古の大聖堂「セントルイス大聖堂」へ立ち寄った。
海外に来ると、どうしても「信仰」というものについて考えざるを得ない。


帰りもまた長い長い道のりを車で走る。
行きと違って大きな湖の真ん中にかけられた、長い橋を何十分もかけて走った。
右も左も前もほとんど360度すべてが水平線のような不思議な空間を駆け抜けていくのは爽快だった。
こんな湖の真ん中に橋をかけてしまうアメリカ人。ほんまスケールが違う。


としくんが美味しいハンバーガーの店を調べてくれたので、大きなチーズバーガーをお昼に食べた。
美味しくて大満足!
日本にいたら、年に1、2回しかハンバーガーを食べることはないが、本当は結構好きなのだ。
しかし、こんなものばっかり食べてたら、そりゃ、アメリカ人太るわ!


帰り道はまた湿原を走る。


途中、休憩で降りたところにワニがいた。


すごい風景だった。原始的だ。


家に着くと、運転で疲れていると思うのに、2人でせっせと夕食を準備してくれた。
この日のメインはカニだった。


出してくれるものすべてが美味しくて、ビールやワインもたくさん飲んだ。
日本にいた時、4人でたまに飲んでしゃべっていたことを思い出すような、親密で明るいディナーだった。
とりとめもない話が続き、ひたすら盛り上がり、気づけば夜中2時半。
さすがに明日もあるからお開きねと、それぞれの寝室へ。
疲れているのに眠ってしまうのが惜しいような夜だった。
(人生のうちで、たまにこんな特別な夜があるよね。)

今回の旅は本当に中身が濃くて、あれもこれも楽しかったけれど、なんとなく今思い返すと、この夜が一番楽しかったように思う。
場所はどこでもいいんだろうな。
みんなで美味しいお酒を飲みながら、たわいもないことをしゃべって笑っている、そんな時間が私は好きだ。

(後編へつづく)

文化的雪かきの楽しさ

2017-06-06 | 仕事
いよいよヒューストンへ旅立つ。
と言っても、明日は仕事で東京へ移動するだけ。実際はあさっての午後の便で成田空港からのフライトとなる。

明日は仕事の一貫だが、実際には仕事というよりも勉強と懇親会。
私がお世話になっている日本酒雑誌の社長が主催で開く試飲会に呼ばれて、東京まで出向くのだ。
海外で造られている日本酒ばかりを集めた試飲会で、参加者は業界でとんでもなく偉い人ばかり。

「○○さんも来ますよ」
「えっ!私、その人の書かれた本、持ってますよ~!」
みたいな人ばかり。

私のような引っ込み思案の人間にとったら、恐縮、萎縮、不安しかないのだが、夫に話すと、
「かおりもいよいよ業界人やな!」と楽天的。
私以外が全員、業界の人なのに・・・。本当に場違いだ。

しかし、こんなチャンスは滅多にないので、しっかり勉強させてもらおうと思う。
試飲会の後は懇親会もあるので、少しでも情報を得たり、人脈が広がったりすればいいなと思う。
よくよく考えてみれば、逆にここまで下っ端すぎると虚勢を張ることも頑張ることもなく、ただ「学ばせていただきます」というスタンスで謙虚に粗相のないようにだけしていればいいので、かえって楽なのかもしれない。

そして、旅立ち前の追い込みだ。
1週間休むのだから、そりゃ、仕事も詰まってくる。
でも、5年ぶりの海外、10年ぶりのアメリカ、何より半年ぶりのあやに会えるので、気持ちは自然と高揚する。
楽しみすぎて、落ち着いて原稿が書けない。

そういえばこの間、マキコちゃんに新しい仕事先を紹介してもらったら、その事務所が日本にいたときのあやの家の近くだった。
マキコちゃんと一緒におしゃれでハイソなその街を歩き、事務所へ。
懐かしいなぁと思った。もう4年は行っていなかったから。
なんでこんなおしゃれな街に、制作事務所をかまえたのかということも不思議。
会ってみるとその人はとても優しくてダンディな人だった。マキコちゃんの元同僚(上司?)
医療系のクライアント専門の制作会社をやっていて、病院の先生はどうしても難しい言葉でしか文章を書けないので、話を聞いて一般の人がわかりやすい言葉に変換して、病院のHPなどを制作してほしい、というのが依頼だった。
診療内容もそうだけど、先生の想いや病院の方針なども書く。

医療系の知識はないけれど、たぶん一番得意なやつだ。
人の話を聞いて、わかりやすく文章にするということ。人の想いや信念を代弁するということ。
自分で見て聞いて感じたことを好きなように文章にして、それでお金を稼げたら一番いいのだろうけど、私のようなただのライターにはそれは無理な話で。
昔は、お金にならなくても自分の書きたいものを書いて、生活は別のことで稼ぐ道を考えていたこともあったけど。
でも、結果的に私はこの村上春樹の表現するところの「文化的雪かき」が気に入っている。
自分でなくてもいいけれど、誰かがしなければならないこと。名前など残らない。

ただ、お年寄りや忙しい人や大きすぎる家人の雪かきをしてあげるのだったらどうだろう。
「ありがとうございます。私ではできなくて・・・」と感謝される。
中には「そんなスピーディに美しい雪かきができるなんて!」と褒めてくれる人もいる。
自尊心より、読者より、結局は取材相手が喜んでくれることが一番うれしいし、私にとってはそれがすべてなんだよなぁと思う。
500年続く銘酒蔵の社長や専務が日本酒イベントや式典で私に会うと、「あなたの記事が私達の蔵のすべてを書いてくれていました。当社を説明するときはあの記事のコピーをお渡ししています。そのほうが口で説明するよりもわかりやすいので」と言ってくれる。
こんなに嬉しいことはない。

今回、マキコちゃんから紹介してもらった医療系の仕事も、そんなふうになるといいな。
世の中には頭がよくても自分で書けない人がたくさんいる。
そんな人の“雪かき”をお手伝いするのが、ライターの仕事であり、喜びだと実感する。
顔合わせの帰りに、おしゃれなカフェバーで4時半からキッシュをアテにビールを2杯ずつ。

マキコちゃんの紹介だから、やっぱりいい人だった。
あとでその人に見積りなどをメールしたら、「マキコさんの紹介なので信頼しています」との返信。
マキコちゃんも、この人になら私を紹介できるし、私にもこの人を紹介できると思ってくれた。
まさに3人の間の信頼でのお仕事。
絶対に裏切れない。

帰って夫に話した。
嬉しいのは、仕事がもらえたことではなくて、「かおりさんなら」と信頼して紹介をしてくれること。
そして、月に一度くらい飲みに行く「飲み友達」でもあるけれど、自分がもし今までにいい仕事をしてこなかったら「飲み友達」にもなれていない。プライベートで良い関係が結べるのは、仕事で結果を出しているから。
そう思えるから、飲みに誘ってもらえることも嬉しいし、どんなに忙しい時期でも彼女からの頼みであれば私も絶対に引き受けようと思うのだ。

人は、人によってしか成長しないと私は思う。
自分だけで成長できると思っていたら、本当の天才かバカか、どちらかだ。
私はどちらでもないので、人からたくさんのことを学んでいる。
そして、そのためにもできるだけたくさんの人と出会いたいし、いろんな人の想いを聞いてカタチにしたいのだ。

読んでいる時間が心地よい。これが文学なのだな。

2017-06-02 | 
ピース又吉直樹氏の「劇場」を読んだ。

ネタバレになるので内容には触れないが、読んだ後に「ああ、この人は“文学”というものを本当に愛して、そうやって生きてきたんだなぁ」と思った。

あらすじを教えてと言われたら、2行くらいで語れる。
つまり、ストーリーはシンプルなのだ。
文学を読まない人なら、「よくあるようなストーリー」と言うかもしれない。
そう思う人は、エンターテイメント小説か推理小説を読むほうがいい。
決して文学をわかる人間が偉いわけじゃないのだから。(むしろやっかいかも)

私は本当にこの人の書くもの、好きだなぁと思った。
芸人として、というか、コントなどの世界観は共感できなかったのだけど。

でも、「火花」もよかったし、それ以上に「劇場」はよかった。
苦しんで書いた感じが伝わるのもよかった。
それだけ魂がこもっていた。

今の時代に、文学を書ける作家が現れたと思った。

私は大学で、文学部国語国文学科国語国文学専攻という、早口言葉みたいなところで学んでいた。
自分の最終的な卒論は鎌倉時代の説話だったけれど、ずっと近代文学を学んでいた。
あの頃に、文学史に載っているような作品はほとんど読んだ。

なんだかあの頃に読んだ文学を思い出させるような、そんな作品だった。

「泣いた」という人もいるのを知っていて、作品の出来とは関係なく、「どこで泣くんじゃい!」と思っていたら、最後の3ページくらいで急にきた。
本当に急にきたのだ。

そして、読み終わった。
ドキドキもハラハラもしない、人生に影響を与えるようなストーリーは何もなかった。
ただ、読んでいる時間が心地よかった。
それが文学なのだよなと、思い出した。

よくあるようなストーリーだけど、人物の性格や想いや葛藤や生き方が明確で。
いやらしくて、みじめで、情けなくて、弱くて、虚勢をはっていて。
そんな人がどう生きるのか、それを赤裸々に綴っている。
すごいなぁと思う。

又吉先生。
やっぱり今は好きな作家の1人になっている。