月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

noteを始めてよかった

2021-11-26 | 想い
岡山旅行の2日目を書くはずだったが、脱線。

今年の1月末くらいから、noteにアカウントを作って書き始めた。
昨年からコロナで少し暇になったこともあり、この間にもう少し「作品」らしいものを書いていきたいと、最初は自分のホームページに書いていたが、まったく人の目に届かないので、やる気を失っていた。
そんな時、人に勧められて、noteを始めた。
noteをポートフォリオ的に使っているライターも多いとのこと。使ってみると書きやすいし、いろんな人の書いているものも見られるので面白いなと思った。

と言っても、まだ3月頃まではそれなりに忙しく、月に2~3本ペース。
5月頃から暇になったので、ぼちぼち本腰入れて書いていこうかなと思っていたら、私のある記事が「今日の注目記事」というnote編集部が選ぶもの(何の基準かは謎)にピックアップされた。
これが爆発的にヒット(?)し、一気に1万以上のビューがついた。(ビューは見られているだけ)
同時に、「スキ(noteでの、いいね!)」をたくさんいただき、フォロワーもぐんと増えた。
この頃、100人くらいだったと思う。

不思議なもので、見てくれる人が増えると急に張り合いが出てきて、6月は20記事以上を投稿した。(かなり暇だった)
毎日がとても楽しかった。

このブログは、いわば私の備忘録的なもので、だいたい30分くらいでパーッと書く。
もちろん「作品」の意識はない。「日記」に近い。
感覚としては「吐き出す」感じで、「創り上げる」のとはまったく違う。
だから、友達など親しい人や通りすがりのネット住民に見られるのはいいが、仕事の関係者などには絶対に見られたくない。
検索にも引っかからないように固有名詞を避け(もちろんハッシュタグも入れず)、出会った人にこの存在を話すこともない。

一方、noteは毎回「作品」として「創り上げる」ことを意識した。
ここのようにダラダラ書くのではなく、人が読みやすい1200~2500文字くらいを基本に、ちゃんと「エッセイ」として成立するようなものを書いていった。
便宜上、ハンドルネームは使っているものの、プロフィールには自分のホームページをリンクさせているし、素性も明らかにしているので、プロのライターが書いているとわかるからだ。変なものは出せない。

毎日何を書こうかなと考えて、1時間とか、時には2時間くらいかけて書く。
このブログのように思考の速さで書くのではなく、ちゃんと練って書き、時間をかけて推敲する。
「作品」として出せると思えたらアップする。
仕事と同じような感覚で書いていった。
でも、仕事と違うのは、「書きたいものを書ける」ということ。テーマは自由だ。
ネタはいくらでもあった。

そうやって書いていく中でまた3本くらい「今日の注目記事」に選ばれたものだから、フォロワーが300人くらいになった。
私もできるだけフォローバックしていたが、その頃からだんだん追いつかなくなってきた。

7月以降は月に10~15記事くらいに減ったが、フォロワーはどんどん増えていった。
そうなると、今度はフォロワーさんたちのやりとりが楽しくなる。
これ、何かに似てるなぁと思ったら、私が20代後半から30代前半くらいにやっていた自分のホームページへの訪問者との関係に似ているのだった。
偉そうだが、私の「ファン」のような人が増えてきて、毎回楽しみに読んでくれ、コメントを残してくれる。
私もその人の書くものを読みに行ってコメントを残す。
だんだん「親しい人」のような感覚になっていく。
この感覚が懐かしかった。そして楽しかった。

フォロワーが1000人を超えたら、周りの友達にも「noteやってるねん」と言おうかなと思っていた。(現在800ちょっと)
そうしたら、先日、noteで行われているエッセイコンテストで私の作品がグランプリを受賞するという、びっくりな出来事があった。
3,649件の応募作品の中のグランプリ。つまり、一等賞だ。
ちゃんとしたクリエイターの審査員(たとえば、犬山紙子さんとか)がつき、企業がスポンサーになっているので、賞金も10万円もらった。
さすがにこれは友達にも報告したいと思い、noteやってるねんけど、という説明から始めてグランプリ受賞を伝えた。

受賞は本当に嬉しかった。
仕事ではない、自分が創り上げた文章が初めて公で認められたのだから。
作家になりたかった私としたら、小説ではないものの、かなり近い感覚の喜びだった。
「書く」ということに関しては、人生で1、2を争うほど嬉しかったんじゃないだろうか。
受賞を知った時は、文字通り、跳び上がった。人ってあんな跳ぶんだ、と思ったほど、ぴょんぴょんと。

知らせると、友達は「友達」だから、当然喜んでくれた。
受賞作品を読んで「よかったよ」とか、審査員の評価を読んで「大絶賛やったね」とか、私と同じように喜んでくれた。
そのことはもちろん嬉しかったが、びっくりしたのはnoteで知り合ったnoteの住人の方たちが、友達と同じように喜んでくれて、愛情のこもったコメントを残していってくれたことだ。
自分のことのように、「おめでとう」「よかったね」「嬉しい」と。
「かおりさんの文章が好き」「これからも楽しみにしています」とコメントしてくれる人もいて、受賞よりもそのコメントに涙してしまった。

「note始めてよかったな」と夫がよく言う。
私が目に見えてイキイキし始めたからだ。仕事以外でパソコンに向かっている時間が増えたからだ。
本当によかったなぁと思う。

小さな小さな賞ではあるけれど、50歳にしてようやく受賞した。
やっと「書く自分」を認めてもらえた気がする。
仕事では「書いたモノ」を認めてもらってきたけれど、今回は自分発信の文章だから、認められたのは「書く自分」のように思えた。
それは似ているようで、大きく異なること。

20代の頃からずっと書きたかったし、書くことで認められたかった。
やっと今、心の底から「書いてきてよかった」「あきらめなくてよかった」と思えるし、「これからも書いていっていいんだ」と思える。

おごることなく、虚勢を張ることもなく、謙虚に、地道にコツコツと、でも前向きに、書き続けていこうと、改めて決意した。


※このブログはこれまで同様に日記的なものとして続けていきますが、興味がある方はnoteもたまに覗いてみてください。
こちらから

※受賞のお知らせはこちら
※受賞作品はこちら

岡山旅行1日目 倉敷

2021-11-23 | 
現存12天守の城めぐりも、あとは備中松山城だけ(夫は弘前城も)ということで、20日~22日まで夫と岡山に行っていた。
今回はキャンプではなく、ホテル泊の旅行。
いつもキャンプをしていると、寝床を作る、薪を割る、火をおこす、水を汲む、料理する、片づけるなど、とにかく労働で忙しいのだが、旅行は楽だ。2泊3日、ひたすら遊びまくった。

1日目は倉敷へ。
途中、播磨のサービスエリアで牡蠣が200gも入った素麺を食べた。
さすが牡蠣の産地!すごく美味しかった。



倉敷では、当然、大原美術館へ。
夫と一緒に行くのは2回目、私自身は3回目だが、ここは何度行ってもいい。
児島虎次郎が素晴らしかった。
「朝顔」の光と少女の美しさに見惚れる。
本館を出て、「何がよかった?」と夫に聞くと、夫も同じだった。夫は「朝顔」の小さな額を買っていた。

私は絵心があまりないので、実は楽しみなのはいつも「本館」より「工芸館」。
夫も私の影響で民藝の知識がつき、「濱田庄司いいよね」「寛次郎の作品は家にあるとちょっと落ち着かないかも」「河井家の釉薬やなぁ」などと言いながら陶芸作品を一つひとつじっくり見る。
いい作品を見ていると、私の中に風が吹く。
とても心地の良い風だ。
エミリー(モンゴメリ作品の)の言うところの「ひらめき」にも似ているかもしれない。
美しいものはいつも私を潤してくれる。

その後、美観地区をうろうろと歩いた。







途中で倉敷民藝館にも立ち寄った。



展示だけでなく、マーケットのようなイベントをしていたので物色していたら、掘り出し物を発見。
ちょうど「これくらいの大きさ、深さのお皿が欲しかった」と思っていたので、すぐに手に取った。
2000円でも安いのに、なんと1000円に値下げされていたので、もちろんお買い上げ。

それから創業50年の老舗喫茶店「珈琲館」に入り、ネルドリップで淹れてくれるおいしいコーヒーを飲んだ。
静かで穏やかで、いい時間だった。





車を駐車場に停め、一度ホテルにチェックインしに行き、すぐにまた街へ。
夜はおいしい料理と地酒をたのしんだ。

つき出し3品


ブリのお造り


穴子煮


地蛸の天ぷら


しかし、2軒目の店がややこしかった!
入るとすぐに愛想のない店主が「料理に時間かかるけど、いいですか?」と言う。まだ時間も早かったし、少々待つのはいいと思い、「かまいません」と言うと、「こちらへ」と案内された。
それがなんと、広めの個室で、すでに4人グループが入って盛り上がっている!
その横に入るように言われたのだが、私たちが入ると一瞬場がヘンな空気になった(そりゃそうだ)。
「すみません…」と頭を下げながら入り、居心地の悪い席に座る。
でも、メニューを見るとやっぱり美味しそう!私が選んだ店なので、味は間違いないはずだ。
2軒目なので、2~3品に絞ろうと、夫と「あれと、これと頼もうか」とワクワクしながら決めていると、さっきの店主がつき出しを持って登場。
日本酒の銘柄はメニューに書いていなかったので、「日本酒おすすめを1合」と頼むと、岡山地酒の「多賀治」を持って来てくれた。
つき出しは子持ち昆布。おいしいし、お酒もおいしい。
ただ、「料理の注文を…」と言おうとすると、「まだつき出しがあるんで」と言う。
そうか、最初に言っていたように忙しくて料理がなかなか出せないから、つき出しでしばらく飲んで待っていて、ということなんだなと解釈し、注文は待った。

しばらくすると、「つき出しです」と、2品目が来た。モズク酢だ。これもおいしい。
隣のグループとの間に、仕切りも引いてくれた。それで少しくつろいで、しばしモズク酢と日本酒を楽しむ。
しかし、2軒目でお腹がそんなにすいていなかったのに、つき出しで2品。
「とりあえず、焼き魚でも頼もうか」と二人で話し合い、お酒もなくなったので呼び出しベルを押した。

しばらくすると店主が来たので「あの、注文を…」と言うと、「まだつき出しがあるんで」と言う。
え?まだあるの?!
「はぁ…」という感じで、とりあえず「じゃあ、日本酒また1合お願いします」と頼んだ。

その後、3品目のつき出しがやってきた。魚の南蛮漬けだ。
また美味しいんやろうなと思いながら口にしたら、やっぱり旨い。私が自分で作るのと同じタイプの南蛮漬けで、酸っぱくなくて、出汁が効いている。
そのうえ、日本酒は「田酒」の純米大吟醸だ。
なんでもないように持ってきたけど、滅多にお目にかかれないし、もし東京で飲んだら1合いくらするかわからん……

「1合で3000円とかいくんちゃうん?」
「いや、おすすめやのに、それはないやろ」
など二人で言い合いながら飲んでみると、ヤバイ、うまい。さすが、田酒!!

おいしいよ、つき出しもお酒もすべてがおいしいよ。
でも、うちらまだ1品も好きなものを注文してへんねん!!

これでつき出しも終わったし、さすがに注文してもいいやろと思い、また呼び出しベルを鳴らしたら、店主が来た。
夫が「あの、注文を…」とまたいうと、今度は「ああ、そしたら刺身でもいきますか」と言う。
私はもう堪忍袋の緒が切れて、「いやだ、刺身はさっき食べたから!塩焼きで!」と強く言うと、店主が「塩焼きですか。うちは炭で焼くんで、15分くらいかかりますけどいいですか」と言う。
もう何でもいいから食べたい物を食べさせてくれ!と思い、「いいです!」と言うと、わかりましたと出ていった。

それから、待てど暮らせど、塩焼きは出てこない。
30分経ってようやく店主が来たと思ったら「今日は炭がなかなか火がつかないのでもう少しかかります」とのこと。
は~?
炭くらいオープン前におこしとけや!!

結局、45分くらい経って、太刀魚の塩焼きがやってきた。(塩焼きというだけで、魚の種類も聞かされていなかった)
「お待たせしました」もなく、「太刀魚です」の説明もない。愛想笑いもない。
でも、もうね、何がいやって、そんな店主の態度ではなく、おいしさが見てわかること。絶対おいしいやん!!
こんなに待たされて、勝手なことされて、腹が立つのに、出すもの出すもの全部おいしいって何よ!!

箸で身をほぐすと、ふっくら。
口に運ぶと、焼き加減も絶妙。うまい。
そして、田酒の純米大吟醸。

憤りと恍惚感という逆の感情が入り交じり、精神が崩壊しそうだった。

食べ終わり、本当はまだ食べたい気持ちはあったが、もうあの店主には付き合いきれないと思い、夫と「出ようか」と話す。
呼び出しベルを鳴らしたらやってきて、「次はあんきも…」と言う。
ちゃうねん、ほんま、ちゃうねん。
あんたの店、メニューちゃんとあるやんか。めっちゃ細かく書いてあって、値段ものせてるやん?
こっちはあれこれ食べたいなぁっていっぱい話し合って、もう口がそうなってるねん。
それやのに、つき出し3品。
まあ、それは店のやり方なんやったら仕方ない。でも、最初にそう説明してくれたらいいやん?
それに、せめて料理はこっちに選ばせてや。メニューあるんやから。
何よりも炭焼きにこだわるんやったら、オープン前におこしといてや。

そう言いたい気持ちをぐっとこらえていると、夫が「お勘定。すみません、今日は2軒目なんで」と言ってくれた。
さっさと荷物を持ってレジに行くと「2軒目でしたか」と店主。
人の良い夫は「そうなんです。でも塩焼きめっちゃおいしかったです!」なんて愛想をふりまいている。
すると店主は「うちは炭でしか焼かないので」と偉そうに言う。
いやいや、そうじゃなくて、「お待たせしてしまってすみません」やろが。

ただ、料金は安かった。5000円。
なるほど、店主のさじ加減で料金も決めるタイプの店ね、と思う。全部「おすすめ」だから。
田酒が安くてホッとした。それだけは良心的だった。
でも、日本酒2合と太刀魚の塩焼きしか頼んでないけどね。あとはつき出し3品。

店を出て、夫と「なんや、あの店!」と言い合う。
しかし、2人とも一致しているのは「なんでうまいねん!」ということ。
これでまずければ、変な店に入ったなぁということで落ち着くのだが、心のどこかで「もう少し食べたかった」と思っているのだ。

ヘンな不完全燃焼。
こうして、倉敷の夜は暮れていった。

うまくいったり、いかなかったり

2021-11-18 | 仕事
夏の間はひまで、家では「ご隠居さん」と呼ばれていたが、急に忙しくなった。
毎年のことだが、10月~3月までが繁忙期となる。
今年はコロナが落ち着いてきた時期とも重なって、人と会う予定もいくつか入り、それでさらにバタバタしながらの繁忙期に突入した。

今月はまだ半ばだというのにすでに取材を5件終え、あと3件入る予定がある。
来月は出張が2回。(神奈川と佐賀)
やっと本調子。やはりこれくらいは仕事がないと、日々のやりがいがない。

新案件もスタートした。
いろいろな企業のブランディングをしている会社のメインツールで、社員のインタビュー記事を作成し、それをさまざまに活用していくというもの。
これまでは内部スタッフでインタビュー・執筆とやっていたようだが、規模を拡大するためなのか、外部ライターを何人か抱えて進めていくことになったようで、私もそのうちの1人として仕事を請けることになった。

取材はすべてリモート。
おそらく月に2~3本の仕事になりそうだ。
いろいろな企業の「はたらく人」を取材して記事を書くというのは、私が一番数多くこなしてきたことだし、やりたいことでもある。
間にちゃんとディレクター(男性)も入ってくれるし、この人がまた、ものすごく私の好きなタイプの仕事のやり方をしてくれるので、安心している。

好きなやり方というのは、まず「レスが早いこと」。
東京の人なのでやりとりは基本メールだが、とにかくメールの返信がすぐに来る。
それから、「マメであること」。
こちらが「いや、もうそこまでいいですから」と言いたくなるほど、マメに反応してくれる。
さらに、「指示が的確で早いこと」。
この間、初の取材があったのだが、終わって2時間後くらいにはもうzoomの取材動画を共有してくれて、記事の1~4章までの構成まで書いて送ってくれた。
その構成がまた、私が取材を終えて頭の中でイメージしていたものとほぼ同じ。
私がこれまでやってきた仕事はほとんど「丸投げ」だったので、ここまでしてくれるんだ!と感動。
これだけでも十分、信頼できる仕事ぶりの方なのだが、おまけに気遣いがすごい。
先日は、原稿締切の前日に「お疲れ様です!」とメールが来て、なんとスタバのドリンク2杯分のチケット(QRコードで読み取るやつ)が送られてきたのだ。(1000円分)

東京の人だからか?このスマートなやり方は。
感動して、お礼と共に「本当は今日提出したかったんですが、取材が続いて締切当日の提出になってしまいます。すみません。コーヒー飲みながらあと少し頑張ります」と返信したら、またすぐに返事が来て、「催促したのではないですよ。もしそう思われたのならすみません。明日、原稿お待ちしています」と。

いつもこの調子で、「D」⇒「私」⇒「D」と、ディレクター発信なのに、最後は必ずディレクターで終わる。
D⇒私⇒D⇒私、と最後が私になるよう頑張ってみても、結局、もう一度返信が来てしまう。
早くてマメ!!
私はこういう人と仕事をするのが大好きだ。

逆に、レスが遅い人、報連相ができない人、指示があやふやな人が苦手。
一緒に仕事をする相手が「待っている」ことを想像できないんだろうかと思う。

とにかくこの新案件はいい感じの人たちと、いい感じでスタートした。
Dだけでなく、クライアント(若い女性たち)もみんな気さくで感じがよかった。

第一回目の取材は、取材対象者、D、クライアント2名、Dの相棒(同じくディレクター、こちらは女性)と私という6名で行った。おそらく私を「品定め」していたのだと思う。
私以外に外部ライターは6人いて、「とりあえず11月は全員に1本ずつやってもらう」と言われていたので。
きっとこれは試験的なものなんだろうと理解。
ここから誰かを選ぶという意味ではなく、あまりにも先方が求めるものと違う仕事ぶりの人は断るということなんだろうと思う。
だって、リモートだから。
全員初対面だから。
もちろん過去の実績などは提出しているし、顔合わせ(リモート)もしているけれど、仕事ぶりはやってみないとわからない。

リモート取材は苦手だが、でも今回はリモートでよかったなと思った。
数年前なら取材も訪問だっただろうし、首都圏在住のライターしか声をかけられなかっただろうから。
どこにいても仕事ができる。
だから、今回のように東京の案件を受けることもできたのだ。ありがたいことだ。

で、取材はどうだったかというと、取材相手に恵まれて、ものすごく語ってくれる人だったから楽だった。
時間は45分と決められていたので、時間を見ながら進行していたのだが、これもPCで時間を見やすくていいなと思った。
終わったらDからメールが来て「なめらかな取材運び、時間配分もお見事で感服いたしました」とあり、ふぅ、とりあえず第一関門は突破したかと胸をなでおろした。
原稿も昨日提出した。お礼メールはすぐ来たが、内容に関することはまだない。ドキドキするなぁ。
新しい仕事の1本目は、やっぱりワクワクとドキドキが半々だ。

しかし、一昨日、半年ぶりに酒蔵取材だったのだが……
行ってみたら、なんと、社長のインタビューがリモートだった!!
結構大きな会社だったので、広報担当や営業担当が出てきて蔵の中を案内してくれ、社長取材はあとで着座でということだったのだが、蔵見学を終えて社長室に入ってみると……モニターに社長が。
副社長と営業本部長はいて、「社長は少し体調が悪いのでリモートでお願いします」と言う。
自分の家で、自分のPCでリモート取材は何度もあるが、会社に訪問しているのに社長不在でリモートというのは初めてだった。

正直に言うと、あまり良いインタビューができなかった。
突然の状況に動揺していたのもあるし、自分のPCとは違うので、こちらの声をちゃんと拾ってくれているかどうかとか、どこを見たらいいのかとか、いろんなことが気になってしまい集中できなかった。
それも、その様子をじーっと、社内の人が3名、こちらのスタッフが3名、そばで見つめているわけで。
お世辞にも「上手な取材」ではなかったと思う。
リモートの一番悪いところが出た。インタビューが一問一答形式になってしまい、広がりもしなければ深まりもしないという……。

というわけで、ややしどろもどろの質問に、形式的に答える社長、という感じになり、あっと言う間に終了。
自分で言うのもなんだが「薄ーい取材」になってしまったのだ。
不完全燃焼のまま、現場を去った。

自分の悪いところも出たなぁと思う。
計画人間なので、アドリブが苦手。想定外の状況への対応能力が低い。
こういうのはどうやって鍛えたらいいものか。

ちょっと落ち込みながら帰って、ビールを飲んでふて寝した。(←こういうのも悪いところ)

今シーズン最初の蔵取材だったのになぁ……
これから年内にあと2社まわるので、そこで挽回しよう。

まあ、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあるさ。
あまり引きずらず、前向きに対処しよう。(薄い取材だったが、せめて良い原稿に仕上げよう)

最高の富士山キャンプ(富士エコキャンプ場~ふもとっぱらキャンプ場)

2021-11-08 | キャンプ
10月29日から11月1日までは3泊4日で富士山キャンプへ行った。
去年はコロナ自粛で行けなかったし、夏も北海道キャンプをあきらめたので、寒い時季だったけど強行した。
秘密兵器はこれ。ソーラー発電機&蓄電池。
いよいよこんなものまで持って行くようになってしまった。
これがあると電源のないサイトでも電気マットを使えるので夜が安心なのだ。


その他いろいろ荷物をハスラーに積み込んで、いざ出発!
途中、静岡県に入って車の中から富士山が顔を出すと「わぁぁ!」と二人で大声をあげた。
やっぱりいいなぁ、富士山。


今回最初に泊まったのは、富士エコキャンプ場。正確には山梨県になるが、静岡県との境にある。
もちろんサイトから富士山が見えるのが売りで、実際テントを張るとこんな感じだった。


しっかり富士山が見える。


夫がリモートワークで1時間半も会議をしていたので、その間、私は一人でゆっくり富士山を眺めながらビールを飲んでいた。
だんだん日が暮れて、赤く染まっていく富士山は本当にきれいだった。


翌朝はもっと素敵なことが待っていた。
まずは、ダイヤモンド富士!
日の出、もしくは日の入りがちょうど富士山の頂上に重なるという、滅多に見られない瞬間だ。



朝が生まれた!

太陽が昇るのと同時に世界が少しずつ明るく暖かくなり、緑も輝き始めた。
体が急に温まり、太陽の偉大さを感じる。

生きとし生けるものは皆こうやって、太陽に生かされているんだなと、そんなふうに思ったら、世界が全て自分と繋がっているような気持ちになって、なんだか心強かった。

富士山のふもとでじんわりと太陽の光を浴びながら、自分の感受性が驚くほど開くのを感じていた。

そして、午後からはまた嬉しいことが。
関東に住む親友夫妻、あやととしくんが来てくれたのだ。
酒屋で集合し、スーパーもまわって、日本酒と食材を買い込んでキャンプ場に戻った。
天気が少し悪くなってきていたので、2人に富士山を見せてあげられないのではないかと焦ったが、なんとか顔を出してくれたのでホッとした。

そこからは楽しい宴の始まりだ。
カツオの藁たたきやお刺身、ローストビーフ、焼肉、アボカドチーズ焼き、厚揚げ、鮭のホイル焼き、燻製盛り合わせなど、いろいろ作って食べながら、静岡酒(磯自慢、開運)で乾杯した。

夜は焚き火も。
普段より高く薪を積み上げてキャンプファイヤーのようにした。


いつも夫と二人でも楽しいが、友達とやるキャンプはまた違う楽しさがあった。
いろんな話をして、お酒を飲んで、満点の星空を見て。

翌朝、またダイヤモンド富士が見られたらいいなと思っていたのだが、なんと雨が降り出してしまった。
雨の中のテント撤収は辛かったが、なんとかみんなで協力して荷物を積み込んだ。
一緒に温泉に行って、冷えた体を温め、美味しいお蕎麦を食べた。
2人とはお蕎麦屋さんの駐車場で別れた。

2人が見えなくなると、夫が車の中で何度も「寂しいなぁ」と言う。
4人でいるのが本当に楽しかったので、なんだか2人だと物足りないような気分になった。
寂しいねと話しながら、私たちはもう1泊あるので、次のキャンプ場へ。

ずっと行きたかった「ふもとっぱら」だ。
とんでもない広さのキャンプ場だが、それでも土日はいっぱいになる。
今回も本当は4人の時にふもとっぱらに行きたかったのだが、予約がとれなかったのだ。
私たちは日・月曜だったのでなんとか入ることができた。

天気は日曜から下り坂と聞いていたので、期待していなかったのだが、着いてみると少し晴れ間が出始めていた。
夜になると、暗闇にくっきりと富士山が浮かぶ。
これはもしかして・・・晴れる?
テントの灯りと、その向こうに見える富士山がなんとも幻想的。


翌朝、夫より先にテントから出て、思わず声が漏れた。
急いで夫を起こす。「見て見て!」



これかぁ……、キャンパーがみんな「ふもとっぱら」を目指すわけは。
こんな富士山の裾野まで見えるキャンプ場、他にはない。

しばらくすると、富士山の右側から朝陽が。
それはもう言葉に表すことができないほど、美しい景色だった。
太陽と同時に左側に飛行機が現れ、まっすぐに高く飛行機雲を伸ばしていく。


ここにいる何百人という人たちが感動で震えていたと思う。
いつまで見ていても飽きることがなかった。



刻一刻と表情を変えていく富士山。


無理をしてでも来てよかった。
帰りは運転する夫も、隣に座っているだけの私も、とにかくへとへとだったけど、それでも来た甲斐があったねと、何度も話した。
また富士山に会いに行こう。
今度は春ごろがいいだろうか。
本当に盛りだくさんで最高の富士山キャンプだった。