月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

初めての胃カメラと地獄の夜

2022-07-28 | 生活
27日は胃カメラの日だった。
私は胃カメラが初めて。これまではバリウムを飲んでぐるぐるまわる検査しかしたことがなかった。

「口からと鼻からどちらがいいですか?」と年配の優しい看護師さんに聞かれたが、どちらがいいかわからない。
「どっちでもいいんですけど、結構えずくタイプです」と答えた。
私は板ガムが食べられない。あのサイズのガムは噛んでいると必ずえずく。硬い肉も噛んでいるうちに必ず「うえっ」となる。
「じゃあ、鼻からしましょうか」と言われ、うなずいた。

最初は左の鼻にチューブを入れたのだが、これがどうにも通らない。
私が「痛い、痛い」と言うので、左は断念。「右でもやってみていい?」と看護師さんが言うのでやってみたら、今度は何とか通った。
言われるままに、薬を吸い込んで飲み込む。
看護師さんはまるで子供を扱うように、「あ~、苦いね、苦いね。ちょっと我慢しようね」と優しく言ってくれる。
私も急に子供に戻ったみたいな甘えたい気持ちになる。
そうしているうちに、じろう先生がやって来て、鎮静剤を注射され・・・

「・・・さん、・・・さん!」
名前を呼ばれて、ハッと目覚めた。
ソファのような椅子に座っている。あれ?さっきまでベッドで横になっていたのに?

看護師さんが「よく寝てましたね~」とニコニコ笑っている。
麻酔で寝てたのか。すごい、一瞬でここまでワープした。
ベッドからソファまで誰が運んでくれたんだろう?二人がかりとかで運ばれたのかな。
「立てるなら、診察室へ行けますか?先生が待ってます」と言われ、立ち上がって診察室へ。かなり熟睡したためか、スッキリしていた。

じろう先生が胃カメラの画像を見せながら説明してくれる。
胃の先端に何か白い部分が見えて、最初はそれがガンかと思いギョッとした。
「逆流性食道炎ですね」とじろう先生。それも一番軽度のもので、薬で治るという。
その他には特に何もなく、小さなポリープは1つあったが、「1㎜くらいのものですね。この種類のポリープはたとえ100個あっても取らなくて大丈夫」と言われてホッとした。
その他は特に何もなかった。

これで「胃」はクリア!
転移していなくて本当によかった。
帰ってからも元気で、ゼリーとそうめんを食べた。
夫は私を家に送り届けてから東京へ行ったので、ソファでゆっくりして過ごした。

それが、この晩、とんでもない地獄を見る。
夜11時頃、寝ようと思ったら、急にお腹から聞こえるくらいゴロゴロと大きな音がし始めた。
とっさに「これはあかん!」とトイレに駆け込んだ。
もうびっくりするほどの量で、水のような便がドバドバと出たのだ。
こんなこと人生でも滅多にないし、胃カメラの後だったので怖くなり、もらってきた説明書をもう一度見る。
「吐血や下痢(血便)があれば電話してください」と書いてあった。

え?もしかして、胃カメラの影響なのか?
そう考えている間にも、またお腹がゴロゴロとなり始める。
更に今度は吐き気に襲われ、トイレで吐いた。
そこからはもうこの繰り返しだ。
数えられるところまで数えたら、嘔吐5回、下痢12回。(下痢はもっとあったがフラフラで数えられなくなった)

これが3時頃まで続き、少しマシになったのでうとうとしたが、5時頃にまた始まった。
最終的に、下痢は9時、嘔吐は10時が最後。
病院に電話してみると、「とりあえず診察に来てください」と言われた。
夫がいないので歩いていくしかない。
フラフラの状態で駅まで歩き、1駅電車に乗って、病院まで歩いた。

すぐに診察してもらったので状況を話す。
じろう先生は本当に優しくて、「うん、うん、うん。それは辛かったね。苦しかったでしょう」と何度も言ってくれる。
この病院に来ると私は子供に戻ったような気持ちになる。

で、結局、「急性胃腸炎ですね」と。
「何か古いものとか生ものとか食べなかったですか?」と聞かれ、「あ、かぼちゃ・・・」と思いついた。
夜9時頃に小腹がすいたので(昼の3時頃にそうめんを食べたきりだったので)、鍋に残っていたかぼちゃの煮物を2つ食べたのだ。鍋は丸一日外に置きっぱなしだった。
「それかもしれないですね」とじろう先生。
最近、急性胃腸炎の人が多いこと、そして結構長引くことを説明し、明日に控えていた大腸カメラは延期しましょうと言った。

大腸カメラを早くやってスッキリしたかったのだが、病院とのスケジュールもなかなか合わず、8月8日になった。かなり先だ。
それから脱水症状になっているかもしれないということで、点滴もしてくれた。
点滴の間にも、胃カメラの時の看護師さんがカーテンを開けて覗いて、「昨日は上手に胃カメラできてたのにねぇ、タイミングが悪かったね。怖かったでしょう」と話しかけてくれる。
少し濃い目のメイクをした看護師さんの優しい顔を見るだけで安心した。いい病院だ。

それからまた暑い中を電車と徒歩で帰った。
もう下痢も嘔吐もなかったが、一晩中闘っていたのでかなり疲労していた。
夫が15時頃東京から帰宅。
「俺がいない時に限って!」と叫んでいたが、私は夜中、吐きながら、夫が東京で本当によかったと思っていた。
もしこんな私を見たら慌てて救急車でも呼びかねない。

というわけで、大変な1日だったが、とりあえず胃カメラはクリア。逆流性食道炎ならすぐに治るだろう。

理想の未来を決める

2022-07-23 | 癌について
1年9ヶ月ぶりにOクリニックへ。
診察というよりはカウンセリングのようなもので、私が話し、O先生が聞き、質問されたことに答え、それに対するアドバイスを先生がメモしていく。
順序立てて話していくので、自分の心の中が整理されていく気がした。
体調がどう変化してきたのか、主治医の意見はどうなのか、今何に悩んでいるのか。

今、なぜこんなに気持ちが落ち込んでいるのか。
それは「がんの進行」よりもむしろ「痛み」があるからで、それが不安と恐れを引き出している。
だから、新薬を受けるかどうかを悩んでいる。
「でも、痛みをとるだけなら、別の方法もありますよ」とO先生。

それから、これは再発した時からずっと訊かれてきたことだが、「がんを治して、どうしたいのか、どうなりたいのか」ということをまた訊かれた。
私は、それを訊かれると、なぜか頭が真っ白になってしまう。
「もとのように元気になりたい」
それしか出てこない。
でも、本当に必要なのはその先なのだ。
元気になって何をしたいのか、どうなりたいのか。

一生懸命絞り出した答えは、「物書きを続けたい。仕事の内容を自分の書きたいものにシフトしていきたい。家事と仕事の割合を変えて、家事にもっと比重を置いた生活をしたい」だった。

それを聞くと、先生は「それって、自分の『変えたいところ』ですよね。つまり、『反省』ですよね」と言った。
過去や現在からの未来ではなく、「行き先」となる「未来」を決めることが大事なのだと。

「あなたが言っているのは、『have to~』ばかり。そうではなく『want to~』だけを考えて」
「行き先となる未来は、現状の外に考えないといけない。妄想級のものでOK」
「考える時に、時間やお金、他人の意見は無視していいから。お金がないからできない、時間がないからできない、他の人がダメだというから、他の人の迷惑になるからとか、そういうことは考えなくていい」
「ゴールとなる未来は、できるだけたくさん、満遍なく、バランスよく考えて」

そして、その妄想級のゴールとなる理想の未来を、書き出すこと。
そんな宿題を出された。

今の私は不安や怖れに支配されていて、それが無意識のうちに「良くない未来」をイメージしてしまっているという。
確かにそうだ。自分の行き先は決して明るいものではなかった。
無理に明るいものに変えようとしても、結局先生の言うように、過去と現在の反省からくるものでしかなく。
私はこれがダメだったから、こう変えないといけない。
私はこれができていないから、こうしていかないといけない。
いつもいつも「have to~」の人生。
心の底からやりたいことって何なんだろう。どんな生活が理想なんだろう。

O先生は、新薬を「したほうがいい」とも「やめたほうがいい」とも言わなかった。
ただ、「理想の未来を決めたら、自ずとどうすればいいか結論は出ますよ」とだけ言った。
不安や怖れからイメージする「良くない未来」を払拭するために新薬を使っても意味はないということなんだろう。
もしそれが、私が本当に望む「理想の未来」のために必要だと思ってやるのなら、きっと意味はある。
逆に、必要ないという結論になるかもしれないし。

午後はN先生の「お手当て」を受けた。
よもぎ蒸しをしてから、びわの葉エキスを使った温灸をしてもらった。
これがすごく気持ちが良くて。
ストーンや瞑想もしたから、13時半スタートだったのに、すべて終わったら18時になっていた。
「びわの葉」ももらった。痛いところに当てるといいという。

帰りの電車の中で、理想の未来、ゴールについて考えていた。
久しぶりに不安や怖れから逃れられている自分に気づいた。
「感情に病気は乗っかる」とN先生が言っていたことがよくわかる。不安や怖れがなくなったら、体の芯の部分に力が入ってきた。温灸で体が軽くなっていたこともある。
痛みをとるだけなら方法はあるんだなと思った。むしろ新薬の副作用で苦しむよりもいいかもしれない。

少しだけ明るい気持ちで家に帰れた。

伸びてきた手をきちんと掴む

2022-07-21 | 癌について
先月、瞑想のN先生からLINEが来た。クリニックの他の場所でご自身が開いている瞑想と太極拳のスクールに参加してみないかとのお誘いだった。
N先生は私のセカンドドクターのクリニックに勤めている看護師さん。同時にストーンヒーラーであり、瞑想の先生でもある。
行きたかったが、水曜日の限定だったので、ちょうど取材や検査などとかぶっていたため、「都合がついたらまた連絡します」と伝えておいた。

そうしたら、検査結果の前日にまたLINEが来た。「来週20日の都合はどうですか。この日は他に生徒さんが来ないので、ゆっくりお話ができると思うのですが」とのこと。
20日ならちょうど空いていたし、私もゆっくりお話したいと思っていたので、すぐに「行きます」と返信した。

指定された場所へ行ってみると、そこはマンションの1室のようだったが、入ってみると何もないがらんとした空間で、ダンススクールのように壁一面が鏡になっている。
いろいろな講師が曜日ごとに担当し、ヨガや瞑想、太極拳など、さまざまなことに使用されている共有スペースのようだ。

N先生に久しぶりにお会いでき、気持ちが高まる。
常にお腹が痛いことや検査結果のこと、胃腸が悪くて食べたり飲んだりが辛く、胃カメラ・大腸カメラの検査をすること、新薬の治療を勧められていて悩んでいること、自分なりに生活の中でいろんなことをやっていることなどを順に話した。
先生は親身になって聞いてくださって、「痛みがあるなら温灸もいいかもしれない」「一度ストーンやってみる?ストーンが合っているかも」などと提案してくれた。
話している間、先生はやかんで葉を煮だしている。香りで葉の正体はわかったが、一応聞いてみると、やはり「ヨモギ」だった。

熱いヨモギ茶を飲みながら、いろんなお話をした。
新薬のことで悩んでいると話した時は、こう言ってくれた。
「人はみんな死ぬのだから、それまでに自分らしい選択をすることが大事。誰かの意見ではなく、自分で選んだことがいいと思う」と。
また、弱っている私を見て、「病気は感情に乗ってしまうもの」と言っていた。
私もそれはよくわかるのだ。でも今はこの悪循環から逃れられずにいる。そのことも話した。
最終的に、「またクリニックへ来る?新薬については一度、O先生の見解も聞いてみてはどう?」と提案してもらい、私もそれが一番良い気がしてきて、早速土曜日に予約を入れた。

選ぶのは自分。
ただ、いろいろな考え方を聞くことは大事だ。
O先生と話してみたら、後悔しない答えを自分で出せる気がしたのだ。

O先生と話した後、午後からはN先生に「温灸」をやってもらうことにした。
2時間かかるし、毎日自分でやるのは大変らしいが、体の芯から温まるし痛みも和らぐというのは魅力的だったので、どんなものか一度試してみることにしたのだ。
とてもよかったら、家で頑張って毎日やってみようと思う。どうせ毎日何時間もソファでぐったりしているのだから、その時間をあてられないことはないだろう。

何か道筋が見えた気がして、久しぶりに明るい気持ちになれた。

そしてその後は2時間も太極拳を習った。
丹田を起こすところから始めて、気を練ったり流したり。
太極拳は動きのある瞑想のようなものだというが、本当にそうだなぁと思った。ゆっくりゆっくりと動き、気を練っていくことに集中していると、余計なことは何も考えられず、終わった時はとてもスッキリしていた。

それから瞑想もした。座って20分。薬草の枕の上に寝て20分。
やっぱり自分一人でやるのとは全然違うのだ。先生の誘導があると、単なるマインドフルネスではなく、もう一段深まる感じがする。「上」とつながりやすくなる。

お話、ヨモギ茶、太極拳、瞑想とで、たっぷり3時間半。濃い時間だった。
やっぱり私は運がいい。
いつもこうやって本当に辛い時、苦しい時、悩んでいる時には、必ず助けの手が伸びてくる。
土曜日にO先生のご意見も聞き、自分らしい決断をしよう。
ただ、すでに気持ちは「治療しない」方へと向かっているのが自分でわかる。


胃腸の検査をすることにした

2022-07-20 | 生活
胃腸内科へ行って薬を処方してもらってから2週間経ったので、昨日はまた受診した。
シソンヌのじろうさんみたいな、細身で優しい先生。(我が家では「じろう先生」と呼んでいる)
薬が効いていること、この2週間の期間にCT検査があったこと、念のため胃カメラと大腸カメラをやりたいことを話した。
じろう先生は私が話すのを聞きながらこまめに「うん、うん、うん」と相槌を打ってくれる。こういう威圧感のない先生は安心できるなぁと思う。

話し合って、来週、胃カメラと大腸カメラの検査をやることになった。
どちらも鎮静剤(麻酔)を飲ませてもらえるので、寝ている間に終わるというからよかった。ただし、体に負担があるので、一度にはやらず別日にやる。
新しい病院で、設備機器も最新なのは嬉しい。安心材料。

検査をすることにしたのは、もしガンの治療を始めるなら胃腸を万全にしておいたほうがいいし、治療を先延ばしにするとしても、今一番の困りごとである胃腸の不調を治しておいたほうがいい、という判断から。
胃腸の調子が戻って、飲み食いが普段通りにできるようになって、夜もしっかり眠れるようになれば、かなり気持ちの上では楽になりそうだ。

この三連休は、日・月曜でキャンプに行った。ゴールデンウィーク以来だから、ずいぶん空いてしまった。
家から1時間で行けるところ。
夫に「無理しないことが大事」と言われたので、夜ごはんを食べてしんどくなったらテントで1時間横になって、それから焚き火をした。21時半には寝た。

こう書くと、「しんどいなら無理にキャンプに行かなくてもいいのでは?」と思う人もいるだろう。
でも、家で寝ていたら元気になるわけではないのだ。(むしろ、その逆)
私はガンを治すために生きているんじゃない、と思う。

自然の中で過ごし、焚き火を見るのは楽しかった。こういう時間を大切にしたい。
明け方、ヒグラシが一斉に鳴き出した。テントに降り注いでくるようだった。
テントの中で、カナカナカナカナという甲高い声を聞いているのは気持ちがよかった。

もう頑張りたくない。

2022-07-14 | 癌について
ここ2~3か月、夜も眠れないほど胃腸の調子が悪かった。精神的なものだとは、なんとなくわかっていた。
6月の原稿の追い込みも終わったので、10日ほど前に近所の胃腸内科を受診した。
とりあえず2種類の薬を出してもらい、2週間ほど様子をみることになった。
効果はあり、お腹の張りや胃の不快感はほぼなくなった。
相変わらず食はあまり進まない。空腹感はあるのだが、食欲がわかない。特に肉や生魚がダメだ。炭水化物は食べやすい。お酒はほとんど飲めない。
初めて「ジュースを飲む人」の気持ちがわかった。これまではアルコールも入っていない甘い液体を口にする気持ちなどまったく理解できなかったのだが、野菜や果物のジュースやスムージーが飲みたくなる。飲むヨーグルトも好き。
秋ごろからまた体重が増え始めていたが、4、5キロ痩せて元に戻り、ちょうどよくなったのはよかったが、人と飲みに行くのが少ししんどくなった。

先週、3か月ぶりのCT検査を受け、昨日はその結果を聞きにいった。
いつも結果を友達にLINE等で報告するのだが、昨日は誰にもしなかった。実家の母にだけ送った。

私の体にたくさんあるがん細胞のいくつかは変化なしだったが、いくつかは確実に進行していた。
特に左下腹部にある一番大きいものは(これがおそらく下腹部痛の原因だと思うのだが)、1か月に約1㎜ずつ大きくなっている。わずか1㎜だが、1年経てば1㎝以上大きくなるわけで。すでに4cm近くまでになっている。
腫瘍マーカーも基準値を超えていた。

何も治療せずに放置するのも「これくらいがギリギリかなぁと僕は思う」と主治医は言った。
2年と2か月、医療としての治療は何もせず、食事など生活習慣の見直しだけでなんとか乗り切ってきたが、そろそろ限界らしい。やはり、少しずつ進行はするのだ。
逆に言えば、こうしていろんなことをやって毎日努力してきたから、このくらいの進行で済んでいる、とも考えられる。

とりあえず、10月のCT検査の予約だけはして、それまでに新薬の治療を受けるかどうか考えて、受ける気になれば連絡をします、ということで帰った。
治療を受けるなら、今が一番いいタイミングなのだ。それは主治医が言う「病状」のレベルとしての話ではなく、私自身の仕事のタイミングのことだ。
10月のCT検査を受けて、その時もっと進行していて、そこから治療を始めるのはとてもタイミングが悪い。10月から忙しくなるし、取材のスケジュールも入っている頃だから迷惑をかけてしまう。
その点、7月~9月までは一年でもっとも暇な時期だから、治療を開始しても誰にも迷惑がかからない。
10月号の取材もすでに終えているので、9月までにゆっくり調子を見ながら書いていけばいいし、新たな取材は受けなければいい。
この治療を始めたら、おそらく日常生活にも支障が出てくるので、取材の仕事は無期限で休止することになるだろうから、クライアントに話して自分をメンバーから外してもらわなければならない。それなら「今」がいいタイミングだ。
結局、自分の命や体調より、仕事で迷惑をかけないかどうかが基準になるのだな、と思った。
これは私だけでなく、社会生活をしている人ならほとんどがそうだろう。一人で生きているわけではないのだから。

検査結果だけでも、いつものように友達に報告しようかなと思ったが、良い結果ではないことを知らされても返信に困るだろうし、まだ今後の治療についても決めていないので、とりあえず個別に報告するのはやめた。
たまたまこのブログを読んでくれたなら、ああそうなのか、そういう状況なのか、と思ってもらえたらいいかなと思う。特に言葉はいらない。治療を受けることが決まれば、その時はまた個別に報告もしようと思うけれど。

治療を受けるなら、新薬のキイトルーダとレンビマの併用しか考えていない。他にも抗がん剤などの選択肢はあるが。
私の通っている大学病院でもまだ5、6人しかやっていない新薬だ。その人たちの副作用を主治医に聞いたが、わりと強めにあるらしいし、いろんなものが出るので、内科や皮膚科やいろんな科と連携して治療を進めていかなければならないとのこと。中には週に2回くらい通院している人もいるとか。
また、抗がん剤のように、投与の後、1週間くらい副作用が出て、その後は次の点滴まで楽になるというものではなく、薬を使っている間はずっと何らかの副作用に苦しまなければならない。主に、痛みや倦怠感、下痢、高血圧などのようだが、「ずっと」なので、これまでと同じような生活はできないだろう。通院と寝たきりの療養生活だ。

まあ、様子を見ながら、薬の量を減らしたり、副作用を抑える薬も併用したりして、なるべく日常生活が送れるようにはしてもらえるようだが、安定するまでは時間がかかるようだ。
だからこそ、時間に余裕のある「今」がちょうどいいのだけど。
8月、9月で新薬とうまく付き合えるようになったら、10月以降の取材でも、近場で短時間のものなら受けられるかもしれないし。数時間の痛みならなんとか薬で抑えられるだろうし。

とにかく7月中に結論を出し、受けるならお盆休みの後から開始しようと思っている。
8月17日に東京で単発の仕事が入ったので、どうしてもそれだけは終わらせてからにしたいからだ。

そんなことを帰宅してからソファに寝転がって悶々と考えていた。
考えていたら、なんだかもうすべてが嫌になって涙が出てきた。
最近、「持病を苦にして自ら命を絶つ人」の気持ちがわかるようになった。以前はまったく理解できなかったのに。
今は、気持ちだけは理解できる。私は絶たないけれど。
体が思うように動かなかったり痛かったりすることも辛いが、もう昔のように元気になることはないのかなと思うと、生きている意味がわからなくなるのだ。
家事も仕事もまともにできない、好きなものも飲み食いできない、世の中に何の役にも立たない。一体何のために生きながらえているんだろうかと思う。
「ごくつぶし」という言葉が浮かび、なんだか笑ってしまった。
みなしごが親戚の家に引き取られ、「この穀潰しめ!」みたいに言われるシーン。あれが浮かんで。
私は「健康でよく働くこと」だけが取り柄だったのに、「病気で寝たきり」になったら、もう何の役にも立たない。ただの穀潰しだ。
そんなことを考えていたら、涙がぽろぽろ出てきた。
すべてが嫌になった。
元気にふるまうことも、希望を持つことも、生活をがらりと変えることも、好きなことをあきらめることも。
もう私はだいぶん頑張った。本当に頑張った。
良い結果が出ないと、自分の努力がまだ足りないような気がして、誰かに責められているような気持ちになるのも辛い。
本当に頑張ってるんだよ!!と大きな声で言いたい。主張したい。

もう頑張ることに疲れてしまった。
病気に降伏してラクになりたい。
でも本気でそう願ってしまったら、一気に進行するような気がして怖くて、また頭を抱えてしまうのだ。