4つも5つも並行して仕事をやっていて、フラフラだったこの2週間。
さらに、何を書いても修正、修正、修正で、1つなら耐えられるけど、その4つも5つもから同時に来るもんだから、なんだか自分がこの世で一番ダメ人間みたいな気分になってしまい、かなり凹んでいた。
もう自分の書くものなんて通用しないのか?
やっぱり才能なんてないのか?
17年もライターやれてるほうが奇跡なのか?
いろいろ考えていた。
いや、たぶん、本当は原因は一つで、前にも一度ここに書いたディレクターさんの修正がひどいからだ。
「??」
「何のこと?」
みたいな、とにかく「いけず」な朱書きを送ってくる人。
今回もやっぱりそうだったのだが、イライラするのはそれだけじゃなく、一緒に取材に同行しているのにまったく何の指示もせず、書いたものに関して「これは取り扱わない商品です」「これはここでは書いてはいけないことになっています」といったダメ出しをしてくること。
はよ言えや!!
別のディレクターさんだったら、取材後に「さっきあの話で盛り上がりましたけど、あのことは書けないので注意してくださいね」とか、先に言ってきてくれるのだ。
それがディレクションってもんだろ!
なのに、この人は何も指示はしないで、私が書いたものを見てから、ものすごい量のコピーをばーっと線を引き「これは掲載できません」と言ってくる。
もうイライラ爆発!!
さらに、真っ赤になった原稿(こんなこと他ではあり得ない!)を1つ1つ丁寧に直して送ると、今度はさっきはスルーしていた箇所に修正を入れてくるのだ。
さき言えや!
だから、本当に信じられないけど、1回目の修正と同じくらいまた真っ赤になって返ってくるのだ。
本気で「なんやねん!!」と大声で叫んでしまうほどムカムカする。
このやりとりは永久に続くのか?と思うほど。
そんなイライラもあり、自信作の酒蔵原稿も修正が入り、別の冊子もなんだか明日、修正が入るという連絡がきたし、パンフは完全に止まっているしで、やってもやっても実りがない状況にひどく落ち込んでしまっていた。
そしたら、さっき、とっても嬉しいメールが飛び込んできた。
昨年末から1ヶ月ちょっとで仕上げた大阪府の32ページの冊子。
職業訓練校のPR冊子で、そこを卒業した職人さんを取材したものだ。
これが非常に評判がよく、学校関係者からはただただ感謝の言葉しかない、と。
さらに、これを読んだ府のエライ方々から、
「今年度見た冊子の中で、一番良い出来栄え」
との評価をいただいたとのこと!!
うれしいよーーーー
よかったよーーーー
もちろん、デザイナーさん、カメラマンさんの力が大きかったのだけど、1冊丸ごと全部自分で書かせていただいたので、私の評価も多少は含まれているはずなのだ。
凹んでいるときの、こういう評価は、本当に救いになる。
そう、「救い」だ。
嬉しいとか、元気付けられるとか、そういうレベルでなくて、救われるのだ。
いつもいつも、神様なのか、自分自身へなのか、誰に対してなのかわからないけれど、お伺いを立てている。
「まだ私、書き続けていてもいいですか?」
たまにこうやって、答えが帰ってくる。
人に喜ばれて、人に必要とされるものが書けているのだから、まだもう少しはいいのかなと思える。
また少し、生きながらえた。
そんな気持ちだ。
さらに、何を書いても修正、修正、修正で、1つなら耐えられるけど、その4つも5つもから同時に来るもんだから、なんだか自分がこの世で一番ダメ人間みたいな気分になってしまい、かなり凹んでいた。
もう自分の書くものなんて通用しないのか?
やっぱり才能なんてないのか?
17年もライターやれてるほうが奇跡なのか?
いろいろ考えていた。
いや、たぶん、本当は原因は一つで、前にも一度ここに書いたディレクターさんの修正がひどいからだ。
「??」
「何のこと?」
みたいな、とにかく「いけず」な朱書きを送ってくる人。
今回もやっぱりそうだったのだが、イライラするのはそれだけじゃなく、一緒に取材に同行しているのにまったく何の指示もせず、書いたものに関して「これは取り扱わない商品です」「これはここでは書いてはいけないことになっています」といったダメ出しをしてくること。
はよ言えや!!
別のディレクターさんだったら、取材後に「さっきあの話で盛り上がりましたけど、あのことは書けないので注意してくださいね」とか、先に言ってきてくれるのだ。
それがディレクションってもんだろ!
なのに、この人は何も指示はしないで、私が書いたものを見てから、ものすごい量のコピーをばーっと線を引き「これは掲載できません」と言ってくる。
もうイライラ爆発!!
さらに、真っ赤になった原稿(こんなこと他ではあり得ない!)を1つ1つ丁寧に直して送ると、今度はさっきはスルーしていた箇所に修正を入れてくるのだ。
さき言えや!
だから、本当に信じられないけど、1回目の修正と同じくらいまた真っ赤になって返ってくるのだ。
本気で「なんやねん!!」と大声で叫んでしまうほどムカムカする。
このやりとりは永久に続くのか?と思うほど。
そんなイライラもあり、自信作の酒蔵原稿も修正が入り、別の冊子もなんだか明日、修正が入るという連絡がきたし、パンフは完全に止まっているしで、やってもやっても実りがない状況にひどく落ち込んでしまっていた。
そしたら、さっき、とっても嬉しいメールが飛び込んできた。
昨年末から1ヶ月ちょっとで仕上げた大阪府の32ページの冊子。
職業訓練校のPR冊子で、そこを卒業した職人さんを取材したものだ。
これが非常に評判がよく、学校関係者からはただただ感謝の言葉しかない、と。
さらに、これを読んだ府のエライ方々から、
「今年度見た冊子の中で、一番良い出来栄え」
との評価をいただいたとのこと!!
うれしいよーーーー
よかったよーーーー
もちろん、デザイナーさん、カメラマンさんの力が大きかったのだけど、1冊丸ごと全部自分で書かせていただいたので、私の評価も多少は含まれているはずなのだ。
凹んでいるときの、こういう評価は、本当に救いになる。
そう、「救い」だ。
嬉しいとか、元気付けられるとか、そういうレベルでなくて、救われるのだ。
いつもいつも、神様なのか、自分自身へなのか、誰に対してなのかわからないけれど、お伺いを立てている。
「まだ私、書き続けていてもいいですか?」
たまにこうやって、答えが帰ってくる。
人に喜ばれて、人に必要とされるものが書けているのだから、まだもう少しはいいのかなと思える。
また少し、生きながらえた。
そんな気持ちだ。