月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

日本酒という文化

2014-02-08 | 
蔵に来るとどうしてこんなにも神聖な気持ちになるのだろう。

お酒は古来、神様に奉られていたもの。
またハレの日のお祝に飲まれてもいた。
まだ細菌学などなく、微生物の働きなど全く解明されてもいない。
ただ、米と水を混ぜて温度を上げてやると、だんだん酸っぱくなってきて、その後まろやかになり、澄んだ部分を口にするとなんだか不思議な味がして、いい気分になる・・・

偶然なのか必然なのか、人類は知ってしまったのだ、その神聖なる飲み物のことを。

蔵人たちはいつもお酒の神様に祈りながらお酒を醸していた。
それはある意味、儀式にも似ていた。

だからだろうか、蔵はいつも神秘的で、神社で祈るときのような気持ちになる。

水曜・木曜と、また酒蔵に行って来た。今度は取材だ。
1軒目は香川県の「川鶴」。
2軒目は広島県の「雨後の月」。
写真はカメラマン任せで、私は取材に必死なので、自分の写真が全然ない。
帰り際に慌てて1枚だけ収めた。


お城の一部分かと思うほど、美しい佇まいの蔵だ。
この蔵のお酒はこのイメージそのままで、上品で清らか。シャープな中にも米の旨味は残しているが、雑味はない。
私が表現するところの「きれいなお酒」ともまた違う。
いわゆる「淡麗辛口」でもなければ、「水のようなお酒」でもない。香りもあまり強くない。
気品高く透明感があり、シャープ。そういうお酒だ。

徹底した温度管理とオリジナリティあふれた機械を取り入れている蔵で、私はその味わいのイメージとネットや雑誌の情報から、クールで厳しい蔵主を想像していた。
それが拍子抜けするほど気さくな方!!
蔵の案内も含めて4時間(!)しゃべりまくってくださった。
この忙しい造りの時期に、本当にありがたいことである。

ちなみに「雨後の月」という美しい名は、徳富蘆花の小説からとったらしい。
お酒にぴったりの名前だ。

また、1軒目の「川鶴」は、私が本当に昔から飲んでいるお酒で、初めて知ったのは阪急うめだの試飲販売だった。
というか、関西でここのお酒はほとんど扱っていないので、いつも阪急でしか買わない。
試飲販売があるとよく訪れ、見つければ必ず買った。

「雨後の月」とは全く異なる味わいで、良い意味で洗練されていない。
商品にもよるが、私がこの蔵で好んで飲むのは、ややジューシーで米の旨味をしっかり残したタイプ。
決して甘口ではないが、まろやかな甘味があり、私は大好きだ。

いつも試飲販売に来ていた蔵の人・・・。営業さんかな?と思っていたら、社長だった!
名刺交換のとき、社長が私の顔をじっと見て言った。
「どこかで会ったことありますよね?」

うわ、うわ、嬉しい!
覚えていてくれたんだ!

「あのー、阪急うめだの試飲販売で・・・」と言うと、「ああ、ああ!」と思い当たった様子。
ついこの間の12月にも顔を合わせて、1本買わせていただいたところだったので、よけいに記憶が鮮明だったのかもしれない。
「燗用のしぼりたて、買いました」と言うと完全に一致したようで「はいはい!覚えてます!」と。

ここの社長さんもよくしゃべる方で、とにかく元気!(めっちゃいい人)
こちらも撮影含めて4時間という長時間取材だった。
でも、楽しかったなぁ。
うちの両親も香川県だから、時折混ざる「~やけん」等の香川弁にも親しみが湧く。
とてもいい取材ができた。

最近、いろんな県のいろんな蔵をまわるようになって思うのは、日本酒はその土地に根ざした文化だということ。
ワインで言うところの「テロワール」。
テロワールはフランス人にしかわからない感覚で、訳しようがないというが、まさにそれが日本酒にはあると感じる。
水、米、風土、環境、好み、歴史、収穫物、作られる料理、人柄・・・その土地のすべてから酒が生まれてくる。
道具や造りの工程など大きくは変わらないし、水と米を使うのも同じ。
だけど、それぞれに味わいが違うのだ。地のものをアテに地の酒を飲むと旨い、というのもそういうことだろう。
そして何よりも蔵元の想いが土地に深く深く根ざしている。

県外どころか海外にも輸出している蔵ですら、口を揃えたようにこう言うのだ。
「地元が大切」と。
150年、200年、300年とその土地で先祖代々酒を造ってきたのだから、地元を無視するわけにはいかない。
単にそういうしがらみのようなものもあるだろう。
ただ、もちろんそれだけではなく、「その土地の酒」であることに誇りを持っているのだ。
その想いに触れるとき、私はいつも何か尊いものを目にしたような気持ちになる。
この感覚を綴っていけたら、こんなに嬉しいことはない。

また、もう一つネガティブな面で言えば、日本酒の辿ってきた気の毒な運命のことも実感するようになった。
造れば造っただけ売れるような時代があり、どの蔵も大掛かりな設備を導入しているのだ。
どこへ行っても、使われていないタンクがズラリと並んだ場所があり、私はその暗くひっそりと置かれているタンクを見ると、いつも悲しい気持ちになってしまうのだ。
「ものは使われてこそ、美しい」
これは私の信条でもあるが、このタンクの中にも昔はあの宇宙が広がっていたんだなぁと思うと、まるで死人を見るかのように辛くなり、涙をこらえるために目をそむけてしまうのだ。
お金がかかるので破棄されることもなく、たぶん一生、蔵の中でひっそりと過ごしていくのだ。使われることなく。

これからどんなに日本酒が飲まれ、造られるようになったとしても、もうあの時代には戻れない。
どの蔵も最盛期の4分の1以下になった今、これを取り戻すことは不可能だろう。
だって、何度見ても信じられない、あんな大きなタンクの日本酒が消費されていたことが。
まるでビールのように造られ、ガブガブと飲まれていたのだ。

ただ、少しでも、と思う。
それは量だけの話ではない。日本人が日本人として、この「国酒」の文化を守り伝えていくべきだという気持ちを少しでも広めたい。
本当に一度でもちゃんとした蔵見学をすれば、この文化がどれほど尊いものか理解してもらえると思う。
農家の人が苦労して作ったお米を半分近くも削り、大量の地下水を使って醸すという、なんとも贅沢な話なのだが、だからこそ蔵人は無駄にはできないと、心を込めて造る。
米を洗うことから始め、いくつもの工程を経て、自然界の力を借りながらようやく酒が出来上がるのだ。
神様に一番近い飲み物だと私はいつも思う。

今、嬉しいことに、日本酒は「キテいる」。
この数ヶ月の間に、どれほどの雑誌が日本酒特集を組んだことか。
あまから手帳、Hanako for Men、サライ、Pen、ダンチュウ・・・。
確実に、キテいる。
大きく貢献してくれたのは、やはり「獺祭(だっさい)」か。
メディアで大きく取り上げられ、日本酒など飲んだことがない人でも「だっさい」の名を知るようになった。
完売に完売が続き、現在は蔵を増設中。
まさに最盛期のように「造れば造っただけ売れる」蔵が誕生したのだ。
長年ずっと飲み続けてきた獺祭が、手に入らないほど売れているということは嬉しい。
私はもう躍起になって手に入れようとは思わなくて、これをきっかけに日本酒に興味をもってくれる人が1人でも増えてほしいと願うばかりだ。

このキテいる波をもっと大きくして継続していきたい。
そして、ほんの少しでも自分の「書く」力がその役に立てば、こんなに嬉しいことはない。
そのためには感性を研ぎ澄ませ、きちんと見て、よく学び、書き続けることだ。

※時間がなく、思いつくままに書いたので、とりとめのない文章ですみません。