月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

あこがれの人

2019-02-28 | 仕事
今年も買ったけど、なかなか読む時間がない。
「dancyu」の日本酒特集。



酒蔵レポート記事を読む時は、一読者というよりもライター目線で「何か参考になる切り口はないか」とか「こういう文章を書くためにはどんな質問をしたらいいんだろう」とか、そういうことばかり考えてしまう。

日本酒の業界誌で書かせていただくようになって6年目に入り、気づけば取材した酒蔵はもう70蔵に・・・!

でも、どれだけ蔵へ行っても、いつも帰りは自分の頭の悪さと引っ込み思案に落ち込んで。
真っ白なWordの画面を前にすれば、今度こそ私は何も書けないんじゃないかと不安になるのはいつものこと。

四半世紀近く、「取材」と「書くこと」の繰り返しでご飯を食べているのに、まだ取材ではモゴモゴするし、書く時はドキドキするなんて。
自分はライターには向いていないんじゃないかと鬱々して。
その反面、書き上がるとそれだけで嬉しくて、「まだ書いていていいんだ」と何かに許された気分になるのもいつものこと。

もっとキレのある取材がしたいし、文章も上手くなりたい。今更どうにもならないとはわかっていても、まだそんなことを思う。
才能が欲しい、才能が欲しいと、呪文のように唱える日もある。

「dancyu」では、日本酒ライター山同敦子さんの記事を真っ先に探して読む。
私のあこがれの人。いつかお会いしたい。本も何冊か持っている。サインしてほしい。そんなミーハーになるほどあこがれる。

軽快で明快な文章。
豊富な日本酒知識。
蔵元からの信頼感。
飾ることのない、誠実な文体。
大好きだ。自分もこんなふうに書きたいと思う。

まだ地酒が今のようにいろんな場所で飲まれるようになるずっと前から、全国の蔵を訪れ、蔵元たちの熱い想いを書き続けてこられた。
いつかこんな仕事をしてみたいと思いながら読んだ「愛と情熱の日本酒」は、藤田千恵子さんの「美酒の設計」と並んで、私の日本酒バイブル的書籍。

今回嬉しかったのは、山同さんの記事が「磯自慢」だったこと。
私も数年前に取材した蔵だ。
同じ蔵の記事を書けるようになったんだと思うと、ぞくぞくした。まだまだ足元にも及ばないけれど。(及ばないどころか永久に追いつけない)

さあ、現実を見よう。
「dancyu」など読んでいる場合ではない。

また原稿の追い込みに入っている。長い長い追い込み。
蔵の原稿を書くときは、最初から自分を追い込んでいかないと、全然書けないのだ。もう楽しいのか苦しいのかわからない。
集中したいのだけど、ちょこちょこ取材が入ってきたり、今日も新しい仕事の相談があったりで、見積もり出したり資料を見たりしていたら、あっという間に午前中が過ぎ。
買い物に行ってお昼ご飯作って食べて、コーヒー飲んでたらもう3時。(追われているのに優雅だ・・・)

また慌てて仕事始めて、2時間経ったら集中切れて、dancyuをパラパラと・・・。
さらにこんなブログまで。
逃避してもごまかしても、結局自分一人で間に合わせなければならないのだが。

才能も欲しいけど、集中力も欲しい。

わかってくれる人がいればいい。

2019-02-26 | 仕事
これまでたくさんの人を取材して文章を書いてきた。
基本的にあまり修正というのは入らないし、入ったとしても納得のいくものが多い。(明らかな間違いであるとか、こういう書き方のほうが伝わりやすいとか)
でも、これだけ多くのものを書いていると、たまに記事のコンセプトやまとまりなどは無視して、自分の想いをもっともっと伝えたいと、書き直してくるような人がいる。

この間からやっていた冊子が、今デザインを終えて先方チェックに入っているのだが、昨日デザイナーさんから電話がかかってきて、ある会社が修正文を送ってきたので見てほしいという。クライアントはできるだけその会社の想いを汲んでほしいとのこと。ただ、素人の文章なので問題がないかだけチェックしてほしい、と。

ファイルを開けてみると、私の書いた記事が「全部」書き直されている。
と言っても、骨組みはそのままで、付け足したり、ちょこちょこいじくったり。
取材時には話していなかった内容(自分の思い出話)も付け足されていて、一瞬、頭に血が上った。

とにかく熱い想いがあって、よくしゃべる人だったけれど、とても感じがよく、取材が終わった後もほのぼのした気持ちで帰った。
取材の後で少しお茶をいただきながら話をしていたとき、「ライターさんってすごいですね!あんな適当にしゃべったものを文章にできるんですか?」と、ライター仕事もすごく褒めてくれたので、きっとライターの仕事を尊重してくれるだろうと思っていた。
そういう経緯があったから、よけいに頭に血が上ったのかもしれない。

紙の冊子なので、文字数も決まっているし、デザインや写真ではあまり調整が聞かないようなレイアウトだから、内容だけじゃなく文字数もぴったりに合わせて書く。
そりゃ、書きたいことを全部、文字数も他社とのバランスも何も考えず書くだけなら、どんなに楽だろう。
いろんなことを踏まえて、ベストなものを出しているので、我が子が傷つけられたような憤りを感じた。

もちろん、修正は受け付ける。
ただ、修正というのは、「間違った情報」を正すものであって、私の文章をタタキにして自分の想い通りに書き直すためのものじゃない。
プロの仕事を、この人は全然わかっていないんだな、と思った。
とはいえ、相手の気持ちもわからなくもないのだ。
この事業をどうしても成功させたいと思っている時に、この冊子に載ることは企業にとってありがたいことだし(行政からのお墨付きのようなイメージ)、2ページという狭いスペースの中でできるだけたくさんの情報を入れて、たくさんの想いを伝えたいのだと思う。
その人にとったら、冊子全体のバランスとか、冊子のコンセプトとか・・・、それこそデザインも文字の大きさも、全く関係ない話だから。
言いたいことが全部載っていたらいいのだ。

そう自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせて、全文見直し、「変な言い回し・・・」と思うところも我慢してそのまま生かし、文法的な間違いや句読点の場所、表記ゆれだけいくつか修正し、デザイナーさんに送った。

親しいデザイナーさんなので、メールにちょっとだけ愚痴った。

> いったん文章にしたものを、あれこれいじるのは簡単なんですよね。
> その最初の形を作るのがどれだけ大変か・・・(涙)
> 文字数もぴったりに収めているのに・・・。

そうしたら、すぐに返信が来た。

> そうですよね。
> こういう時は、絶対修正前の文章の方が断然良くて
> 「自分達の思う内容をあれもこれも」と願う企業の願望は叶うけど
> 「プロが真剣にプロの仕事をしてるのに~」と複雑な気分になります。

これを読んだら、憤りもモヤモヤした気持ちも全部一気に引っ込んだ。
デザイナーの彼女にわかってもらえているなら、それでいいや、と思えた。
こうやって無茶な企業側の願望を叶えてあげることもまたプロの仕事なんだと思えばいい。

もう10年以上、一緒に仕事をさせてもらっているが、本当にいい仕事仲間だなと思う。
いつも私の気持ちにもちゃんと寄り添ってくれる。
信頼されている、尊重されていると感じられる。

仕事はやっぱり一人でするものじゃないから、誰と何をどんな想いで創るかということがとても大事な気がする。
そこが共有できていないと、いいものなんてできない。

今、別の人から、フリーペーパーを創刊するという仕事に誘われている。
まだどうなるのかわからないが、この間、顔合わせをして、どんなものを創りたいかということをざっくりと話し合った。
私も時期によっては忙しいので、どれくらいのボリュームで関われるのかはわからないが、2、3本くらい記事を書かせてもらえたらいいなと思っている。

「商業誌」ではないけれど、フリーペーパーなら人の目に触れやすく、友達にも「読んで」と配れる。気負わず気楽に読んでもらえるようなものを書けるというのはありがたい。
自分がやっている仕事は、その逆のものばかりだから。(一般の人の目に触れにくく、配れず、買えず、内容が専門的で気楽に読めない。関心を引けない)

それに、いつだって、「新しい仕事」というのはワクワクするものだ。
最近、ちょっと仕事がマンネリ化していたので、良い刺激になりそうだ。

桜と椿

2019-02-24 | 想い
まだ寒いけれど、昼間の太陽の暖かさに、そろそろ春が近いことを感じる。

駅へ向かう途中、桜の木々を目にすると、私の脳裏にはある映像が浮かび上がる。
それは、桜の幹の中にピンク色の樹液がみなぎり、それが上へ上へと上昇し、蕾へ、そしてあの薄いピンク色の花が一斉に開く。そんな光景。

塾講師をしていた時、中学の国語の教科書にあった文章。誰の書いたものかは忘れてしまった。
でも、内容ははっきりと覚えている。

作者が京都の染め物職人を訪ねると、美しいピンク色の着物がある。これは何で染めたのかと聞くと「桜」だと職人は言う。
作者は最初、桜の花びらで染めたのだと思うのだが、聞いてみれば桜の樹皮からだと言う。
それも、花の咲く直前でなければ、あのピンク色は出ないのだという。
それを聞いた瞬間、作者の脳裏には先の私の描いたような映像が浮かび上がる。

この文章を読んでからというもの、私は桜の咲く直前になると、今まさに幹の中でピンク色の樹液があの美しい花のために力を振り絞っているような、そんな姿に見えて仕方がないのだ。

こんな話は知らなくても、日本人が桜を好きで仕方がないのは、「生命力」と「儚さ」という相反するものを感じるからなのではないか。
何かしら相反するようなところに日本人独自の「美」の感性があるように思う。

今日のように昼間の太陽に春を感じると、桜の開花を待ち焦がれるようになる。
まだ蕾もない木々に、美しい桜の花を想像する。
そして、「季節のある国に生まれてよかった」とつくづく思うのだ。

そういえば、先週の日曜日の話だが、夫と片岡鶴太郎展へ行ってきた。
現在、阪急うめだで開催中。



私は鶴太郎さんが絵を描き始めた頃から、この人の描く絵が好きで。
身近で見られる機会があれば、行くようにしている。
昔は自分の部屋にいくつも鶴太郎さんの絵のポストカードを額に入れて飾っていた。

今回もとてもよかった。
鶴太郎さんは椿がとにかく好きで、やたら椿の絵が多いのだが、今回はその椿の絵を一か所に何枚も並べていて、それが圧巻だった。
満開の椿、1輪の椿、金魚と椿、迫力ある椿、寂しそうな椿。
いろいろな椿の絵の中を歩いていくのは本当に幸せだった。

一方、岡本太郎など、いろんな芸術家になりきって富士山を描いてみたり。そして、その時の映像を流していて、それは見ている人が思わず笑うほど面白くて。
もともとモノマネで人気が出た芸人だったということを思い出す。
マルチな才能の持ち主。本当にすごい。

自分は、絵心もないし、例えば音楽でもクラシックは好きだけど、知識は全くない。
そういう高尚だと言われるものに関して興味はあっても、語れるようなものは何もない。
ただ、美しいものを美しいと思う心があるだけ。
きっと芸術なんて、それでいいんだろうと思う。

奇跡の積み重ね

2019-02-21 | 想い
癌宣告を受けたのは、今から3年前だった。ちょうどこのくらいの時期だ。
嫌な予感をどうしても拭うことができないまま、検査入院をして、一人で宣告を受けた。
今でも思い出すのは、私は自分が大きな病気になったことはとてもショックだったし不安だったけれど、その宣告を受けたのが「一人」だったということに対しては何も思っていなかったのに、後で両親に結果を報告に行くと、母が「かわいそうに・・・そんなことを一人で聞いて・・・」と言ったことだった。
それを聞いてもピンとはこなかった。一人でも二人でも、結果は同じなのだから、と思った。
もちろんいつも夫は「ついていく」と言ってくれていたけれど、私が断っていた。大人なのに「ついていく」という意味がわからなかった。

母の言葉を聞いた時、ふと小学生の家庭訪問の時のことも思い出した。
母が私の担任にこう言っていたのだ。
「この子は幼い頃から私がずっと働きに出ていてかまってやることが少なかったので、何も相談しない子になってしまったんです。全部自分で決めて、全部事後報告です」と。
それを聞いて、私は母がそんなふうに思っていたのかとびっくりした。

まあ、これは余談だ。

まだ身を切るような冷たい空気なのに、梅の花が咲く頃になると、決まってあの時のことを思い出す。
「生」と「死」について考える。考えずにはおれない。
ギリギリセーフで電車に飛び乗れた人のような、そんな気持ちになる。一歩遅かったら、電車は走り去っていた。
間に合う人と、間に合わない人、その違いはどこにあるんだろう。それは「運命」のようなものなんだろうか。

先日、夫の友達の奥様が亡くなられた。まだ37歳という若さ。
その友達は私たちの結婚式にも出席してくれたし、他の友達と二人で新居にも遊びに来てくれた。

訃報を知らせるハガキを最初に見たのは私で、にわかには信じることができなかった。
奥様には会ったことがなかったし、そこに感情移入はできない。
ただ、裏返して宛名を見た時に、なんだか涙が止まらなくなってしまった。
決して上手な字でもないし、住所も間違っている。
でも、夫の名前の漢字の「ハネ」が1つ1つしっかりとしていて、そんな辛く悲しい状況でも、こうやって1文字ずつを丁寧に書くんだな、この人は、と思った。
きっと夫の名前を書きながら、夫の顔を思い出したのだろう。
どんな気持ちで、どんなことを考えながら、これを書いたのだろうかと思ったら、泣けて泣けて止まらなかった。

すぐに会社にいる夫にハガキの写真を撮って送った。
そのあと、友達とは少しメールか何かでやりとりをしたらしい。
夜遅く、日付が変わってから帰ってきた夫に布団の中から「ハガキそこにあるよ」と声をかけたけれど、朝見ても夫がそのハガキに触れた形跡はなかった。

今日、私がこうして生きているのは、当たり前ではなく、奇跡だということ。
それは私だけでなく、誰もがきっとそう。
毎日毎日、奇跡が起きて、今日も生きて、今日も食べて眠って、今日も笑っている。

この幸せを、当たり前だと思わないようにしたい。絶対に。

期待を裏切らない店

2019-02-20 | 美味しいもの
15日で仕事が一段落する予定だったが、そんなにうまく予定通りにいくわけがない。
少しずつ、少しずつ仕事が残っていった。

16日はゆうちゃんといわさきっちと3人で久しぶりのランチの予定で、仕事も終わらせて気持ちよく楽しみたかったのだが、日曜も仕事しないとあかんなぁ・・・というやや重たい気持ちでの外出。
それでも気の置けない友と、美味しいボリュームたっぷりのフレンチを前にすれば、気持ちはすぐ明るくなって。

高槻の「モナミ」で2500円のランチコース。
「この一皿でちょっとしたワンプレートランチやんね?」といつも皆で言う、このインパクト大の「前菜」が特徴。
必ずついてくるキッシュがまたうまいのだ。



このあと、季節の野菜を使ったスープ。この日は「にんじん」だった。
そして、メインは魚と肉の3種類から選べる。
私は鯛にしたが、これもまた付け合わせの野菜の量がすごいし、鯛も一般的な「一皿」の二倍はある。
鯛の下にあったポトフのような野菜の煮込みがまたうまかった。



これにまだデザートの盛り合わせと紅茶orコーヒーがつく。途中にパンも。
1杯だけワインも飲んで、「ああ、食べた!!」という気持ちになった。心もおなかも満たされるとはこのことか。

ここは私たちのお気に入りで、「ランチ行こうか」となると、必ず誰かが「モナミにしよう」と提案する。そして、誰も反対したことがない。
他にも1回目はすごくおいしくて気に入ったからリピートした店もあるのだが、だいたい2回目でがっかりさせられることが多い。
その点、モナミは決して私たちを裏切らない。むしろ、やっぱりここが一番だと確信させてくれる。

4時頃までお茶しながらしゃべって別れ、夫と待ち合わせて携帯ショップへ。
2年半ほど使ってきたスマホがいよいよ調子が悪くなってきたので、機種変更に行ってきた。
ちょっとだけど今より月額も安くなって、キャンペーンで1万円バックもあったし、何より使いやすい。いつ壊れるかとびくびくしないでいいのもいい。

仕事は予定より2日オーバーして、19日に一段落。(もちろん締切には間に合っている。あくまでも自分設定の締切)
3週間で保育園を13社取材して、20ページを書き上げた。その間、大分出張、奈良出張など別件取材も5、6件あり。
久しぶりにパソコンの端に貼り付けた「ToDoリスト」の長さに恐怖を感じていたが、とりあえずコツコツ書き続けてなんとかチェックを埋めていった。
やればできるじゃないかと、まだこれくらいならできるのかと思った反面、今は集中力が急低下。これが老いなのか。一段落したらホッとして次へ進めない。

ただ、これから今度は酒蔵の原稿の追い込みが始まる。というか、本当なら2日前から始まっていなければならない。
なのに、なんだかやる気にならず・・・
いろんなことがぐずぐずしたままだ。「勤勉な私」はどこへやら・・・。