散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

終末論と「百億の昼と千億の夜」

2017年03月24日 | ドラマ
光瀬龍さん、「百億の昼と千億の夜」

本当に久々に読んでみました。昔は全くわかりませんでしたが、半分ぐらいわかりました。

テーマは終末論というか神というか。

超越的存在みたいなものが、地球の知的存在の発展を邪魔するというか、ある程度発展したら芽を摘む為に破滅させる、なんてことが書かれています。

プラトンが登場します。アトランティスの滅亡ですね。

次にナザレのイエス。キリスト教的終末論ですね。

さらにブッダ、阿修羅、そして弥勒。

プラトンのアトランティス伝説はプレート移動説によって現実には否定されていますが、まあ文明の滅亡の例としては有名です。

穏健なキリスト教は終末論をあまりいいませんが、キリスト教原理主義者は終末論が好きですね。やがて終わりの日がくるが、信じる者だけは、神の手によって引き上げられる。

このキリスト教原理主義に依拠したくだらない映画が、米国では繰り返し繰り返し、作られています。くだらなくても、固定ファンがある。

ニコラスケイジの「レフトビハインド」なぞは本当に最低で、各種最低賞を米国で受賞しています。お仲間のキリスト教原理主義者の一部からも「最低扱い」されています。

一番不思議だったのは「仏教に終末論なんてあったかな」ということです。

末法の世はありますが、仏教的終末論というのはあまり聞いたことがない。仏教が目ざす最高の高みは「涅槃寂静」。でもこれは終末とは関係ない。

で、ここが、百億の昼と千億の夜の注目点だと思うのですが、「弥勒」を持ち出すわけです。

弥勒が56億年後に人々を救済するなら、救済されるべき破滅的現実が前提にある、とこうなります。

あ、そういう論法かと、そこは面白く思いました。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿