散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

高橋和夫著「中東から世界が崩れる」を読んで。

2017年06月18日 | 日記
高橋和夫さんの最新作といっても1年前なので状況は変化しているのですが、とにかく最新作「中東から世界が崩れる」を読んでみました。

アメリカでシェールガス革命がおこった結果、というよりアフガン、イラク戦争でアメリカが疲弊した結果、アメリカは中東への興味を急速に失いつつある。その結果、中東での覇権争いが起きている。これは「新たな列強の時代」とでもいうべき状況である。
キーとなる「人間集団」はイラン、サウジアラビア。そしてロシア、トルコ、イラク、クルド、中国などである。

特にイラン、サウジアラビア、トルコ、クルドに多くのページをさいています。

イランとトルコは中東といっても特殊な国だという指摘があります。トルコはかつてオスマントルコという大帝国でしたし、イランはペルシャです。

ペルシャとはつまり古代の中東の覇者です。ササン朝ペルシャ、アケメネス朝ペルシャ。言語はペルシャ語でアラブ語ではない。他の中東の国とは本質的に違う国だという認識が必要だと書いてあります。

トルコも似ています。しかもオスマン朝トルコは近代の国家です。「古代の栄光」ではなく、近代においても栄光ある国家だったのです。

他の中東の国はエジプト、イスラエル以外は「国もどき」なんだという指摘もあります。あ、でもイスラエルが「国民国家だ」とは書いてありません。中東には「国民国家」はイラン、トルコ、エジプトの3つしかないと書かれています。

現在の中東の覇者と思われているサウジアラビアも実は国もどき。国民国家ではなく、国民は労働すらせず石油で暮らしている。労働は外国人労働者が担っている。アメリカは武器を買ってくれるので重宝に扱っていたが、近ごろは副皇太子がはりきって「その武器を使おうと」している。「国もどき」が武器なんか使いはじめたら、来るものは「混乱」しかない。

最近でもカタールがいきなりサウジアラビア等から国交断絶されましたが、理由は「イランと仲良くしているから」です。

サウジアラビアとイランの覇権争いは年々激化しており、そこにトルコ、ロシア、中国がからんでくる。国をもたない世界最大の民族クルドがあり、イスラエルがあり、さらにISの存在がある。エジプトは今は混乱しているが本来はアラブの盟主となりうる国である。少なくともサウジアラビアのような「国もどき」の人間集団ではなく、「国民国家」である。

というわけで中東の大幅な再編成がやってくると予想しています。中東における日本の評価は今は「とにかく正直な国」というものである。日本人は騙さない、このイメージを損なう行動をとらなければ、アメリカなんぞより日本の方がよほど中東において大きな役割を果たすことができる。

一回読んだだけですが、まあそんなことが書かれていると感じました。

ヨハネ黙示録とかノストラダムスとか終末論とか

2017年06月18日 | 日記
ヨハネ黙示録の作者は分かりません。ヨハネなんでしょうが、そんな名前は極めて一般的な名前で、どこのヨハネかはわかっていません。

この著作はローマ帝国の崩壊を予言したものです。もうちょっと書くと「ローマなどこうやって破滅してしまえ」という作者の強烈な願いが書かれた本です。

直接にはローマと言わずバビロンとか言っています。つまり「全世界の未来」のことを書いているのではなく、現実のローマに対する不満と願望的予言を書いている著作です。

そういうことが忘れられて、今は「未来に全世界にこういうことが起きるぞ、でも信仰があれば救われるぞ」という感じの著作になっています。

ヨハネ黙示録を新約聖書に含むかは反対意見もありました。が結局含まれることになったようです。

キリスト教も基本的には終末論宗教なのです。もっとも今はすべてのキリスト教徒が終末を「待望」しているわけではなく、キリスト教原理主義者だけが望んでいるという状況かと思います。

ユダヤ教もキリスト教も「基本的」には「終末がきたほうがいい」という宗教だということです。世界には終末待望者が結構いるということが日本ではあまり理解されていないような気がします。

終末とは神による「世直し」です。今の悪い世界を滅ぼして、新しい善の世界が作られる、信仰があるものはその善の世界に行くことができます。

日本では終末論は「このままじゃ終末が来るから、人間の努力によって未来を変えよう」という流れの中で言われることが多いですね。

たぶんキリスト教圏でも穏健なキリスト教徒は同じなんでしょうが、新興宗教なんかは終末論を利用して信者を増やすことも多いようです。大川の「ノストラダムス戦慄の啓示」とかがそうですね。

ヨハネではちょっと古すぎるので、ノストラダムスを利用します。1999年に世界が滅びるなんてノストラダムスは書いてませんが、日本では書いていることなっている(五島勉の著作によって)ので、ノストラダムスを利用します。でも1999年が過ぎてしまいました。

終末論者が自分で終末を引き寄せようとした例としてはオウム事件があります。ただ地下鉄にサリンをまいても終末にはならないわけで、結局むごい人殺し事件を起こして罪なき人を殺しただけでした。

五島勉は今はアメリカの同時多発テロが「恐怖の大王だった」と言っていますが、1999年8月には「謝罪」をしています。

文明への警告だった、迷惑をかけたなら謝罪するとかいう内容だったかな。まんざら嘘でもないというか、実際70年代には世界の破滅が迫っていると感じさせる「冷戦という現実」「核開発競争」がありましたから、多くの人が「ありうる」と考えたのにも理由があったのです。

五島勉を擁護する気持ちは全くありませんが、「このままじゃまずいぞ」という土壌があったから、あのインチキ本はあれほど売れたのだと思います。