遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『鬼手 世田谷駐在刑事・小林健』 濱 嘉之  講談社文庫

2022-07-01 23:06:43 | レビュー
 おもしろい設定の警察小説である。おもしろい理由を3つまずあげておこう。
1.駐在所が世田谷区多摩川に隣接する地域にある都内有数の高級住宅街にあること。
 「駐在所」という語句から思い描くイメージとはかけ離れている。
2.駐在する警察官は小林健。警部補41歳。警視庁山手西警察署学園前駐在所勤務。
 小林にはもう一つの顔がある。山手西警察署組織対策犯罪課第四係長を兼務する。
 つまり、普段は駐在所に勤務するので「駐在刑事」。そんな特例的存在である。
 なぜか? 小林が駐在所勤務を希望した原因がこのストーリーの底辺にある。
3.駐在所での日常勤務を中核にして、小林が遭遇し対処する事件を次々に描くこと。
 ストーリーは章立てとなっているが、短編連作集と言える構成になっている。
 それぞれの事件がストレートに進展、展開していくので、読者にとっては読みやすい。

 この小説、特異な設定の故か、現在のところ単発にとどまり、シリーズにはなっていない。2010年に『世田谷駐在刑事』として単行本が刊行され、加筆・修正の上、改題し、2012年2月に文庫化された。

 短編連作集とも言えるストーリー構成なので、章毎に簡単な感想兼紹介をまとめてみたい。
<プロローグ 乾いた音>
 小林の担当エリアで発砲事件が起こる。その犯人逮捕までの顛末が描かれる。主人公となる小林を読者にイメージさせる導入を兼ねているので、プロローグなのだろう。
 犯人の逮捕後に小林が作成した捜査報告書が本庁での大きな事件を解決する糸口になる。

<第一章 白い粉>
 夜間のミニ検問を実施中に、急な方向転換をしようとしたBMWを発見した。運転手に対する職務質問をしたところ、若い男が反抗的な態度をとる。小林は男がズボンの右ポケットに隠そうとした銀色の紙に気づいていた。覚醒剤所持の現行犯逮捕に発展していく。さらに、その車には、若者たちに有名な女性歌手が乗っていた。
 この現行犯逮捕の後、事件の背景をどのように捜査していくか、マスコミへの広報がどのように行われるかが読ませどころとなる。山手西警察署内での署長、副署長などの考えと動きがおもしろい。小林は署長から覚醒剤ルートに絞った捜査を指示されることになる。

<第二章 二足の草鞋>
 なぜ小林は二足の草鞋をはく立場になったのか。その原因となった過去の事件が明らかにされる。小林が警視庁組織犯罪対策部組織犯罪対策第四課主任、38歳の警部補だった時に、捜査している事件の過程で発生した。
 さらに、地域を受け持つ駐在の時任健志巡査部長との出会い、彼の仕事のやり方から受けた感銘も一因にあることがわかる。
 もう一つ、小林の家庭事情も明らかにされる。
 ここで小林健の人間像がわかり、読者には一層親近感が湧いてくる。

<第三章 不浄の手>
 小林が定期異動の申し入れをした翌年3月に、駐在所勤務の辞令が出る。この時、小林には「山手西警察署学園前駐在所勤務兼組織犯罪対策全国指導官」という指定書がついた。そのため「駐在刑事」という代名詞ができた。
 さて、この駐在所に勤務する小林の所に、高校1年生になった顔見知りの子が、友達が痴漢に遭っているという問題の相談にやって来る。小林は警視庁の似顔絵捜査官でもあるという特技を活かすことに・・・・。
 似顔絵とモンタージュ写真の長短にも触れていておもしろい。
 勿論、この痴漢事件は犯人逮捕とその結末まで描かれるが、小林はその入口で解決への重要な情報(似顔絵)提出で、手柄を立てたことになる。章末のオチがいい。

<第四章 魔の時>
 正月3日朝、顔見知りで年配の佐藤サトが見張り所に駆け込んできた。息子夫妻が殺されていると訴えた。小林はサトから玄関の鍵を預り、現場に駆けつける。自宅内での一家三人殺人事件の発生である。
 事件捜査の進展状況が描かれて行く。ところどころに、警察組織に内在する警察官たちのマイナスの側面がシニカルに織り込まれていて、いずこの組織もご同様か・・・と感じる。
 この事件で、小林は特捜本部の何人かと独自の捜査を行う立場を取る。なぜか。そこに警察組織内の縄張り意識の反映という側面がさりげなく指摘されている。
 この章に、タイトルの「鬼手」の由来が出てくる。引用しておこう。小林という駐在刑事を知る上で欠かせないからだ。

”小林は事件に対しては冷静に、犯人に対しては極めて冷徹である。・・・・「鬼手仏心」の精神だと小林は思っていた。これは紀ノ川の漁師に伝わる言葉であるが、近年は外科医の心訓として用いられている。「残酷なほどにメスを入れるが、それは何としても患者を救いたいという温かい純粋な心からである」という意味だ。”  p154

 さらに、2月に警察官が被害者になり拳銃が奪われた事件を続きに語る。
 そして、この2つの事件はそれぞれ、暗礁に乗り上げることに・・・・・。

<第五章 富と名声の陰で>
 小林の受持区内に住む女優田口佳子の自宅から110番通報で強盗被害の訴えがあった。小林は女優宅に駆けつけ、現場確認と本署への連絡を行い、被害者に聞き込みをする。窃盗担当の刑事や鑑識係員が現着し初動捜査が始まる。が、窃盗担当係長は親族相盗だと小林に告げた。
 もう一つ、小林の巡回連絡という仕事でのエピソードが語られる。こちらは往年の大物女優に対して、小林が行った支援エピソードである。

 高級住宅地にある駐在所らしい、日常勤務の仕事の一端としての事例を描く。息抜き的な章にもなっている。ここもちょっとしたオチで締めくくられる点がおもしろい。

<第六章 組織対組織>
 小林の受持区内で発生した侵入盗被害を契機にして、ストーリーが展開する。この事件は大掛かりな窃盗グループの犯行に関連する事件の一環だった。小林が刑事の側面で事件に関わっていく。合同捜査という形に進展していくのだが、刑事警察独自のテリトリー主義が出てくる側面をどのように回避して捜査を推進するか。小林は常に「捜査経済」を念頭に置いている。その実践が描き込まれていく。ここでも間接的に警察組織内での立場の違いが生み出す弊害に触れられている。
 盗品の海外輸出まで絡む大型窃盗グループの事件捜査がテーマになっている。

 続きに、小林の駐在所勤務の側面から、「ひったくり」に関連する話題とマンションの部屋を使った偽造グループの摘発を扱っていく。
 小林は巡回連絡の業務中に、受持区内のマンションに住む中国人グループを不審に思った。小林流の巡回連絡の仕方と訪問先の観察で気づいたこと、つまり、小林の問題意識にまず焦点があたっている。

<第七章 なりすまし>
 受持区内に住む大杉建設の会長夫人が小林の所に相談に来た。私立大学に通う孫が1000万円を借りにきたという。博打に負けた金を友達から借りて、それが1000万円になったというのだ。その友達は警察官の子だという。
 祖母に付き添われ、植田純一郎が駐在所の受付である見張り所を訪れた。小林は純一郎に経緯を聞き取りすることから始めた。都市大の人文で学ぶ宮原和也が間に入っているのだが、相手は闇金融のようで、300万ほど借りたのだが1000万の返済を請求されたと言う。違法なバカラ賭博という認識はあったという。純一郎が語った場所を小林は知っていた。池袋警察の組織犯罪対策課に連絡を入れ、小林は連携プレイを行う。純一郎の借金問題のケリの付け方が興味深い。
 
 ここでも、小林を頼って見張り所に相談に訪れる別件に移っていく。テレビの制作会社経営者・前田純高は、大手を含め信販会社7社から身に覚えのない契約に関する返済を要求されているという。思い当たるのは、テレビドラマの制作で京都のスタジオを使ったとき、ある役者の起用問題から始まり、地元の暴力団とトラブルが起こったという。
 小林は信販会社の背景をチェックすることから始め、組対課長に報告するとともに、刑事課との合同捜査を想定するが、署長の発案で本部をも捲き込む事になる。さらに、刑事課と組対課の若い係長を連れて、現場指導をするようにとの指示をうける。この案件もまた、刑事の側面での活躍が期待されているのだ。
 有印私文書偽造・行使の手口の解明プロセスが興味深い。この章のタイトルはここに由来するようだ。
 この捜査プロセスで、著者は行政の問題点を2つ指摘している。
1.「区役所では全ての書類を出してくれたが、申請者に向けた防犯カメラは設置されていなかった。」 (p251)
2.「我が国の健康保険証には写真もICチップも付されていない。それにもかかわらず、これが身分証明書として使用されるところに法治国家とおしての行政手続きのお粗末さがあるよな」(p251)

 さらに、新たな別件が続く。このあたり、駐在所勤務の日常を描くと言うストーリーだから自在である。小林が受持区内に住むIT長者が催すパーティに絡んで路上駐車の問題があり、小林が巡回に行ったことから始まる。路上駐車していたのは関西系のヤクザの車だった。このヤクザに小林が着目する。駐車に対する110番通報が、大きな事件の捜査を引き寄せていくことになる。ここのオチもおもしろい。著者は読者を楽しませている。

<第八章 面影>
 この章は、第四章で発生した一家三人殺人事件の継続捜査編になる。つまり、事件から2年経っている。小林が小グループで行っていた独自捜査のその後という形となり、事件解決へと進展していく。小林が巡回連絡強化月間の巡回連絡中に、偶然にもその糸口を掴む。地道な捜査の先に光明が見え始める。
 最後は小林の家族のことにふれ、駐在所の日常の仕事の描写で終わる。
 治安維持の原点は、地域住民との接点をきっちりと維持できているところにある。それが事件発生後の捜査において重要な情報源になっていくことを著者は語ろうとしているように思った。

 ご一読ありがとうございます。

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