山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

グラフを描いてみよう~2次関数編(放物線)

2020-05-31 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 今回は2次関数のグラフです。2次関数の一般形はy=ax^2+bx+c(a≠0)で表されます。a>0の時は下に凸、a<0ならば上に凸の放物線となります。放物線の性質は教科書などで復習しておいてください。
 下に凸の放物線の谷底、あるいは上に凸の頂上を頂点といいます。また1次関数と同様にx=0を代入するとy=c(y切片)が得られます。頂点の座標とy切片が分かればもう2次関数のグラフは描けたもも同然です。

 2次関数の頂点の座標を求めるためにはy=a(x-p)^2+qといった平方完成形に変形させるのが一般的です。ですから平方完成に習熟しておくことが必要になります。ただ、数Ⅱで微分を学習します。そうするとy=ax^2+bx+cの一般形をxについて微分するとy’=2ax+bという導関数を得ます。y’=0と置くことにより、2ax+b=0という1次方程式を得ます。これをxについて解くとx=-b/(2a)を得ます。これが頂点のx座標となります。これに対応するyの値を計算すれば頂点のy座標が計算できます。

 さぁ、これでグラフを描く準備ができました。では早速描いてみましょう。先に座標軸を描いた後で、頂点をプロットしy切片を通る放物線を描く作業は結構大変です。
 だから放物線を先に描きます。aの正負により上に凸か下に凸か決まりますので、放物線を一筆書きします。こうすると結構滑らかにそれらしく描けるでしょう!?
 次にx軸を描き足しましょう。頂点のy座標が正ならば頂点の下に、負ならば頂点の上に直線を描きます。どれくらい離すかは全体のスペースとバランスを考慮して決めて下さい。
 その次にy軸を描き足します。頂点のx座標が正ならば左側に、負ならば右側に描きます。この時注意しなければならないのがy切片です。y切片の正・負・ゼロによって頂点からどれくらい離すかを決めなくてはなりません。y切片が0の場合には原点を通るのですから、放物線のx軸の交点の一方が交差しているところにy軸を描けばOKです。
 x軸、y軸共に描き終えたら、y切片の座標、頂点の座標を書き込みます。これで2次関数のグラフは完成です。定義域がある場合には1次関数の時と同様に描いてください。

 さて、問題によっては各点を通る放物線の方程式を求めよとかいったものがあります。これをグラフを描いて凡その形を掴もうとすると、先に座標軸を描き、各点をプロットしなければなりません。そうすると先に放物線を描くといった手法が使えなくなってしまいます。無理すればできないことはないと思いますが、余計な手間暇がかかり、楽に描くといったことからすれば、まさに本末転倒なこととなります。

 そこで描き方としてよく見かけるのが左から頂点に向けて放物線らしく装った曲線を引きます。そうすると大抵の人が頂点で急に尖ったように折れ曲がったような曲線になってしまいます。しかも、無理やり各点を通したいものだから、その点で不自然に屈曲ていたりします。放物線はご存知の通り、頂点付近では緩やかに変化しているのです。
 だから描き方としては頂点から描き始める方がそれらしく描けます。頂点から左右対称に少しずつサッサッと薄く線を伸ばしていきます。そして与えられた点を通るようにこれも左右対称に伸ばしていきます。最後に薄くできた輪郭をなぞるようにして滑らかな曲線に仕上げます。
 先に放物線を描くより少々手間がかかりますが、だいぶ放物線らしく見えるようになったでしょう!

 要は慣れですので、何度か試行錯誤しながら描く練習をしてみてください。

 さぁ、次は指数・対数関数にするか、それとも最も苦手と思われる三角関数にするか!?




グラフを描いてみよう~1次関数編

2020-05-30 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 さて今回から、どうやったらグラフを楽に描けるかといったテーマで話を進めて参ります。何でグラフを描いた方が良いのかということに関しては「グラフが描けないと大損する!?」を参照してください。

 第1弾として1次関数のグラフを扱います。1次関数の一般形はy=ax+b(a≠0)で表され、グラフ上では直線となります。
ということで、先ずは1次関数の場合には、x軸とy軸を先に描いちゃいましょう。(ということは後で描く場合もあるということ!?)

ここでx=0とするとy=bとなりy軸とbで交わります。これをy切片といいます。このことは、この直線が座標(0,b)を通ることを意味します。b=0の時は座標(0,0)、即ち原点を通ることとなります。早速このy切片をy軸上にプロットしておきましょう。
 
 さて、直線は平面上の2点が決まれば描くことができます。既にy切片が決まっておりますので、もう1点を決めれば良いのです。
ここでy=0としてみますとax+b=0という1次方程式を得ます(※1)。これをxについて解くとx=-b/aという解を得ます。このことは(-b/a,0)を通ることを意味します。世間ではどのように言っているか知りませんが、私はこのx軸と交わる点のことをx切片と呼んでいます。

(※1) 方程式ax+b=0はy=0とy=ax+bの連立方程式と考えることができます。その解はx軸との交点を意味します。

 x切片を計算によって求めることができますが、これが整数値であれば簡単にx切片とy切片を直線で結べばこれでめでたしめでたしなのですが、分数となることもあります。もちろん無理やりx軸上にプロットして直線を引いても構いません。
もし、xの他の値を代入すれば整数値になるのであればその座標をプロットして直線を引いた方が望ましいでしょう。例えばy=2x/3+1という1次関数であれば、x=3を代入すればy=3を得ます。よって(0,1)、(3,3)を結ぶ直線を引けば良いということになります。

 そうそう、定義域付の場合もありますよね。α≦x≦βなどとされていたら、範囲内は実線、範囲外は点線で描くようにしましょう。そして境界は等号付不等号の場合は●、等号無しの不等号の場合には○で描くのが一般的です。

 長々と書いてきましたが、それ位知ってるよという声が聞こえてきそうです。そうであれば、それで結構なことであります。もう何も言うことはありません。1次関数のグラフはバッチリ描けるはずです。

 これからは余談となりますが、1次関数のグラフは書けてもx=c、y=dといったグラフを描けない方が多いのです。
x=cはyの値に関わりなくxの値は一定ということですから、(c,1)、(c,2)、(c,3)の何れの座標もx=cを満たしております。これらの点を結ぶ直線は、y軸に平行な直線となります。ちなみにc=0とすればy軸そのものとなるのです。
同様のことをy=dはx軸に平行な直線となり、d=0の時にはx軸そのものになります。
 何故このような例をを持ち出したかと言うと、x=2のグラフを描けと言われた時、そこでフリーズして何も先に進めなくなってしまう人が如何に多いかということなのです。教科書や問題集などで取り扱ったことは2度や3度ではきかないでしょう。その時理解できたかどうかは知りませんが、とりあえずグラフ自体は描いたでしょう。なのに忘れてしまうのです。そりゃ訳が分からないものは、余程印象深いものでない限り覚えているはずもありません。その時、自分自身の手を動かして試行錯誤しながら問題に当たらなかった結果が理解に繋がらず、忘却の彼方へ追いやってしまうです。
 どのようなグラフになるのか分からないのであるならば色々な点をプロットしてみることが最低条件なのです。それもせずにフリーズしてしまう状況は思考停止と何ら異なりません。将来、問題に直面したとき、思考停止に陥って手をこまねいてしまうつもりですか?

 と少しキツメになってしまいましたが、基本中の基本のことですから自分自身と向き合って欲しいと思います。

 さて、1次関数のグラフは比較的簡単にマスターできることでしょう。それは直線という馴染み深いものであるからです。定規を使えば、かなり正確に描けます。そうするとそのグラフを眺めているだけで色々な情報を引き出せるでしょう。
 今回はグラフを描くことがテーマでしたが、逆に与えられた2点の座標から直線の方程式を決定するような問題があります。公式を知っている方は速攻で公式に座標値を代入して目的の1次関数を求めることができるでしょう。しかし、計算ミスが発生するのも世の常です。そこで気軽に座標をプロットして求める直線を描いてみましょう。そうすると傾きやy切片の凡その値が読み取れるでしょう。それと公式を用いて得た値と矛盾すれば、どこかに計算ミスがあることを示唆しています。(もちろん検算してみるという方法もありますが、もっと複雑な関数の場合にはグラフの方が楽になります。)
 しかし、グラフを描くのにもたついているようでは役に立ちません。ですから何度も繰り返しますが、気軽にササッとグラフを描けるようになって欲しいのです。

 次のテーマはいよいよ2次関数(放物線)のグラフを扱います。

 

数値はいいけど文字が入ると・・・

2020-05-27 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 数値だけの計算だと難なくできる(メチャ速かったり)のに文字が含まれると途端に駄目になってしまう人がいます。
数値であろうが文字であろうが計算規則が異なる訳でもないのですけどね。
例えば、2/5+3/7はちゃんと計算できるのに2x/5a+3y/7bとなると手も足も出なくなることをよく見かけます。小学校の時に分数の計算を機械的に教えているからとも考えられますが、だったら文字が含まれていても機械的にやれば良い訳ですから、何かもっと別の問題が潜んでいそうです。

 数学において文字式を扱うのは、その方がより一般化できるようになるというのが理由の一つでしょう。
1+2と表記すれば、その数値がこれらに限定されます。a+bという表記すれば色んな数値を代表できます。例え、その数値が1であろうが、1000であろうが、無量大数でもです。そして文字を使えば計算の見通しが良くなります。例えば、分子分母に同じ文字が含まれていれば約分が簡単にできるでしょう。もし数値で計算しているとつい見逃してしまうかも知れません。
 物理でも多くの場合、先ず文字で計算して最終的に数値を代入します。その方が経験上計算が楽になるからです。有効数字の問題もありますので数値の計算は最後の最後で行うのが通例です。ただ、衝突の問題やキルヒホッフの法則の問題などで連立方程式を解く場合などでは、もし数値が簡単な整数比になる場合には、そこだけ数値を代入して計算することもあります。これはあくまでも計算を楽にしたいという便法ですが・・・。

 それから、文字を含む数式で表現した方が簡潔で分かり易いですよね。日本語で2x/5a+3y/7bの計算を説明しろなんて言われたら大変なことです。しかし、文字式で表現すれば誰でも共通認識に立てます。一旦、数学語しかも世界共通言語に翻訳しさえすれば、誰でも簡単にその意味が理解できるようになります。

 文章題を解くときに、分からないもの(未知数)には適当に文字を対応させます。問題文の中から条件を読み取って定式化します。文字の数だけ関係式ができれば、後はそれらを解くだけです。それが1次方程式や2次方程式であれば、ほぼ機械的に解けるでしょう。
 それが微分方程式ともなれば自分では解けないかも知れません。あるいはコンピュータを使った数値計算をしなければならないかも知れません。しかし、数学語で表現されていれば、他の人に解いてもらうことだったりできます。

 このように文字を使うことによって、世界は大きく広がるのです。文字式の導入で戸惑うこともあるでしょう。でもそれは一時のことです。計算練習して文字式の取扱いに習熟すれば良いだけのことです。
 恐れる必要はどこにもありません。ただただ手を動かして慣れれば良いだけのことです。そしてその努力は後に大きな見返りとして必ずや帰ってきます!!!






見えないものにあこがれて(1)

2020-05-26 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 今まで見えていなかったものが見えた時の喜びって経験ありませんか?
例えば、顕微鏡や天体望遠鏡を初めて覗いた時に目にした鮮やかな世界とか。今まで何の関連性もなかった事象の中に法則性を見つけたとか。部活で対戦相手の癖を見抜いて、それを逆手にとって勝ったとか。

 私が学校で教わる教科以外で最初に興味を持ったのが無線でした。小4の夏休みに「子供の科学」という雑誌を読んでいた時にアマチュア無線(Ham)の紹介で世界中の人と無線通信ができる云々といった宣伝文句に釣られて無線の勉強を始めました。通信教育を受講するとともに「ラジオの製作」や「初歩のラジオ」などの雑誌を読み漁り、面白そうな製作記事があれば自分で作って遊んでおりました。当時はトランジスタ製品が普及期にあり、真空管製品の最晩年といった新旧の入り混じった時代でした。ですから使われなくなった真空管製品が大量に捨てられていたこともあり、部品をタダ同然で入手できた時代でした。

 苦節3年、中1の10月の国家試験に晴れて合格して、無線従事者免許証を手にしたときは、我ながらよく頑張ったなと感心したものです。試験科目は、無線工学と電波法規の2科目なのですが小学生では教わりもしない平方根や指数の計算なども含まれており、学習し始めた当初はチンプンカンプンの連続でした。ですが「好きこそ物の上手なれ」で一つ一つ克服していったのでした。

 免許は手にしたものの開局するには無線機とアンテナが必要です。当時は既に完成品の無線機も多くありましたが、それらは7万円以上もする高価なものでした。中1の私には到底手にすることができない夢の無線機でありました。ひと昔前は無線の免許を取ったならば送受信機やアンテナなども自作して無線局を開局するのが当たり前の時代です。無線機を自作できないような人は技術力がない未熟者と見なされたのでした。
 当然のことながら開局して電波を出すには自作の道しか残されておりませんでしたので、合格通知が届いた時からコツコツと造りはじめておりました。時には夜明け近くまで工作に没頭する日もありました。ということで学業が疎かになるのは目に見えてますよね。典型的な趣味馬鹿の道をひた走っておりました。しかし、この回り道は後の開発者人生に役に立ったし、私が座右の銘としている「人がなければ、その人になれ。ものがなければ、そのものを創れ。」の原点になったものであると思っております。

 そして無線局の免許状も到着し、自作の無線機で手も声も震わせながら出した第一声、そして相手局からの応答・・・。その時の感動は他の何者にも代えがたいものがあります。我ながら初々しくもあったと思います。

 閑話休題、何であんなに熱中できたのだろうと不思議に思うくらい熱中していました。電気という目に見えないものから作られる電波という面白い存在が少年の心を突き刺したのかも知れません。学問的に言えば、電磁波の存在は解明済のものであった訳です。それでも少年の心をくすぐる存在と為り得たのです。
 見えないものって何か好奇心をくすぐるものがありませんか?
私はそれを見てみたいという衝動にかられます。何か不思議な現象に対してでもそうですし、政治家の訳の分からない言動などにでもそうです。何か分からないものに対して、それを知りたい。何か規則性があるのでは。果ては本当の理由は別のところにあるのではないかとか色々な妄想をしてしまいます。
 人はその好奇心、興味のあるところを報酬のあるなしに関わらず追求する動物なのかも知れません。そしてそれは目の前に偶然現れたものかもしれません。もしその時無線でなく数学の美しい定理に出会っていたならば、もっと別の道を歩んでいたかも知れません。このように偶然が人の道を左右することがあるかも知れませんが、何より好奇心を抱く(抱き続ける)ことが肝心なことであろうと思います。

 まだ書き足りないことがありますが今日のところはこれ位にして、後日改めて投稿することにします。
 

自然数、整数、有理数、無理数、虚数

2020-05-25 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 「自然数ってどんな数」と聞くと⇒1,2,3,・・・
では「整数は?」⇒1,2,3,・・・ 「アッ、それにマイナスつけたもの」、「それに0も」
と答えられれば、まだ良い方でしょう。
 ほとんどの子は、黙りこくってしまいます。

 自然数、整数を答えられた優秀な子でも
「有理数は?」と聞くと撃沈です。無理数まで説明できる子となると極まれにしかいません。ましてや虚数をや!

 数学がある程度できる子でも意外とチャンと説明できる子は少ないものです。これらの言葉そのものは教科書に何気なく説明してありますが、本来はとてつもなく深遠なものがあります。だから解らなくて当たり前なのです。

 ただ、今のところは自然数は、1,2,3,・・・と指折り数えられる数だと覚えておけば良いと思います。これは人類が初めて数の概念を獲得したときのものだと考えます。獲物の数、人数、その辺りにころがっている石ころの数、などなど1つであれば⇒1、二つであれば⇒2といった具合に表すことができるということに気付いたのではないかと思います。

 整数はこれに負の世界とゼロを加えたものです。これは、「自然数」+「自然数」⇒「自然数」になりますが、「自然数」-「自然数」は必ずしも「自然数」になりません。でも整数の世界では「整数」+「整数」⇒「整数」、「整数」-「整数」⇒「整数」、おまけに「整数」×「整数」⇒「整数」となります。
これで加減乗算まで同じ数の世界で表すことができるようになりました。

 しかし、「整数」÷「整数」は必ずしも「整数」とはなりません。例えば2÷3を考えればすぐお判りでしょう。そこで「有理数」の登場です。「整数」÷「整数(≒0)」⇒「有理数」とします。そうすると加減乗除が同じ数の世界で表すことができるようになりました。

 次に、直角二等辺三角形の斜辺の長さのように「有理数」で表すことができない数が出てきました。これが「無理数」の世界です。「有理数」を小数で表すと1.23とピタリと表せるものと1.234234234・・・のように際限のない小数(循環小数)になります。しかし、無理数は循環せずに際限なく続く小数です。その代表例がπ(円周率)やe(ネイピア数)でしょうか。
これまでの数を総称して実数と言います。

 更に、2次方程式の解の公式の平方根の中が負の場合には、実数解なしとして扱ってきましたが、これが負の場合を考えてみましょう。即ち、2乗すると負になる数というものです。これを「虚数」といいます。例えば√-2を2乗すると-2となる数で√2iと表記します。
こんなもの導入して何になるのでしょうか。しかし虚数の導入は実に大きな成果をもたらしてくれます。現代科学は虚数なしには成り立たないといって良いほどかと思います。
 その見事な例を挙げますと、




 ノーベル賞物理学者ファインマンをして「我々の至宝である」と言わしめた美しい式(オイラーの公式)があります。虚数と無理数である円周率とネイピア数が結びつき、その結果が-1になるという何とも感動的な式です。

 このように自然数に始まって人は数の世界を拡張してきました。これ全て人の頭脳の中から生み出されたものです。過去何千年(いやもっと長いか)もかけて人類が獲得してきた英知を現代人は高々20年程度で学ぶことができるのです。しかも、完璧な教科書があり、教師の指導付で制度的・組織的に教えてもらえるのです。このような贅沢なことが他にあるでしょうか。なのに難しい、嫌い、不得意などといったことで何故学ぶことをしないのか。私には理解することができません。
 学びには困難がつきものです。社会人になれば未知の問題を解決しなければならないことが多いものです。こんな時に既知のことすら学ぶことをしようとしない人たちが未知の問題を解決できようはずもありません。

 何事も努力なしに成果を出せるはずもありません。難しい、嫌い、不得意などといったこを免罪符にして欲しくはありません。




「負の数」×「負の数」はなぜ正の数になるのか?

2020-05-24 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 中学に入りたてに正の数・負の数を教わります。数直線に整数値をプロットするところはまでは皆さん良く理解できることでしょう。
少し進んで整数の加減乗除を学びます。加減算まではなんとか数直線を利用してイメージさせることはできるでしょう。
しかし、乗算となると「なんでー???」ということになります。

 私の場合には
 「正の数」×「正の数」⇒「正の数」 ・・・①
 「正の数」×「負の数」⇒「負の数」 ・・・②
 「負の数」×「正の数」⇒「負の数」 ・・・③
 「負の数」×「負の数」⇒「正の数」 ・・・④
といったことを掛け算の九九みたいに覚えさせられました。

 分からないことに対して「何で―?」と疑問を持つことは大切なことなんです。しかし、これらに対しては明確な答えを得られるものと得られないものがあります。
 「負の数」×「負の数」⇒「正の数」というのは定義(決めごと)なのです。だから覚えるしかないと言ったら身も蓋もありませんが・・・。
ただ、このように決めた方が便利というか都合が良いのです。このことは後に他の分野を学ぶと色々なところで実感できると思います。
それに①~④までを眺めてみると「正の数」と「負の数」で2個ずつでちょうどバランス取れています。もし④を「負の数」決めてしまうと3対1とバランスに欠けてしまいます。アンバランスなものよりバランスがとれていた方が見た目にも麗しいし安定感もありますよね。人はそういうところに魅かれるのではないでしょうか。ですから数学にもそういったことがあるのではないかと思うのです。

 さて、数学って何でも明確な答えがあるものだと思い込んでいらっしゃる方もおられると思います。「負の数」×「負の数」⇒「正の数」の意味がさっぱり分からない。だから数学は訳が分からない難しいものだと思い込んで数学に興味を失ってしまうといった図式に陥らないようにしてもらいたいと切に願います。

 数学においては前提が正しいかどうかは問題にされないのです。その前提から出発して論理的に導かれたものは全て正しいということになります。
 しかし、科学においては、前提から出発して論理的に導かれたものが実験事実と異なれば、その前提が正しくないことになります。
数学は頭の中だけの出来事であって極論すれば何だって空想が可能なのです。例えそれが現実的なことでなくても。現実の世界で起こっていることに当てはめて初めて科学となり得るのです。

 現実離れしている自由数学を勉強して何になるのだという声が聞こえてきそうです。でも自由に発想できる数学だからこそ広がる世界もあるのです。何に使えるか分からないものの成果が現実世界を表現できるものに発展する可能性はいくらでもあります。

 数学を勉強するには紙と鉛筆(表現が古臭すぎる?)と頭脳があれば十分です。それだけで森羅万象を論ずることができます。面白いと思いませんか!?





7歩助走にしてみました!

2020-05-23 | ボウリング
 ボウリングの助走と言えば、4歩助走と5歩助走が主流のようです。私はこれまで5歩助走でした。一度4歩に変えてみた時期がありますが、何となくしっくりせず5歩に戻ってしまいました。

 先日久し振りに行われた、プロのフリーレッスン会で足と手のタイミングが微妙にズレているとの指摘がありました。と言われてもどこがどのようにズレているか、どう直せば良いのかさっぱり分かりませんでした。
 そんな時には何にも考えずに「散歩するような感じでブラブラ歩きながら、おもむろにスイングを開始してフィニッシュだけ合わせるようにしてみたら上手くいくこともあるよ!」みたいな漠然としたアドバイスがありました。
 具体的には、アプローチに上がったらセットアップせずに(ボールに指を入れない状態で歩き始めても良い)直ぐにブラブラ歩き始める。スパットを通すとか考えずに適当なところでスイングを開始してフィニッシュだけ合わせるようにするといったものです。歩数は何歩でも良いが大体7~9歩位になると思います。

 早速そのブラブラ歩き投法を実践してみました。始めた当初はプッシュアウエイを何時始めるか、バックスイングのトップのタイミング、リリースのタイミングなど混乱の極みでした。20~30投ばかり繰り返し練習していると何となく身体全体の力が抜けたようになり無意識のうちにプッシュアウエイから始まる一連の動作ができるようになり、しかもポケットヒットするようになりました。これで何とか行けそうかなという感触を得ました。

 レッスン会の〆の1ゲームが始まりました。3フレームまではブラブラ歩きで、7歩から9歩で気ままに投げてオープンフレームばかりでしたが、4フレーム目からチャンとセットアップし7歩助走をやってみました。それから俄然ストライクとスペア連発で185ピンを打つことができました。
 その後も練習はブラブラ歩き投法でゲームが始まると7歩助走という具合にやってみると5歩助走の9ゲームのアベレージ180.11に対して7歩助走変更後の10ゲームのアベレージ192.40と明らかにアップしております。私にとってブラブラ歩き投法は効果があったということでしょう。

 自分なりにブラブラ歩き投法と7歩助走の良かった点を考えてみますと、ブラブラ歩きでリラックスして投げられるようになったこと、プッシュアウエイのタイミングやその後のタイミングの微妙なズレが歩き方を微調整してフィニッシュに繋げられるようになったこと、7歩助走の最初の3歩は歩く方向に集中できフィニッシュの足位置のズレが少なくなったことなどがあげられると思います。

 ブラブラ歩きだけだと少々コントロールが悪くなるような気がしておりますので、今後はゲーム前の投球練習の前半部分でブラブラ歩きでタイミングの調整、後半で7歩助走への調整といった具合で投球練習を構成してみようと考えております。




「加計に賭け森の桜も散りぬるを」

2020-05-22 | 川柳
 森友学園に始まり加計学園、桜を見る会、そして賭け麻雀その他諸々の話題提供には事欠かない内閣のようです。情報番組ではこれらの話題を取扱わなかった時期の方が少なかったような気がします。これらスキャンダル報道に気を取られている最中にも重要法案がいつの間にか成立してしまっているのでした。
 今回の検察庁法改正案のしくじりと賭け麻雀が止めを刺すことになるのでしょうか。さぁ、それは神のみぞ知るということでありましょう。
 咲いた花は何時かは散る運命にあります。せめて安倍首相の引き際は、桜の花のように見事に散って欲しいと願います。



200アップ300回目

2020-05-21 | ボウリング
 自粛休業明けでやっと200アップ300回を達成しました。

 200アップ250回目が1722ゲームでしたので、277ゲームで50回ということで、
100回目⇒150回目⇒200回目⇒250回目⇒300回目の達成率が10.9%⇒15.2%⇒21.0%⇒21.4%⇒18.1%と今回相当に低下しております。

 その他、
通算アベレージ  167.8⇒169.2⇒170.7⇒171.8⇒171.9と伸び悩み
ストライク率    32.9%⇒33.7%⇒34.6%⇒35.2%⇒35.4%と頭打ち
スペア率     37.3%⇒37.3%⇒37.1%⇒37.1%⇒36.9%と下落傾向
スプリット率    10.1%⇒10.1%⇒10.0%⇒10.0%⇒10.0%と変わらず
スプリットメイク率 13.5⇒13.9%⇒13.1%⇒12.9%⇒12.7%とやや悪化
おまけに250アップは今回ゼロになってしまいました。
明らかに伸び悩み傾向が顕著に表れております。



 営業自粛前を含めて手と足のタイミングが何となく合わなくなっているような感じです。この前から助走を7歩に変更して好感触を掴みつつあります。その結果を近々投稿したいと思っております。


文系に数学は必要ない!?

2020-05-20 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 文系を選択した理由に数学が嫌いだとか、数学が苦手とかいう話を聞きます。このように消去法で文系を選択して良いのでしょうか?
そもそも文系・理系といった分け方に意味があるのか甚だ疑問に思います。(参考:「文系と理系」)

 いわゆる文系の代表格として哲学というのがあります。かつて偉大な哲学者であり、かつ偉大な数学者でもあるといったことが多く見られました。このように哲学と数学とは密接なものといえるかも知れません。また数学を自然科学に入れることは躊躇されるところがあると思います。
 一方、科学や工学、その他の理系分野と言われる学問では、数学抜きでは成立しないくらい数学を多用することは当然のこととして、経済学の分野でも高度な数学を駆使して研究が進められております。
 ですから現代においては、もはや文系・理系などと言った分類は時代遅れの産物でしかありません。しかしながら、未だにこれに沿った進路選択を比較的早期(早ければ高校受験前、遅くとも高3進級時まで)に迫られるようになっております。このように未だ自分の特性も何も分からない時期に絞り込んでしまって良いものでしょうか?
 個人的には高校までは全ての生徒が全て同じ教科を学んだ方が望ましいと考えます。能力に秀でた子は、教えられずとも自分で学ぶ力を持っておりますし、それを課外活動でサポートする位で丁度良いのではないかと思うのです。
 大学でさえリベラルアーツの重要性が謂われている位ですから、況や高校生をやということでしょう。自分のことは棚に上げて言わせていただきますと、幅広い分野に興味を持って取り組むことが重要なことは論を待たないことかと思います。
 ましてや早い段階で、しかも消去法的に進路を選択することの愚かさは言うまでもないことでしょう。しかしながら、現実はと言うと先にも書きましたような状況なのです。
 ですから少なくとも本投稿を読まれた方には最後まで数学を投げ出してもらいたくないと心の底から願う次第です。




安倍首相ついにレームダック化か!?

2020-05-19 | 政治・経済・社会
さしもの長期政権を誇る安倍首相もレームダック化の様相を呈してきました。
アベノマスクでケチをつけ、給付金の土壇場での方針転換、そして検察庁法改正案の今国会での成立断念という失態続き。所々で首相のグリップ力が落ちて来ているようです。内閣支持率もこのところダダ下がりのようで、こうなってくるといち早く泥舟から脱出することを図ろうとするのが世の常です。

 これまで森友、加計、桜を見る会その他色々な問題が出る度、内閣支持率が下がる局面は何度かありましたが、選挙前になると経済対策を打ち出し何となく支持率もアップし選挙にも勝ってきました。
 これまでの問題点は、どちらかと言うと国民に直接降りかかってくるものではありませんでした。多くの国民にとっては、チョットねーとは思うけど、安倍政権は経済で頑張ってくれているし、他にふさわしい人もいないので、まぁこのままでも良いんじゃないと考えていたのでしょうか。
 しかし、今回のコロナ禍への安倍政権の対応振りを見ると何ともお粗末としか言いようのない無力感を持ったのではないのでしょうか。

 さて、これまで何度も危機を乗り越えてきた安倍首相ですが、今回も起死回生の策が有りや無しや!?
今後に注目していきたいと思います。



 

数学って何の役に立つの?

2020-05-18 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 世の中の多くの人が数学が嫌いか、あるいは好きではないのではないかと思っております。数学が好きという人をあまり知りません。数学が好きと言うと何となく引かれてしまいそうだから積極的に公言しないということかも知れませんが・・・。
 しかしながら数学の成績を上げたい(必ずしも数学力を上げたいということとは等しくありません)とういうニーズは高いのです。だから私の商売も成り立っているのですが・・・。
 ではなぜ数学の成績を上げたいのかというと、それは受験科目だからとか推選入試の為とか色々な理由がります。必然的に私の周りには数学が嫌いとか苦手な子供達が多くなるということでもあります。そして、その子供達から多く発せられる疑問が「何で数学なんて勉強しなければならないの?」とか「数学って何の役に立つの?」とかいったことです。
 そもそも学校で将来役に立つ役にとか立たないとか考えて勉強することってあるのでしょうか?
まずは社会人として最低身に付けるべきものを学ぶのではないのではないでしょうか?
とは思うのですが教育の現状と世のニーズには相当な隔たりがあるように思えます。

 義務教育においては、出席日数が足りないなど特別の理由がない限り留年なんてことはありませんよね。例え数学を全く学ばなくったってめでたく卒業できるのです。だったら大嫌いな数学を無理して勉強する理由なんてそもそも存在するはずもありませんよね。そんな子供が親となり、その子供に数学なんて使わなくったってチャンとやっていける等といったことを言えば、子供はそりゃ勉強しなくなりますよね。ましてや子供にだけ勉強しろなんてこと言っても、直ぐに見透かされてしまいます。自分が子供のころ十分に勉強してこなかったから、一緒に勉強しようとでも言って、それを実行する位のことでもしない限り数学嫌いを拡大再生産することになるでしょう。

 昔から手習いといえば読み書き算盤が一般的なものでした。江戸時代から庶民の子供ですら寺子屋で習っており、当時の識字率の高さは他国から比べれば物凄く高かったとのことです。士の子は藩校などで四書五経などの漢籍を学ぶのが通例だったでしょう。この国民全体の教養の高さが、明治期に西欧文明の導入を容易にしたのは想像に難くありません。日本はそれぐらい学びを大切にしてきた国なんです。それが近代日本の礎を築き、現代の繁栄へと繋がっているのです。その教育を疎かにすれば、日本は自ずと衰退の道を辿るに違いありません。

 さて、それでは数学を何のために学ぶのでしょうか。日常生活に欠かせない計算ができるようになるためでしょうか。それは目的の一つに過ぎないでしょう。
現代において数学は、科学や工学系分野は言うに及ばず経済分野などでも基本的素養あるいは道具として必要欠かさざる得ないものです。
また、数学を通して論理的な思考力が鍛えられます。細かな計算の知識より、数学の持つ論理性を学ぶことが重要なことであると考えます。細かい知識は必要性が生まれた時に学ぶこともできます。それに引き換え論理的思考力を身に付けるには労力を要します。この論理的思考能力は他の学問にも大きく影響します。だから昔からずーっと学校で基本科目として教えられてきたのです。

数学は何の役に立つのか分からないと主張されている方に申し上げます。
それは役に立つほどには数学を学んでこなかったのか、知らず知らずの内に役立っていることを意識していないということではないのですか?

 何はともあれ、何事も一所懸命に学んだことは必ず役に立ちます。いや努力したからこそ、それを活かそうと思うのではないのでしょうか!?


グラフが描けないと大損する!?

2020-05-17 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 数学が苦手な人に多いのがグラフを描けないことです。極端な場合には一次関数のグラフも描けなかったりします。最近は学校でグラフを描く練習をしていないのでしょうかね。私達の時は、これでもかというぐらいにやらされたような記憶があります。先ずは方眼紙に点をプロットすることから始まり、正比例、反比例、一次関数とグラフを描かされました。
 次に方眼紙を使わず白紙にフリーハンドで描く練習です。ですから、何かというと直ぐにグラフを描く癖がついています。グダグダ考えている時間があったらグラフを描いた方が手っ取り早いのです。そして色んなことを考えるにもグラフ化した方が一目瞭然で見通しが良くなるからです。何でこんな便利なものを利用しないのか全く理解できません。

 そんなグラフが苦手な方でも数直線は大体分かっているようです。数直線上に整数値をプロットするのは殆どの方ができます。有理数であっても大体大丈夫です。無理数であっても小数値が分かっていれば大体の位置にプロットできます。ここまでできればグラフだって描けるはずなんですが・・・。
 最初に教わるグラフは2次元の直交座標です。これはかの有名なデカルトが考案したものとされております。要はxという実数の数直線とyという実数の数直線をゼロの位置を重ねて、それぞれが直交するようにしたものです。そしてそれでできる平面上の点をxとyの値のセット(x、y)で表すようにしたものです。デカルトさんのお陰で数学は格段に便利になりました。

 さすがにグラフが苦手な方でも、点の座標(x、y)が与えられれば、その点をプロットできます。もちろんグラフ上の点の座標も読み取ることができます。ここまでできるのに何故グラフが描けないのでしょうか。

 さて、ここにあるxに対するyの値の対応表があります。これらの関係は物理の実験で、あるxの値でのyの測定値であるかも知れません。この表からグラフ上に点をプロットするところは殆どの方ができると思います。xの値の間隔が1である場合には、まばらな点の並びで、この段階では何の関係性も見いだせないかも知れません。しかし、xの間隔を0.5⇒0.1⇒・・・と小刻みにしていけば、それが直線なのか放物線なのか、はたまた他の曲線なのか何らかの関係性が見えてくるかも知れません。
 このように実験データをグラフ化することにより、何らかの法則性を見出せるようになるかも知れません。

 また、xとyの関係式が予め分かっていれば、今は表計算ソフトを用いれば簡単にグラフを描くことができます。例えば、先ほどのxの値の間隔を1⇒0.5⇒0.1と狭めていった場合の折れ線グラフを描けば、段々とスムーズな線に近づいていくことが分かると思います。
 数値の一覧表だけだと単なる数字の羅列ですから、これを眺めているだけでは規則性を見抜くなどは至難の技でしょう。ですが、これをグラフ化することにより格段に見通しが良くなります。

 だからグラフは大変便利なものなんです。使わない手はありません。こんなに便利なものを何故使わないか。それは使えないからでしょう。使えるようになるには、それなりの訓練が必要です。ある意味、計算練習にも似ているのかも知れません。最初のうちは定規などを使ってできるだけ正確に描くようにしましょう。慣れてくるとフリーハンドで描けるようになります。
 そして直線、放物線、円、楕円、双曲線、指数、対数、sin、cos、tanなどの特徴を理解し、グラフをサラサラっと描けるようになりましょう。問題によってはある程度正確なグラフが必要になる場合がありますが、大抵の場合には、それぞれの特徴を掴んでいればラフなグラフで構いません。そんなグラフはものの数秒で描けるようになるはずです。

 今日のところはこれ位にしておきます。細かな点は個別のグラフを説明するときにやります。
とにかくグラフを描くことを億劫がらずに気楽な気持ちで描くようにしましょう。

 最後に、グラフの応用例を一つ。
 江戸時代の昔から米などの相場で使われていた日本発のグラフ(チャート)を一つご紹介します。ローソク足といわれるもので、取引の始まり値、高値、安値、終値を一個の記号に集約したものです。1日単位のものを日足、一週間単位のものを週足、月単位のものを月足と言ったりします。ご興味のある方はググってみてください。
例えば、日足だったら横軸に日にち、縦軸に価格を取ってローソク足を書き込んでいきますと日毎の値動きを単なる折れ線グラフより詳細に描けます。現代は取引のスピードが速いので、分足とか5分足とか言ったチャートもあります。これらのチャートに価格の移動平均とかボリンジャーバンドとか色々なチャートを重ね合わせて多くの情報を総合的に見ることができるようなチャートもあります。
 このようなチャートを駆使して投機取引をやっている方もいらっしゃいます。即ち彼らにとって、グラフを利用できるかどうかは、儲けるか損するかといった死活問題に通じるのです。さすがに今時、自分でグラフを描いている人はいないでしょうが、グラフを読み取る能力が利益が出せるかどうかを左右することになるのです。

 大人になったらどうせ数学なんか使わないのだからなんて言わずに、しっかりと数学を学んでください。いつ何時必要になるかも知れませんよ。そしてグラフを軽視すると将来大損することになるかも!?





得意分野を作ろう

2020-05-16 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 数学嫌いを克服したいなら、どの分野でも良いから徹底的にやって得意分野にすることです。数学は積み重ねの学問だからとよく言われます。だからそんなこと出来っこないよと言わないでください。できない理由ばかり言って何もやろうとしないから何時までたっても何もできないのです。
 先ずは、教科書を隅々まで徹底的に読み込み、手を動かして下さい。大体の流れとしては新しい内容の解説があって、例題があって練習問題という具合になっているでしょう。そのセクションが理解できたら、次のセクションといいふうに進んでください。そしてその章を一旦終えたら、また最初に戻って、何も見ずにに練習問題を解いてみてください。スムーズに解けたら次の練習問題に進みます。解けなかったら解説を読み直して、例題⇒練習問題というように最初と同じようにしてください。
 何も見ずにその章の練習問題を全部解けるようになったら教科書は終了です。これでもう随分と実力がついてきているでしょう。
 次に問題集をやりましょう。副教材で渡されているもので構いません。問題集はレベルごとにセクションが分かれていると思います。ここではA⇒B⇒Cの順でレベルが高いものとします。先ずは、Aレベルの問題だけを解いていきます。
 ここで注意しなければならないのが、分からない問題に出くわした時にどうするかです。先ずは、教科書を振り返ってください。似たような例題がありませんでしたか?
それでも分からないようでしたら解答を見て構いません。解答をじっくりと読んでください。そして解答を閉じて再度チャレンジしてみましょう。この作業をAレベルの全ての問題に対して行います。Aレベルの問題が全て終了したら、またAレベルの最初に戻り、何も見ずに全ての問題が解けるようになるまで繰り返します。
 その後は同様にB⇒Cの順でやってください。さぁ、ここまでくるともう実力は相当にアップしていることでしょう。もしかしたらもうクラスの誰にも負けない域に達しているかも知れません。
 このやり方だと膨大な労力を費やすように思えるでしょう。このようなやり方を全ての分野でやるなんてことは、とても無理だとお考えのことと思います。ハイハイ、誰がそんなことをやれって言いましたっけ?

 こうして徹底的にやれといった理由はただ一つ。成功体験をして欲しいからです。自分だってやればできるといった感覚を掴んで欲しかったからです。そうすれば後は自分なりの計画を立てて学習すれば、必ず克服できるという自信が持てるようになります。ここまでくれば数学嫌い克服の入り口にさしかかったことになります。後は各人の目的に応じた学習方法を検討して実行あるのみです。

 各人の目的と言っても色々あることでしょう。一口に数学嫌いといっても様々です。数学なんて面白くもないものを何のためにやらなければならないのかとか、数学そのものは嫌いではないが点数が取れないから嫌だとか、それこそありとあらゆる理由がありそうです。だからその先は自分で考えてやっていただきたいと思うのです。自分で考えるのも数学の学習の一環です。
例えば、定期考査の点数を取りたいのであれば試験範囲を徹底的にやれば良いし、受験が目的であれば先ず不得意分野をやれば良いといった具合に作戦が立てられますよね。
 先ず、自分が何をやりたいのかをしっかり分析して、目標を決めましょう。そして目標が決まったらPDCAサイクルを回していけば良いのです。ほらもう数学嫌いが克服できるように思えてきたでしょう。これは数学に限らず、物理や化学は言うに及ばず多くの教科に当てはまるのではないでしょうか。

「学問に王道なし」と言われております。数学が得意な人でも努力を積み重ねてきたはずです。況や数学が不得意な人は弛まぬ努力が必要です。そして必ず克服してやるという強い意志が必要です。途中で挫けてはいけません。やる前から諦めるのはなおいけません。
「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」ですよ。






緊急事態解除の数値基準?

2020-05-15 | 政治・経済・社会
 昨日、39県の緊急事態宣言が解除されました。その基準(目安と言っている?)が示されております。その一つの指標に「直近1週間の人口10万人あたりの累積新規感染者の報告数が0.5人未満程度」というのがあります。報道によりますと、この数値が決定されるに際して、一揉めあったのだそうです。当初、専門家サイドは「直近2週間の新規感染者数が人口10万人あたり0.2人未満」という数値を示していたそうです。
一方、政府サイドは「直近2週間の新規感染者数が人口10万人あたり2人未満」といった数値を示していたそうです。
その後協議の末、政府側が譲歩し「直近2週間の新規感染者数が人口10万人あたり1人未満」となり、最終的に「直近1週間の新規感染者数が人口10万人あたり0.5人未満」で決着したとのことです。

 このような重要なことを決定するのに、こんな数字遊びみたいなことをやっていていいのでしょうか。それぞれに数値の根拠があるものとは思いますが。それならそれでもっと納得がいくまで議論をしてくださいよ。
 前日から(実際にはもっと前からでしょうが)解除が前提で物事が進んできていることを国民は報道で知っておりました。首相の記者会見も18時に行われると設定されていたのです。朝刊のラ・テ欄に記載があったということは前日にはそのような段取りが組まれていたということでしょう。
それが既定事実で、専門家会議が行われていたのです。ここで専門家会議が当初の数値に拘って結論が出せなかったら、一体全体どのようになるのでしょうか。そんなプレッシャーの中の妥協の産物としか思えなくなってしまいます。

 国民の健康を守るためには厳しい基準が、経済を優先するなら緩い基準とならざるを得ません。このような中で結論を出す時間が迫ってくる。双方極まって妥協したということなのでしょう。最後の産物である「直近2週間の新規感染者数が人口10万人あたり1人未満」⇒「直近1週間の新規感染者数が人口10万人あたり0.5人未満」は何なのでしょうか、同じように思えますが、移動平均の期間が短くなれば早く結果に反映されることになります。最後の最後に姑息な手段で少しでも政府有利に持ち込んだとも言えます。それに、これまで散々に感染から2週間経たねばその結果が分からないと言ってきたではないですか。何か重要な事実が判明したのですか?

 そしてお出ましになったのが伝家の宝刀である総合的判断です。総合的判断をするのであれば、数値基準なんか必要ありませんよね。事実ある県は数値基準を超えておりましたが、総合判断で解除されました。記憶違いでなければ、その県は病床数が逼迫していると報道されていませんでしたか?

 数値目標がクリアできなくても総合判断でOKであるならば、数値目標なんか掲げない方がましです。
大阪モデルのように複数の指標を示し、それが全てクリアされたことが前提で総合判断するということが合理的なのです。政府の言っている総合判断は何の合理性もありません。目的の為に基準の変更さえもゴリ押ししそうです。ゴリ押ししてもダメだったら総合判断ということでさっさと目的を達成してしまうことでしょう。そして何の責任も取らないのでしょう。
 そういえば緊急事態宣言の記者発表のとき、イタリア人記者から諸外国がとった処置より緩い対策に対して「失敗だったらどういう責任を取るのか」という質問に対して「最悪の事態になった場合、私たちが責任を取ればいいというものではありません。」との答えでした。おそらくこれを耳にした多くの国民や世界の人々はズッコケてしまったのではないかと思います。

 このような政権の時にこのような事態が発生してしまったことについては、不運であったとしか言いようがありません。
自分の命は自分で守るしかないようです。