山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

見えないものにあこがれて(2)

2020-06-14 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 その次に好奇心をくすぐったのがミクロの世界と相対性理論でした。高1の頃は手当たり次第にブルーバックスを読み漁っておりました。その中でもミクロの世界を扱う量子力学と相対論的宇宙論でした。一般相対性理論は難解すぎて手に負えませんでしたが、量子論は難しいけれども面白さの方が勝りました。ブルーバックスだけでなく、湯川秀樹、朝永振一郎の初学者向けの解説書なども読みました。
 ただ、その頃は物理学科へ進もうなんてことは微塵も考えておりませんでした。当時、私の心を捉えて離さなかったのが「空を飛びたい!」といった思いでした。何とも即物的な憧れですよね。見えないものにあこがれるなんてことを全く失くしていた時期でもあったのでしょうか。
 色々と調べてみると航空大学校に進学するのが良さそうだとの結論に達しました。しかし、高2の夏休み位から急激に視力が衰え、春の健診時に両眼とも2.0であったのが0.7程度になってしまいました。眼科を受診したら仮性近視を通り越しているので視力回復の見込みなしと診断されました。
当時の受験資格では裸眼で1.0以上という規定があり、そもそも受験資格すらないといった死刑宣告にも等しいことでありました。
 それから半年位は、茫然自失状態となってしまい、かなり荒んだ高校生生活を送っていたと思います。あろうことか、それまで一度もやったことのない柔道部に入部して稽古に明け暮れる日が続きました。寒稽古のときなど真冬の早朝からの稽古で柔道着に袖を通すときの冷たさといったら、今思い出してもゾッとします。
 しかし、高3になるとそう何時までも運動に熱中してばかりはいられません。目前に迫った受験をどうするかといった選択に迫られます。
文系と理系」で書いておりますように、当初は文系を志望しておりましたが、何の因果か理系のクラスに入れられてしまいました。文系の志望者が多く締め出されてしまったのかも知れません。
 そこで思ったのが、空への憧れに近いことができないかということで、航空工学を志望したものの国立では旧帝大クラスにしかなく、どう逆立ちしても合格の可能性は限りなくゼロです。私大は貧乏人の子倅にとっては論外です。
 ここで一計を案じました。大学には航空部(大体は滑空機)があるので、そこに潜り込めば空を飛べるのではと考えたのです。そして、学問的にも近い物理学ならば流体力学とかそれらしきものも学べるのではないかといった思いもありました。
 しかし、現実はそう甘くありませんでした。赤本には確かに航空部の記載があったにも関わらず、学内を探し回れど航空部などありはしません。更に、流体力学の講義は担当教授が定年退官のため私が学部に上がる前の年で終了してしまいました。なんと不運が重なることでしょう。

 学部に上がって原子物理学の講義で熱輻射の問題から前期量子論を扱ったのですが、これが高校時代に抱いたミクロの世界への興味を再燃させたのです。これに続く量子力学は、湯川先生の下で学ばれた先生の講義は秀逸で、おそらくは湯川先生の講義ノートを土台にして構成されたものであろうと思われる名調子の講義を受けられたことは自分にとって誠に幸せなことであったと思っております。

 4年次にになるとそろそろ就職活動も始めなければなりません。当時は就活の解禁日は遅く、夏休みが終わった位からボツボツ検討を始めるといったのんびりとした時代でした。しかしながら、物理で飯を食うのは至難の業です。普通は中学・高校の理科の教員になるか民間企業に就職するかといった選択肢しかありません。
 私も教職課程の単位を取り、高校の教員免許を持ってはおりますが、当時は教員になりたいといった気持ちはありませんでした。二十歳そこそこの人間が教育者なんておこがましいし、もっと広い世界を経験してみたいといった思いもありました。

 一方で卒業研究もやらなければなりません。私は量子力学でお世話になった先生に面倒を見てもらうことになりました。といっても週1回行われるゼミに参加するだけです。当時ゼミ生は5人位だったでしょうか、最初の課題は基本書である「散乱の量子論」を輪番で解説しなければなりませんでした。先生から内容に関してツッコミが入ります。生半可な理解では吊し上げにもなり兼ねません。週一のゼミとは言え、その準備は相当辛いものがありました。当時の私にとっては物理的な内容はさておき数学的にはレベルが高過ぎました。
 私の発表当番の時、散乱振幅を計算するのにBessel関数を用いてあったのですが、Bessel関数のイメージが掴めなかったので、プログラム電卓で予め計算しておいた値でグラフを描いて説明したところ先生にお褒めいただきました。

 プログラム電卓は教養時代に実験データを整理するのに関数電卓では時間が掛かるので、バイトで稼いだ大枚を叩いて購入したものです。学部の実験でも大いに活用させていただきました。それが思わぬ役に立ったという訳です。
 当時からコンピュータに興味はあったものの、大型コンピュータは扱わせてもらえず、パソコンの走りであるBASICプログラムが走るポータブルコンピュータみたいなものがありました。それでもウン十万円、それにフロッピーディスクユニットを付けるとその倍位になりました。とてもではありませんが貧乏学生には手が届きません。ではということでTK-80というワンボードマイコンというのがありまして、これは16進キー+制御キーと7セグLED×8とシリ・パラポート位のインターフェースしかなく、実験屋さんならともかく、当時の私にとっては宝の持ち腐れになりそうだったので結局購入しませんでした。

 ということで学生時代のコンピュータの知識はほぼゼロに近いものでありましたが、どういう因果かプログラム電卓を持っている位だからコンピュータが好きなんだろうといった妙な誤解があったのでしょう、卒研の先生にコンピュータソフト開発会社を推薦していただき、目出度く就職難にも関わらず就職内定一番乗りを果たしたのでした。
 如何ですかグラフを描くと人生の転換点になるかもですよ⇒「グラフが描けないと大損する!?

 とかく人生というものは不可思議なものです。挫折に継ぐ挫折もあれば、何気なくやっていたことがきっかけで運命がひらけたりするものです。
 さて、学生時代までざっと振り返ってみましたが、未だ自分で本当にやりたい事なぞ見つかっておりません。ただ何となく状況に流されてきてしまったという気もしております。

 就職後のことなど、多分これからが面白いことになるとは思いますが、機会があれば続きを書きたいと思います。


グラフを描いてみよう~三角関数編(1)

2020-06-13 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 三角関数のグラフが上手く描くことができない人が多いようです。この原因も座標軸を先に描いてしまうからです。座標軸のいくつかの点を通るような曲線を描くのは難しいものです。それが周期性を持った曲線であるならば尚更です。
 しかし、白紙に波を描けと言われたら以外にも簡単に描けるでしょう。円だってそうです。小さい頃、無心に描いた〇やら△のことを思い出してください。それらしくなっているでしょう?
 それが円のグラフを与えられた座標軸の中にフリーハンドで描くと何とも歪な円になることか!
ここは幼児のお絵かき遊びに戻ったつもりで〇を描いてみてください。その後から座標軸を描き入れれば立派なグラフが出来上がりますよ。

 三角関数だって一緒です。とりあえずは一波描いてみましょう。この時の注意点は波の山の高さと谷の深さを同じ位にしましょう。何度か練習すれれば綺麗な波が描けるようになるでしょう。山と谷の中間から描き始めれば正弦波(サインカーブ)、山から描き始めれば余弦波(コサインカーブ)の一波長となります。慣れてくれば二波長でも三波長でも必要に応じて描けるようになります。そうすると正弦波も余弦波も気にすることなく描けます。
 次に山と谷の中間に横軸を描き入れます。後は縦軸を入れる位置で正弦波となるか余弦波となるかが決まります。
 y=sinθのグラフにしたければ、谷から山に向かう途中の横軸(θ軸)との交点に縦軸(y軸)を描き入れます。
 y=cosθのグラフにしたければ、山頂の位置に縦軸(y軸)を描き入れます。
最後に軸に目盛を書き入れます。先のグラフですと軸の交点に0、y軸の山の位置に+1、谷の位置に-1、θ軸にπ/2、π、3π/2、2π、・・・と必要に応じて延ばしていきます。
 場合によっては、θがマイナスの部分も必要になるでしょう。そのような時にはy軸を入れる位置を調整すればOKです。
 それから三角関数には振幅、周期、位相角といった基本のグラフから変形を要するものがあります。これらは教科書などで内容を確認してください。

 正弦波や余弦波は数学でも物理でも頻繁に描くことになりますので、これに習熟しておくことはとても大切なことになります。正確なグラフを描くことは時として重要になることもありますが、多くの場合にはラフなグラフで十分に間に合います。グラフを描くことを億劫がったり、もたついたりすることのないようにしてください。

 残された難題は正接(タンジェント)のグラフでしょう。これはまた別の機会に改めてということで!


単位について

2020-06-03 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 算数の時にはよく使われていた単位ですが、数学では単位をつけることがほとんどありません。例えば、半径1の円とか三角形の底辺の長さが3とかいうように、単に数値のみで表されることが殆んどです。これは扱う対象が具体的なものから抽象的なものへと変化したことによるものなのでしょう。
 しかし、自然現象を扱う物理では長さといえばm(メートル)とか、質量でいえばkg(キログラム)といった単位が数値の後には必ずつきます。その他、N(ニュートン)、J(ジュール)、W(ワット)、Hz(ヘルツ)、Ω(オーム)、Pa(パスカル)、・・・。もっとも、摩擦係数や反発係数などのように単位が付かないものもありますが・・・。
 これだけで物理が嫌いになった方も少なからずいらっしゃることでしょう。

 現在はMKSA単位系に統一されているようですが、私たちが物理を教わった時にはCGSガウス単位系というのも良く使われておりました。力学においては、どちらを使おうが大した差は無いのですが、電磁気学になると大きく異なりますので両者の行き来が結構大変な作業となってしまうことになります。工学系の電磁気学の教科書のほとんどがMKSA単位系、物理で半々くらいでしたでしょうか。かの有名なバークレイ物理学コースもCGSガウス単位系だったと記憶しております。面白い(?)ことに、理論物理の先生は殆どがCGSガウス単位系ですが、実験物理の先生はMKSA単位系が多いのです。理論的にはCGSガウス単位系が優れているのですが、歴史的な背景もあり実用的にはMKSA単位系が便利という側面があるのだと思います。
 私が学部で学んだ頃の電磁気の講座は電磁気学Ⅰ、Ⅱ、Ⅲとなっておりました。電磁気学ⅠとⅡは実験の先生で、電磁気学Ⅲは理論の先生でしたから慣れないうちは大変戸惑ったものでした。

 さて、長さの単位は日本ではm(メートル)を用いますが、海外ではft(フィート)、yd(ヤード)、mile(マイル)、NM(浬)などといった単位が用いられております。フィートは身長や高度、ヤードはフットボールやゴルフで良く耳にしますし、マイルは陸上の距離など、浬は海上や上空の距離などで使用されております。
 質量に関しても日本ではキログラムを主に用いておりますが、海外ではlb(ポンド)、oz(オンス)、gr(グレーン)などといったものがあります。
ポンドはボクシングやレスリングの選手紹介などでコールされますし、ボウリングのボールが15ポンド3オンスなどと使います。
 圧力でも現在はPa(パスカル)ですが、工業分野ではkgf/㎠が主流だったと思います。例えば、タイヤの空気圧などは2.6キロというように省略されて使われておりましたが、パスカルと言われてもねーという感じがします。気象では気圧は昔バールという単位を使っておりました。現在はこれもパスカルに統一されております。ただ、こちらは数値の換算をせずにミリバールをヘクトパスカルと言い換えるだけで済むから大した混乱は起こりませんでした。ただこれは偶々そうなったので、他の多くは2.6kgf/㎠⇒260kPaのように数値の換算も必要に迫られることになります。ですから、しばらく慣れるまでは併記するなどの対策も必要となるでしょう。更には計量法で義務付けられた測定器はどうするかといった問題も発生します。
 このように単位というものは日常の隅々までに大きく影響を及ぼしかねないものなのです。

 現在使用されている単位というものは、歴史的背景を抱えておりますので、その良し悪しを云々することはできません。日本でも昔は尺貫法が使われておりましたが、結構早い時期にメートル法に統一されておりましたので、ヤード・ポンド法を採用している諸外国からすれば物理を学ぶ上では随分と楽だと思います。色々な単位系が混在すると単位系の変換作業が結構面倒臭くなります。例えば、1mといいうと大体これ位の長さだとイメージできます。でも米国人だったら普段はフィートやヤードに親しんでいますから、一々変換しなければ物理ができないということになってしまいます。

 物理を学ぶ上で単位は必要不可欠なものです。質量:kg、長さ:m、時間:sを基本単位として、例えば速さの単位は㎧といった具合に基本単位を組み合わせて作ることができます。
 物理量と単位をセットで理解しておけば、長さ(m)は、係数が付く付かないは置いておいて速さ(㎧)×時間(s)で表すことができることを示唆します。あるいは密度(g/㎤)を求めよといった問題文の中にしっかりと単位が書かれている場合があります。この場合密度の求め方を知らなくても密度=質量/体積といった式を類推することができます。
ですから、ある物理量を計算する際、単位を含めて計算をして左辺と右辺の単位が異なれば何らかの問題があることに気付かされます。
 更に、異なる単位の加減算はできません。例えば、2m+3kgのようなことが意味の無いことであることは明らかでしょう。しかし、数学では単位を表記することが少ないので、何気なく2+3などといったことをやってしまうこともあるでしょう。

 物理に限らず何かを計算するときには、単位を意識しておく必要があります。そうすることにより、致命的なミスの防止ができるのです。単位は面倒臭いものと敬遠せずに、自分の強い味方として活用してください。

 こんなことを書いたら余計に物理が嫌いになってしまったかな!?

グラフを描いてみよう~2次関数編(放物線)

2020-05-31 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 今回は2次関数のグラフです。2次関数の一般形はy=ax^2+bx+c(a≠0)で表されます。a>0の時は下に凸、a<0ならば上に凸の放物線となります。放物線の性質は教科書などで復習しておいてください。
 下に凸の放物線の谷底、あるいは上に凸の頂上を頂点といいます。また1次関数と同様にx=0を代入するとy=c(y切片)が得られます。頂点の座標とy切片が分かればもう2次関数のグラフは描けたもも同然です。

 2次関数の頂点の座標を求めるためにはy=a(x-p)^2+qといった平方完成形に変形させるのが一般的です。ですから平方完成に習熟しておくことが必要になります。ただ、数Ⅱで微分を学習します。そうするとy=ax^2+bx+cの一般形をxについて微分するとy’=2ax+bという導関数を得ます。y’=0と置くことにより、2ax+b=0という1次方程式を得ます。これをxについて解くとx=-b/(2a)を得ます。これが頂点のx座標となります。これに対応するyの値を計算すれば頂点のy座標が計算できます。

 さぁ、これでグラフを描く準備ができました。では早速描いてみましょう。先に座標軸を描いた後で、頂点をプロットしy切片を通る放物線を描く作業は結構大変です。
 だから放物線を先に描きます。aの正負により上に凸か下に凸か決まりますので、放物線を一筆書きします。こうすると結構滑らかにそれらしく描けるでしょう!?
 次にx軸を描き足しましょう。頂点のy座標が正ならば頂点の下に、負ならば頂点の上に直線を描きます。どれくらい離すかは全体のスペースとバランスを考慮して決めて下さい。
 その次にy軸を描き足します。頂点のx座標が正ならば左側に、負ならば右側に描きます。この時注意しなければならないのがy切片です。y切片の正・負・ゼロによって頂点からどれくらい離すかを決めなくてはなりません。y切片が0の場合には原点を通るのですから、放物線のx軸の交点の一方が交差しているところにy軸を描けばOKです。
 x軸、y軸共に描き終えたら、y切片の座標、頂点の座標を書き込みます。これで2次関数のグラフは完成です。定義域がある場合には1次関数の時と同様に描いてください。

 さて、問題によっては各点を通る放物線の方程式を求めよとかいったものがあります。これをグラフを描いて凡その形を掴もうとすると、先に座標軸を描き、各点をプロットしなければなりません。そうすると先に放物線を描くといった手法が使えなくなってしまいます。無理すればできないことはないと思いますが、余計な手間暇がかかり、楽に描くといったことからすれば、まさに本末転倒なこととなります。

 そこで描き方としてよく見かけるのが左から頂点に向けて放物線らしく装った曲線を引きます。そうすると大抵の人が頂点で急に尖ったように折れ曲がったような曲線になってしまいます。しかも、無理やり各点を通したいものだから、その点で不自然に屈曲ていたりします。放物線はご存知の通り、頂点付近では緩やかに変化しているのです。
 だから描き方としては頂点から描き始める方がそれらしく描けます。頂点から左右対称に少しずつサッサッと薄く線を伸ばしていきます。そして与えられた点を通るようにこれも左右対称に伸ばしていきます。最後に薄くできた輪郭をなぞるようにして滑らかな曲線に仕上げます。
 先に放物線を描くより少々手間がかかりますが、だいぶ放物線らしく見えるようになったでしょう!

 要は慣れですので、何度か試行錯誤しながら描く練習をしてみてください。

 さぁ、次は指数・対数関数にするか、それとも最も苦手と思われる三角関数にするか!?




グラフを描いてみよう~1次関数編

2020-05-30 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 さて今回から、どうやったらグラフを楽に描けるかといったテーマで話を進めて参ります。何でグラフを描いた方が良いのかということに関しては「グラフが描けないと大損する!?」を参照してください。

 第1弾として1次関数のグラフを扱います。1次関数の一般形はy=ax+b(a≠0)で表され、グラフ上では直線となります。
ということで、先ずは1次関数の場合には、x軸とy軸を先に描いちゃいましょう。(ということは後で描く場合もあるということ!?)

ここでx=0とするとy=bとなりy軸とbで交わります。これをy切片といいます。このことは、この直線が座標(0,b)を通ることを意味します。b=0の時は座標(0,0)、即ち原点を通ることとなります。早速このy切片をy軸上にプロットしておきましょう。
 
 さて、直線は平面上の2点が決まれば描くことができます。既にy切片が決まっておりますので、もう1点を決めれば良いのです。
ここでy=0としてみますとax+b=0という1次方程式を得ます(※1)。これをxについて解くとx=-b/aという解を得ます。このことは(-b/a,0)を通ることを意味します。世間ではどのように言っているか知りませんが、私はこのx軸と交わる点のことをx切片と呼んでいます。

(※1) 方程式ax+b=0はy=0とy=ax+bの連立方程式と考えることができます。その解はx軸との交点を意味します。

 x切片を計算によって求めることができますが、これが整数値であれば簡単にx切片とy切片を直線で結べばこれでめでたしめでたしなのですが、分数となることもあります。もちろん無理やりx軸上にプロットして直線を引いても構いません。
もし、xの他の値を代入すれば整数値になるのであればその座標をプロットして直線を引いた方が望ましいでしょう。例えばy=2x/3+1という1次関数であれば、x=3を代入すればy=3を得ます。よって(0,1)、(3,3)を結ぶ直線を引けば良いということになります。

 そうそう、定義域付の場合もありますよね。α≦x≦βなどとされていたら、範囲内は実線、範囲外は点線で描くようにしましょう。そして境界は等号付不等号の場合は●、等号無しの不等号の場合には○で描くのが一般的です。

 長々と書いてきましたが、それ位知ってるよという声が聞こえてきそうです。そうであれば、それで結構なことであります。もう何も言うことはありません。1次関数のグラフはバッチリ描けるはずです。

 これからは余談となりますが、1次関数のグラフは書けてもx=c、y=dといったグラフを描けない方が多いのです。
x=cはyの値に関わりなくxの値は一定ということですから、(c,1)、(c,2)、(c,3)の何れの座標もx=cを満たしております。これらの点を結ぶ直線は、y軸に平行な直線となります。ちなみにc=0とすればy軸そのものとなるのです。
同様のことをy=dはx軸に平行な直線となり、d=0の時にはx軸そのものになります。
 何故このような例をを持ち出したかと言うと、x=2のグラフを描けと言われた時、そこでフリーズして何も先に進めなくなってしまう人が如何に多いかということなのです。教科書や問題集などで取り扱ったことは2度や3度ではきかないでしょう。その時理解できたかどうかは知りませんが、とりあえずグラフ自体は描いたでしょう。なのに忘れてしまうのです。そりゃ訳が分からないものは、余程印象深いものでない限り覚えているはずもありません。その時、自分自身の手を動かして試行錯誤しながら問題に当たらなかった結果が理解に繋がらず、忘却の彼方へ追いやってしまうです。
 どのようなグラフになるのか分からないのであるならば色々な点をプロットしてみることが最低条件なのです。それもせずにフリーズしてしまう状況は思考停止と何ら異なりません。将来、問題に直面したとき、思考停止に陥って手をこまねいてしまうつもりですか?

 と少しキツメになってしまいましたが、基本中の基本のことですから自分自身と向き合って欲しいと思います。

 さて、1次関数のグラフは比較的簡単にマスターできることでしょう。それは直線という馴染み深いものであるからです。定規を使えば、かなり正確に描けます。そうするとそのグラフを眺めているだけで色々な情報を引き出せるでしょう。
 今回はグラフを描くことがテーマでしたが、逆に与えられた2点の座標から直線の方程式を決定するような問題があります。公式を知っている方は速攻で公式に座標値を代入して目的の1次関数を求めることができるでしょう。しかし、計算ミスが発生するのも世の常です。そこで気軽に座標をプロットして求める直線を描いてみましょう。そうすると傾きやy切片の凡その値が読み取れるでしょう。それと公式を用いて得た値と矛盾すれば、どこかに計算ミスがあることを示唆しています。(もちろん検算してみるという方法もありますが、もっと複雑な関数の場合にはグラフの方が楽になります。)
 しかし、グラフを描くのにもたついているようでは役に立ちません。ですから何度も繰り返しますが、気軽にササッとグラフを描けるようになって欲しいのです。

 次のテーマはいよいよ2次関数(放物線)のグラフを扱います。

 

数値はいいけど文字が入ると・・・

2020-05-27 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 数値だけの計算だと難なくできる(メチャ速かったり)のに文字が含まれると途端に駄目になってしまう人がいます。
数値であろうが文字であろうが計算規則が異なる訳でもないのですけどね。
例えば、2/5+3/7はちゃんと計算できるのに2x/5a+3y/7bとなると手も足も出なくなることをよく見かけます。小学校の時に分数の計算を機械的に教えているからとも考えられますが、だったら文字が含まれていても機械的にやれば良い訳ですから、何かもっと別の問題が潜んでいそうです。

 数学において文字式を扱うのは、その方がより一般化できるようになるというのが理由の一つでしょう。
1+2と表記すれば、その数値がこれらに限定されます。a+bという表記すれば色んな数値を代表できます。例え、その数値が1であろうが、1000であろうが、無量大数でもです。そして文字を使えば計算の見通しが良くなります。例えば、分子分母に同じ文字が含まれていれば約分が簡単にできるでしょう。もし数値で計算しているとつい見逃してしまうかも知れません。
 物理でも多くの場合、先ず文字で計算して最終的に数値を代入します。その方が経験上計算が楽になるからです。有効数字の問題もありますので数値の計算は最後の最後で行うのが通例です。ただ、衝突の問題やキルヒホッフの法則の問題などで連立方程式を解く場合などでは、もし数値が簡単な整数比になる場合には、そこだけ数値を代入して計算することもあります。これはあくまでも計算を楽にしたいという便法ですが・・・。

 それから、文字を含む数式で表現した方が簡潔で分かり易いですよね。日本語で2x/5a+3y/7bの計算を説明しろなんて言われたら大変なことです。しかし、文字式で表現すれば誰でも共通認識に立てます。一旦、数学語しかも世界共通言語に翻訳しさえすれば、誰でも簡単にその意味が理解できるようになります。

 文章題を解くときに、分からないもの(未知数)には適当に文字を対応させます。問題文の中から条件を読み取って定式化します。文字の数だけ関係式ができれば、後はそれらを解くだけです。それが1次方程式や2次方程式であれば、ほぼ機械的に解けるでしょう。
 それが微分方程式ともなれば自分では解けないかも知れません。あるいはコンピュータを使った数値計算をしなければならないかも知れません。しかし、数学語で表現されていれば、他の人に解いてもらうことだったりできます。

 このように文字を使うことによって、世界は大きく広がるのです。文字式の導入で戸惑うこともあるでしょう。でもそれは一時のことです。計算練習して文字式の取扱いに習熟すれば良いだけのことです。
 恐れる必要はどこにもありません。ただただ手を動かして慣れれば良いだけのことです。そしてその努力は後に大きな見返りとして必ずや帰ってきます!!!






見えないものにあこがれて(1)

2020-05-26 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 今まで見えていなかったものが見えた時の喜びって経験ありませんか?
例えば、顕微鏡や天体望遠鏡を初めて覗いた時に目にした鮮やかな世界とか。今まで何の関連性もなかった事象の中に法則性を見つけたとか。部活で対戦相手の癖を見抜いて、それを逆手にとって勝ったとか。

 私が学校で教わる教科以外で最初に興味を持ったのが無線でした。小4の夏休みに「子供の科学」という雑誌を読んでいた時にアマチュア無線(Ham)の紹介で世界中の人と無線通信ができる云々といった宣伝文句に釣られて無線の勉強を始めました。通信教育を受講するとともに「ラジオの製作」や「初歩のラジオ」などの雑誌を読み漁り、面白そうな製作記事があれば自分で作って遊んでおりました。当時はトランジスタ製品が普及期にあり、真空管製品の最晩年といった新旧の入り混じった時代でした。ですから使われなくなった真空管製品が大量に捨てられていたこともあり、部品をタダ同然で入手できた時代でした。

 苦節3年、中1の10月の国家試験に晴れて合格して、無線従事者免許証を手にしたときは、我ながらよく頑張ったなと感心したものです。試験科目は、無線工学と電波法規の2科目なのですが小学生では教わりもしない平方根や指数の計算なども含まれており、学習し始めた当初はチンプンカンプンの連続でした。ですが「好きこそ物の上手なれ」で一つ一つ克服していったのでした。

 免許は手にしたものの開局するには無線機とアンテナが必要です。当時は既に完成品の無線機も多くありましたが、それらは7万円以上もする高価なものでした。中1の私には到底手にすることができない夢の無線機でありました。ひと昔前は無線の免許を取ったならば送受信機やアンテナなども自作して無線局を開局するのが当たり前の時代です。無線機を自作できないような人は技術力がない未熟者と見なされたのでした。
 当然のことながら開局して電波を出すには自作の道しか残されておりませんでしたので、合格通知が届いた時からコツコツと造りはじめておりました。時には夜明け近くまで工作に没頭する日もありました。ということで学業が疎かになるのは目に見えてますよね。典型的な趣味馬鹿の道をひた走っておりました。しかし、この回り道は後の開発者人生に役に立ったし、私が座右の銘としている「人がなければ、その人になれ。ものがなければ、そのものを創れ。」の原点になったものであると思っております。

 そして無線局の免許状も到着し、自作の無線機で手も声も震わせながら出した第一声、そして相手局からの応答・・・。その時の感動は他の何者にも代えがたいものがあります。我ながら初々しくもあったと思います。

 閑話休題、何であんなに熱中できたのだろうと不思議に思うくらい熱中していました。電気という目に見えないものから作られる電波という面白い存在が少年の心を突き刺したのかも知れません。学問的に言えば、電磁波の存在は解明済のものであった訳です。それでも少年の心をくすぐる存在と為り得たのです。
 見えないものって何か好奇心をくすぐるものがありませんか?
私はそれを見てみたいという衝動にかられます。何か不思議な現象に対してでもそうですし、政治家の訳の分からない言動などにでもそうです。何か分からないものに対して、それを知りたい。何か規則性があるのでは。果ては本当の理由は別のところにあるのではないかとか色々な妄想をしてしまいます。
 人はその好奇心、興味のあるところを報酬のあるなしに関わらず追求する動物なのかも知れません。そしてそれは目の前に偶然現れたものかもしれません。もしその時無線でなく数学の美しい定理に出会っていたならば、もっと別の道を歩んでいたかも知れません。このように偶然が人の道を左右することがあるかも知れませんが、何より好奇心を抱く(抱き続ける)ことが肝心なことであろうと思います。

 まだ書き足りないことがありますが今日のところはこれ位にして、後日改めて投稿することにします。
 

自然数、整数、有理数、無理数、虚数

2020-05-25 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 「自然数ってどんな数」と聞くと⇒1,2,3,・・・
では「整数は?」⇒1,2,3,・・・ 「アッ、それにマイナスつけたもの」、「それに0も」
と答えられれば、まだ良い方でしょう。
 ほとんどの子は、黙りこくってしまいます。

 自然数、整数を答えられた優秀な子でも
「有理数は?」と聞くと撃沈です。無理数まで説明できる子となると極まれにしかいません。ましてや虚数をや!

 数学がある程度できる子でも意外とチャンと説明できる子は少ないものです。これらの言葉そのものは教科書に何気なく説明してありますが、本来はとてつもなく深遠なものがあります。だから解らなくて当たり前なのです。

 ただ、今のところは自然数は、1,2,3,・・・と指折り数えられる数だと覚えておけば良いと思います。これは人類が初めて数の概念を獲得したときのものだと考えます。獲物の数、人数、その辺りにころがっている石ころの数、などなど1つであれば⇒1、二つであれば⇒2といった具合に表すことができるということに気付いたのではないかと思います。

 整数はこれに負の世界とゼロを加えたものです。これは、「自然数」+「自然数」⇒「自然数」になりますが、「自然数」-「自然数」は必ずしも「自然数」になりません。でも整数の世界では「整数」+「整数」⇒「整数」、「整数」-「整数」⇒「整数」、おまけに「整数」×「整数」⇒「整数」となります。
これで加減乗算まで同じ数の世界で表すことができるようになりました。

 しかし、「整数」÷「整数」は必ずしも「整数」とはなりません。例えば2÷3を考えればすぐお判りでしょう。そこで「有理数」の登場です。「整数」÷「整数(≒0)」⇒「有理数」とします。そうすると加減乗除が同じ数の世界で表すことができるようになりました。

 次に、直角二等辺三角形の斜辺の長さのように「有理数」で表すことができない数が出てきました。これが「無理数」の世界です。「有理数」を小数で表すと1.23とピタリと表せるものと1.234234234・・・のように際限のない小数(循環小数)になります。しかし、無理数は循環せずに際限なく続く小数です。その代表例がπ(円周率)やe(ネイピア数)でしょうか。
これまでの数を総称して実数と言います。

 更に、2次方程式の解の公式の平方根の中が負の場合には、実数解なしとして扱ってきましたが、これが負の場合を考えてみましょう。即ち、2乗すると負になる数というものです。これを「虚数」といいます。例えば√-2を2乗すると-2となる数で√2iと表記します。
こんなもの導入して何になるのでしょうか。しかし虚数の導入は実に大きな成果をもたらしてくれます。現代科学は虚数なしには成り立たないといって良いほどかと思います。
 その見事な例を挙げますと、




 ノーベル賞物理学者ファインマンをして「我々の至宝である」と言わしめた美しい式(オイラーの公式)があります。虚数と無理数である円周率とネイピア数が結びつき、その結果が-1になるという何とも感動的な式です。

 このように自然数に始まって人は数の世界を拡張してきました。これ全て人の頭脳の中から生み出されたものです。過去何千年(いやもっと長いか)もかけて人類が獲得してきた英知を現代人は高々20年程度で学ぶことができるのです。しかも、完璧な教科書があり、教師の指導付で制度的・組織的に教えてもらえるのです。このような贅沢なことが他にあるでしょうか。なのに難しい、嫌い、不得意などといったことで何故学ぶことをしないのか。私には理解することができません。
 学びには困難がつきものです。社会人になれば未知の問題を解決しなければならないことが多いものです。こんな時に既知のことすら学ぶことをしようとしない人たちが未知の問題を解決できようはずもありません。

 何事も努力なしに成果を出せるはずもありません。難しい、嫌い、不得意などといったこを免罪符にして欲しくはありません。




「負の数」×「負の数」はなぜ正の数になるのか?

2020-05-24 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 中学に入りたてに正の数・負の数を教わります。数直線に整数値をプロットするところはまでは皆さん良く理解できることでしょう。
少し進んで整数の加減乗除を学びます。加減算まではなんとか数直線を利用してイメージさせることはできるでしょう。
しかし、乗算となると「なんでー???」ということになります。

 私の場合には
 「正の数」×「正の数」⇒「正の数」 ・・・①
 「正の数」×「負の数」⇒「負の数」 ・・・②
 「負の数」×「正の数」⇒「負の数」 ・・・③
 「負の数」×「負の数」⇒「正の数」 ・・・④
といったことを掛け算の九九みたいに覚えさせられました。

 分からないことに対して「何で―?」と疑問を持つことは大切なことなんです。しかし、これらに対しては明確な答えを得られるものと得られないものがあります。
 「負の数」×「負の数」⇒「正の数」というのは定義(決めごと)なのです。だから覚えるしかないと言ったら身も蓋もありませんが・・・。
ただ、このように決めた方が便利というか都合が良いのです。このことは後に他の分野を学ぶと色々なところで実感できると思います。
それに①~④までを眺めてみると「正の数」と「負の数」で2個ずつでちょうどバランス取れています。もし④を「負の数」決めてしまうと3対1とバランスに欠けてしまいます。アンバランスなものよりバランスがとれていた方が見た目にも麗しいし安定感もありますよね。人はそういうところに魅かれるのではないでしょうか。ですから数学にもそういったことがあるのではないかと思うのです。

 さて、数学って何でも明確な答えがあるものだと思い込んでいらっしゃる方もおられると思います。「負の数」×「負の数」⇒「正の数」の意味がさっぱり分からない。だから数学は訳が分からない難しいものだと思い込んで数学に興味を失ってしまうといった図式に陥らないようにしてもらいたいと切に願います。

 数学においては前提が正しいかどうかは問題にされないのです。その前提から出発して論理的に導かれたものは全て正しいということになります。
 しかし、科学においては、前提から出発して論理的に導かれたものが実験事実と異なれば、その前提が正しくないことになります。
数学は頭の中だけの出来事であって極論すれば何だって空想が可能なのです。例えそれが現実的なことでなくても。現実の世界で起こっていることに当てはめて初めて科学となり得るのです。

 現実離れしている自由数学を勉強して何になるのだという声が聞こえてきそうです。でも自由に発想できる数学だからこそ広がる世界もあるのです。何に使えるか分からないものの成果が現実世界を表現できるものに発展する可能性はいくらでもあります。

 数学を勉強するには紙と鉛筆(表現が古臭すぎる?)と頭脳があれば十分です。それだけで森羅万象を論ずることができます。面白いと思いませんか!?





文系に数学は必要ない!?

2020-05-20 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 文系を選択した理由に数学が嫌いだとか、数学が苦手とかいう話を聞きます。このように消去法で文系を選択して良いのでしょうか?
そもそも文系・理系といった分け方に意味があるのか甚だ疑問に思います。(参考:「文系と理系」)

 いわゆる文系の代表格として哲学というのがあります。かつて偉大な哲学者であり、かつ偉大な数学者でもあるといったことが多く見られました。このように哲学と数学とは密接なものといえるかも知れません。また数学を自然科学に入れることは躊躇されるところがあると思います。
 一方、科学や工学、その他の理系分野と言われる学問では、数学抜きでは成立しないくらい数学を多用することは当然のこととして、経済学の分野でも高度な数学を駆使して研究が進められております。
 ですから現代においては、もはや文系・理系などと言った分類は時代遅れの産物でしかありません。しかしながら、未だにこれに沿った進路選択を比較的早期(早ければ高校受験前、遅くとも高3進級時まで)に迫られるようになっております。このように未だ自分の特性も何も分からない時期に絞り込んでしまって良いものでしょうか?
 個人的には高校までは全ての生徒が全て同じ教科を学んだ方が望ましいと考えます。能力に秀でた子は、教えられずとも自分で学ぶ力を持っておりますし、それを課外活動でサポートする位で丁度良いのではないかと思うのです。
 大学でさえリベラルアーツの重要性が謂われている位ですから、況や高校生をやということでしょう。自分のことは棚に上げて言わせていただきますと、幅広い分野に興味を持って取り組むことが重要なことは論を待たないことかと思います。
 ましてや早い段階で、しかも消去法的に進路を選択することの愚かさは言うまでもないことでしょう。しかしながら、現実はと言うと先にも書きましたような状況なのです。
 ですから少なくとも本投稿を読まれた方には最後まで数学を投げ出してもらいたくないと心の底から願う次第です。




数学って何の役に立つの?

2020-05-18 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 世の中の多くの人が数学が嫌いか、あるいは好きではないのではないかと思っております。数学が好きという人をあまり知りません。数学が好きと言うと何となく引かれてしまいそうだから積極的に公言しないということかも知れませんが・・・。
 しかしながら数学の成績を上げたい(必ずしも数学力を上げたいということとは等しくありません)とういうニーズは高いのです。だから私の商売も成り立っているのですが・・・。
 ではなぜ数学の成績を上げたいのかというと、それは受験科目だからとか推選入試の為とか色々な理由がります。必然的に私の周りには数学が嫌いとか苦手な子供達が多くなるということでもあります。そして、その子供達から多く発せられる疑問が「何で数学なんて勉強しなければならないの?」とか「数学って何の役に立つの?」とかいったことです。
 そもそも学校で将来役に立つ役にとか立たないとか考えて勉強することってあるのでしょうか?
まずは社会人として最低身に付けるべきものを学ぶのではないのではないでしょうか?
とは思うのですが教育の現状と世のニーズには相当な隔たりがあるように思えます。

 義務教育においては、出席日数が足りないなど特別の理由がない限り留年なんてことはありませんよね。例え数学を全く学ばなくったってめでたく卒業できるのです。だったら大嫌いな数学を無理して勉強する理由なんてそもそも存在するはずもありませんよね。そんな子供が親となり、その子供に数学なんて使わなくったってチャンとやっていける等といったことを言えば、子供はそりゃ勉強しなくなりますよね。ましてや子供にだけ勉強しろなんてこと言っても、直ぐに見透かされてしまいます。自分が子供のころ十分に勉強してこなかったから、一緒に勉強しようとでも言って、それを実行する位のことでもしない限り数学嫌いを拡大再生産することになるでしょう。

 昔から手習いといえば読み書き算盤が一般的なものでした。江戸時代から庶民の子供ですら寺子屋で習っており、当時の識字率の高さは他国から比べれば物凄く高かったとのことです。士の子は藩校などで四書五経などの漢籍を学ぶのが通例だったでしょう。この国民全体の教養の高さが、明治期に西欧文明の導入を容易にしたのは想像に難くありません。日本はそれぐらい学びを大切にしてきた国なんです。それが近代日本の礎を築き、現代の繁栄へと繋がっているのです。その教育を疎かにすれば、日本は自ずと衰退の道を辿るに違いありません。

 さて、それでは数学を何のために学ぶのでしょうか。日常生活に欠かせない計算ができるようになるためでしょうか。それは目的の一つに過ぎないでしょう。
現代において数学は、科学や工学系分野は言うに及ばず経済分野などでも基本的素養あるいは道具として必要欠かさざる得ないものです。
また、数学を通して論理的な思考力が鍛えられます。細かな計算の知識より、数学の持つ論理性を学ぶことが重要なことであると考えます。細かい知識は必要性が生まれた時に学ぶこともできます。それに引き換え論理的思考力を身に付けるには労力を要します。この論理的思考能力は他の学問にも大きく影響します。だから昔からずーっと学校で基本科目として教えられてきたのです。

数学は何の役に立つのか分からないと主張されている方に申し上げます。
それは役に立つほどには数学を学んでこなかったのか、知らず知らずの内に役立っていることを意識していないということではないのですか?

 何はともあれ、何事も一所懸命に学んだことは必ず役に立ちます。いや努力したからこそ、それを活かそうと思うのではないのでしょうか!?


グラフが描けないと大損する!?

2020-05-17 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 数学が苦手な人に多いのがグラフを描けないことです。極端な場合には一次関数のグラフも描けなかったりします。最近は学校でグラフを描く練習をしていないのでしょうかね。私達の時は、これでもかというぐらいにやらされたような記憶があります。先ずは方眼紙に点をプロットすることから始まり、正比例、反比例、一次関数とグラフを描かされました。
 次に方眼紙を使わず白紙にフリーハンドで描く練習です。ですから、何かというと直ぐにグラフを描く癖がついています。グダグダ考えている時間があったらグラフを描いた方が手っ取り早いのです。そして色んなことを考えるにもグラフ化した方が一目瞭然で見通しが良くなるからです。何でこんな便利なものを利用しないのか全く理解できません。

 そんなグラフが苦手な方でも数直線は大体分かっているようです。数直線上に整数値をプロットするのは殆どの方ができます。有理数であっても大体大丈夫です。無理数であっても小数値が分かっていれば大体の位置にプロットできます。ここまでできればグラフだって描けるはずなんですが・・・。
 最初に教わるグラフは2次元の直交座標です。これはかの有名なデカルトが考案したものとされております。要はxという実数の数直線とyという実数の数直線をゼロの位置を重ねて、それぞれが直交するようにしたものです。そしてそれでできる平面上の点をxとyの値のセット(x、y)で表すようにしたものです。デカルトさんのお陰で数学は格段に便利になりました。

 さすがにグラフが苦手な方でも、点の座標(x、y)が与えられれば、その点をプロットできます。もちろんグラフ上の点の座標も読み取ることができます。ここまでできるのに何故グラフが描けないのでしょうか。

 さて、ここにあるxに対するyの値の対応表があります。これらの関係は物理の実験で、あるxの値でのyの測定値であるかも知れません。この表からグラフ上に点をプロットするところは殆どの方ができると思います。xの値の間隔が1である場合には、まばらな点の並びで、この段階では何の関係性も見いだせないかも知れません。しかし、xの間隔を0.5⇒0.1⇒・・・と小刻みにしていけば、それが直線なのか放物線なのか、はたまた他の曲線なのか何らかの関係性が見えてくるかも知れません。
 このように実験データをグラフ化することにより、何らかの法則性を見出せるようになるかも知れません。

 また、xとyの関係式が予め分かっていれば、今は表計算ソフトを用いれば簡単にグラフを描くことができます。例えば、先ほどのxの値の間隔を1⇒0.5⇒0.1と狭めていった場合の折れ線グラフを描けば、段々とスムーズな線に近づいていくことが分かると思います。
 数値の一覧表だけだと単なる数字の羅列ですから、これを眺めているだけでは規則性を見抜くなどは至難の技でしょう。ですが、これをグラフ化することにより格段に見通しが良くなります。

 だからグラフは大変便利なものなんです。使わない手はありません。こんなに便利なものを何故使わないか。それは使えないからでしょう。使えるようになるには、それなりの訓練が必要です。ある意味、計算練習にも似ているのかも知れません。最初のうちは定規などを使ってできるだけ正確に描くようにしましょう。慣れてくるとフリーハンドで描けるようになります。
 そして直線、放物線、円、楕円、双曲線、指数、対数、sin、cos、tanなどの特徴を理解し、グラフをサラサラっと描けるようになりましょう。問題によってはある程度正確なグラフが必要になる場合がありますが、大抵の場合には、それぞれの特徴を掴んでいればラフなグラフで構いません。そんなグラフはものの数秒で描けるようになるはずです。

 今日のところはこれ位にしておきます。細かな点は個別のグラフを説明するときにやります。
とにかくグラフを描くことを億劫がらずに気楽な気持ちで描くようにしましょう。

 最後に、グラフの応用例を一つ。
 江戸時代の昔から米などの相場で使われていた日本発のグラフ(チャート)を一つご紹介します。ローソク足といわれるもので、取引の始まり値、高値、安値、終値を一個の記号に集約したものです。1日単位のものを日足、一週間単位のものを週足、月単位のものを月足と言ったりします。ご興味のある方はググってみてください。
例えば、日足だったら横軸に日にち、縦軸に価格を取ってローソク足を書き込んでいきますと日毎の値動きを単なる折れ線グラフより詳細に描けます。現代は取引のスピードが速いので、分足とか5分足とか言ったチャートもあります。これらのチャートに価格の移動平均とかボリンジャーバンドとか色々なチャートを重ね合わせて多くの情報を総合的に見ることができるようなチャートもあります。
 このようなチャートを駆使して投機取引をやっている方もいらっしゃいます。即ち彼らにとって、グラフを利用できるかどうかは、儲けるか損するかといった死活問題に通じるのです。さすがに今時、自分でグラフを描いている人はいないでしょうが、グラフを読み取る能力が利益が出せるかどうかを左右することになるのです。

 大人になったらどうせ数学なんか使わないのだからなんて言わずに、しっかりと数学を学んでください。いつ何時必要になるかも知れませんよ。そしてグラフを軽視すると将来大損することになるかも!?





得意分野を作ろう

2020-05-16 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 数学嫌いを克服したいなら、どの分野でも良いから徹底的にやって得意分野にすることです。数学は積み重ねの学問だからとよく言われます。だからそんなこと出来っこないよと言わないでください。できない理由ばかり言って何もやろうとしないから何時までたっても何もできないのです。
 先ずは、教科書を隅々まで徹底的に読み込み、手を動かして下さい。大体の流れとしては新しい内容の解説があって、例題があって練習問題という具合になっているでしょう。そのセクションが理解できたら、次のセクションといいふうに進んでください。そしてその章を一旦終えたら、また最初に戻って、何も見ずにに練習問題を解いてみてください。スムーズに解けたら次の練習問題に進みます。解けなかったら解説を読み直して、例題⇒練習問題というように最初と同じようにしてください。
 何も見ずにその章の練習問題を全部解けるようになったら教科書は終了です。これでもう随分と実力がついてきているでしょう。
 次に問題集をやりましょう。副教材で渡されているもので構いません。問題集はレベルごとにセクションが分かれていると思います。ここではA⇒B⇒Cの順でレベルが高いものとします。先ずは、Aレベルの問題だけを解いていきます。
 ここで注意しなければならないのが、分からない問題に出くわした時にどうするかです。先ずは、教科書を振り返ってください。似たような例題がありませんでしたか?
それでも分からないようでしたら解答を見て構いません。解答をじっくりと読んでください。そして解答を閉じて再度チャレンジしてみましょう。この作業をAレベルの全ての問題に対して行います。Aレベルの問題が全て終了したら、またAレベルの最初に戻り、何も見ずに全ての問題が解けるようになるまで繰り返します。
 その後は同様にB⇒Cの順でやってください。さぁ、ここまでくるともう実力は相当にアップしていることでしょう。もしかしたらもうクラスの誰にも負けない域に達しているかも知れません。
 このやり方だと膨大な労力を費やすように思えるでしょう。このようなやり方を全ての分野でやるなんてことは、とても無理だとお考えのことと思います。ハイハイ、誰がそんなことをやれって言いましたっけ?

 こうして徹底的にやれといった理由はただ一つ。成功体験をして欲しいからです。自分だってやればできるといった感覚を掴んで欲しかったからです。そうすれば後は自分なりの計画を立てて学習すれば、必ず克服できるという自信が持てるようになります。ここまでくれば数学嫌い克服の入り口にさしかかったことになります。後は各人の目的に応じた学習方法を検討して実行あるのみです。

 各人の目的と言っても色々あることでしょう。一口に数学嫌いといっても様々です。数学なんて面白くもないものを何のためにやらなければならないのかとか、数学そのものは嫌いではないが点数が取れないから嫌だとか、それこそありとあらゆる理由がありそうです。だからその先は自分で考えてやっていただきたいと思うのです。自分で考えるのも数学の学習の一環です。
例えば、定期考査の点数を取りたいのであれば試験範囲を徹底的にやれば良いし、受験が目的であれば先ず不得意分野をやれば良いといった具合に作戦が立てられますよね。
 先ず、自分が何をやりたいのかをしっかり分析して、目標を決めましょう。そして目標が決まったらPDCAサイクルを回していけば良いのです。ほらもう数学嫌いが克服できるように思えてきたでしょう。これは数学に限らず、物理や化学は言うに及ばず多くの教科に当てはまるのではないでしょうか。

「学問に王道なし」と言われております。数学が得意な人でも努力を積み重ねてきたはずです。況や数学が不得意な人は弛まぬ努力が必要です。そして必ず克服してやるという強い意志が必要です。途中で挫けてはいけません。やる前から諦めるのはなおいけません。
「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」ですよ。






公式は覚えなくちゃいけない!?

2020-05-15 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 試験の直前に念仏を唱える如く公式を覚えているような方を見かけます。
公式って覚えるものなのでしょうか?

 計算が遅いより速い方が良いにように、公式だって覚えていないより覚えている方が良いに決まっています。
でもね覚えたものは忘れてしまう可能性もあるのです。試験直前に無理やり覚えたものは、試験が終わってしまえば、大抵が忘れ去られる運命にあります。滅多に使わない公式を一生懸命覚える必要がどこにあるのでしょうか?
 しょっちゅう使う公式は、自然と覚えてしまうものです。また綺麗な形をした公式は覚えやすいものです。逆に、覚えにくい公式も多々あります。私は学生時代に三角関数の和積・積和の公式が覚えられませんでした。でもこれらは三角関数の加法定理さえ知っていれば簡単に導けます。三倍角の公式も同様です。このように少数の公式を覚えておけば、他の公式は覚えずに済みます。
ではどの公式を覚えておくかですが、それは導くのに時間が掛かる公式です。先の例で言えば、加法定理の公式です。これは奇麗な形をしているので覚えやすくもあるでしょう。

 それから公式は覚えるものでなく使うものです。使えもしない公式をいくら覚えたって何の役にも立ちません。それどころか使ってはいけない状況で使ってしまうようなことだって起こります。例えば、相加・相乗平均の公式
 (a+b)/2≧√ab
は、a≧0かつb≧0のときにしか成立しません。
これらのことは、公式を自分で導くようにすれば分かります。教科書にも書いてあるはずですので、自分の手を動かして確かめてください。

 それから言葉の意味することや定義などは、公式などとは異なり絶対に覚えておかなければなりません。
例えば、自然数がどういうものかを知らなければ「次の方程式を満たす自然数m、nの組合せを求めよ。」とかいった問題は、間違った解答となってしまうかも知れません。

 という具合に絶対に覚えておかなければいけないもの、覚えておいた方が望ましいもの、別に覚えていなくても自分で導ければ済むものがあることを絶対覚えておいてください(笑)

 最後にマーフィーの法則ではありませんが、「一か八かのとき、大抵は間違った選択をする。」なんてことが往々にしてあります。
試験の時、うろ覚えの公式を使う場合があります。係数が2だったかな、1/2だったかなとか、この係数の符号はプラスだったかなマイナスだったかなといったことは良くあります。こういった場合に最悪の選択をしてしまって悔しい思いをしたことはありませんか。時間が許せば公式を自分で導けば確実に得点できたはずです。時間的余裕がないならば仕方ありません。こういう時には覚えておいた方が有利だといったことになります。

 さぁ皆さん心して公式を覚えましょう!




計算力をつける

2020-05-14 | 数学・物理嫌いを克服する部屋
 誰しも計算力を高めることが大切なことに異存はないと思います。
しかしながら、速くて正確に計算することが求められますなどと言われると、それだけで心が萎えてしまうことでしょう。果たして速くて正確な計算能力が絶対のものなのでしょうか?
 確かに、そうであることは望ましいことです。でたらめな計算は、それはいただけません。しかし、計算を速くすることに拘る必要はないと思います。計算を速めるために修練を積み重ねる時間があれば、他にもやることが多くあると思います。
 ここで言っている計算スピードはいわゆる数値計算のことです。数値同士を加減乗除するスピードのことです。これを磨くには、ひと昔前(今でも?)にはソロバンを習うことや計算ドリルを延々と繰り返すことで会得していたと思います。このようなトレーニングを否定しませんが、これに特化する必要もないと思います。と言いますのも、問題を解く過程で、この手の計算をやらざるを得ないからです。ですから正確に計算できるようになったら、問題を解く過程でいくらでも計算スピードを向上させることができるようになります。
そしてもっと重要なのは、「もっと楽して計算できないかなー」と計算のやり方を工夫することです。

 例として、適当かどうかわかりませんが、
 大貫昌子訳 「ご冗談でしょう、ファインマンさん」Ⅱ-ノーベル賞物理学者の自伝-岩波書店
P10~P14にファインマン氏とソロバンを扱う日本人と計算競争をする場面が描かれております。ファインマン氏はもちろん暗算で対戦します。その結果は、足し算はソロバンの圧倒的勝利、掛け算はソロバン優勢、割り算は互角といったものでした。割り算で互角になってしまった日本人は、悔しかったのか3乗根をやろうと言い出しました。結末は、ご想像の通りファインマン氏の圧勝に終わります。その他いろいろと面白いことが満載の同書を是非ご一読ください。
 -以下同書から引用-
 「彼は数というものの内容を理解していなのである。そろばんではいろいろな算術上の組合せを覚える必要は全然なく、あのそろばん玉を押し上げたり下したりすることを学びさえすればいいのだ。つまり、9+7=16ということを暗記せずとも、9を足すとき10の位の玉をあげておいて、1の位の玉を一つ下すことさえ知っていればいいのだ。それに比べ僕らは基礎的算術の点ではそろばんよりのろいが、その代り数というものの内容は理解しているわけだ」
ー以上引用終わりー

 ファインマン氏の暗算能力には目を見張るものがありますが、上には上がいるもので物理学者のベーテはファインマン氏も脱帽する位の計算力の持ち主だったそうです。何故物理学者の計算能力が高いかということには理由があります。数式を計算する能力は当然のこととして、物理においては観測にかかる物理量は実数値で表します。例えば、速さが1.23m/secであるとか、電圧が114Vであるとかです。数式には実際の物理量を代入して計算する必要があります。だから数値計算をしょっちゅうやらなければなりません。この話は先の大戦中のことです。当時は電卓もまだない時代で、手廻し計算機というのが主流でした。だから如何に速く計算できるかというのが大切なことであったのです。
 ただ、現代は関数電卓やパソコンなど広く普及しておりますので、簡単に計算することができるようになりました。ですから、そこまで数値計算能力の高さは要求されないと言えます。ただ、試験では持ち込み禁止となることが多いので、相変わらず手計算が必要です。

 話が随分と横道にそれましたが、実際に私の数値計算能力は人並み以下であると自負しております(笑)。二桁の掛け算を暗算ですることはできません。二桁の割り算など論外です。分数だって通分が必要な場合には暗算できません。これは歳をとったからではなく、学生時代全般を通してそうだったと思います。ただ、正確にはできないけれど概算では近い値をはじき出せたように思います。だから、計算をミスした場合には何となく変だなーといった堪働きはあったと思っております。
 数値計算においては人並み以上に遅いことは間違いありませんが、数式の計算は人並み程度はできるようになったと思っております。これは努力の成果です。計算能力が低いと自覚したとき、毎日5分間だけ、授業の休み時間とかちょっとした時間を見つけては、問題集の簡単な計算問題を繰り返し練習しました。1カ月程続けると何となく計算能力が向上したなと思えるようになりましたので、それで計算だけの練習は止めてしまいました。計算練習をするとき時間を計測していたら、より実感が湧くと思いますので、今後取り組まれる方にはお勧めします。
その後は、色々な問題を解くときに否が応でも練習をさせられますので、一度付いた計算力は錆びつかないでしょう。

 計算で時間が掛かるのは、やはり書くことにあります。時間短縮の要諦は書く量を減らすことです。暗算できるに越したことはないのですが、必要最小限しか書かない工夫をしてみましょう。
 例えば、これは几帳面な方に多いのですが、
 x^2-x-1=2x^2-4x-5 (x^2はxの2乗を表します)
といった2次方程式を解くために方程式を整理しますが、
-x^2+3x+4=0
x^2-3x-4=0
という具合にやる方を見受けます。
これだったら、
 0=x^2-3x-4 (これ位は暗算で行えるでしょう。)
と頭のなかでやって、一発で
x^2-3x-4=0
としても一向に差し支えないと思うのですが、未知数は何が何でも左辺にしなければいけないと思っているようです。同類項を整理するとき、最高次の係数が正の数になっている方が何かと都合が良いでしょう。そのためには、計算に着手する前に式全体を眺めて、方針を決めてからやり始めた方が良いのです。
何にしても書く作業が圧倒的に時間が掛かります。こういったところが計算スピードが遅くなる要因になります。おまけに書くと疲れるし・・・。
私はものぐさ者で、面倒なことはやりたくない性質なので出来るだけ楽をするように気を付けております。但し、これで計算ミスをするようであれば、やめておいた方が無難でしょう。
 その他にも色々と計算を楽にする方法がありますが、それはその都度ご紹介していきたいと思います。

 計算練習は、一度みっちりとやっておく必要はありますが、長時間やれば良いというのでもありません。過ぎたるは猶及ばざるが如しです。
計算は正確さを最優先にしましょう。速くできるに越したことはありませんが、絶対条件ではありません。

 念のため言っておきますが、計算ができなければ数学もできませんが、計算ができるからといって数学ができるというものでもありません。