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教会音楽の扉~女性作曲家たちと珠玉のオルガン作品 ファニー・メンデルスゾーンを中心に

2024-04-04 09:41:03 | 音楽
 4月3日、朝日カルチャーセンターにて受講。講師は吉田文先生。画像はテキストの一頁目。講義内容を要約。

 フェリックス・メンデルスゾーンの4歳上の姉、ファニー(1805-1847)についての講義。

1、まず生い立ちと初期のキャリアから。
 父親は銀行家のアブラハム、母親はレア・ゾロモン。母方は音楽一家であり、祖母ベラはバッハの弟子のキルンベルガーからピアノのレッスンを受けており、その知識をレアに伝えた。また大叔母のサラはバッハの長男のフリーデマンのお気に入りの生徒であった。
 母親からピアノのレッスンを受け、13歳でバッハの平均律クラヴィア曲集の前奏曲の全てを暗譜して弾くことができた。フェリックスとは一心同体のように学び、ツェルターやケルビーニからベートンヴェンの音楽とバッハの対位法を学ぶ。
 メンデルスゾーン一家は裕福で広範な楽譜コレクションを所有し1800年ごろには自宅に音楽サロンを築いた。1819年の父親の誕生日にフェリックスと合作した歌曲「楽の音よ、楽しく響け!」を視聴。

2、日曜音楽の開催
 1821年、父親のアブラハムがフェリックスの発表会のために設立、1825年には取得した庭付きの大邸宅で開催、300人の聴衆を集める。ファニーの作品も演奏されたが、父親は女性が音楽家になることに偏見を持ちファニーにはアマチュアに留まることを求めた。このころの作品としてピアノのための前奏曲を視聴。対位法が用いられ明らかにバッからの影響が感じられた。1829年、日曜音楽は休止。

3、結婚
 1829年、画家のヴィルヘルム・ヘンゼルと結婚。1822年に知り合ったが、父親の反対により遅れていた。
 結婚式のためにファニー自身が作曲したオルガンのための前奏曲を吉田先生が演奏したCDを視聴。
 1830年、一人息子が誕生。名前はセバスチャン・ルートヴィヒ・フェリックス、明らかにバッハ、ベートーヴェン、弟から取り入れたことが解る。
 夫のヘンゼルはファニーの音楽活動に理解を示し、テキストや楽譜の挿絵などを創作した。

4、日曜音楽の再開
 1831年、日曜音楽を再開。ファニー自ら、プログラムの構成、演奏家の手配など企画・運営に携わる。フェリックスと自身の作品だけでなく、バッハ、モーツアルト、ベートーヴェン、ハイドン、グルックなども演奏された。またシューマン夫妻、リストなども賛歌した。
 管弦楽のハ長調序曲(1834)を視聴。

5、イタリア旅行
 1839年、家族と一年かけて憧れていたイタリアに旅行。夫のヘンゼルはすでにイタリアの芸術界と交流があり、夫の紹介によって作曲家や芸術家と活発な交流が生まれる。特にシャルル・グノーからはバッハの平均律クラヴィア曲の演奏を請われ、そこからグノーのアヴェマリアが誕生したと推測される。もしかしたらファニーがピアノを演奏しながら口ずさんだ旋律をグノーが書き留めたのではないか?と先生は解説された。

6、出版に向けて
 1846年、ロバート・フォン・コンデルと出会い、出版を勧められる。フェリックスは良い返事をしなかったが、多数の作品を出版。
 「白鳥の歌」ほかを視聴。

7、死
 1847年、ゲーテの「ファウスト、第二部」のリハーサル中に脳卒中で倒れる。

 いままでに名前も知らなったファニー・メンデルスゾーンについてのレクチャーをありがとうございました。今では言ってはならない言葉ですがファニー・メンデルスゾーンはまさに「男勝り」の才能に恵まれた音楽家だったと思います。もしかしたらフェリックスはファニーの才能に嫉妬していたようにも感じられました。妻クララに嫉妬したシューマンを思い起こしました。重ねてお礼申し上げます。
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