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歳を取らないと分からないことが人生には沢山あります。若い方にも知っていただきたいことを書いています。

FRポルシェ

2013-08-25 06:21:13 | 日記
山口百恵のプレイバックPart2(1978年)の歌詞の中に「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ」という歌詞が登場します。彼女の引退前の絶唱として、どなたもご存知でしょう。ポルシェは911があまりにも有名なので、リアエンジン・リアドライブのRR車しか、ポルシェにはないと思っている方も多いようです。

車好きの方は、ミッドシップMRのボクスターや、4輪駆動4WDのカイエンもご存知かもしれませんし、最新のケイマンやパナメーラも知っておられるかもしれませんが、その昔にRRの911よりも生産台数の多い、MR車やFR車がポルシェにあったのです。

1970年から販売されたポルシェ914は、高価な911に手が出なかった若者へ、ポルシェという文化を植えつけるには持ってこいの車でした。ボディはポルシェが、エンジンをフォルクスワーゲンが担当しました。エンジンは空冷水平対向エンジンをミドシップMRとし、前後の重量配分を適正にして運動性能の向上を図りました。

1971年、1972年には911とは一桁上の、2万台を超える914が製造され、1976年に、より高性能なフロントエンジン・リアドライブFRの924に移行することで、製造が中止されました。我が国でもファンは多く、ビンテージカーとして、レストアされた車も結構あるようです。

スタイルは愛すべきなのに、性能的には見るべきところのなかったフォルクスワーゲン・カルマンギアと比べると、914はメカニズムも性能も申し分のないスポーツカーでした。スタイリングは、なんら人の心を打たないとも云われたのですが、当時の我が国の車と比較すれば、やはり目を惹く、ミドシップMRとしての主張のある、特異なスタイルの車でした。

ポルシェ924 は、914がミッドシップのため、+2のリアシートが設置できず、トランクが前後に分かれる点で、ユーザーに不便を強いた反省もあり、開発の初期では前輪駆動の採用が検討されたそうですが、当時の技術では、ポルシェの理想とする高度な操縦性が得られず、実用性と操縦性を兼ね備えた、フロントエンジン・リアドライブのFRレイアウトで新設計されました。

1975年に発売が開始されましたが、911よりも格下の市場を狙い、価格も安く設定されていました。1978年にはターボチャージャーを用いた高性能版924ターボが追加され、当時としては第一級のスポーツカーに仕立てられています。

量産車の部品を多用していることから、本物のポルシェではないとする声もあったようですが、量産車の部品を多用してコストを抑えつつ、高性能のスポーツカーを造るという思想は、ポルシェ生産車第1号のポルシェ356から始まった合理性で、その思想はむしろポルシェらしいと云えます。

アウディ100に用いられた、水冷直列4気筒OHVエンジンのボアを1,983ccに拡大してSOHC化し、ボッシュKジェトロニックインジェクションを装備したエンジンを装着しました。1977年後半から、日本仕様のエンジンの圧縮比が8.5に上げられて、115PS/5,750rpm、15.9kgm/3,500rpmとなっています。高度な操縦性を実現すべく、後輪はトランスアクスル レイアウトを採り、重量配分を前後でほぼ同じとしました。

リトラクタブルヘッドライトや、曲面ガラスのリアハッチゲートなどの斬新なデザインが採用されたため、スポーツカー、スポーティーカーのデザインに大きな影響を与え、その後マツダ・サバンナRX-7等、類似のデザインの車が我が国でも氾濫しました。

ポルシェ928は、1977年にポルシェのフラグシップとして登場しました。ジャガー・Eタイプやアストンマーチン、フェラーリの12気筒モデルなどのプレミアム・スポーツや、高級パーソナルクーペのBMWの6シリーズ、メルセデスのSLなどと同じ客層をターゲットに企画された車です。928はスポーツ性能とラグジュアリー性を兼ね備えた車として、1978年にヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。

外観は全体的に卵形のシルエットで、ポップアップ式ヘッドランプを採用しています。私のこの車に対する第一印象は、バンパーがないと云う驚きでした。米国車が最も大きなサイズを誇っていた頃、縦列駐車から抜け出すのに、バンパーで前後の車を押し除けて脱出するのが、大都会ではごく当たり前のことでした。そのバンパーがないのですから、吃驚しました。

実は5マイルバンパーと云う、1974年からの北米の安全基準に適合した、ボディ一体型の衝撃吸収バンパーを装着していたのです。今の車は、みんなボディ一体型になっているので、バンパーが目に入らなくても誰も不思議には思わないでしょうが、私にとってはシトロエンDSに出会った時と同じく、衝撃的なデザインでした。

駆動ユニットは、V8エンジンをフロントミッドに近い位置に搭載したFRで、トランスアクスル レイアウトが採用され、理想的な車重の前後配分を取っています。コグドベルト駆動、ハイドローリックタペットなど当時の新鋭技術を満載したエンジンを搭載し、燃料供給はボッシュKジェトロニックでした。

日本では最終期の928GTや928GTSを除いてはATのみの設定で、928S4からは4速ATのみです。意図しない急発進や、ホイールスピンを防止する目的で、通常は2速発進の自動変速となるDレンジを選択し、登坂などは1速ホールドとなる、Gレンジを選択することになっていました。

コーナリング中にかかった横荷重により、外側後輪が機械的に最大2°トーをイン側に向けて、リアのコーナリングフォースを安定させ、安定したコーナリングが出来るようにした、ヴァイザッハアクスルが採用されていました。この考え方は、その後の4WSの日本車や、メルセデスが190Eから採用したマルチリンクサスペンションに、大きな影響を与えたと云われています。

1990年代に入り販売台数が大きく下回り、ポルシェの経営悪化も重なって、1995年に生産中止されました。幾多の年次改良は施しているものの、ポルシェの単一車両形式としては、911の930型(1975年から1989年)の15年、356(1948年から1965年)の18年を上回り、最長寿です。

911に馴れたオーナーにとって、大型にすぎたラグジュアリーカーであったせいか、我が国ではあまり台数が伸びず、外車の中古は値崩れしないと云う神話に反して、終わりの頃のポルシェ928は、新車を買った翌日に値段が半分になると云われたものです。

944は、928が911の後継車としてはサイズが大きすぎたため、928と924のあいだの市場を狙った車です。最初に944の名称が使用されたのは1981年のル・マン24時間レースですが、市販車としては1983年から販売が開始されました。

ボディは2ドア4座クーペで、1986年発売のポルシェ944ターボは、世界一ハンドリングが良い車と云われ、販売台数は911を上回って商業的に成功し、実質的に、この時期のポルシェの経営を支えたモデルとなりました。

924とは違いすべてがポルシェ製で、928のV8エンジンの片バンクをベースとして5mmボアを拡げ、2,478ccとしたSOHC直列4気筒水冷エンジンが搭載され、後に過給機付きの944ターボが発売されて、944S2では2,990ccまで拡大されました。発売当初から5速マニュアル、3速オートマチックが用意されていました。

モチーフとなったのは、前身モデルの924のレーシングバージョンの924カレラGTで、フロントバンパー下のエアダム、前後のブリスターフェンダー、ハッチ後端のスポイラーなどに影響が見られます。1985年の後期から大幅にモデルチェンジされ、これより前のモデルを944A、これ以降を944Bと区別することがあります。

944ターボ は 2,478ccSOHC、KKK製水冷インタークーラー付きターボのM44/51エンジンを搭載。圧縮比8.0で220英馬力/5,800rpm、33.6kgm/3,500rpm。トランスミッションは強化され、マニュアルのみとなります。

944とはフロントマスクのデザインが異なり、リアバンパーの下にはエアスポイラーがつき、フロントガラスとボディの段差をなくして、空気抵抗を低減しているなど、細かな改良がみられます。オートエアコンが、標準装備となりました。

944には、貸してもらって乗ったことがあります。東名も走ってみました。加速性能、ステアリングのスポーツ性、ブレーキの効きなど、スポーツカーとしての走行性能にはまったく脱帽の感じでしたが、サスペンションがいかにも固く、その車が履いていたスポーツタイヤのせいか、床下からくる路面の音が大変うるさくて、助手席と話が困難なほどでした。

944は、日常乗るのには喜びもひとしおですが、我慢を強いられる点もあるように思え、911のもつ高級感は欠けると云うのが正直な感想でした。944は確かにポルシェ製ではあるのですが、ポルシェはリアエンジンの911と云う固定概念が抜けないため、やっぱりポルシェとは異なる車だと思えてしまいます。

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