一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

2014年・年末麺紀行5

2015-12-14 23:30:33 | 旅行記・その他の地域
翌、2014年大晦日。泣いても笑っても、今日で2014年が終わる。大晦日は「NHK紅白歌合戦」を観るのが定跡になっているので、午後6時頃には帰宅したい。
上越線は本数が少ないので、さすがの私も列車ダイヤはしっかり調べる。旅先の早起きは苦にならないので、朝は07時06分の上りディーゼル車に乗った。
車内はガラガラで、ある意味快適だ。前日にさんまの番組を放棄していれば、今日はこの列車を丸ごと省略できた。しかし滅多に乗らないローカル線は、明るい内に乗って景色を楽しみたい意味もある。もっとも今回はうつらうつらしたので意味はなかったが。
08時24分、長岡着。5分の待ち合わせで、次の列車にリレーする。今日の予定は、群馬県水上で温泉につかり、年越し蕎麦を食べるのだ。
なるべく雪景色を楽しみ、10時24分、水上着。屋根に雪は積もっているが、道はしっかり除雪され、普通に歩ける。
駅前の観光案内所で、温泉街のパンフレットをもらう。紹介されている店舗にはサービス券が付いているものもあり、楽しい。
「ふれあい交流館」は入浴料が550円と安く、ここに入ることにした。上越線の右側を歩き、途中で右折し、温泉中心街に入った。しばらく歩くと郵便局があったが、大晦日は休みなので、貯金はできない。
右を見ると蕎麦屋があったが、ほかにそれらしき店もなかったし、入るならここか。
その先にふれあい交流館があった。瀟洒な建物である。中に入りパンフレットを提示すると、温泉入浴の条件で、生米をくれた。
と、風呂上がりの旅行者と思しき男性が、スタッフ嬢に食事処を聞いていた。「旅先では地元の人に聞くのが一番」とか言っている。声質が戦場カメラマンの渡部陽一みたいで、かなりの話好きに見えた。が、私の苦手なタイプでもある。
スタッフ嬢には「まるよし」と教えられていたが、これは私がさっき見た蕎麦屋ではないか?
壁には入浴マナーのポスターが貼られていた。マンガ風イラストが描かれているのだが、その中のママさんが裸だった。まあ、当たり前なのだが。
それはともかく、肝心の温泉は、湯船がやや小さかったが、いい湯だった。
さて、年越し蕎麦である。他に店もないので…と言ったら失礼だが、私はまるよしに向かった。
戸を滑らせると、さっきの男性がいた。さっきの会話を聞いてこの店に入ったように思われそうで面白くないが、しょうがない。
店内は満員に近く、やはりみんな蕎麦を食べている。あの男性氏は迷っているようだ。
もりそばは650円で、私の予算を越えているが、まあよい。その大盛りを頼んだら、800円になった。
さっきの男性は、さんざん迷ってカツ丼を頼んだ。年越し蕎麦は夜に食べるということか。まあ私も、帰宅したら改めて年越し蕎麦を食べるのだが。
大もりは、蕎麦の上に海苔ではなくカイワレ大根が載っていた。蕎麦は更級で、しこしこして美味かった。値段がアレだが、相応の味だったと思う。
店を出るが、朝食を摂っていないので、もう少し入りそうだ。水上駅に戻る途中にさびれた??食堂があり、「おっきりこみうどん 1,200円→1,100円」の貼り紙があった。
おっきりこみうどんはこの地方の名物らしく、ほかの食堂でも見た。1,100円は、割引後でもやや高いが、中は空いていたので、入った。
おじちゃん2人で営業しているようで、先客は1組。私はもちろんおっきりこみうどんを頼む。
すぐに女性の2人組が入ってきた。接客係のおじちゃんは話好きのようで、彼女らに世間話をする。おじちゃん、楽しそうだ。私には目もくれないが、それでいい。
ところがその後も客がどんどん入る。若い女性、混合グループ、外国の方、さまざまだ。最初は人がいなかったのに、満員御礼になる。こういう経験は、かつてススキノのラーメン屋でもあった。
さて客の注文は、半ば強制的におっきりこみうどんだ。おじちゃんも世間話をする余裕がなくなり、厨房に入ったりした。
出されたおっきりこみうどんは、季節の根菜類にうどんが入った鍋物、という感じだった。寒い冬におっきりこみうどんは美味かった。しかし今回の旅行は、本当に麺類ばかり食べた。
水上駅に戻る。12時56分の列車は、スキー客や帰省客などで満員だった。
今度は座れて、高崎着14時01分。まだ時間があるので高崎観音などを見学できるのだが、もう疲れた。13分の待ち合わせで新宿湘南ラインの特別快速があったので、これに乗った。
それにしても高崎から「湘南」の名称の列車に乗るとは、便利な世の中になったものである。
15時41分、赤羽着。タイム6分の待ち合わせで再び宇都宮線に乗り、16時07分、上野に着いた。
ここまで来れば、もう家に着いたようなものだ。私は上野で下車して、めいとおいにオモチャを買い、TSUTAYAでマンガなどを買った。TSUTAYAでは店員が、コミックにカバーをかけてくれなかったのが不愉快だった。
家には余裕で帰れた。さて、2015年はどういう1年になるだろう。さしあたっては、ズキズキする左上の歯の治療だろうか。
(おわり)
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2014年・年末麺紀行4

2015-12-13 00:42:54 | 旅行記・その他の地域
今年も長崎県川棚の「あんでるせん」でマジックショーを楽しんだ。でもちょっと、行く日にちを間違えた。来週の19日にするのだった。
あくまでもこれは私の「イメージ」だから、何とも言えないのだが…。

(11日のつづき)
そろそろと歩いていくと、前方に百貨店があった。砂漠でオアシスを見つけた気持ちで、私は恐縮して入店する。階上のトイレで、本日2度目の快感となった。もしここに百貨店がなかったら、マジで大変なことになっていた。私は書店に入り、柳ゆり菜表紙の「フライデーダイナマイト」を買った。我慢できずに大惨事になっていたと考えれば、御礼の680円は安いものであった。
ちなみに百貨店の名前は「清水屋」といった。清水市代女流六段の笑顔が浮かんだ。
しばらく歩くと、年季の入ったラーメン屋があった。私のアンテナにピンと来たのだが、いま入るわけにはいかない。
改めて山居倉庫へ向かう。途中地元の人に聞いて何とかいう川を目指すと、橋を渡った先に山居倉庫があった。
倉庫は鮮やかに化粧を施し、12棟が整然と並んでいた。まさに威風堂々の趣である。裏手に回るとこちらは建築当時のままか、木目が黒く変色していた。その色が渋い。冷静に考えれば何てことはない建物なのだが、そこは小樽運河の倉庫群に通じるように、ある種のノスタルジーがある。
遊歩道をはさんで大欅がそびえ、なるほどこれは確かに、一幅の絵にしたいところだ。
その奥に行くと、大きな土産物屋が入っていた。さすがに酒田市、客をタダでは帰さないのである。
私はあんぽ柿を買う。あんぽ柿とは干し柿の一種で、半生のようなもの。中はジューシーで、私はどちらかというと、こちらのほうが好きだ。
山居倉庫の見学はこんなものでいいだろう。橋を戻ると、コミュニティバスの停留所があった。「るんるんバス」といい、この路線は火、木、土の運転だ。1日4本しかないが、今日は火曜日、運行日だ。しかもしばらく待てばタイミングよく15時45分の酒田駅行きバスが来る。大いに興味を惹かれるが、これに乗るわけには行かない。
私は徒歩で、先ほどのラーメン屋に向かった。酒田市のラーメン屋は、その7~8割が自家製手もみ麺らしい。だからどうだということはないけれど、ラーメンに対する意気込みを感じるではないか。
店は大通り沿いにあり、屋号を「三日月軒」といった。中に入ると、ばあちゃんがカウンター向こうの厨房に入っていた。4人掛けのテーブルが3、カウンター6の小さな店だ。むかしウチの近所にこれと同規模の中華料理屋があったので、懐かしくなった。

さらに驚くべきはそのメニューで、中華そば(小)550円、(中)600円、(大盛り)750円、チャーシューメン750円しかなかった。つまりラーメンしか作っていないということだ。これは逆に期待できるではないか。ラーメン一本で勝負してきたのだから、よほど旨いラーメンを食べさせてくれるのだろう。
私は(中)を頼む。しばらく経つと、じいちゃんが出前から帰ってきた。この役割分担で、二人は数十年を営業してきたのだろう。
待望のラーメンが運ばれてきた。さっそく食べるが、麺は手もみで、美味い。ただ、スープがかなり薄味だった。…と、私のような味オンチはつい文句を言ってしまうが、二人はこの味で勝負してきたのだ。
今、加藤一二三九段の将棋内容に文句を言う人いまい。生ける伝説、加藤九段の将棋が見られるだけでありがたいのだ。
ここのラーメンにも同じことが言える。老夫婦のラーメンを食べられることが奇跡なのだ。毎日食べても飽きない味、といえた。

店を出て、今度はアーケード街を通って酒田駅に向かう。
駅に近いところでお茶屋さんがあったので、100gほど買う。おまけに2015年のポスターカレンダーをくれた。こうしたサービスがうれしい。
今日の宿は新潟市内を取ってある。前夜の調べでは、長岡に3,800円で大浴場付き、いかがわしいビデオが無料のホテルがあったのだが、早く宿に着いてテレビを観たかったので、見送りとした。
酒田駅から、17時24分発の羽越本線に乗った。時刻を調べるのにスマホしかないから面倒だが、新潟には21時08分に着くようだった。
今夜は明石家さんまの「踊る!御殿3時間スペシャル」があり、これを観たいのだ。
が、しばらく列車に乗って再びスマホを繰ると、今度は新潟着が21時24分になっていた。…このロスはどこから来たのだ…?
私はとりあえず、20時57分に新津で降り、信越本線に乗り換える。この新潟着が21時24分で、確かにこれは合っていた。では、さっきの21時08分着の表示は何だったのだ?
真相はこうだ。新津の途中の新発田で20時17分に下車し、白新線に乗り換えるのだ。この新潟着が21時08分だった。つまり最短距離で行けるところを、私は迂回してしまったわけだ。
新潟駅に降りても、ホテルが容易に見つからない。さんざん道に迷って、ホテルに着いたのは22時08分になっていた。さんまスペシャルも3分の2以上が終わり、夜の予定が瓦解した。
ただ、本日最終ランナーの信越本線の車両が、昭和の製造というレトロ?なもので、これに乗車できたのは幸運だった。
(つづく)
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2014年・年末麺紀行3

2015-12-11 01:23:58 | 旅行記・その他の地域
トイレだ!! 千本だんごのトイレに入った時、トイレットペーパーホルダーの上に置きっ放しにしてきたんだ!!
私は店主に断りを入れ、千本だんごに走る。しかし長年の運動不足で、脚はパンパンに張り、息が苦しい。とはいえ徒歩圏内だったのは不幸中の幸いだ。もし列車に乗っていたら、それこそ面倒なことになっていた。もっとも、それはスマホが見つかったらの話だが…。
トイレに入ると、スマホはなかった。私は軽く絶望して、店舗に入る。スマホを…というやいなや、店のお姉さんが「あっ!!」」と言って、ビニール袋に入ったスマホをくれた。
ああ、ありがたい!! きっと、お客さんが届けてくれたのだろう。むかしネプチューンの番組で、スマホを紛失した時の恐ろしさをやっていたことがあったが、とんでもない。日本人は本当に親切だ。日本に生まれてよかった、を実感した瞬間だった。
蕎麦屋に戻る。板そばがきた。縁のあるまな板のような上に蕎麦が乗っている。2人前分から注文可、なので2人前はあるのだが、3人前はありそうだ。
麺つゆに蕎麦をつけてズルズルッ…。コクがあって、美味い! シャレた蕎麦屋に入ると、ザルの上に蕎麦がちょこちょこっとしか乗っておらず、二口三口すするとなくなってしまうことがあるが、ここは違う。食べても食べても減らない。ちょっとした贅沢である、これは。
終盤になって、さすがに満腹になった。大石田に来た時は、最低でも2軒はハシゴしたいと考えていたのだが、とんでもない。時間的制約もあるが、ここ1軒で十分になった。
大いに満足して、大石田駅に戻る。列車が到着して、小学校低学年と思しき女の子が降りた。改札の向こうには年配の夫婦が手を振っていた。女の子はたぶん、一人で列車に乗ったのだ。そしてじいじとばあばが孫の到着を待っていたのだろう。
が、改札を抜けたところで、駅員に止められた。女の子の切符に不備があったようだ。
一瞬不穏な空気が流れたが、何事もなかったようで、3人は晴れて再会できた。とりあえずはめでたしめでたしである。
さて、私が次に向かうは酒田である。12時31分の奥羽本線に乗る。
12時53分、新庄着。ここ新庄は山形新幹線の終着駅で、今も新幹線が出待ちをしている。しかし新幹線は高嶺の花で、私には無縁の乗り物だ。せいぜい写真を撮って、虚しさを紛らわせるしかない。
駅構内には歌舞伎を模した山車が所狭しと飾られていた。市内を観光したいところだが、時間がない。

ここから陸羽西線に乗り換える。定刻を6分遅れの13時17分、新庄発。終点余目には9分遅れの14時11分に着いた。
さらに羽越本線に乗り換える。14時05分発だったが、この列車も9分遅れ、無事に乗ることができた。
酒田には7分遅れの14時27分に着いた。日本の鉄道ダイヤは世界一正確だけれど、日本海側は風も強く、しかも雪も降っている。このくらいの遅れは許容範囲である。
さて、ここ酒田には悲しい歴史がある。1976年10月29日午後5時40分ごろ、市内の映画館のボイラー室から出火があった。観客は全員逃げたが、酒田市は当日強風が吹いており、炎は瞬く間に隣接の民家やビルに移った。建物は木造ばかりで火のまわりは速く、その勢いは増すばかり。しかも火の粉や飛び火で消火もままならず、辺り一帯は文字通り火の海と化した。結局翌朝5時の鎮火までに、22万5千平方メートルを焼き尽くした。これが世にいう「酒田大火」である。私は以前、酒田市の資料館で航空写真を見たが、古い民家と新築の民家がハッキリ分かれていて、あまりの被害の大きさに言葉を失ったものだった。
私は酒田を何度か訪れているが、そのたびに鎮魂の思いに浸るのである。
酒田からは船で1時間15分の距離に飛島という小島があるのだが、いまだに行く機会がない。ということは、今後も行かないのだろう。本当に行きたければ、何を置いても行くはずだから。
駅内で観光パンフレットをもらう。評判のラーメン屋を紹介してもらったが、駅の裏手なのでパス。行き当たりばったりで、これはと思う店に入ることにした。
まずは駅前の郵便局で貯金をする。「酒田駅前郵便局」、1,230円。日付と同じ額を貯金しているので、今日が1年で最も大きい貯金額となる。
しばらく歩くと、等身大の「ヴィーナス誕生」の石像があった。これ、市内ではけっこう目立つモニュメントで、どこかの店の所有物なのだが、いつも気になる。一応、彼女とも再会を果たしたわけだ。
また歩くと、八雲神社というところに着いた。すっかり初詣の装いで、私の前には、晴れ着を着た小さな子供連れの家族がいた。私も20代や30代の時は、こんな光景を夢見たものだが、ついに叶わなかった。私はたぶん幸せなのだろうけれど、他人から見たら気の毒に映っているんだろうと思う。
八雲神社でも御朱印をいただく。旅行貯金は1日1回のみと決めているが、御朱印はその限りではない。
ラーメン屋もいいが、ここ酒田は「山居倉庫」も有名だ。簡単にいうと米の貯蔵庫で、酒田のポスターではよくここが登場する。
そこに向かうべく、ぶらぶらする。最短距離でなくとも、だいたいの方角が合っていればよい。
大きな道路に出た。しばらく歩くと、巨大な獅子舞があった。顔だけ鎮座していて、それが人の背の高さくらいある。これも酒田では有名なのだろう。

…それはいいが、また腹がおかしくなってきた。今度はくだり気味である。
しかし近くに公衆便所などありはしない。どこかの店に入るにも、これといったところがない。
ええ? いや、ホントにマズイ…。踏ん張ったら漏れちゃうし、どうしようもない。
私は絶体絶命のピンチに立たされた。
(13日につづく)
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2014年・年末麺紀行2

2015-12-10 01:20:22 | 旅行記・その他の地域
(8日のつづき)
店内は椅子席も豊富にあった。注文は自販機でチケットを買う。店内のコンセプトと料金設定は、立ち食いソバとふつうの蕎麦屋の中間ぐらいの位置づけか。私はもりそばの1.5人前(390円)を選択した。
出された蕎麦は香り高く、麺の量も多くて美味かった。ダシは枕崎産カツオブシを使用。食後に蕎麦湯で薄めて飲み干すと、口の中に何ともいえない香りが残った。ただ、本日3食目の蕎麦はいささかキツかった。蕎麦は1日2食までがいいと思う。
さて、今夜の宿は山形市内に取ってある。よって、また移動だ。
19時38分発の仙山線に乗る。杜の都仙台は、たった40分の滞在だった。
仙山線は途中駅に立石寺(山寺)を擁する観光路線で、沿線風景も変化に富み、時間があれば日中に走破したいところである。
仙台発だけに車内は混んでおり、陸前落合まで立って行った。21時02分、山形着。なお話が前後するが、山形までの時間を有効に使うなら、福島から奥羽本線周りで行く手はあった。これなら福島で1時間半、余計に時間を取れるからだ。ただ、もう陽は落ちているし、大した観光はできない。それよりは車内にいるほうが快適と判断した。
さて、今夜の宿は駅から徒歩2分の「コンフォートホテル山形」である。事前の調べでは「枕」に力を入れているようで、部屋に入ると、枕が奇妙な形をしていた。これが快眠に最適の形らしい。
ちょっと遅くなったがサスペンスドラマを観た後、レンタルパソコン(500円という安さ!)でブログを書いたりして、結局ズルズル夜更かしをしてしまった。

翌30日(火)。枕のおかげかどうか知らないが、昨夜は短時間ながら熟睡できた。
朝は朝食バイキングで、美味しくいただいた。これで宿泊料4,000円は激安である。「コンフォートホテル」、覚えておこう。
今日は山形県内で蕎麦、ラーメンを食らう予定である。蕎麦は村山や大石田が有名だが、村山は駅から距離があるので、大石田で食すことにした。私は公共の乗り物のみの利用なので、だいぶ行動範囲が限定される。でも、その条件下で楽しみを見つけ出す。
08時42分の奥羽本線に飛び乗り、定刻を3分遅れの09時33分、大石田に着いた。まずは駅前の観光案内所で蕎麦マップをいただく。蕎麦屋は20軒以上あるが、徒歩で行けるところとなると、店は限られるのではないか。
観光地は、大石山乗船寺、というのがある。横たえている釈迦涅槃像が有名らしい。他は「センボンダンゴ」、というのも名物らしい。
釈迦涅槃像は無料で見学可能とのこと。御朱印もいただけそうだし、まずはそちらに行くことにした。
街中は当然雪景色である。でもしっかり除雪がされている。その途中、最上川を見る。空はどんより曇っているので、川も鉛色だ。しばらく佇んだが、虚しくなったので、先を急ぐ。
乗船寺に着いた。釈迦涅槃像は波板の掘っ立て小屋(失礼)の中にあった。もっと巨大なものを想像していただけに意外だった。小窓から中を拝観すると、金色の釈迦涅槃像が横たわっていた。
私は社務所へ御朱印をもらいにいく。檀家か誰だか分からないが、社務所内に誘われた。
中ではゆんたくをやっていて、住職と思しき人と、その奥さんも現れた。私のようなヨソ者がこういう席にお邪魔していいものかと思うが、年末の慌ただしい時期に御朱印をもらいに来る旅行者も奇特らしく、歓迎された。
テーブルの上のお菓子の中に、餅菓子がある。「しそ餅(しそ巻)」という地元の和菓子で、味噌やクルミを練り込み、それをしそで巻いて、揚げる。各家庭で作るポピュラーなものらしい。作り手によって味が微妙に違い、そこが奥さんの腕の見せ所らしい。
私もいただいたが、外はサクサク、中はもっちりとして、美味かった。
テレビの旅番組は「人とのふれあい」を前面に出して鼻につくことがあるが、今回の親切は本当にうれしかった。
その先に「最上川千本だんご」があった。何かと思ったら、和菓子屋だった。ただ、和風の建物は大きく、かなり有名と見てとった。



「あん団子」と「醤油団子」を1本ずつ買う(計220円)。談話室が隣接しており、お茶のサービスや地元の資料もあって、充実している。店の人はノータッチだし、ここでのんびりするのも手である。ちょっとお腹が膨れているので、団子は夜食にする。
…と、腹の調子がおかしくなってきた。今朝はまだ「大」をやっていない。トイレに駆け込み、快感。こういう時、ヒマつぶしにスマホを繰ってしまう。まったく、スマホが我が生活にこんなに入り込んでくるとは思わなかった。
さて、いよいよ蕎麦屋に行く。マップには写真付きで紹介されており、これだけ店があると目移りしてしまうが、前述の通り、入る店は限られている。というか、駅に戻る途中にある「そば処 善之助」しか候補がない!
地図を頼りに探すと、善之助はすぐに見つかった。表は蕎麦屋だが、中は民家を改造したふうな感じで、というか民家そのもので、一気に旅情があふれ出た。これはテレビや雑誌がほっとかない佇まいである。

私は板そば(750円)を頼む。さて…とスマホを取りだそうとするが、あれ? …ない。
え? どして? 私はリュックから荷物をすべて出す。でもやっぱりなかった。
やべえ…どこかで落としたのか?
…あ!!
(つづく)
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2014年・年末麺紀行1

2015-12-08 12:43:06 | 旅行記・その他の地域
2014年12月、長崎を旅行した際に「青春18きっぷ」を購入したため、それを消費すべく、再び旅行に出る必要に迫られた。
行きのANAで機内誌を読んだ時、山形県のラーメンが紹介されており、むしょうに食べたくなった。山形のあたりは蕎麦も有名で、蕎麦街道なるものもある。私は食に重きを置かないほうだが、年末の旅行先はここにしようと思った。
2014年は12月28日で仕事納め。翌29日から2泊3日で東北方面への旅に出た。

29日(月)朝。飛行機なら時間が決まっているから動かねばならないが、今回はオール「青春18きっぷ」利用なので、いつ出掛けてもよい。これが私の腰を重くする。
テレビでは「暴れん坊将軍」の再放送をやっていて、これがなかなか面白い。しばらく見ていたら、かなりヤバイ時間になってしまった。いくら時間に融通が利くといっても、今日泊まる宿は決まっている。逆算するとそれほど余裕もなく、さすがに焦って、11時過ぎに、私は家を出た。
最寄り駅の改札で青春18きっぷにスタンプを捺してもらおうとしたが、前のカップルが忘れ物をしたとかで窓口にへばりつき、数分待たされた。人生、どこでタイムロスを食らうか分からない。
田端から京浜東北線に乗り、赤羽で新宿湘南ライン・特別快速に乗り換える。赤羽発11時32分。車内はそこそこ人が多く、浦和までは立って行った。
大宮で宇都宮線に乗り換える。鈍行列車の旅に乗り換えはつきもので、これを億劫がっていては、旅はできない。もっとも大宮で乗り換えるなら、赤羽からこの宇都宮線に乗るべきだった。我が「時刻表」はスマホの鉄道アプリなので、ダイヤを俯瞰的に見ることができず、多少ムダ足をすることがある。
12時37分、古河着。ここがこの電車の終着である。次の待ち時間まで30分。私はとりあえず駅を出た。
古河といえば、本田小百合女流三段の出身地だ(というのは誤りで、実際は熊倉紫野女流初段の出身地。旅行当時は勘違いしていた)。ちょうど昼の時間なので、このあたりで食事を摂りたい。駅に隣接して中華料理屋があるが、ちょっと混んでいる。五目ヤキソバ842円や、ラーメン・半チャーハンのセット830円などは大いに食欲をそそられるが、ほかの店も見てみたい。
駅から少し歩いたところに、やはり中華料理屋があった。ここも美味そうだが、やはり客が多そうだ。
駅前に戻ると、満席になっていた。グズグズしていて、入りそびれた。これが私の人生である。どちらも本田女流三段(熊倉女流初段)が入ったことがあると思うと名残惜しいが、持ち時間が少なくなったこともあり、駅に戻った。
駅構内に立ち食いそば屋があったので、入る。今回は麺紀行なのだ。かけそば290円。こういう店のそばは例外なくうまい。ここもそうだった。
13時07分発の快速に乗る。車内はまだ人が多く、小山まで立つ。13時45分、宇都宮着。下車して餃子を食べたいが、どうも時間がないようだ。朝に余裕を持ちすぎて、今日は列車に乗りっ放しになるようであった。
タイム5分で黒磯行きに乗り換える。車内ではロングシートの向かいに座っていた小学生が、クリアファイルに入った路線図を熱心に見ていた。一人旅だろうか、どうも私より準備がいい。
14時42分、黒磯着。この駅で直流と交流に分かれるので、大抵の列車が乗り換えを余儀なくされる。次の発車まで50分。これが今日唯一の観光となる。
駅前にはすでに門松が飾られていた。こういう年末年始の光景が私は好きである。黒磯からは以前、那須温泉にお邪魔する時に路線バスを利用したことがある。しかし今回は時間がない。
市内をぶらぶらすると、古い建物が多く、なかなか味わい深い。駅前の突き当りを左折すると、郵便局が見えてきた。今日は平日なので、貯金ができる。「黒磯中央町郵便局・1,229円」。局内ではキャラクターグッズが売られており、私はキティちゃんステーショナリーポーチ(830円)と、アンパンマンぽち袋(108円)を買った。これはめいとおいへのお土産となる。
観光、といってももう時間がない。駅前に戻り、蕎麦屋に入って昼食である。蕎麦の基本は具がないものと心得ているので、もちろんもりそばを頼む(530円)。
蕎麦はツルツルしていて、美味かった。しかし蕎麦の風味は欠けたかもしれない。
店を出ると、道路を隔てた反対側に、石造りの和菓子屋があった。明治屋、とあった。
こういう店は、外観で得をしている。いかにも歴史が古そうで、名品を売っていそうではないか。
羊羹がウリのようで、私は「本練大納言(塩味)」(1,080円)と、大福(130円)を買った。初日からお土産を買うのは味が悪いが、この程度なら荷物にならない。
黒磯から東北本線に乗る。いままでも東北本線に乗っていたのだが、黒磯までは「宇都宮線」のほうが通りがいいようだ。
ここまで来ると、さすがに乗客も少なく、余裕で座れるようになってきた。空は早くもたそがれている。
約2時間列車に揺られて、17時31分、福島着。タイム4分の待ち合わせで、仙台行きに乗った。
18時59分、定刻を1分遅れて、仙台着。ここでの持ち時間は約40分である。もちろん仙台でも蕎麦を食べたいが、駅周辺にあるだろうか。
空はすっかり暗くなっていた。仙台駅前は広く、その喧騒は東京に勝るとも劣らない。シャレた建物も多く、やはりシャレたショップが入っている。私には縁のない世界である。
しかしこの調子では蕎麦屋はないな…と思ったら、立ち食い蕎麦屋風の食堂を見つけた。
(10日につづく)
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