一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

2023年九州旅行・9

2024-02-04 19:39:57 | 旅行記・九州編
35分遅れということは、羽田空港着が22時45分から23時20分となる。モノレールの終電が何時だかは知らないが、まだ大丈夫だ。ただ、このあとももう少し飛行機は遅れるだろうから、思ったより余裕はない。
飛行機は21時50分に離陸した。飛行は極めて順調で、これなら新たな定刻に着陸すると思われた。
ところが飛行機がさらに微妙に遅れる。やがて羽田空港の灯が見えたが、我がスカイマーク026便はいつまでも着陸態勢に入らない。それどころか何度も旋回し、空港から遠ざかってしまった。
すると機長から、現在着陸の飛行機が渋滞していて、順番待ち、とのアナウンスが入った。
な、なんだよそれ!
時刻は刻々と過ぎていき、プラス20分も遅れている。これ、モノレールは大丈夫なのか?
イライラするのは、着陸したあとの公共交通機関の状況を、スッチーが案内してくれないことだ。まさか、飛行機を安全に着陸させることまでが仕事で、そこから先は知りません、ということなのだろうか。
飛行機がようやく着陸した。が、32分も遅れ、23時52分になった。
以前、スカイマークが大幅に遅れたことがあり、そのときは乗客に一律一万円が支給された。それで私(たち)はタクシーに乗れたのだが、今回そのアナウンスはなかった。
ちなみにこのときは御徒町までを所望したのに上野まで行かれ、9,600円を取られたのだった。
私は降機後、足早に出口に向かう。ところがそこは羽田空港の駐車場の前だった。いやいや、私は車なんか利用しないのだ。
モノレールの時刻表を見ると、23時44分が最終だった。しかし京急は0時10分の蒲田行きがある。時刻は23時59分である。だが空港はあっちこっちのシャッターが閉められはじめた。空港の営業終了ということである。
そういえば以前、方向別に大型バスを配車してくれたこともあった。でも、それもないようだ。
新宿行きの高速バスがあるようなのでチケットを買おうとすると、「もう満席ですよ」と誰かが言った。
これで万事休す。私のタクシー利用が決まった。
タクシー乗り場に行くと、長蛇の列ができていた。しかし私は、そこに並ぶよりない。これは東京や千葉方面だ。
私の前の女性2人組は千葉県在住のようで、タクシーで行くと25,000円くらいかかると話している。それなら都内のどこかのホテルで泊まったほうがいいかもしれないが、それは私も同じだ。ただ私は、楽天トラベルが使えないのがここでも響いている。カネに糸目をつけなければホテル利用でもいいが、数千円取られるくらいなら、帰宅して寝たほうがいい。
もう私の後ろには、長蛇の列ができていた。離れたところにJALの関係者がいたが、客がひけるのを見守っているだけだろう。
タクシーが2,3分ごとにゆるゆると来て、客を乗せていく。ひとり旅は何かと融通が利くことが多いが、天敵がタクシーである。仮に3人で乗れば料金は3分の1になるが、ひとりだと全額を負担しなければならない。
私の前の女性2人が乗る番になった。が、女性らは運転手と何やら話し込んで、全然出発しない。
……あのう、タクシーが来るまでさんざっぱら時間があったのに、あんたら何をしてたの? スマホでやるべきことはなかったの? ここで運転手と相談したって、結論は出ないだろう。
結局彼女らは、鹿児島中央駅みどりの窓口の女性と同類項だったというわけだ。
もう次のタクシーが来ていたが、私はこれに乗っていいのだろうか。すると、後方にいた老人が怒り出し、前のタクシーは少し先に移動した。
とりあえず私はタクシーに乗れた。運転手は白髪の細面のひとだった。私は上野駅までと言い、いやあ参りましたよ、と、おどけて言った。
だが運転手は返事なし。運転に集中したいのかもと思い、私もそれから言葉を挟まなかった。
タクシーが高速道路に乗る。これはやむを得ないが、その高速代を払うのは私なわけで、一言断りが欲しかった。日田彦山線BRTの運転手さんを見習ってもらいたい。
タクシーは快適に飛ばし、私は料金メーターを見たが、6,600円になっていた。もうこんな金額になっている!!
私は今回の旅で、JR、モノレール、飛行機、路線バス、新幹線、路面電車、フェリー、民間鉄道、BRT、第3セクター、地下鉄とさまざまな乗り物に乗ってきたが、最後の最後で、最悪の乗り物を利用することになってしまった。
タクシーは上野駅に近づいた。料金は9,800円を示している。ところが運転手は、これは配車だったので、一律料金が適用され、空港から台東区までは9,900円だと言った。
ああ、うん、それならそれでいい。ところが運転手がメーターのボタンを押すと、「10,440円」になった。何かが加算されたのだが、高速代だろうか。
ところが運転手は電卓を持ち出しごちゃごちゃやり、10,840円だか、10,860円だかと言った。最初は9,800円だったのに、どこまで上がるんだ?
怪訝に思いながらもカードを出すと、運転手はゴチャゴチャやったのち、「カードが使えませんで……。現金でいただけませんか」と言う。
そこで壱万円札1枚と五千円札1枚を出すと、4,200円のお釣りがきた。
……うん? この数十円は、おまけということ?
「レシートをください」
どうもこのタクシーが信用できず、私はそう言った。
運転手はレシートをくれたが、「10,440円」だった。しかも、クシャクシャにシワがあった。「……ねえ運転手さん、大丈夫? ホントはいくらなの? カードは使えねえし。私以前、この近くまでタクシーで来たことあるけど、9,600円でしたよ」
すると運転手は「分かりました、1000円面倒見ましょう」と、千円札を寄越した。
すると私は何を思ったか、さっきのお釣りの200円を運転手に返した。運転手はそれを固辞したが、私は渡す。つまり私は結局、1万円を払ったわけだった。
私は釈然としないまま降車し、そこから40分近くかけて、帰宅したのだった。
とにもかくにも私は、無駄な1万円を消費したのであった。

ところで、この運転手の言動はどういう意味があったのだろう。翌日、私はタクシー料金を調べてみた。
羽田空港から上野までは、深夜料金の2割増しと、特定料金で9,900円したのだろう。これはまあよい。
それに高速代が800円なのだが、深夜帯は2割引きになるので、640円である。なるほどこれなら、最初にメーターが示した9,800円に640円を足し、「10,440円」でよい。
ところが運転手は電卓をごちゃごちゃやった。これ、仮に運転手が高速料金も2割増しにしたとしよう。すると960円となり、特定料金の9,900円と足すと、10,860円となる。これは、最終的に請求された金額と同じである。
ところが運転手は、何かの拍子で10,440円のレシートを出力してしまった。これは使えないので、クシャクシャにした、ということではなかったか。
結果的に私は、540円を得した?わけだが、私が何も言わなかったら、320円前後を余計に取られていたかもしれないのだ。
まったく、最後の最後で、味の悪い結末となった。
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2023年九州旅行・8

2024-02-03 22:19:06 | 旅行記・九州編
香椎線は福北ゆたか線をクロスした高架にあった。ちょうど、南浦和駅の京浜東北線と武蔵野線の関係みたいである。ちょっとアレだが、何か儲けた気分になった。
16時17分の列車に乗り、タイム14分で香椎下車。香椎はいままで何回か訪れており、松本清張「点と線」の舞台になったところで有名である。JR香椎駅から西鉄香椎駅まで歩くのが私の聖地巡礼で、この同じ道を主要登場人物が歩いている。
私は数年前ここを訪れたとき、沿道にあった本屋で「点と線」を買ったのだが、その本屋はその後、廃業してしまった。
西鉄香椎駅に着くと、駅横に老木がそびえていた。これは昭和30年代当時からあったもので、歴史の生き証人である。
とにかく腹が減ったので食事処を探す。しかしどうにも、ない。東京にいて便利なことは多々あるが、食事処に困らない、というのは大きいと思う。どの駅に下りても、ひとつやふたつの食事処がある。
ところが地方都市に行くと、その限りではない。相当気合を入れて探さないと、見つからない。
もう食事処は諦めて、天神へ向かう。西鉄香椎から貝塚線に乗り、17時09分、貝塚着。ここで市営地下鉄箱崎線に乗り換える。地下鉄ももちろん、「旅名人」で乗れる。
17時22分、中洲川端着。天神へはもう1駅だからここで地上に出て歩けばよかったのだが、ここで空港線に乗り換えたのが失敗だった。なんと逆方向に乗ってしまい、祇園に着いてしまった。
私は逆の方向へ乗り直したが、今度は中洲川端で乗り換えのようだった。福岡市の地下鉄もなかなかに複雑で、乗り慣れないと往生する。
あと一息で天神である。天神方向の地下鉄に乗り、やっと着いた。
さてこの時期の目玉は福岡市役所広場で行われる「福岡クリスマスマーケット」である。この訪問が「あんでるせん」とともに、私のルーティーンになっているのだ。ことにここ何年かは、自業自得で博多どんたくを見に行けない身になっている。それだけに、この時期の博多・天神訪問は自分の存在意義を確認するためにも、必要なのだった。
ところが今年のクリスマスマーケットは、入口にある英語のオブジェが設置されていなかった。どうでもいいことだが、私はがっかりである。
しかも相変わらず小雨が降っており、さらに私のテンションも下がる。会場内に入ることもなく、私は再び地下鉄に乗り、博多駅に向かった。
博多駅前でも同様のイベントをやっていたが、やはり人出は少なかった。それと気のせいかもしればいが、駅前の電飾が、例年より数が少ない気がする。なんとなく寂しいのだ。
これは、私自身の心が満たされてないからだろうか。いずれにしても、この時期の博多・天神訪問も、今年あたりで打ち止めにしたほうがいいかもしれない。
これできょうの目的は完遂したが、この3日間、私は列車ばかり乗っていて、観光らしい観光をしていないのだった。これは前日にきょうの予定を計画したとき気付いていたのだが、修正はしなかった。所詮ひとり旅であり、誰に指図されるものではないからだ。とはいえ、ちょっと計画性がなかった。
さて、本当に食事である。博多駅2階にある「博多めん街道」に行く。だが、予想に反して人が多い。この雨だから、屋外にいる人が建物の中に集まってきたのだろうか。
1階のうどん屋に行ったが同様で、私は待ってまで入りたくないので、ここもパスとする。
たまらず、筑紫口の博多デイトスアネックスに向かう。すると建物全部が工事中で、一切営業していなかった。なるほど、ここの客がごっそり博多駅内に流れたとすれば、混雑の理由も分かる。
おかげで私は、またも難民になってしまった。以前だったら、天神から博多までは徒歩で来ていたから、その間に食事処はいくらでも探せた。しかし今回は地下鉄を使い、スムーズに来てしまった。その副作用とは皮肉である。
私は博多駅の周りを探したが、ない。居酒屋の類はあるが、そこは私の目指すものではない。それで、甚だバカバカしいが、天神まで引き返すことにした。
国体道路に出るとウエストがあったが、他県もそうだったように、ここも居酒屋風になってしまった。それでパスし、その先のすき家に入った。朝に続いて、またも牛丼である。
牛丼並をかっ食らう。やはり美味い! しかし今回の旅で、7食中5食がチェーン店である。私がもう少し食に頓着していれば、また違った旅になっているのだが。
さあ、そろそろ九州とオサラバである。来年の同じ時期、私はまた九州を、長崎を訪れることができるだろうか。
博多駅に戻り、地下鉄で福岡空港に行く。最後まで「旅名人」を使い尽くした。
飛行機はスカイマーク026便・福岡発21時15分である。余裕で間に合い、登録を行う。座席指定は、非常口横の16Aが空いていたので、ここにする。往路で確認したときは横に窓があったし、まさか非常口を使う事態にはなるまい。
お土産も買って、あとは飛行機に乗るのみ。だがこの悪天候で飛行機が遅れ、この1便前のスカイマークは、出発が50分遅れになった。
「次の便と(出発が)一緒になっちゃうじゃない」
と、これから乗る客が不満を漏らした。お気の毒様である。
が、その不幸は私たちにも訪れた。なんと私たちの便も、出発が35分遅れることになった。
思えばこれが、悪夢の始まりだった。
(つづく)
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2023年九州旅行・7

2024-02-02 00:15:47 | 旅行記・九州編
きょうの私の目的は、BRTに乗ることだった。BRTとはbus rapid transitの略で、いろいろな定義があるが、バス専用道路を走る高速鉄道をいう。
日本では、鉄路の廃止跡をBRTに転用することをいうようだ。その筆頭は白棚線である。戦時中、不要不急の路線として国鉄白棚線の鉄路が剥がされた。しかも戦後は復活することはなく、そのまま廃止。その一部がバス専用道路になったというわけだ。私も2度ほど乗ったことがある。
また2011年の東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた気仙沼線と大船渡線も、2013年までにBRTとして再生した。
そしてここ日田彦山線は2017年の九州豪雨でダメージを受け、JR九州はBRTへの転換を決定。2023年8月28日に開業となった。
と、これだけなら私もあえて乗りに行かないが、日田彦山線BRTは「旅名人きっぷ」も使えるのだ。すなわちタダみたいなもので、これは乗るべきだと思った。
「BRTひこぼしライン」は、夜明の2つ先の日田が始発である。せっかくなら始発から乗りたいが、日田まで行くと、私が乗るべきBRTに間に合わない。
鉄道専用軌道を走るのは全路線37.7㎞のうち14㎞で、それは夜明から北側にある。よって、私は夜明で下車したというわけだった。
夜明にはちょっと歩いたところに共同温泉があり、入ったことがある。落差の大きい打たせ湯があり、出入り口付近にラジカセが置かれてあったのを憶えている。
道路側に下りる。そこにはBRTの停留所が新設されており、次の便は11時33分だった。
しかし定刻を過ぎてもBRTが来ない。結局7分遅れの11時40分、到着した。待望の車体だが、これが予想に反し、小型だった。
車体はBRTひこぼしラインのイメージカラーであるブルー系。この選色は落ち着いていて素晴らしい。
運転手は、「大変遅くなりました」と丁寧に挨拶する。先客は5名。少ない気もするが、大人数は乗れないところである。
車内を見渡しちょっと残念だったのは、運転席が一段高く、前方が見えづらかったこと。BRTの白眉は、鉄路の通っていた同じ場所をバスが走ることである。そこで私たちは疑似鉄道乗車を愉しむわけだが、その前方の視界が削られては、楽しさ半減である。
BRTはこまめに停留所を止まっていく。あたりは鉄路を剥がされ、更地になっているところもある。
やがて専用道路に入った。運転手さんは、「これから、眼鏡橋を3つ通ります」「これから通るトンネルは、九州で3番目に長い鉄道用トンネルでした」と、丁寧なガイドを続けている。
BRTはそれらしい眼鏡橋を鑑賞し、長いトンネルを抜けた。
宝珠山駅、筑前岩屋駅はホームがなくなるも、風格ある駅舎は健在だった。JR北海道は鉄路を廃止することに躍起になっているけれど、廃止にしても、こうした駅舎や路盤の利用を考えれば、私の憤りも多少は軽くなるのだ。
「左に曲がります」「ここで段差があります」
と、運転手さんの言葉は続く。なんてことないのだが、トクした気分になるのは不思議だ。
やがて、全長14㎞の専用道路は終わった。そして12時42分、BRTは線路の剥がされた添田駅ホームに止まった。その反対側は現役の鉄路があり、日田彦山線が入線するのだ。これは乗り換えの手間がほぼゼロで、便利である。
すぐに日田彦山線の列車が入線し、ガラガラの乗客を乗せて、12時52分に発車した。そしてタイム14分で、終点の田川後藤寺に着いた。なかなかよいBRTの旅だった。
次に乗るべきは、平成筑豊鉄道である。同線は第3セクターなので、「鉄印帳」に記帳をいただくのだ。
昭和末期、九州の炭鉱路線は多くが廃止されたが、伊田線、糸田線、金田線は第3セクター平成筑豊鉄道として存続した。もっと残すべき路線もあったと思うが、3線残っただけでもよしとしよう。
平成筑豊鉄道糸田線・田川後藤寺13時20分発。タイム13分で金田に着いた。ここが平成筑豊鉄道の中心駅なのか、ここで鉄印がもらえるのである。
だが土・日は駅員が常駐しておらず、鉄印状は駅内の自動販売機で購入する。ほかの第3セクターでは、路線を利用した証として乗車券を見せるところもあるが、販売機方式では、クルマで来た人も買えてしまう。でも社としては売り上げが上がるからいいのだろう。
私は販売機で1枚買う。300円。これで一昨年の松浦鉄道、昨年の甘木鉄道に次いで3ヶ所目である。第3セクターは全国にあるのでコンプリートはできないが、1ヶ所でも多くお邪魔できればと思う。
表はまだ小雨が降っている。昼食も摂りたいが、乗り換え時間が微妙なのと、この天気なので表に出ていきたくない。
平成筑豊鉄道田川線に乗り換え、タイム22分で直方に着いた。あとは天神まで一直線である。ただし、途中で変化の余地はある。
直方では約1時間の待ち合わせがあり、ここなら食事ができると思った。駅に隣接してアーケード街があり、そこに行くと、縁日をやっていた。店の両側にマルシェが出ていた。
パン屋が多かったが、いまはパンより腹にたまるものを食べたい。それでも、ベーグルを1コ買った。
ただ、食事処はなく、駅に隣接している食堂も準備中だった。もう諦めて、15時16分の福北ゆたか線快速に乗った。
このまま行けば博多に着くのだが、ちょっと早い。それで、香椎に行こうと思う。
長者原で下車し、香椎線に乗り換える。……うん?
この乗り換えがちょっと、面白かった。
(つづく)
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2023年九州旅行・6

2024-02-01 14:02:34 | 旅行記・九州編
表へ出ると、小雨が降っていた。きょうのメインは室内だったから天候は関係ないが、面白くはない。
さて、きょうの宿である。行程的には今夜のうちに九州中央部へ移動しておきたい。だがその一方で、久々に佐世保で泊まりたい気持ちがある。本場のちゃんぽんも食したいので、私は18時00分発の上りで佐世保に向かった。
楽天トラベルは相変わらず使えないので宿泊地に制限があり、東横インかネットカフェか、というところ。佐世保にはCybacがあったが、現在は閉店のようだった。代わりに幅を利かせているのがやはり快活CLUBで、四ヶ町にあった。
18時37分、佐世保着。かつて佐世保駅前には地下通路があり、その両側には中華料理店が軒を連ねていた。
その後地下通路は埋められ、中華料理屋は駅前に建設された「えきマチ一丁目」に入店した、らしい。私は、佐世保駅に隣接している「大善」に入るつもりだった。
だが大善はあるものの、営業しているふうでなかった。向かいの中華料理店も同様だ。夜の営業をしていないわけがないと思うが、どうなのだろう。
駅前には東横インがあったが、事前の調べでは満室だった。とりあえずキャップをかぶり、四ヶ町アーケードに向かう。同所は女子高生が多く通り、みな美人だったのを憶えている。今回も期待したが、もう夜なのと、雨で、女子高生はいなかった。
アーケード街の入口に吉野家があったが、ここは明朝入ればいい。
かつて入口のすぐ右手に中華料理屋があったが、ここは予想通り、閉店していた。
しばらく歩くと、餃子の王将があった。個人的には王将は好きではないが、空腹には勝てぬので、入った。
ちゃんぽん(580円)と餃子(270円)を注文する。チェーン店と侮るなかれで、ここのちゃんぽんが美味かった。毎日食べても飽きない感じで、チェーン店はよく努力していると思う。
前日と打って変わって、3食をキッチリ摂り、満足である。
快活CLUBが見つかったので、入る。ここは初めての利用だが、事前にアプリを入手しておいた。これなら登録料は無料だ。今回は当然ながら受付にスタッフもいて、ちゃんとした登録に戸惑ったものの、スムーズに入店することができた。
今回は時間があるので、12時間セットをオーダーする。フラットスペースも確保でき、まずは一安心である。
前夜の疲れもたまっているのでブログを書く気力が起こらない。ただ、ブログ用に、1手詰の詰将棋10問を仕込んであった。
PCは使い放題なので、いかがわしいビデオを見てみる。いろいろ見たが、水戸かなは中倉宏美女流二段に似ていると思う。宏美女流二段は1月26日生まれだが、当ブログ「似ているシリーズ」に、セクシー女優を挙げるわけにはいかない。誰か似ている人を探さねばならない。
なお、今回の推しは愛弓りょうで、旦那のしがらみのためにモデルをやらなければならない、というシチュエーションが萌えた。
夜10時になったのでPCをテレビ設定に替え、TBS「フェルマーの料理」を見た。
1階に下り、ビッグコミックを見てみる。「ゴルゴ13」はもちろん連載中。ゴルゴは相変わらず昔の絵の切り貼りだが、今回は少年が登場した。この少年がコミカルな絵柄で、到底さいとうプロの作品とは思われない。スタッフは過去のゴルゴ13を精査し、コマ割りとキャラ設定を厳しくやってほしい。
シャワーを浴びたいが、タオルは携行していなかったので、170円で買う。シャワー代は無料で、ありがたかった。
サッパリしたので就寝したいが、妙に目が冴えてしまい。眠れない。しかも横になると足が閊(つか)える。店舗によってブースのサイズは違うが、ここでは閊えてしまった。

16日(土)早朝である。カフェをチャックアウトし、駅に向かう。きょうも雨だが、いつ止んでくれるのか。
アーケード街の端に出たが、どうも様子が違う。なんと、駅の反対側に出ていたのだ。
慌てて引き返し、まだ少し余裕があったので、吉野家に入る。旅の朝食は牛丼である。
店内にはティーンがたむろしていた。彼らはこの早朝から集まっていたのだろうか。
牛丼並を美味しくいただき、佐世保駅に入る。東横インに泊まっていたら駅への所要時間はほぼなく、熟睡もできた。しかしネットカフェにはネットカフェのよさがあった。
07 時34分の佐世保線に乗る。松浦鉄道にも乗りたいが、きょうは別に行きたいところがある。
タイム49分で、江北着。江北は以前の肥前山口駅で、西九州新幹線の開通とともに改称された。駅名の改称も難しいところで、弟子屈、平、沓掛、小郡などは味のある駅名だったが、それぞれ摩周、いわき、中軽井沢、新山口と、味のない駅名に改称された。駅名は歴史を表す。できれば名称としていつまでも残してもらいたいところである。
6分の待ち合わせで長崎本線に乗り換える。タイム46分で、鳥栖着。次の鹿児島本線が36分の待ち合わせだったので、外に出る。
駅前の公衆トイレに入るが、令和には珍しい和式だった。
スッキリしたら穏やかな気持ちになり、駅に隣接してシャレたパン屋があったので、入った。
あまり知られていないが、私は旅先で菓子パンを買うのも好きである。今回はチーズトーストとアップルパイを買った。
鹿児島本線に乗り、久留米でまた乗り換え。次に乗るは久大本線である。久大本線最大の観光地は由布院で、以前入ったシャレた喫茶店も含めて再訪したいが、とてもそこまで行く時間はない。
久留米発10時15分。雨はかなり小やみになってきた。57分で夜明着。私はここで下車した。ここが日田彦山線の乗り換え駅で、目的地のスタートラインである。
(つづく)
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2023年九州旅行・5

2024-01-31 00:10:12 | 旅行記・九州編
(25日のつづき)
私がいただいた整理番号は「24」。これがどこで引かれるかがカギである。
ときに13時35分。これから4時間近く、マスターのめくるめくマジックショーが展開されるのである。
マスターは挨拶もそこそこに、客から指輪を所望する。すると、客席から4つが出された。それをマスターは小さな木箱に入れる。振ると、最初はカタカタ鳴っていたが、下からライターの火であぶると、やがて音がしなくなって……。
いつもながらに手際のよいマジックである。そしていつもながら、マスターは若い。私が初めてマスターにお会いしたのはいまから24年前だが、現在は老眼鏡を掛けたくらいで、全然風貌が変わっていない。
対して私はブクブク太り、しかもここ数年は禿げ散らかして、往年の面影はない。マスターに言わせれば、「毎年訓話を述べているのに、あなたはなんて怠惰な生活をしているんですか」というところだろう。
マスターがお札と小銭を所望する。私は積極的に出せば出せるのだが、マスターに望まれていない気がするので、傍観するのみである。
マスターは千円札を取ると小さく折り畳み、それを中空に浮かせた。途端にどよめきというか、歓声が上がる。きょうの男女比は4:21で、圧倒的に女性が多く、驚きの声にもハリがある。私にはこれこそが夢空間である。
マスターがESPカードを取り出した。まずはカウンターの4人対マスターの勝負で、カウンターの女性が出したマークを、マスターが当てるのである。そしてそれはもちろん当たった。
その別バージョンをやったとき、3番の女性が、4枚目のカードと5枚目のカードを、土壇場になって入れ替えた。
その2枚を開けると、マスターの予言したカードとは逆だった。
これは3番の女性がやり過ぎたというべきだろう。ここでのマジックは、マスターと私たちでいっしょに作り上げていくものである。私が1999年に続いて2000年にお邪魔したとき、マスターに好きなマークと数字を言ってくださいと言われ、私は「スペードの7」と答えた。そのときマスターに理由を聞かれた私は、「昨年もそう答えたから」と言った。これなど場を白けさせる最たる言葉で、配慮がなかったと反省している。
今回の女性もカードを取り換えるべきではなかった。
壁には新たなチェキがどんどん貼られている。今年は藤岡弘、が娘さん3人を伴って来たそうだ。藤岡弘、はあんでるせんの常連で、私たち常連にはお馴染みである。
あんでるせんのことだから芸能人もVIP扱いせずほかのお客といっしょに観戦するのだろうが、私は一度も芸能人とご一緒したことがない。観月ありさとは、1日違いだったことはある。
ちなみに、将棋界からも1人ここに来ているのを私は知っている。だって……。
マジックはどんどん進み、カードマジックとなる。お客さんから「ストップ」を4回聞き、そのたびにカウンターにカードを出す。そしてポータブルプレイヤーからウルトラセブンのイントロが流れ、カードを開くと、歌に合わせて7が4種類出る、アレである。
だが今年は、最初の3枚は7が出たが、4枚目を開くとき、マスターが「あれ?」とつぶやいた。
果たして開いたカードは「6」。このマジックでの失敗を初めて見た。いや、昨年は「A」「K」「B」「4」「8」で、4と8が逆だったか。
まあ、このくらいの失敗はなんでもない。
マスターがルービックキューブを2個取り出した。そのふたつを客に渡し、色を合わせてもらう。
しかし短時間では色が揃うはずもなく、うちひとつをマスターが引き取った。残り1つは客が持っている。
マスターは「19手か」とつぶやき、「皆さんちょっとだけ静かにしてください」と続ける。
マスターが頭上でルービックキューブを慎重に捜査する。
しばらくして、マスターがコトリ、とルービックキューブをカウンターに置いた。
「あなた、そのキューブをこちらに寄越してください」
さっきの客からキューブが手渡される。その2つは6面とも、そっくり同じ配色だった――。
お次は「恋人当て」である。最後方のお母さんが当たった。お母さんは、マスターの「好きな人の名前をキッチリ聞きたいですか? それとも何となくがいいですか?」の問いに、「キッチリでお願いします」ときっぱりと言った。
マスターがお母さんにメモを渡し、ご主人の名前を書かせる。するとマスターがすぐに、ご主人の名前を言う。
彼女が紙片を拡げると、まさにその名前が書かれていた。
「でも愛情が半分になってますよ。字が小さいです」
「そうかも……」
お次は、マスターが円周率の本を出す。そして、電卓を客に渡し、数人に任意の数字を打たせた。最後は4ケタになり、その数字を客が読み上げると、マスターは「○ページの上から○行目、左から○番目」と言う。もちろんその数字は、電卓が示す数字と同じだった。
マスターは円周率の数字をすべて記憶しているのだ。これなど、マジックを通り越してすごい。
……などなど、これらを文字に書くことがバカバカしくなってきた。マジックなぞ百聞は一見に如かずで、実際に見なければ意味がない。
「ここまでいろいろマジックをやってきましたけど、いままで一度も笑ってない方が2人いますよ」
と、マスターが真顔で言う。
マスターは客に対して厳しいところがあり、始終ぼーっとしていた客にキレたこともある。自身も真剣にやっているのだから、あなた方も真剣に聞いてください、ということなのだろう。
今度はコインマジックである。100円玉を3つに割る。100円玉をペロンとなでて、曲げてしまう。100円玉にボールペンを刺して貫通させてしまう。などなど、マジックと呼ぶにはあまりにもレベル違いのマジックが披露される。
マスターがコーヒーの缶を取り出し、カウンターの女性に渡す。そして100円玉を渡し、缶の底から通過させようとする。
素人にこんなことができるわけがないが、ちょっと彼女にはできそうな雰囲気があった。
彼女は左の掌に100円玉を置き、その上にコーヒー缶を乗せた。そして軽く振ると、100円玉は缶の中に「入った」のだった。
楽しかったマジックも、最終盤である。マスターが全員にルービックキューブを渡す。3番の客は見守り役で、今回はプレイしない。4枚のカードから、何とかいう犬が選ばれた。
カウンターには大きい木枠が立てられた。縦6×横4で、その空間にはキューブが入りそうだ。私たちは適当にキューブを回し、戻す。
それをマスターらが適当に木枠に嵌めていく。全部埋まったところでそのキューブをこちら側に向けると、それは犬の絵になっていた。最後に全員で大仕事をしたわけだ。
そろそろお開きである。マスターは最後に、
「かくも己は不幸だと首を垂れて歩いていると、前を歩いている人の埃をかぶってばかりになります」
と言った。
「過去なんて生ゴミだ」
はマスターの名言だが、こうした講話を毎年聞きながら、私はちっとも進歩しない。だからいい歳をして結婚すらできなかった。
17時15分、お開きとなった。そして今回、私は一度もカードが引かれなかった。これは25回目にして、初めてである。これはマスターが意図的に私を外したのか。それとも、たまたまか。
このあとは恒例のスプーン購入である。私が1本買うと、マスターが私の頭頂部に、気を入れてくれた。
いつもはこれで終わりなのだが、今回はマスターが両手を拡げ「がんばって」と言った。
「?」
よく聞き取れず怪訝な顔をしていると、再びマスターが「がんばって」と言い。私を包むような仕草をした。
私がよほどシケた顔をしていたのだろう。もうちょっと頑張らないとな、と思った。
(つづく)
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