一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

湯川邸落語ネタおろし・3

2019-02-28 00:15:28 | 落語
お竹が梅喜の首を絞める。仏家シャベルは自身の首に手をやり、熱演である。この噺はこんな激しいものだったのか!? 私は木村家べんご志の「片棒」を思い出した。
ようやく騒動も収まり、シャベルが下げる。芝浜の類のオチだったが、ちょっと虚しさも残るそれだった。
シャベルが高座から降りると、袖から、シャベルにプレゼントが渡された。シャベルは明日、2月25日が誕生日だったのだ。それはおめでとうございます。
これで第一部のネタおろしは終わり。参遊亭遊鈴はともかく、小丸、シャベルはこのネタが初演とは思えぬ完成度で、充実の三席だった。

このあとは懇親会である。参加者の中にはこれが楽しみの人もいたかもしれない。
テーブルを大振りのものに替えて、そこに料理を載せる。今日は弁当形式だ。参加者は全12人だが、全員の顔が見えたほうがいいだろうということで、2つの大テーブルに強引に詰め込んだ。
ではここで、席の配置を記しておく。座敷奥から時計回りに、Kob氏、湯川氏、遊鈴さん、Tanさん(博士氏らの同級生)、小川さん(イラストレーター)、蝶谷夫人、恵子さん、岡松さん、Hiw氏、蝶谷氏、永田氏、私。
テーブルには何種類ものアルコールが用意されているが、ほぼビールで乾杯となった。
私はほとんどアルコールは飲まないが、最初の1杯は美味いと思う。
「やっぱり落語は実際にやってみるもんだ」
と湯川氏がつぶやく。「ネタおろしがどのくらいの効果があるか分からなかったけど、客の反応が手に取るように分かった。ここでウケたのかとか、ここは静かなのかとか、修正箇所がいくらでも出てきた」
湯川氏はアマチュア落語家として、あっちこっちで落語をやっている。今後に向けて、少なからぬ収穫があったようだ。
私は弁当をつまむ。今日はふきのとうをはじめ、旬の野菜が並ぶ。裏の畑で取れたものもあるようだ。銀杏の煮物もあるが、これは長照寺で取れたものであろう。
私の左にはKob氏、右には永田氏がいる。Kob氏は骨董店を経営しているとのことだったので、その裏話は相当面白いはずだが、私は人見知りが激しいので、黙々と箸を動かすのみである。
ひとしきり、「心眼」の話になる。これは遊鈴さんも知らないネタだったらしい。湯川氏の知識は広く、さすがに「うんちく事典」を上梓するだけのことはある。
「今日は目の不自由な人を演ってるのに、目を開けてしまったことが何回かあった」
と湯川氏は悔やむ。それが尋常でない悔しがり方なので、意外だった。でも目が不自由だって、目を開けている人はいると思う。ただ、「目をつぶっている=目が不自由」の図は観客が分かりやすいわけで、ために湯川氏は、キチンとしたかったのだろう。
「これは『めくら』の噺だから、落語ではやりにくいんだよ。だからオレは『おめくら』と言ってね、『お』を付けて柔らかくした。扇子を杖にしてやる時もね、あまりリアリティを持っちゃうとマズイ。だから軽くトントンと叩く感じにしてね、そこはサラッとやった」
周りはウンウンと頷く。「梅喜の目が開くところもね、本にはとくに書いてないんだが、オレは手をパン、と叩いて、観客にもその瞬間が分かるようにした」
なるほど、脚本を忠実に憶えるのではなく、自分なりにアレンジを加えて自分なりの噺を創っていくのも、落語の醍醐味のようだ。
恵子さんは台所に向かった。先月の新年会もそうだったが、恵子さんは私たちが騒いでいる時も、ほとんどそこにつきっきりだ。ご本人が料理好きということもあるが、客人に出来立てを食べさせたい、という気遣いからであろう。
テーブル中央には鮭のハラスの山盛りがあった。この類の食べ物は塩気が強い、とのイメージがあるのだが、戴くとちょうどいい塩梅で、美味い。これを恵子さんが作ったのだとしたら、素晴らしい腕だ。
お弁当にもあった、牡蠣の煮物のお代わりも出される。これは遊鈴さんのお手製らしい。これもいい味付けで、美味かった。
一段落すると、Kob氏が中座した。自宅が近くなので、いったん帰ったのかもしれない。湯川氏もどこかへ行ってしまった。
永田氏が私にプリントを見せる。そこには70年代から80年代のヒット曲が羅列してあった。この曲のどれを歌いたいですか、と言う。永田氏が電子ピアノ?で演奏してくれるらしい。
だが私は歌わない主義なので、丁重にお断りした。
だがしばらく経って、Hiw氏「酒と泪と男と女」を歌いだした。なるほど歌好きの人は、こうした場でも歌えるのだと、妙に感心した。
カツオのタタキが出る。カツオは2~3切れ食べると飽きがくるのだが、湯川邸の煮汁に浸してあって食べやすい。玉ねぎとの相性もよく、いくらでも食べられる。
揚げたての天ぷらも出された。エビとふきのとうだ。一口齧ると、サクッといい音がした。この音はなかなか出ないものだ。
宴もたけなわになった頃、恵子さんが
「じゃあこれからかくし芸をやります。時計回りで、私からやるのはどうでしょう」
と、妙な提案をした。
(3月2日につづく)
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湯川邸落語ネタおろし・2

2019-02-27 00:23:44 | 落語
髪結いのお崎は働き者だが、亭主は働きもせず昼間から酒ばかり飲んでいる。お崎はたまらず、仲人に相談を持ち掛けた。
仲人はお崎の迫力に押され、なら別れちまえ、と吐き捨てるのだが、そう言われたら却って離縁もしにくくなるというもの。
すると仲人は、唐土の孔子の故事を話しだした。ある時、孔子の弟子の不手際で厩が火事になり、愛馬が焼け死んだ。
ところが孔子は弟子を責めるどころか、弟子の体を心配した。弟子は感激し、今以上に孔子への信奉を高めたのだった。
また別の話もする。ある武士の家では、亭主が妻より瀬戸物を大事にした。このため妻がへそを曲げ、家庭が崩壊してしまった。
この二題で言わんとしていることは何か。世の中で本当に大切なものは何かということだ。
仲人はお崎に、瀬戸物の件は実行可能だから、実際にやってみて、亭主の反応で対処の方針を決めたらどうか、とアドバイスした。
帰宅したお崎は、早速瀬戸物を割るのだが……。

参遊亭遊鈴演じるお崎は弁舌滑らかで、まるでお崎が乗り移ったかのよう。仲人が逆ギレして、「別れちめえ、別れろ、別れろ、別れるんだ、別れた方がいい、別れろ!……」と畳みかけるさまも威勢よく演じて、可笑しい。
白眉は厩が火事になった時の白馬のいななきで、「ブヒヒーン!」と叫ぶ遊鈴のソプラノが美しい。果たして、我に返った遊鈴が「馬のいななき、ウマいでしょう!?」と自画自賛した。これには私たちもゲラゲラ笑うばかり。いやはやこれも、フランクな場での愛嬌ある脱線というべきか。
下げも見事に決まって、綺麗な幕となった。さすがセミプロの至芸だった。

トリは仏家シャベルである。遊鈴と入れ替わり、高座に上がる。
「厩火事、良かったですナ。ワタシもサラリーマン生活を辞めて、無職になったことがあります」
ホウ、と私たち。「その時は恵子がいて、子供も2人、それに母もいました。ワタシは母のところに相談に行ったんですが、髪結いの亭主になるからやめておくれ、と言われました。
つらかったのはですねえ……」
そこでシャベルが沈黙する。私たちは「……」にシャベルの苦衷を察し、また苦笑するのである。しかしその後のシャベルの活躍は関係者が知っての通り。まさに掛軸の「轉褐為福」だ。
「今回は新たに落語を憶えたんですが、15年くらい前は、2ヶ月に一度、新ネタを憶えられたものです。でも今はダメですね。年に一つがやっと。
ワタシは糖尿をやった関係で、左目はほとんど見えない。まあ片目だけ見えてりゃいいやって放っといたんですがね。
食後に散歩をしてるんですが、今日はずいぶん霧が濃いねえ、と言ったら、恵子は全然霧なんか出てないって言う」
シャベルは重度の白内障を患っていたのだ。「だけど医者に診てもらったら、血糖値が高くて手術ができないっていうんですね。437もある。それで、1ヶ月で99に減らした。この間、薬なんか飲んでませんよ。そしたら医者が驚いてねえ……」
ウソかホントか分からぬが、ともあれシャベルの驚異的節制で、無事手術に臨めることになった。
手術は両国の名医によって行われ、その時の模様、医師の会話がまた生々しいのだが、シャベルはユーモアを交え、軽快に語る。先崎学九段もそうだが、物書きはおのが危機を冷徹に視る観察眼があるのだ。
幸い目の手術は成功し、シャベルの両目とも快復、裸眼でも無理なく生活できるようになった。
「これから演ります『心眼』は、三遊亭圓朝が創った噺。それを(八代目)桂文楽が16年かかって拵えたものです」
心眼……。およそ落語らしからぬ題だが、有名なのだろうか。
「ワタシが今の仕事をするようになって、岡山に行ったことがあった。その三次会で、そこの支部長と同席する機会がありました。支部長、当時50代だったが、目が不自由だった。で奥さんが20代でね、これが物凄い美人だった。
その頃、別の目の不自由な方々とも会ったんですが、皆さん、奥さんが美人でした」
この壮大なマクラは、いかにも心眼にふさわしそうではないか。
シャベルはそれなりに多忙なので、心眼の練習はほとんどできなかったらしい。先日の散歩の際、ようやく通しでしゃべったのだが、それが最初で最後だったという。だが私は、シャベル一世一代の噺を聞けそうな気がした。

時は明治時代。目の不自由な梅喜(ばいき)は、按摩をしていた。自宅のある浅草・馬道から横浜まで営業に行ったが不首尾に終わり、おカネもないので歩いて帰ってきた。
女房のお竹に心配されると、梅喜は泣き崩れた。実は弟の金さんに無心に行ったところ、すげなく追い返されたのだった。
そこで梅喜は茅場町の薬師様に願掛けに行くことにした。茶断ち塩断ちし、3×7=21日目の満願の日、梅喜は薬師様で会った上総屋の旦那に言われ、おのが目が開いたことに気付いた。
梅喜が初めて見る明治の光景はどれもこれも素晴らしかった。しかし上総屋は、「女房のお竹は『人三化け七』、いや『人無し化け十』の醜女だ」とイヤなことを言う。対して梅喜のマスクは、歌舞伎役者ばりのいい男だった。
こうなると周りもほおっておかず、梅喜は東京一の人気美人芸者・小春に見初められる。
二人は待合(ラブホテル)にしけこみ、梅喜は小春を女房にすると誓ってしまう。
ところがそこに、お竹が現れる。逆上したお竹は梅喜の首を絞め……。

冒頭、シャベルが軽く目を閉じ、梅喜の嘆き節を語る。その様は異様な迫力があり、私は聞き入ってしまった。自身が白内障を患い、私もかなりの近眼なので、目のことはほかの誰より、心に響くのだ。いや周りの客だって、私と大同小異ではなかったか。
シャベルが扇子をトントンとやる。これが杖を表している。
そうか……と思った。古典落語とは、江戸時代や近代の生活に根付いた風習、言い伝えを面白おかしく演じるものである。だから小道具の扇子も煙管や箸など無難なものが多いのだが、これが盲人用杖を表すと、ちょっと生々しくなってしまうのだ。
むろん身体障がい者が登場しても自然なことではあるが、21世紀の現代は、それを拒絶する。「心眼」がマイナーな位置づけなのも、納得できる気がした。
(つづく)
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湯川邸落語ネタおろし・1

2019-02-26 00:08:48 | 落語
先週、私のスマホに珍しく電話が入っていた。折り返し掛けると、将棋ペンクラブの湯川恵子さんからだった。私は電話番号をお教えしていないが、そこはA氏に聞いたらしい。
内容は、24日(日)に和光市の湯川邸で落語のネタおろし会があり、落語好きの私にも聞いてもらいたい、というものだった。
私はそこまで落語好きではないが、湯川一門のそれは味があって好きである。私は喜んで参加させていただくことにした。

24日。当日は買物もあったので、早めに自宅を出た。あっ……午後9時からのドラマのビデオ予約をするのを忘れた。まあ、9時までには自宅に戻るだろう。
山手線から東武東上線に乗り換え、和光市駅に着く。現在正午。集合は1時で、そこからネタおろし会、続いて懇親会という流れである。
北口を出たところに蕎麦屋があり、迷ったのだが、軽く入れていくことにした。
店は半立ち食い蕎麦屋だった。私は大もり(500円)を頼む。出されたそれは信州長野のそば粉を使っていて、なかなかに美味だった。
店内が狭いのが難点だが、蕎麦好きは一度味わってみるといいだろう。
湯川邸までは歩いていく。前回の新年会は武者野勝巳七段、詩吟のIri氏と一緒に向かったが、道を間違えて、大変なロスタイムとなった。今回は冷静に道を判断する。
湯川邸前には無事に着いたので、時間調整をしてお邪魔した。
邸内には見知った顔が揃っており、先月の新年会と同じ雰囲気だ。玄関脇の和室には、美味しそうな食事が配膳されていた。もちろん懇親会用で、今日も朝早くから恵子さんが腕によりをかけたのだろう。
さらに10分ほど経って蝶谷夫妻が到着し、すべての客が揃った。
今回の演者は、湯川博士(仏家シャベル)、恵子(仏家小丸)夫妻に、参遊亭遊鈴の三氏。要するにCIハイツ落語会と同じメンバーだ。いずれも夫婦の情に絡めた噺で、早くも来年のCIハイツ用のネタである。
高座は座敷奥の部屋に設えられていた。後方には「轉褐為福 きく江書」の掛軸が掛かっている。災い転じて福と為す、と読めばいいのだろうか。
左手鴨居には「ふれあい寄席」の提灯。これだけでもう小屋の趣がある。
早速ネタおろし会の開始である。湯川氏「今日はお運びいただきまして、ありがとうございます。今日はネタおろしで、夫婦の噺をします。前座の小丸は『ぞろぞろ』。今まで持ちネタは『桃太郎』『平林』だけでしたが、増やしました。遊鈴は『厩火事』。そしてワタシは、『心眼』。たっぷりお楽しみください」
音楽担当の永田氏が流す出囃子のもと、まずは小丸が高座に上がった。
「はぁー、落語やるのは、ラクです」
早くも笑いを取る。これは「落語は簡単だ」という意味ではもちろんない。かつて大山康晴十五世名人が「(ふだんの雑事に比べれば)将棋を指しているほうがラクですよ」と言ったが、小丸さんもこれと似た心境と思う。「本日は埼玉のダウンタウンまでお越しいただき、ありがとうございました」
客は横2列で座っていたが、小丸さんが、新顔のKob氏をみなに紹介した。唯一地元の方で、骨董屋を開いているという。
その後になぜか私が紹介された。「将棋好き、落語好きの方で……」。
完全に私は落語好きで認識されたようである。
「先月のCIハイツ、遊鈴さんの子別れ、感動しました」
あれは本当にいい出来だった。「湯川さんが糖尿をやってから、食後は近くの午王山(ごぼうやま)へ、30分かけてお散歩に行くのが日課になっています」
ここまでが巧妙なマクラで、やがて本題に入った。

浅草・太郎稲荷神社の門前で茶店を営む老夫婦。生活は苦しく、おじいさんは不満を漏らす。そこでおばあさんが、お稲荷様にお参りに行ってはどうですか、と提案した。
早速おじいさんは実行したが、帰宅して間もなく、雨が降り出した。愚痴るおじいさんにおばあさんは、雨に濡れなくてよかったじゃないですか、と諭した。
そこへ珍しくお客が現れ、茶を1杯飲んだ後(金六文)、このぬかるみで草鞋をダメにしたとかで、唯一売れ残っていた一束の草鞋を買っていった(金八文)。
久しぶりの売り上げに喜ぶ夫婦。そこに新たな客が現れ、やはり草履を所望する。しかし草履はもう売り切れ……と思いきや、なぜか天井から草履がぶら下がっていた。
その後も客が現れ、草履を所望する。なぜか草履も現れる。何と、なくなるたびに新たな草履が、ぞろぞろと下りてきていたのだ。
その噂を聞いた茶店の向かいの床屋の主人。彼もお稲荷様にお参りをし、御利益にあずかろうとするのだが……。
床屋の主人が出て来た時点で、私たちは「花咲かじいさん」と同じ構造だな、と推測する。ならば下げはどうなるのだろう、と期待するのだ。
「ぞろぞろ」は夫婦の会話が主になっているからか、小丸さんの噺は自然で、私たちは引き込まれる。しかも演者と客席の間が狭いので、私たちは素の話を聞いている錯覚に陥るのだ。
「その話を聞きつけて、夫婦の家から大阪まで行列が並びましてね」
私たちが笑うと、「大阪、はオーバーですよね。でも脚本にそう書いてあるので……」
アドリブが出るくらいだから、小丸さんも余裕が出てきたのだろう。
下げも綺麗に決まって、これは小丸さん、会心の初陣となった。

続いては遊鈴が高座に上がる。今日は鴇色の、春らしいきものである。開口一番、小丸さんを見て、「……面白かった…!」。
小丸さんは猛練習派である。この一言で、小丸さんのここまでの苦労が報われたと思う。
「今回はこの席にお呼びいただき、ありがとうございます。これも『縁』ですね。袖すり合うも他生の縁、つまずく石も縁の端、と申します。
よく、結婚する人同士は、こう赤い糸で繋がっていると申しますね。糸が見えればそれを手繰り寄せて分かりやすいんですが、実際は見えない。途中でこんがらがったりしましてね」
そこから噺に入っていく。小丸さんに続き、この導入も絶妙だった。
(つづく)
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あるお笑い芸人の笑い話

2019-02-25 00:08:04 | プライベート
何ヶ月か前に観たバラエティ番組での一コマである。
そこではあるお笑い芸人が、小学生時代の思い出話を語っていた。
彼のクラスは遠足に行くことになった。友達は水筒にお茶やジュースを入れていたが、家庭が裕福でない彼は、水筒に水道の水を入れざるを得なかった。
だが子供は残酷である。友達たちは彼の水筒の中身を察知して、調べた。
「おい、お前の水筒、タダの水じゃないか! ビンボービンボー!」
だが彼も反撃する。
「ちがわい! これは『美味しい水』なんだぞ!」
「うそだうそだ!」
「うそじゃないよ! 先生、飲んで確かめてよ!」
彼は引くに引けず、イチかバチかの賭けに出た。
男の先生は彼の水筒の水を一口飲む。注目する子供たち。
「お、美味いなあー!」

芸人は、「先生は、美味いなあー、と言ったんです」と言い、ここで客席から笑いが起こった。つまり、さすがの先生も、味覚はいい加減だった、という笑い話である。
だがこれをもう一歩突っ込んで考えると、違った推論が成り立つ。
すなわち、先生は彼(芸人)の家庭環境を熟知していて、水の味もカルキ臭いことに気付いていた。
だがここで先生が「不味いぞこれ!」と言おうものなら、さらに彼が友達からバカにされてしまう。そこで、あえて「美味い」と言い、「美味しい水」に仕立てたとは考えられないか。むしろ私は、こちらのほうが真相だった気がするのだ。
いずれにしても、これが児童に寄り添う教師の本当の在り方だと思う。

先月の千葉県野田市のリンチ殺人事件、あれは小学校も教育委員会も児童相談所も、誰ひとり、被害の女子児童に寄り添わなかった。どいつもこいつも裏切りと保身と無関心に走り、女児を見殺しにした。
改めて書く。芸人の教師のような人が一人でもいれば、女児の命を救うことができた。関係者は多少の反省はしているのだろうが、もう遅い。失った命は永遠に帰らない。
コメント (2)
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里見女流名人、10連覇

2019-02-24 00:19:31 | 女流棋士
18日に行われた第45期女流名人戦・里見香奈女流名人対伊藤沙恵女流二段の第4局は、里見女流名人が勝ち、女流名人位を防衛した。
この8日前に行われた第3局では、里見女流名人が角交換後に向かい飛車に振ったが、伊藤女流二段は巧みに攻めを繋げ、快勝した。
伊藤女流二段はこの勢いで第4局も……と期待を抱かせたが、ダメだった。
その第4局を軽く振り返ってみると、先番里見女流名人が中飛車に振った。これはまあ予想できたところである。
これに伊藤女流二段の対策が注目されたが、穴熊に潜った。
異論はあろうが、私は伊藤女流二段の棋風は穴熊に合わないと思う。厚みでぐいぐい押していく将棋が合っていると思う。それなのにこの囲いを選ぶところに、対里見戦の気負いを感じてしまうのだ。
里見女流名人は左銀を進出させる。言っちゃあなんだが単純な攻めだ。が、もう後手がイヤな感じになっている。囲いが偏っているのがマズイのだろうか。
その後里見女流名人が攻め、伊藤女流二段が受け、伊藤女流二段が角銀交換の駒得になった。が、先手の歩が5四に残り、6三には成銀が出来ている。均衡は取れているものの、居飛車側にイヤミが多い気がした。
ここで伊藤女流二段は△8八角(図)。駒を取りに行ったものだが、これがどうだったか。

里見女流名人は▲7七歩。これが角道を止める冷静な手だった。
大野八一雄七段が飛車落ちを指す時、稀に△6二玉形で角交換に応じる時がある。
8二にスキができているから下手は当然▲8二角と打つのだが、これが上手の仕掛けた罠。▲9一角成と香得しても、存外この馬が働かないのだ。
つまりこの筋の馬は自陣に引けてこそ活躍するわけで、敵陣で暴れようにもカニ歩きでしか動けず、かなり難儀なのだ。
似た例は男性棋戦にもあり、昨年の竜王戦第6局、▲広瀬章人八段対△羽生善治竜王戦がそうだった。中盤、羽生竜王が△1九角成と香を取ったが、広瀬八段は冷静に▲2八歩。これが好手で、馬の働き場を失った後手は、2九-3九と馬を活用したが、そこまでだった。
本局の伊藤女流二段も、△9九角成と香得し、その香を5五に据えてさらに駒得したのだが、肝心の馬が遊んでしまい、思ったほどでかさなかった。
しかも、伊藤女流二段の飛車までもが9二で蟄居し、気分は完全に二枚落ちである。彼我の大駒の働きにこれだけ差がついては、もう後手が勝てない。
以下は順当に里見女流名人が勝ち、女流名人10連覇を達成するとともに、対伊藤女流二段のタイトル戦連勝を「5」に伸ばしたわけだった。なお10連覇は、林葉直子さんが樹立した「女流王将10連覇」に並ぶ記録とのこと。里見先生、おめでとうございます。
しかしこうしてみると、またしても伊藤女流二段が歯痒い。彼女の将棋は破壊力抜群で、予選の記譜を見ると、他の女流棋士を寄せ付けない圧倒的強さである。
それが対里見女流名人戦になると、ヘビに睨まれたカエルのごとく、不思議と指し手が縮こまってしまう。先日の里見女流四冠対礒谷真帆女流初段戦のような、一手違いの将棋にもならないのだ。
私は繰り返して言うが、伊藤女流二段は実力がある。もちろん里見女流名人にも勝てる器だと思う。だがちょっと、里見女流名人を意識しすぎてはいないか?
あとは精神的な問題だと思う。たとえば、目の前の里見女流名人をそれと意識せず、その辺の女流棋士(失礼)と暗示をかけて指してはどうか。
タイトル保持者が里見女流四冠と奨励会員だけだと、女流棋界はシラける。新風を吹き込むためにも、伊藤女流二段の活躍は不可欠である。
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