草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

会津にとって伊藤博文は憎むべき敵であった

2011年03月10日 | 歴史

 伊藤博文の子孫である松本剛明が新しい外相になったことで、早速、韓国からクレームがきた。会津にとっても、伊藤博文は憎むべき敵であった。品川御殿山のイギリス公使館の焼き討ち事件に連座した、テロリストであったからだ。国学者塙次郎を暗殺した下手人ともみなされている。それでいて、イギリスに密航して転向し、今度は一転して開国を唱えるにいたったのである。その無節操さは、糾弾されてあまりある。さらに、会津を朝敵扱いにした、薩長藩閥政府の中枢を担ったのである。もう一つ忘れてはならないのは、明治23年に金子賢太郎らによって、維新の資料蒐集の動きがあったが、それをストップさせたのも伊藤であったことだ。テロリストの過去が暴かれるのを恐れたのである。それだけに、明治42年10月26日、伊藤がハルピン駅前で、安重根によって暗殺されても、会津では同情の声が上がらなかったという。伊藤は日本の韓国併合に反対であったといわれているが、変節漢で、歴史を捏造した政治家を、会津の人たちは許せなかったのである。好色漢であったことも、会津っぽとは合わなかったのだろう。松本新外相の就任をめぐっての韓国の反応を知るに及んで、伊藤に対する会津人の恨みつらみを、ついつい思い出してしまった。

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1 コメント

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 (伊藤俊輔)
2012-02-07 20:11:56
朝鮮人と会津人は一緒ってことか やれやれ
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