暁の 晴れ間曇らせ 火山灰 農作物や 痛み苦しむ
ひのひら ろくべえ
「えこ」とは、えこひいきの「えこ」である。一方に偏ってひいきすること。私利などが、
広辞苑いは書かれている。漢字では依怙贔屓と書く。
コミュニケーションの中で意識的に依怙贔屓をしていると自覚されるものは、それほど
問題ではない。なぜなら意識しているということは自覚していること、自覚しているとい
うことは、訂正可能ということである。依怙贔屓は悪いことと意識した時、やめることが
できるということである。
問題は意識されていない無意識の中の依怙贔屓である。援助活動の中で無意識の依怙贔
屓がある時、援助されるものはその行動をつぶさに感じ取り、その人の人物像を評価する。
その評価は、依怙贔屓の強い人ということになる。その評価をされた瞬間から、信頼と
いう方向性を持った、コミュニケーションは望めないということになる。そうなれば援助
とういう行為そのものが成り立たなくなってしまう。
依怙贔屓は意識されてないから問題なのである。自分は如何に平等に行動していると
思い込んでいても、援助される側からは、依怙贔屓の人と密かに思い込まれることも少な
くない。
このような状況を克服するためには、他者からのアドバイスが効果的なのだが、アドバ
イスを聴き入れることができない人は、問題は深刻である。聴き入れることができる人は
容易に訂正することができるため、信頼感も向上するということである。
いずれにしても「えこ」(依怙贔屓)というものは、実行するには簡単だが、訂正する
には、とても難しい、しかしそのことを克服してこそ、対人援助職のプロということがで
きるのであろう。
ひのひら ろくべえ
「えこ」とは、えこひいきの「えこ」である。一方に偏ってひいきすること。私利などが、
広辞苑いは書かれている。漢字では依怙贔屓と書く。
コミュニケーションの中で意識的に依怙贔屓をしていると自覚されるものは、それほど
問題ではない。なぜなら意識しているということは自覚していること、自覚しているとい
うことは、訂正可能ということである。依怙贔屓は悪いことと意識した時、やめることが
できるということである。
問題は意識されていない無意識の中の依怙贔屓である。援助活動の中で無意識の依怙贔
屓がある時、援助されるものはその行動をつぶさに感じ取り、その人の人物像を評価する。
その評価は、依怙贔屓の強い人ということになる。その評価をされた瞬間から、信頼と
いう方向性を持った、コミュニケーションは望めないということになる。そうなれば援助
とういう行為そのものが成り立たなくなってしまう。
依怙贔屓は意識されてないから問題なのである。自分は如何に平等に行動していると
思い込んでいても、援助される側からは、依怙贔屓の人と密かに思い込まれることも少な
くない。
このような状況を克服するためには、他者からのアドバイスが効果的なのだが、アドバ
イスを聴き入れることができない人は、問題は深刻である。聴き入れることができる人は
容易に訂正することができるため、信頼感も向上するということである。
いずれにしても「えこ」(依怙贔屓)というものは、実行するには簡単だが、訂正する
には、とても難しい、しかしそのことを克服してこそ、対人援助職のプロということがで
きるのであろう。