カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

大阪の7不思議

2015年03月03日 07時07分25秒 | 社会

 

むかしから大阪の 7 不思議の一つに、玉江橋から真ァ南(まぁみなみ)に天王寺さんの五重塔が見える。ご承知のとおり、玉江橋というのは大阪の北西、天王寺さんは南東。これが真ァ南に見える。もっとも不思議やないんやそうで、少うしこう、橋がはすかいにかかっております。:P.130 桂枝雀」鷺(さぎ)とり」古典落語 角川文庫 昭和51年9月20日3版発行 


大阪四天王寺の五重塔には 

四天王寺は近世以降もたびたび災害に見舞われた。天正4年(1576年)には石山本願寺攻めの兵火で焼失。豊臣秀吉によって再建されるが、やがて慶長19年(1614年)大坂冬の陣で焼失。この時は江戸幕府の援助で再建される。しかし、幕末の享和元年(1801年)の落雷でまたも焼失。文化9年(1812年)に再建される。 

文化9年に再建された伽藍は、当時のまま近代まで残っていたが、昭和9年(1934年)の室戸台風で五重塔と中門が倒壊、金堂も大被害を受けた。五重塔は昭和14年(1939年)に再建されるが、昭和20年(1945年)の大阪大空襲で国宝の東大門他伽藍とともに焼失。現存の中心伽藍は昭和32年(1957年)から再建にかかり昭和38年(1963年)に完成したもので、鉄筋コンクリート造であるが、飛鳥建築の様式を再現したもの。Wikipedia

という歴史があるようで

今では大阪城と共に鉄筋コンクリート製になっていますが、落語に出てくる五重塔は、その前の時代に見られた「木造建築物」だと思われます。

なお「四天王寺(してんのうじ)」とは、古く平安時代頃から「天王寺(てんのうじ)」と略され、地名へ、そして今では駅名・商業施設名にもなっています。 


さて桂枝雀の落語「(さぎ)とり」では、どうなっているか。

奈良も京都もそうですが、大阪にも東西南北の道路が走っています。ただし周辺地へ行くと、そうとも限らないようで、私自身も京都で似た経験があり、北へ走っていたのにいつの間にか東へ向っていることに気付いて、驚いたものです。

さて玉江橋と四天王寺を、GoogleEarthで調べて、この謎に挑戦してみました。

確かに

玉江橋(たまえばし)は北西~東南の方向にかかっていますね。ですから、大阪の道路は東西南北だという呪縛下では「5km東南の方向にある四天王寺の五重塔」がまっすぐの方向に見えるのでした。

今では七不思議でもなんでもありませんが、だいたいの方角・時刻でよかった時代には、きっと不思議だったのでしょう。とくに大阪の道路は東西南北に走る、と洗脳されていた時代なら、なおさらです。

最後になりますが、「とり」は、スズメやサギを捕獲しようという、なかなか楽しい噺で、詳細を知りたい方は以下を御覧下さい。

 鷺とり1 鷺とり2 鷺とり3 


なお字面だけであって、この内容には関係がありませんが、「宮定跡(さぎのみやじょうせき)」とは、将棋の定跡〔囲碁では「定石」と称する〕の一つで、早仕掛け「山田定跡」に関連したものでした。


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