たとえそれが、事実であろうとも、なかろうとも、誰にも醜聞があります。ここでは最近の「韓国の醜聞」を集めてみました。必要な方のために出典も明示し、あればリンクも提示しています。
「日本人は表向きは親しいふりをしていても、なかなか本心を見せません。私たちはここで生きていかねばならないため、彼らと友好的に過ごそうと努力しています」:韓国聯合ニュース 2015/10/09
在日韓国人のことばです。
これを取材したのは韓国のメディアですから、いくら在日韓国人の発言だとしても、これを読む韓国人読者の受けがいいように
①取材対象者が曲げて述べ
②取材者がねじ曲げて編集
そう疑ってかかることも、時には必要でしょうか。
- 日本にいながら、日本人が「正しい韓国人の判断に従っていないだけ」と信じる「例の他者を完全否定する『うぬぼれ信仰』」は、消えないことでしょう。
- 私は、「一方的に否定する」人たちの言葉を「そのまま信じる」のではなくて、「一度疑ってみる」という作業が必要ではないか、と言っております。
- ここが日本人と韓国人の違いでしょうか。健全な懐疑心があれば、なにも豹変する必要がないのです。疑いを禁じられている国では、時の権力者の意向通りの一色になりがちで、権力者がかわると全く別の意向通りに一色になるため、豹変しなければならないのです。「全体主義的な一色傾向と懐疑心欠如が、豹変の源」なのは中国・朝鮮半島に共通した汚点でしょうね。
実際のところ、国や地域によってその度合いは微妙に異なりますが、「たとえ同国人に対してでも本心はみせられないもの」なんです。
- 「表向きでさえ親しくできない」韓国人が、日本人を評して「なかなか本音を見せない」とするところに注目しています。
- まず韓国人に必要なところは、一般のお土産店でも「ぶすっとした態度ではなくせめて表向きでもいいから親切そうに偽装する」ことではないでしょうか。偽装がもっとも得意な地域であるはずなのに、そういった演技ができない「韓族に幸あれ」と祈らずにはいられません。
このように自らの欠点をそのままにして相手の欠点を追究したがるのが韓族なのでしょうか。
長い間中国儒教の影響で改善が禁じられてきたためか
- 1つの価値観しか許されず
- 社会そのものが多様性を欠き、世の中を客観的にみることできず
- ごまかしてでも勝たねばならず(負けたら下になるらしい)、相手を軽蔑するよう社会的に訓練されてきました
韓国では近年(この20年ほど)民主化されましたが
全体主義的な傾向を温存したまま、奇妙な方向に走り始めた
ように見えます。これを私は「擬似民主国家」と呼んでおります。
- 韓国は、軍事政権から民主化されてまだ20年程度ですからやむを得ない(まだ無理)」と思いますか、それとも
- 「自分の姿など見えるはずはありませんが、それでも相手の姿が見え始めているのを良しとすべき」でしょうか。もしそうだとするならば、あと80年ほど経過すれば自分自身も見え始めるのではないかという「とっても明るい希望」さえ見えてきますね(泣)。
よって日本人が
あのケンカっ早い韓国人を相手にして、そう簡単には本心を見せられないのは、当然のことなのでした。
そう言いながら、自分たち韓国人が「同国人にさえ絶対に本心など見せられない」のに「日本人はなかなか本心をみせない」と言えるのは、「少しは改善されてきた」とも取れます。
韓国人は韓国人にだけは「本心をみせる」のでしょうか。
きっとそうではないのでしょう。もし見せるとしたら、「同じ宗教に洗脳されている」ため「建て前」の認識が共通ですから「建前上『本心だ』と信じているだけ」なんでしょうか。
- 「正しい自分の意見をなぜ素直に受け入れないのか」
- 「これだから日本人は野蛮国なのだ」
というのが典型的なうぬぼれですね。自分と同じように相手も「自分が正しい」と思っている、とは夢にも考えないようです。
これが視野狭窄症(しやきょうさくしょう)、要するに視野が狭くて単一の価値観しかなく、自分の思考でしか物事を考えられない人たちのことです。
その単一の価値観が中国から来ているとなると、もう鬼に金棒・鉄腕アトムにエネルギー・ドラえもんにどこでもドア状態です(笑)。
これが中国・韓国に共通した儒教精神ですから、安易に本心を見せるなんてことは、あり得ないのです。
「日本人はなかなか本心を見せません」とする人の「本心」とは・・・・
「自分が正しいのだけれども、それが許されないので仕方なく友好的に過ごそうとしている」と言っていて、間違っているのは日本人のほうなのだけれども、やむを得ず友好的に過ごそうとしている、と読めば、納得できると思います。
多様性の第一歩だと思うのですが、
そのためには、「相手を否定しなければならず、絶対に話さえ聞かない(相手の話を聞けば、それでもう負け)」という価値観を変える必要があります。
そうです、「意見が異なる相手の話を聞いても、賛同したことにはならない」のが多様性であり、「話さえ聞かないというのは多様性を否定」することになります。もうこれは拭えども拭えない韓族の染み付いた感性になってしまったらしいのです。
よってこのままでは、韓族に多様性などあり得ないし、客観性などもてるはずがないのでした。
永遠に擬似民主国家を続けるしかありません。
そういう人が「日本人はなかなか本心を見せません」と言っていることに、注目したいと思います。言い替えると「自分たち韓国人の思考に合わせられない可哀想な日本人たち」という軽蔑・うぬぼれさえ、感じられます。
なぜ「韓族は世界一優秀な民族だ」と言い続けなければならないのか、というところから、何かが見えて来そうです。
- 朝鮮半島は地政学的に大国の狭間(はざま:京王線狭間駅)にあり、自分の主張ができないまま振り回されるだけという「必然的な歴史」をもっております。
- 大国の主張に「反抗できない」らしく、これに逆らわない範囲での行動が求められ、ひたすら自分の民族性を強調するところに、心の安寧が得られるでしょう。
- この安寧を得るために、「韓族は世界一優秀な民族だ」と言い続けます。ときおり大国と衝突するのもそのうぬぼれ精神からくるのですが最後には「儒教の序列意識」が働き、一応無事に矛を収めることができるのでした。もちろんその他の国の場合、その必要がないため、衝突するのは日常茶飯事です。
- 言い替えると、中国に何も言えない期間が長すぎたため、韓族には骨の髄にまでその「恐怖」が染みており、その反動で「日常生活でのケンカっ早い民族性」が醸成され、擬似民主国家が成立してからは、矛盾だらけの中国には何も言えないまま、日本などに対しては異様とも思えるほどのほじくりを繰り返します。
- これが韓族の矜恃(きょうじ)なんでしょうか。
結論として、
- 自分たちにぬぐえない儒教の序列意識があるため、離れた島国の日本はその恩恵に浴しない野蛮な国であり、永遠に軽蔑の対象とする。
- これは死生観にも関係し、中国・朝鮮半島では、許せない相手の場合、その人が死亡したとしても(かつてはほとんど土葬だった)遺体を墓から掘り起こして切り刻むのが最大の刑罰だった、とする犯罪意識がどこかに残っている。
- 現代ではそこまで犯罪を続けることがないとしても、「事後法」で墓を掘り起こすようなことを立派にやり遂げています。つまりある犯罪が起った場合、その時点で決まっている法に従って裁く、これが普通の法治国家です。しかし非法治国家である韓国では、犯罪がおこってから、のちになって新しく法律を制定し、これによって過去を裁くのです。これが非法治国家・擬似民主国家たるゆえんでした。日本で言えば、江戸幕府がけしからんので、新しく法律をつくって江戸幕府に関連した子孫たちの財産を没収する、ということでした。
- 初対面の人同士でしつこく先祖を問いただして上下関係をつけたがることで「偽装の訓練(決して本当のことを言わないし、そもそも家系図がでっちあげそのもの)」ができていますし、これは初対面の相手の遠い先祖が犯罪者かどうか、自分よりも序列が上か下かを決めたい欲望の表れかと思います。
- もしもですが、ひょっとしてですが、可能性としてあり得ないかも知れませんが、仮定の話という条件付きですが、韓国が「儒教をきっぱり捨て去る」決意を示したならば、日本人の多くが積極的に援助し相互の協力を惜しむことがないはずです。
- しかし残念ながらその気配がないどころか、金泳三〔大統領在任は1993-1998〕から計算したとして、民主化後まだ20年程度の国ですから、法治国家になることはできず、むしろ過去へさかのぼって、よりひどい身分制度・差別主義の世界へ後退するのが理想としているかのようです。根強い階級制度・差別意識がどの国よりも残っている韓国としては、当然の流れなんでしょうね。
- 自分を変えられるかどうか、それだけの問題でしょう。例によって瀬戸際外交・バランサーを任じる韓国が、擬似民主国家を装いながら、旧朝鮮王国を目指し中国の支配下になろうとするのかどうか、みものです。
さてさて、皆様はどう思われますか。