四国遍路の逆打ちは88箇所の最後から巡礼します。
なぜ行こうと思ったかというと、志度寺に行きたかったから。
12年前2004年7月に巡った時は寺の名前すら??
ところが2013年春、伊勢神宮まで歩くというウォーキングで
奈良市の興福寺南側にある猿沢の池を通りました。
そのときの記録は↓
流失する川、流入する川もないのに常に一定の水量を保っていて、不思議な池には、不思議伝説が残されています。
むかしむかし、猿沢池には、善達竜王という王様のような竜がすんでいました。
自分が住処にしているこの池にある女が身を投げました。
・・・中略・・・最後に“室生の龍穴”まで移って行った
という話です。
この「善達竜王」はいつからこの池にすんでたのかを調べると
謡曲「海人」「海士」がヒットし、西国88箇所の志度寺に行き当たりました。
→こちら
内容は、藤原北家の祖・房前が、亡き母の追善のために讃州志度の浦にやってきたところ、母の亡霊が海人となって現れ、子と対面し自らが死んだ事情について語るというもの。
それを知ってから、いつか志度寺へ行こうと。
四国お遍路でかつて廻ったことあったのにね。
全く覚えてなかったから、今度こそちゃんと見てこようとチャンスを待ってたのでした。
梁塵秘抄によれば
四方の霊験所は、「伊豆の走井、信濃の戸隠、駿河の富士の川、伯耆の大山、丹後の成相」とか、
土佐の室生と讃岐の志度の道場とこそ聞け。
ここに讃岐の志度の道場が出てきます。
志度の海は古くから異界へ通じる霊場とされていたそうです。
志度寺には、讃岐の守護細川家が造営し寄進した日本に三つしかないという曲水式庭園があります。
池中の島は、志度寺縁起にちなんで竜蛇の形と真珠島とを模したものらしい。
でもちゃんとした説明書はみなかったし、手入れ行き届いてなかったのは残念でした。
志度の地図見てると、神社仏閣があちこちに。
この地はかつて意味深い場所だったのがわかりました。
神代に速秋津比賣命が多和郷の渚にやってきて、
「此水門は、はなはだ深くて、よき須美戸なり」
と宣して鎮座した多和神社。
当初、志度寺の傍らに鎮座していたが、
1479年焼失し、その後現在地(さぬき市志度126)に遷座。
ここも気になるね。
自分でいつか車で廻るときがあれば参拝したいところ。
竹取物語の「竹取の翁」の名は「讃岐造」だったし。
「口頭伝承のかぐや姫」と「竹取物語のかぐや姫」
讃岐はもう少し詳しく調べてみよう~♪
大晦日に体調を悪くして、お休みさせていただいていました。
やっと復帰しました。
今年もよろしくお願いいたします。
ulalaさんの神出鬼没(没はないですねwすみません)は予測がつきませんです。
私も2000年前後に5年かけて四国遍路しました、バスでの団参でした。四国のお寺は西国のお寺と比べるとしょぼいなあ~と山坂階段で四苦八苦しながらの参拝でした、お寺の名前どころかついて行くのが精いっぱいでお経が終わった頃に本堂に到着したこともありました。
志度寺もこんな興味深いお寺だったんですね、86番といったら、あと2ヶ時で結願ですから、きっと上の空で参拝したのでしょうね私。なんと勿体ない遍路行だったことよ。
私も「竹取物語」のおじいさんの名がどうして「讃岐」の造なのか、近畿地方が舞台なのにって思っていましたが、浅学菲才なうえにこのごろ勉強する意欲もなくてわからなかったのですが、最近「讃岐」は「大和の国広瀬郡散苦郷」であろう(現在の奈良県北葛城郡広陵町三吉で、「讃岐神社」という神社もあるそうです)と、昭和29年に何とわれらが市大の国語国文の塚原鉄雄先生が説をたてられたそうで、今も岩波や新潮社の竹取物語の注釈書や注釈にはその説が採ってあるということを、知りました。燈台下暗しというより、私の無知ですが、家で埃をかぶっていた新潮古典集成の「竹取物語」を見ると、その通りでした。
私にはこれ以上わからないし、追究もできないので、おざささん、またいつか調べられたり、わかったりしたら教えてくださいね。何でしたら新潮古典集成の「竹取物語」送ります…。
mariさんのブログが長く更新滞ることないので心配しました。
大晦日の大鳥神社の茅の輪画像とご挨拶を最後にされるのかしらと不安でした。
突然の年越しのご入院は、本人はもとよりご家族も驚かれたことでしょう。
しかし無事ことなきを得て回復された由、誠におよろこび申し上げます。
四国遍路ご経験済みだったのですか。
西国もまわられてたのですね。
世界遺産も自然遺産でなければ神社仏閣教会墓参りが多いです。
国内観光も同じことで神社仏閣は外せないのも事実です。
しかし四国お遍路はエネルギーも時間もお金もいりますね。
距離のある地域からまわられた方はなおさらのこと、敬意を表します。
何度もまわられる方おられますが、私は他にも行きたいところいっぱいあるので。
今度は回ることよりも、その寺をちゃんと直視し歴史も感じれるよう、心にヒットした所をピックアップでと思っています。
今はさらに老眼のため眼鏡掛けて本読むの辛いので、お気持ちだけ頂戴しときます。
いつも心に掛けてくださりありがとうございます。
さて、広陵町の竹取公園、2014/3/24に記事にしています。
読み直したら、讃岐神社のこと書いてました。
その讃岐神社は、讃岐一宮である田村神社と繋がります。
祭神のももそ姫は大和の国からの帰還命令により、地元の反対空しく讃岐の国を去ります。
ももそ姫のお墓は奈良県の広陵町『箸墓』で、近くには讃岐神社があります。
これはももそ姫とともに讃岐から移り住んだ斎部(忌部)一族が創祀したと云われています。
私も遠近両用の眼鏡をかけていますが、近くは見にくいですね。勝手なこと書いてすみませんでした。
ご迷惑おかけして申し訳ないですが、皆そうですので適当にスルーしてください。
さて広陵町の讃岐神社の話、自分も書いてながらすっかり忘れてました。
ただし書いた記憶はあったのでブログ内検索で読み返した次第です。
学者でも研究者でも無いし、ただ単にミステリー好きが書き散らした駄文です。
嘘は書かないよう気をつけているつもりではありますが、適当に読み流してくだされば幸いです。
四国86番志度寺ですよね。