散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

“compassion”は“愛”を上回るか~永井陽之助の問題提起

2016年02月11日 | 永井陽之助
「映画にもなった、チェコの亡命作家ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』のなかに、「コンパッション」の章があって、ラテン語の語源を引き、他者の痛み、苦しみをわかちあうことこそ、「愛」よりも高次元の普遍的な人間の情念ではないのかと言っています。上下の力関係を前提とした「同情」とは根本的に違う次元の概念です。」

永井陽之助が文芸批評家・江藤淳との対談『「歴史の終わり」に見えるもの』(文藝春秋1990/1月号)の中で述べた言葉だ。中国の天安門事件、ベルリンの壁の開放から東欧圏の自由化、1989年は大きな変化の年であった。日本にとっては、日米経済摩擦が文化問題にまで深化ことが、これらに劣らず、時代の変わり目を意識せざるを得なかった問題であった。

永井は続けて米国の大衆的コンパッションを呼び起こす例として、「レスキュー・オペレーション神話」(氏の造語)について話す。幼い子どもが井戸の落ちたのを救出する事件を例に挙げ、テレビで大騒ぎするとの話、「庶民の感じ方であり、庶民的な神話の構造…」と指摘する。

そこから政治的事案の例を挙げる。
二次世界大戦で占領地を開放し、ナチ強制収容所の残虐性を目にしたことに関して、アイゼンハワーが「大きな犠牲を払ったこの戦争も、やはり戦うに値した。」と語る言葉が、米国の大衆に普遍的な共感を呼ぶと指摘する。

この対談の表題は「冷戦の終焉」の際に、余りにも有名になったF・フクヤマ論文の題名を借りたものである。永井はそこから「東西対立」という言葉の意味が微妙に変質してきていると指摘する。即ち、東がアジアを意味することに、微妙に変質してきており、日本異質論が口にされ、新しい冷戦物語を創り出そうという危険な兆候がみられる、と云う。

その文化的摩擦になりかねない日米関係の問題について、永井はパーセプションギャップではなく、“コンパッションギャップ”だと思っていると発言し、江藤との認識と対立する。

どちらかと云えば、江藤が常識的に「個人対個人としてコンパッションは大切だが、国家間の問題について、過度に心情的になるのは良くない。そこで出てくるのは国益に関する冷徹な認識だ」と述べる。この辺りはどちらが政治学者なのか?と考えてしまう処だ。日本の外交に対して冷静な認識を示す永井の思考が何か新たな方向を示すのか?との疑問が、当時、読んだ際は浮かばなかったが、今になって湧いてくる。

“コンパッションギャップ”について、永井の説明が続く。
「どういうときに人々が感動し、「アンフェア」と激怒し、悲しみに泣くのか、という情念の波に大きなギャップがあるということです。そのことを、外交上の問題として指摘しているだけです。」
「日本人がそういう事柄にかなり無神経である…海外の事故で日本人の犠牲者がいないと急に関心を示さなくなる…そういう問題に対するイマジネーションの欠如が確かに日本人にはある」。

今回、対談を再読して感じることは、昨今のイスラム難民問題への対応は“コンパッション”と無縁でないということだ。EC各国の政府は、国内の反対勢力と対峙しながら、大量の難民を受入れる姿勢を崩さない。これは半端ではない。

かつてボートピープルと呼ばれたベトナム難民の受入に対して、当初、日本は受入数が極端に少なく、諸外国から強く圧力を掛けられて増やした経緯がある。確か永井は何かの座談会において、小松左京「日本沈没」で日本人が難民となり、外国に助けられる話を引き合いに出し、「現実の難民を引き受けない日本人を、どこの国が助けてくれるのか?」と冗談を飛ばしていたことを覚えている。

北朝鮮が崩壊した場合、大量の難民が発生する可能性があり、日本の沿岸をめがけてボートピープルが殺到する可能性も捨てきれないはずだ。このとき試されるのは、政治思想として「愛」を持つか否かでは無く、“コンパッション”の有無であろうことを、永井はベトナム難民の状況から想定したのかも知れない。

日米経済問題で唐突に“コンパッションギャップ”を思いついたのではなく、日頃の政治的思考の中で熟してきた考え方と理解できるのだ。