鮎釣人の日々

 退職後の人生をどう生きるか。鮎釣りを中心とした今後の生活設計模索の日々を綴ります。

鮎釣り人になりました。

2011-05-31 23:04:33 | 日記
 ブログは明日からと言いながら、下見に行ってきました。実は、私のうち(松江市)から日野川までは25キロ内外、本拠地とする根雨までは75キロあります。本拠地とする根雨は、妻のおばの家(昨年末に亡くなり、今は仏の番人を私がやっている状況、根雨の義叔母と私の関係は、妻を関してのもの)。
 私の妻は数年前から肢体不自由の障害者。叔母は20年以上前から旦那を亡くし、一人暮らし。私の鮎釣りと、一人暮らしの叔母の話し相手を兼ねて7年前から鮎釣り訪問を毎週のようにしていたのです。そのことが、叔母の生活の張りにもなっていました。
 その叔母が昨年末になくなってしまったのです。くも膜下出血で突然に。実は、叔母に認知の症状が見え始めていたので、その息子と娘は叔母(実の母)を東京周辺のそれぞれの家に交互に引き取って面倒を見ていたのです。そういう状況下での叔母の急逝でした。
 二人の子共は関東地方で永住、二人の母の葬儀等は済ませましたが、墓や仏壇のことが気にかかるものの、どうにもならない状況。私は直接の血縁関係は無いのだけど、鮎釣がしたいばかりに身体障害者の家内を連れて根雨の叔母のうちに行き、叔母さんの僅かばかりの心の支えにはなっていたつもり。
 そういった因縁から、私は叔母の家をベースキャンプに鮎釣りをし、無き叔母をしのんで墓参りに参じ、線香を上げながら釣りをしようと思っている。
 叔母はあっけらかんとした人で、30年近く前に夫をなくし、夫の年金と趣味の編み物教室で生計を立てていた。そんなおばの家(根雨)が日野川における私の鮎つりの舘なのです。叔母がなくなったとき、その息子と娘はそんな私たちと叔母との付き合いを知って、根雨の家をいつまでも釣り宿に使って欲しい意向。家の維持・管理のためにも、おばの仏壇やお墓のためにも心を通わせた私たち(私と身体障害者の私の妻も)に関わって欲しいみたい。
 そんな訳で、今日は叔母の家の掃除と家の前を流れ玄関前に引き込まれるている流水状の池の掃除をしてきました。この池の水は日野川の支流(板井原川)の水温の低い水で、高水温気などおとり鮎を漬けておくとシャキリトする魔法の水です。
 本日の肝心な、川の様子は芳しくなく、普段だと休漁にしてしまう状況。まあ、それでも解禁のご挨拶も兼ねて明日はゆっくり出かけることにします。
 ところで、私は今年から職漁師の端くれになるつもりがあるので、支出を計算したら在住の松江市から日野川の根雨、生山界隈をウロウロするとガソリン代だけでも2,500円/日は必要。弁当代と釣具代を入れると3,000円/日以上の現金収入がないと赤字。釣り場が遠いと燃料費の負担が大きい。松江から通わずに根雨に逗留するか、色々な都合を抱えると不利な条件を背負って、釣りで生活を成り立たせようと思うと不可能に近く、退職の貯蓄を出来るだけ減らさずにひと夏が遊べることに満足すべきかも・・・と思うシーズンのスタートです。このシーズンの鮎釣り収支は最終段階でお示しします。乞うご期待。
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鮎釣りで生活できるか?

2011-05-30 10:53:34 | 日記
 退職し、好きで好きでたまらない鮎釣りを中心に生活できないものかと考えています。6月1日から日野川の鮎釣が解禁されるので行動開始です。まず、今年は鮎をいかに売るかを中心に考え、今後の生活の仕方を組み立てたいと思います。今年は、試行錯誤でやってみます。年間、いくら鮎が釣れて、いくら生活の足しになるのかを見極めるつもりです。どうぞ、私の日記をご期待下さい。退職後を生きる色々なことが見えてくると思います。しかし、解禁日は増水のため釣りにならないかも。6月1日から書き始めます。
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