鮎釣人の日々

 退職後の人生をどう生きるか。鮎釣りを中心とした今後の生活設計模索の日々を綴ります。

鮎釣人の日々(3/31):車椅子の家内を連れてのパリ・ウィーンの旅編

2015-03-31 08:30:00 | 日記
 パリに入って3日目の3月16日です。朝風呂を済ませ、この日も娘はパンを買いに出掛けます。私も風呂を済ませ、朝食の支度です。昨日のマルシェで買った卵、ズッキーニと初日に買ったベーコンの残りで、ズッキーニとベーコンのオリーブオイル炒めの卵とじを作ります。なかなかの出来です。他にはカット野菜とカットフルーツです。これにパンとコーヒーが付きます。
 早めの朝食を終え、娘の知人が迎えに来るまで時間があります。近くのサンミッシェル、カルチェラタン界隈を散策し、スーパーマーケットにも入ります。こちらのマーケットは朝早くから開店しています。車椅子を押して、エレベーターで地下の食品売り場の見学です。お土産のお菓子を買ったりして、パリのスーパーマーケットを楽しみました。
 ホテルに帰り、身支度を整え出発に備えます。今日の出発は9:30です。今日の見学予定は、ルーブル美術館とオランジェリー美術館です。ホテルのすぐ近くにあり、車椅子を押してでも行けるのですが、後の行動のこともあるので、娘の知人に車で案内されました。
 ルーブルに着くと、チケット売り場と入場口が黒山の人だかりになっています。平日なのに観光客が多いのです。また、春休みでもあります。我々は事前にチケットを手配してもらっていることと、車椅子での入場なので、別の入口からスムーズな入場です。有名なモナリザを初めとする中世の絵画、ミロのビーナスを初めとする中世の彫刻、黒山の人だかりに中での見学は館内を巡るだけでも大変でした。見学人で目立つのは、中国人の団体でした。
 モナリザの前で車椅子の家内が困っていると、係員が家内と介添えの私を進入禁止のロープの中に入れてくれ、息のかかりそうな位置で見せてくれました。大衆の手前、立ち止まることなく見ましたが、粋な計らいに感激しました。
 ルーブルを出ると、すぐ近くのオランジュリー美術館です。入場者も少なく、すんなりと入場でき、モネ、ルノワール、セザンヌ、ユトリロ、ゴーギャン等、名だたる印象派の絵画がふんだんに展示され、それらを息のかかる距離で鑑賞できました。ここは団体での入場者がまれで、入場者は展示室の中央に配置されたソファーで、ゆったりと絵画の鑑賞にふけっていました。満足の時間でした。
 昼過ぎまでにルーブル美術館とオランジェリー美術館の見学を終え、モンマルトルの丘に向かいました。サクレ・クール聖堂の下の公衆便所を利用しましたが、トイレに管理事務所があり、管理人がトイレを管理していました。
 この丘からパリの街を眺めながら、絵描きが沢山集まっているテルトル広場の近くのレストランに入り、軽い昼食を摂りました。ここでは、料理はアラカルトで頼むのですが、何かを頼むと必ずパンが付いてきました。遅めの昼食後、ムーランルージュの前を通り、早めの時刻にホテルに送って頂きました。
 自由な時間が出来たので、その後、パリの街を散策です。続きは明日。

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鮎釣人の日々(3/30):車椅子の家内を連れてのパリ・ウィーンの旅編

2015-03-30 08:30:00 | 日記
 トイレ休憩後、ホテルから凱旋門をくぐり、エッフェル塔の傍を通りパリ中心部から20kmほど離れたベルサイユ宮殿に案内されました。17世紀、ルイ14世によって建造された絢爛豪華な宮殿は、彫刻、絵画、壁画に彩られ、日本の天下人の贅とは比べ物にならない豪華さがありました。
 ここでも、車椅子の家内は特別扱いで、係員の案内で秘密の通路を通り、車イス用エレベーターに乗り、トイレ優先の見学でした。宮殿内のトイレに3回は行ったでしょうか。
 宮殿の絢爛豪華さに圧倒され、1~2時間ほどで宮殿を後にし、宮殿の出口近くのカフェで軽い昼食をとることになりました。簡単な単品料理を注文しましたが、添え物に食べ切れない程のフライドポテトが付いてきました。
 遅い昼食を済ませ、ホテルへの帰途に着くかと思いましたが、案内をして頂いている人の家に招待され、その人の知人(若い女性で料理人)と、空港まで迎えに来ていただいていたもう一人の知人が加わり、夕飯をご馳走になりました。若い女性の準備されたチコリ類で色取ったサラダ、5種類のハム、コンロで温めた蒸しジャガイモに溶かしたラクレットをからませて食べる料理をご馳走になりました。夜8時を過ぎて、もう一人の知人にホテルまで送ってもらい、2日目は終わりました。この日も疲れ果て、夜の風呂は次の朝まで持ち越しです。

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鮎釣人の日々(3/29):車椅子の家内を連れてのパリ・ウィーンの旅編

2015-03-29 08:30:00 | 日記
 安心したとは言え、気持ちは興奮しています。時差も8時間あります。パリ時間の午前1時は日本時間の午前9時です。成田のホテルを出てから実質24時間になります。じっくり寝ようとしますが、5時間ほどで目が覚めてしまいました。ほんの少しまどろんだだけの状態です。朝から風呂に入り、朝食の準備です。
 娘も朝風呂を済ますと、街のパン屋に出掛けました。ベーコンエッグとカット野菜、カットフルーツ、前夜の中華総菜、野菜ジュース、コーヒーで腹ごしらえです。9時からは娘の知り合いが観光案内をしてくれます。今日の観光は市内のマルシェとベルサイユ宮殿です。
 マルシェは道路沿いに出された屋台の様なもので、日本でいえば、さながら高知の日曜市の様な感じです。肉、魚介類、野菜、花、香辛料、チーズ類、パン等を中心に店ごとに色鮮やかに並べられています。肉はブツ切り、ウサギも皮を剥かれて並べられています。魚は氷の上に並べられていますが、決して高鮮度ではありません。牡蠣は旬らしく、山積みされていました。野菜は、日本では見かけないアーティーチョーク、コールラビ、エシャロット、チコリ類があります。パプリカ、ズッキーニ、ナスはどれも巨大です。こういった食材を眺め出したらキリが無くなるので、1時間ほどで市場見学を切り上げ、家内のトイレ休憩のため、一度ホテルに戻り、再びベルサイユ宮殿に向かうことになりました。

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鮎釣人の日々(3/28):車椅子の家内を連れてのパリ・ウィーンの旅編

2015-03-28 08:30:00 | 日記
 家内を部屋に残して、娘とパリの街に買い物に出掛けました。街中の歩道にはテーブルとイスが出され、肌寒さの中で食事やビールを楽しんでいます。まるで、祭りの様な賑わいです。
 スーパーマーケットに入り、ワイン、ビール、トマト、卵、カットフルーツ、プラム、洋ナシ、オリーブオイル、フルーツジュース、塩、ベーコンを買いました。ばら売りの物は自分で計りに乗せ、品物と値段はディスプレーで確認し、計りから出て来る値札を自分で貼ります。
 レジでは客が品物をローラーベルトに乗せ、それをレジ係がバーコードリーダーに通して下手のローラーベルトで流します。代金を払い、客は品物を回収します。私はレジでの支払い等、初めてでよく分からないため、娘のすることを観察していました。
 買い物は明朝の食材が大半で、今夜の食材は中華の総菜屋に寄り、カレー炒飯、エビの旨煮、野菜餡かけを買いました。店員は中国人風の顔立ちでした。
 買い物を済ませホテルに帰ると、家内がトイレに座ったまま私たちの帰るのを待っていました。聞けば、トイレにかろうじて座られたものの、手摺が無く立ち上がれないでいたとのことでした。途中、娘と私の携帯に電話をしたらしいですが、携帯電話は私のホテルの机の上、娘も着信に気が付いていませんでした。
 家内をトイレからダイニングに戻し、食事の支度をして乾杯です。くたくたに疲れて、風呂にも入らず横になります。問題の車椅子は午前1時頃、空港の荷物係りからホテルに届けられました。これで安心して眠れました。写真は部屋のキッチン、キッチンの食器棚、手摺も何もないトイレ、量り売りのトマです。


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鮎釣人の日々(3/27):車椅子の家内を連れてのパリ・ウィーンの旅編

2015-03-27 08:30:00 | 日記
 パリのシャルルドゴール空港に到着したのは夕方でした。機内用車椅子で機外に出て、家内は空港用車椅子に乗せられ、随伴者ともども、係員に案内されながら荷物受取所に向かいました。
 荷物受取所のターンテーブルから出てきたのは2個のスーツケースだけ。成田で預けた車椅子は出て来ません。乗客待合所には娘の会社関係の知り合い二人が出迎えに来ています。
 車椅子が荷物として出てこないことが分かると、荷物受取所の係員とのやり取りです。娘は成田で車椅子に付けた荷札の半券を示し、車椅子が無いと家内の身動きが出来ないことを伝え、ヘルシンキで積み残された車椅子が着き次第、ホテルまで届けるよう依頼しました。
 車椅子のことが心配でしたが、娘の知り合い2人の車でホテルまで案内いただきました。凱旋門、エッフェル塔のネオン、落ち着いた色の街灯に迎えられてホテルに着きました。
ホテルの脇に車を停め、家内をホテルの部屋にどう連れて入るかが問題になりました。娘の知り合いがホテルと交渉し、お客のスーツケースや荷物を運ぶ台車を借りてきてくれ、台車の上にスーツケースを置き、その上に家内を座らせて荷物ごと部屋まで運ぶことになりました。まるで、お神輿に乗った女王陛下のようでした。
ホテルはアパルトマンタイプです。2DKタイプの部屋ですが、バス、トイレは入り口近く、寝室、DKとは離れています。家内が車椅子の無い状態でトイレに行くにはかなりの困難がありました。娘は、ホテルの玄関にあったカートの様な物を借りてきてくれましたが、ブレーキが付いていないため家内一人では使いにくい代物でした。
夜9時にもなっており、車椅子の無い状態でレストランにも出かけられず、家内を残して私と娘で近くのマーケットに買い物です。長くなりますので、続きは明日。車椅子行方不明騒動のため、この間の写真は撮り忘れました。
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鮎釣人の日々(3/26):車椅子の家内を連れてのパリ・ウィーンの旅編

2015-03-26 08:30:00 | 日記
 ビジネスクラスでの旅は快適でした。問題は家内のトイレです。トイレの度にフライトアテンダントに機内用車椅子で案内してもらいます。緊張感もあって到着までの10時間に7回のトイレ通いです。アテンダントさんもびっくりの乗客です。
 飛行開始5時間目くらいから横になって眠ろうとするのですが、時間が早く眠れません。日本時間の8時頃になっても窓の外は眩しいくらいに明るく、それでも窓を閉めて少しウトウトすることが出来ました。到着2時間前頃、お腹が減ったため機内食(軽食)を注文しました。さすがにワインは控えました。
 窓の外を見るとロシアからフィンランドにさしかかっていました。Barents SeaからWhite Seaの上空です。湾岸にはまだ氷が張り、白く光っています。陸の氷が解けてできたフィヨルド地帯が一面に拡がっています。
ヘルシンキが近づくと、フライトアテンダントがエアーフランスの乗継まで40分しかないことを告げに来ました。急がされても自力歩行が出来ない家内がいるため、こちらはなるようになると思っています。日本人のアテンダントに続いて外国人のアテンダントが英語で話しかけましたが、キョトンとしていたら諦めたのか行ってしまいました。
 ヘルシンキに到着し、機内用車椅子に移され、更に空港用車椅子に移され、背の高い屈強の係員に秘密の通路を案内され、ユーロ圏への入国審査を受けることになりました。名前を聞かれ、目的を聞かれ、荷物、上着、ベルト、時計、靴を検知器にかけられ、やっと通過です。その後、搭乗案内所まで早足で案内され、家内は飛行機の搭乗口で荷物を運ぶような機内用椅子に載せられ、やっと座席に案内されました。このパリ行きの飛行機には機内用椅子は搭載されておらず、家内は客席通路側の背もたれにつかまってトイレに行かざるを得ません。トイレに比較的近い座席でしたが、3時間のフライトのため、家内は娘の付き添いで大騒ぎをしながら二回もトイレに行きました。外はまだ、昼のままです。続きは、また明日。

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鮎釣人の日々(3/25):車椅子の家内を連れてのパリ・ウィーンの旅編

2015-03-25 08:30:00 | 日記
 3/14、ホテル発8:45分のバスで成田空港第2ターミナルに向けてホテルバスで移動です。家内もバスの乗車に慣れました。9:00には空港へ到着です。スーツケースの届いている筈の託送カウンター前で娘の来るのを待ちます。10:00前に娘とやっと合流、これで、旅の安全は80%以上保障されたようなものです。
 娘の指示どおり飛行機に積む荷物預かり所に並びスーツケースと車椅子を預け、代りの車椅子に乗り換えました。その後、家内は空港の係員に車椅子を押され、私と娘はその後に従って搭乗手続き所に入りました。手荷物等のチェックを受け、旅客エリアに入り、ビジネスクラスのラウンジに案内され、しばらく休憩です。私と家内はビジネスクラスですが、娘はエコノミークラスのため、娘とは別々です。搭乗時間が近づくと、娘と案内の人が迎えに来て、ヘルシンキ行きのフィンランド航空の搭乗口まで案内されました。なぜ、ヘルシンキ経由パリ行きなのかは、料金にかなりの開きがあるからだそうです。締まり屋の娘に教えられました。
 優先搭乗のため、早めに機内の座席に着き、出発を待ちます。ビジネスクラスは座席がスライドし、身体が水平に伸ばせる余裕があります。背もたれにはマッサージ器が付けられています。シートの前には飛行状況、雑誌、映画等の見られるディスプレーが付いています。フライトアテンダントが頻繁にサービスに回ります。よく見ると周りは外国人ばかり、フライトアテンダントの数人が日本人です。
 飛行機は定刻に離陸し、一路ヘルシンキに向かいました。ブログのボリュームが嵩むため、続きは明日からのブログに書きます。離陸後、すぐに昼食です。アミューズ、前菜、メインコース、デザートが出され、シャンパン、ワインで乾杯です。

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鮎釣人の日々(3/24):車椅子の家内を連れてのパリ・ウィーンの旅編

2015-03-24 08:30:00 | 日記
 3/13、8:40、晴れ、松江を自家用車で発って出雲空港に向かいました。車椅子の家内を連れて、パリ・ウィーンの旅の始まりです。同行してくれる娘とは14日に成田空港で待ち合わせです。
 9:30、出雲空港に到着し、車椅子マークの駐車場に車を停めます。愛車は、3月22日まで駐車場放置です。
 早速、受付カウンターで搭乗手続きです。娘から送られた電子チケットの控えを示し、ボーディングチケットを受け取りますが、家内のことを考えてクラスJにグレードアップしました。持参の車椅子を空港用の車椅子に乗り換え、空港職員に搭乗口待合所に案内されます。持参の車椅子はタグをつけられ荷物として運ばれます。
 一般客の搭乗前に優先搭乗者として搭乗口前に案内され、車椅子の車輪を外され、機内の座席に着きます。私達が座席に着くと、一般客が続々と乗り込んできます。定刻に出発し定刻に羽田に着きました。
 羽田に飛行機が付くと、一般客の降りるのを待って機内用の車椅子に乗り換え、更に、機外で持参の車椅子に乗り換えました。羽田第1ターミナルのバスチケットカウンターで成田行きのバスを予約購入すると共に、障害者の介助もお願いしました。空港内のレストランで昼食を済ませ、予定のバスに向かいましたが、乗車時には運転手を含め2~3人が介助してくれました。乗車口の手摺の配置が十分でなく、車内のあちこちにつかまって乗車しましたが、一騒動と言ったところでした。
 飛行機の搭乗等に関しては勿論、空港リムジンバス、ホテル行きの専用バスの乗り降りも、介助の人が上手に乗せてくれました。何でも、ヘルプのサインさえ出せば、何とかなることが分かりました。この日はホテルでゆっくり休み、明日の出発に備えました。
 羽田に向かう飛行機の中から見た富士山です。
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鮎釣人の日々(3/23)

2015-03-23 08:30:00 | 日記
 昨日、旅行から帰りました。気が付けば彼岸の中日を過ぎ、桜の咲く本格的な春に向かっています。先週のパリ・ウィーンの天候も、行き交う人はコートを羽織っているものの、空気には春を感じさせるものがありました。
 旅行中使えなかったウォシュレットの付いたトイレ、久々の痔を体感し、我家のトイレを愛おしく感じました。生活の利便性の先端を走る日本の有難さと素晴らしさを改めて実感しました。
 体力の回復する明日からは、初日からの旅行の流れ、心に残るトラブル、障害者のトイレ、公共交通機関と車椅子対応等、、思い出に残る旅の出来事をしっかり書こうと思っています。お楽しみに。
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鮎釣人の日々(3/13)

2015-03-13 08:30:00 | 日記
 寒さは寿命を縮めます。脳血管障害の生じるのは、圧倒的に冬です。筋肉、血管が著しく収縮します。本当に寒い地方の人たちは、身体の収縮が起こらない様に環境温度に気を付けて生活します。
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