ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

固辞付け・・?

2017年02月25日 | 日記
 どうした事なのか?日記にするテーマが見付からない。
 「便りの無いのは良い便り」張りに「書くことが無い日は、平安な日」と、日記を書かない・書けない理由にしようとしている。
 朝起きて・パソコンをして・昼飯を食って・買い物に行って・木彫りをして・夕食を食べて・TVを観ながら、パソコンをして・日が改まった頃に就寝した。
 一日の出来事を、九つの項目に大括りしたが、この中にも小さな物語はある。
 木彫りにしても、物語はある。
 「一寸!この箇所を、削ろう」
 「あれ!バランスが悪いかな!」
 ・・・・
 気が付けば”小顔”な貧相な「頭(かしら)」に成ってしまった。
 再度・挑戦したところ、着物(法衣?)の胸元が、気掛かりと成った。
 着付けの”左まえ”を表現しようとして、削り過ぎて”胸板のひ弱な”ふくよかさが失せてしまっていた。
 木彫りは、付け足す事が出来ない。
 そう、足し算は出来ない、引き算だけである。
 気に入らなければ、やり直すしかない。
 気が付けば、四体目に挑戦している。
 あれ!此れって・日記に成っている・・?
 「便りの無い・・・・」に固辞つけて「書くことが無い日は・・・」と、終わろうとしたのに・・・
 
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人形(面)造りで思うこと・・

2017年02月24日 | 日記
 ”会社人”時代の頃、転勤は”好むと好まざるとにかかわらず”会社の意志・意向で求められた。
 そして、転勤に応じること、多々あった。
 25年程前になるだろうか?
 勤務地(転勤後)の、人形店で観た「でこ人形」に興味を持った。
 頭(かしら)を持たして頂いて、顔の部位(口・眉毛)を動かす体験をさせて頂いた。
 人の手で、原木(桐材)から造り出したモノであることに、感動した。
 対応して頂いたこの人は、この地で、名の有る人形店の店主で「でこ人形」の作者でもあった。
 ”縁は異なもの味なもの”と云う事でしょうか?
 「創ってみるか?」と、思いもしない言葉が却ってきた。
 単身赴任と云う環境もあり、役目上、月に一度の帰省と、自身に課していた。
 「道具はある、徐々に揃えれば良い!」と云って頂いて、お断りする理由は無かった。
 翌週から通い始めた。
 そして、出来上がった。
 但し、紅(口紅)・まなこ(眼)・結髪は、御主人の進言からプロの人に依った。
 私が造ったモノか・・?と、感激の対面を果たした。
 帰省を果たし、意気揚々と、造り上げた「でこ人形」を見せた。
 家族曰く「(お父さんを観ている様で)気味悪い!」だって・・・
 それから、25年程が経過した今日になって、木工彫刻を始めた。
 頭部・顔面を細工していると、25年程前に云われた”嫌味な言葉(気味悪い)”が、思い出された。
 考えてみると、手本になるモノ(頭部)は、身近にある。
 平面的な写真ではなく、立体的な”見本・手本”は、鏡を見れば有る。
 写真では、顔面の凹凸など、角度的に不明なところもある。
 無意識の中にも(鏡に映る)私の顔に、似たものになるのでしょうか・・?
 それ程の造作力が、私に有るなら、家族の”嫌味”も受け入れられる!と、ニンマリした。
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そんな時代に成りました!

2017年02月23日 | 日記
 私は、昭和から平成に年号が代わる時期の二年間・本社勤務を経験した。
 そして、担当業務の件で、上越市の某会社への出張の命を受けた。
 一日目の日程も終わり、打合せ担当者に「では、また明日!」とお別れをした。
 ホテルに入り、一休み・・
 「少々・高くても飲むぞ!」と、とある居酒屋?に入った。
 「越乃寒梅、飲ませて!」
 「旅のお人かな? それよりも好い酒があるよ!」
 差し障りがあってはイケないので、この様な表現としました。
 出されたお酒が”八海山”であった。
 そして「名を飲むな、酒(中身)を飲め!」と云う様な言葉が続いた。
 二杯ほど頂いたところで、身分相応の価格のお酒を、注文した。
 カウンター席の隣に、御同類と思われる人が着席した。
 何方ともなく、挨拶を交わし、会話を交わす様に成って行った。
 その話しのなかに「ハサミと電子レンジがあれば、食事が出来る様にするのが、私の役目!」
 そして「その様な時代が近い将来にやってくる」と云う様な内容の話しがあった。
 関心を持ちながら、心の中で”そんな事に成るはずがない!”と思った。
 世の中の奥様方は、料理はしても、手抜きはしない!と信じていたからである。
 しかし「そんな時代に成りました!」と、今日の日記の表題である。
 包装紙を剥がし(ハサミ等で)電子レンジで「チン!」と云わせれば”食べ物”にありつくのである。
 コンビ二やスーパー・ディスカウントショップの冷凍陳列には、ありとあらゆる食品が並んでいる。
 買い求めるのは、単身者でもなく、明らかに”主婦”と思える人達である。
 直江津の、とある居酒屋で隣り合わせになった人の言葉が、現実と成っていると実感する今日である。
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今日、思いを期して・・!

2017年02月22日 | 日記
 会社人時代、電車通勤であった。
 行き返りの中で、終・始発駅を基点として、一区間を利用する人(達)がいた。
 この区間の乗車時間は、1分少々である。
 「歩いた方が(時間的に)良いのでは・・・?」と、自分なりに思っていた。
 そして、今日・所用があって、始発駅から1つ目の駅を利用した。
 この駅は、単線で上下線ともプラットホームを共用している。
 上り便の通過があって、下り便に、私は乗車する。
 乗車(発車)までの時間もあり、待合室で待っていた。
 一人の青年?がやって来た。
 どうも、上り便を利用する様子であった。
 私は、意を決し聞いてみた。
 「何故(徒歩でも可とする、この短い区間を)利用するの?」と!聞いた
 この人は「歩いて良い区間(距離)ではあるが、通勤(経路の)途上であるので・・・・」と、答えて頂いた。
 納得した!
 夫々に都合があって、ご苦労なさっていることを理解したのである。
 意にそぐわない事でも、順応していた時代があった事を思い出していた。
 そうです! 折り返し電車を待って、椅子に座る事も無く、発車から数分で下車していた”人達”が居た事を理解した。
 雨の日・強風の日・熱い日・寒い日etcと、選んだ通勤手段を、遵守している人達であった。
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一歩から・・・!

2017年02月21日 | 日記
 日記「想いに遠く及ばず・・・(2017.2.17)」から始まった「彫刻」への挑戦の記録である。
 木工工作や彫刻(人形)で、大まかな”細工”は出来る!と、素人なりに一定の自信はある。
 「わらべ地蔵」(製作テキストの表紙)の顔立ちが、えもいわれぬ、表情をしている。
 どうしても、制作で近付けたい。
 そこで、頭部だけを制作し、経験を重ねたいと思った。
 そして、実行した。
 デッサン力とイメージ・トレーニングを必要とすることが分かった。
 原本に潜む曲面の情報を、経験則から立体化(イメージ)し、小刀を入れ平面を立体化する。
 しかし、制作対象(頭部)は、4cmの立方体である。
 粗削り以降は、小刀を入れる度に、左右のバランスや、目と耳の位置関係は如何か? 目や鼻・眉毛の位置関係は如何か?
 見慣れた頭部の印象・・に合致しているか・・!?
 等の、検証(イメージどおりか等)を重ねながら、慎重に作業を進める。
 経験を重ねる事で、やり方も変わってくるでしょう・・!
 「過去には、あんな事をしていたなぁ!」何て言う、笑い話や・思い出になるのでしょう。
 3mmU字の彫刻刀を使って・・・と、説明がある。
 何故か「此れが(3mm彫刻刀)あれば、出来るのかなぁ・・・?」と思ってしまう。
 「オルファ」だけでは、限界がある様だ・・・・!
  注:「オルファ」とは、切り先を研いで使うのでは無く、消耗品として”切り先”を折って使う小刀(カッターナイフ)である。
  蛇足・折る刃から”オルファ”何ていうネーミング、良いねぇ!!
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気が抜けない!

2017年02月20日 | 日記
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、先の日記「想いに遠く及ばず・・・(207.2.1)」のその後である。
 結論は「もう!これ以上は無理・・・・」と、言う事である。
 日を代えて”表情”を入れる事にした。
 人形の”顔”ほど難しいモノはない。
 小刀を、薄く線を引く様に入れても、表情は違ってくる。
 小刀を入れるにも、気が抜けない!
 厳つい顔・不細工な顔・無表情な顔と、千差万別な表情となる。
 お手本の「わらべ地蔵」の様な、ふくよかで愛くるしい表情の表現は難しい。
 桐材で制作したが、檜材で、挑戦したい。
 何体か制作し、経験を重ねたいと思った。
 しかし、初めてにしては”上手く出来た!”と、自分を褒める私がいる。
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今日も”山”に行ってきました。

2017年02月19日 | 日記
 昨夜・と云うより、今・明朝、就寝する前に、着信・未読メールの確認をした。
 一件、未読メールがあった。
 「明日(19日)、山に行きます。何時もの時間で・・!」と云う趣旨の内容であった。
 今朝、目覚めて「何時もの処(駐車場)でお待ちします」と、返信した。
 6時半に起床し、準備を整え、自宅を出発する。
 今日は、三本の間伐と、檜皮処理をし(一段目に二本・二段目に一本を)設置した。
 間伐し、檜皮処理した一本が、曲がりもあり、他のものより太かった。
 労力を考え、既配置したモノと入れ替える事とした。
 要領も、判ってきた。
 出て来た言葉(会話)が「年寄り三人(内・女性1名)ようやるのぉ!」
 今日は、一日平均2本の間伐と檜皮処理、そして、配置・設置より、一本多い出来高であった。
 間伐した檜材を、三人で檜皮処理しながら、この様な会話もあった。
 「だいぶ(桧皮が)剝け易くなった!」
 水分を多く含み様に成って来た。
 気象台から「春一番」が”吹いた」との発表があった。
 檜にとって、成長の”春”は始まっている・・・!?
 今日一日、天気も良く、汗ばむ作業であった。
 帰宅し、スポーツジムでの入浴も、果たした。
 ビールが、やはり”旨い” 例え発泡酒であっても・・・・!
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ツリーハウス造りに挑戦・・・

2017年02月18日 | 日記
 ツリーハウス造りの、お手伝いをしている事の、経過については、日記にしている。
 オーナーさんの奥さんから「ふくちゃんは、どんな(どの様な)の造るの・・・?」と、聞かれた。
 「ビニル・ハウスの様なのを考えている!」と答えた。
 「えぇ!ビニル・ハウス?」・・と、少しがっかりした様な反応であった。
 
 そうです! ツリーハウス造りに挑戦したいと思っている。
 立木(檜の生木)を3~4本を借用し、6~9㎡のフラットベースを設える。
 居住部は、風や虫の侵入を防ぐため、ビニル・ハウス用のビニルで、6面を囲う。
 と、言う事で”ビニル・ハウス”と云う表現になった。
 そして”材”は、基本的に”現地調達”とする。
 四月になれば”立木間伐”を実践することから、檜皮を確保し、壁面や屋根材に転用する。
 ただ、床材を如何するか?
 端材(先端部分の材)を活用しする方法は、如何かな?と考えている。
 しかし、10本程・必要となる勘定(直径15cmで、先端と艫を交互配置して・・)である。
 加えて、オーナーさんは、この端材を使って、階段や、手摺を造る計画の様である。
 私の計画を実行する時期は、オーナーさんが床材を張り終えた後(4月頃)と考えている。
 床材を如何するか?は、その時点で考えよう・・・!
 ツリーハウスで何をするか?
 アマチュア無線(50Mhz帯)を遣りたい・天文観測を遣りたい!・動物達の夜間の行動観察を遣りたい!
 夢は際限なく広がる・・・・・!!
 造る過程も・・出来上がった後も・・・・
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想いに遠く及ばず・・・

2017年02月17日 | 日記
 2007年に、NHKで放送された「趣味 悠々」と云う番組があった(様である)
 書店で、テキスト本「仏のこころを掘る」が、並んでいた。
    
 「(この様な”ほとけ”が、私にも)掘れるんだぁ!」と、極めて楽観的に・短絡的に思った。
 気が付けば、購入していた。
 「何時かは挑戦するぞ!」と思って、10年程が経過していた。
 そして、このテキストが”目覚めた”のは、ツリーハウス造りに参加したことであった。
 木彫りの材料となる”檜材”が、ふんだんにある。
 その様な環境下にあって「(木彫りに)挑戦してみよう!」と云う思いが蘇ってきた。
 オーナーさんから、切り株から”角材”に切り出す事の承諾を得て、持ち帰った。
 テキストに記載されていた”型紙”を、コピーし、制作に取り掛かった。
 鋸やノミでの粗削りは出来る。
 鋸歯を入れる・ノミで削る、檜の香りが心地よい。
 しかし、檜といえども”硬い!”
 行き先・不安となった。
 安易な・容易な誘惑が襲う。
 「桐材でやってみよう!」
 桐材の在庫はある。
 桐材で制作を続けた。
 しかし、問題が起きた。
 桐材では、細かな”顔”の部位の細工・表現が出来ない。
 細部な箇所が脱落してしまうのである。
 桐材は、お面の様な、胡粉で仕上げする作品は、素人の私にとって(細工のし易い)格好の材料と思う。
 今日の日記は「桐材での制作(彫刻)には、限度がある」ことを、自己継承のため記述する。
  
 絵日記の絵(写真)の説明、檜材で粗削りしたモノと、桐材で完成に近づいたモノ(作品)である。
 檜材ので再挑戦では、彫刻刀をコマメに研ぎながら、仕上げていきたいと思う。
 写真に撮る様に・思い描く様には”形”にならない。
 歯痒い!!!
 「想いは遠く及ばす・・」
 そうです! 我が理想とする(思い描く)事と、我が技術・能力の隔たりを感じる事である。
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酒の肴になった”一寸昔の話し”

2017年02月16日 | 日記
 昨夜、F氏が遣ってきた。
 晩酌を伴にしながら、F氏の思い出話しに”華”が咲いた。
 F氏の過っての職業は「無線通信」技術に関するモノであった。
 終戦から昭和30年代の”通信”手段としては、電話交換手が取り扱う電話や電報であったとのこと。
 以下、F氏の話しである。
 電報の送受信には、有線では「通話表」で、無線では、モールス信号(音声では「通話表」)であった。
 注:通話表とは、例えば「ろ」と云う文字を言葉で送る場合「ローマの”ろ”」と、伝え、誤字の防止を図ったらしい。
 モールス信号は、電線(有線)と無線を媒体としていた。
 無線の場合は「短波帯」という周波数の電波を利用する。
 無線には、電波を送信する「送信機」と、電波を受信する「受信機」、そして、電波を空中を媒体としするための「アンテナ(空中線)」が必要となる。
 電波を遠くに送り届けるために、空中線は高くする必要があった。
 戦後の混乱が続く中、自前で造れるものは造っていた。
 会社組織のなかに「電柱」を取り扱う「線路部門」が居た。
 その、線路部門の建柱技術が、アンテナ建設につながった。
 当時の電柱は”木柱”で、7m程の長さであった。
 この電柱を、3~4本・繋いで地上高20m~の”柱”を、複数本建てる(建柱)
 建柱が終われば、アンテナとなる”ワイヤー(電線)を張る作業になる。
 注:複数本建てる理由は、電波には指向性があり、電波をやりとりする方向を確保するため、らしい。
 木柱を登り・降りする道具は「昇柱器」?という”釘”の様なモノが付いた道具を靴(地下足袋)に巻きつけて、短いロープを両手で保持し、事も無げに昇降していた。
 この技術?には脱帽した。
 加えて、一度・上がると、降りるのが面倒!と、木柱の先端に立って”用を足した”と云う。
 地上高20m~の高所で、直径20cm程の面積の処に”立つ!”なんて・・・と感心と云うか、驚いた。
 加えて、建柱場所が高所(山岳)の場合”不幸”が襲って来るらしい。
 柱にたって”用足して”いる時、巻き上げる風が吹けば、霧状になって襲い掛かってくるという。
 ・・と、F氏は懐古し、話した。
 地上高20m~・直径20cmに立って。用をたした”ツワモノ”は、Y氏で、F氏が精神面での支えともなった先輩であったとのことであった。
 F氏が入社した時代(40年代)には、安全施策などによって”有り得ない行為”となったらしい。
 F氏の話しは、トランシットでの測量したことから、電波伝搬で「等価地球半径4R/3」までに及んだ。
 印象に残った話しで、記録として日記にしたいと思っている。
 話しに”酔って!”晩酌が過ぎたかな・・・?
 でも、楽しい、晩酌になった。
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今日も充実した一日でした!

2017年02月15日 | 日記
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、今日の作業を終えて、帰宅する時点の”様子(出来高)”である。
 無造作に有った、間伐し檜皮処理された”檜材”が、所定の場所に設置され、生産(間伐・檜皮処理)が追い付かなくなってきた。
 今日も、二本の間伐と、檜皮処理が終わるのを待って、設置された。
 先の日記にも記したが、私がこの企画(ツリーハウス造り)に参加した最初の日に準備した”竹材”を、作業用の手すりとして設置した。
 配置した縦材を足場にして、作業用手すりが設置された事で、梯子での上下する動作が無くなった。
 高所での水平移動が、楽に成った。
 そして「水盛り」という方法で、12本ある立ち柱(9本は生木)に”水準点”をマーキングした。
 注:「水盛り」法とは、レーザー式墨出し器が普及するまで、大工さんが使用していた基礎のレベルを測定した道具。 サイフォンの原理を利用したもの。
 一段目への縦材の設置が終わった事から、最上段(二段目プラット)への縦材を設置する”手法”を確認した。
 既存の、二つの滑車による吊り上げロープに、チルホール(を使って三人)で、最上段に設置出来る事が確認できた。
 しかし、重量物を扱うことから”力点”となるロープの設定位置を、吊上げ途中で変更しなければならない。
 二人役・三人役を果たさなければならなかった。
 そして、今日・オーナーさんから、エンジン式チェンソーの使い方について指導があった。
 「チェンソーを研いでも切れが悪くなっているが、押さえつけない様に・・!押さえなくても、自然と切り進んでいく」こと。
 「チェンソーの背と先は汎用的に使用しない」
 「チェンソーの目立て用の専用のヤスリは、引いてはイケない!押すだけ!」ことの指導があった。
 チェンソーによる木工彫刻の画像を見て、背も・腹も・先(先端)も”全て善し”と思っていた。
 見かねての、ご指導であったと思う。
 先入観・思い込み(自己判断)であったことが、恥ずかしい・・!
 道具にはルールがあることを改めて知らされた。
 母の言葉”聴くが一時の恥・聞かぬは一生の恥”(間違って理解している事を矯正出来なければ、一生治らない)が脳裏をかすめた。
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ハードではあったが充実した一日

2017年02月14日 | 日記
 9時に、何時もの集合場所に集合と云う事で、自宅を出発する。
 問題の交差点を、二信号で通過出来た。
 10分前には、到着できる!と、確信した。
 鳶足袋を装着し、準備を整えていると、オーナーさん御夫婦が到着した。
 運搬車には「枝打ち機」が搭載されていた。
 メンテナンスを依頼し、修復を図ったとの事!
 先の日記にも記したが、エンジンの不調は「キャブレターに原因!」と診断していた。
 メンテの結果「エアーフィルター」が、その役割を果たしていないことが原因で、あったらしい。
 ”中らずと雖も遠からず”
 現地に到着し、先ず実施したのは、自動枝打ち機の機能確認であった。
 結論から言うと、満足する結果では無かったのである。
 エンジンだけではなく、機能確認と修理を依頼する必要があるとの結論に達した。
 そこで、修理依頼するにあたって”不具合の再確認”を行うため始動を試みた。
 しかし、始動(エンジンの起動)する事は、出来なかった。
 再度、持ち帰る事となった。
 ツリーハウス造りに移行した。
 私のハヤトチリなところもあった。
 「縦材で水平を執る」と云う事で、縦材の設置・施工を行った。
 檜皮処理が出来ていた四本と、今日・新たに間伐し、檜皮処理を終えた一本を加え、五本の縦材を一段目に設置する事が出来た。
 と、言う事で(檜皮)処理された”材”は無くなった。
  
 今日の絵日記の絵(写真)は二枚である。
 写真・左は、今日の出来高である。
 絵(写真)には、今日の出来高である”五本の縦材”が描かれている。
 一段と細く描かれているのは”竹”である。
 私が・この企画に参加した初日に準備した、作業中の安全対策での”手摺”に供するモノである。
 写真・右は「氷の塊」である。
 現地に、到着し、一番最初に確認したいこと!それは、テントの存在であった。
 現地に近づき、先ず「おぉ!(テントはある)大丈夫だったか!」と、一安心する事が出来た。
 近づくと、テントの屋根部分が大きく凹んでいる。
 降った雨が氷となっていた事が原因であった。
 破損(テントの天井部が裂ける)を免れ”重み”となって、テントが吹き飛ばされる事から免れた。
 ”災い転じて福となす”ということでしょうか・・・・?
 なお・この絵は、帰宅前の午後四時頃に書(撮影)いたもので、溶けない気温の一日であった証しである。
 明日も、予定どおり”山”に行きます。
 縦材の設置が、予定以上に進捗した事から、次工程は、根気のいる”水平調整”の工程に移る。
 間伐材の提供(檜皮処理する奥さんへの)をしながら・・・・
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明日”山”に行きます!

2017年02月13日 | 日記
 今朝、目覚めて携帯電話の着信を確認した。
 一件、未読メールがあった。
 「明日・明後日、山に行きます」の内容であった。
 「行きます!」と返信した。
 工程進捗上”目に見えて!”と云うモノでなく、目に見えないが大事な工程を消化する事に成るでしょう。
 今までに配置した”柱”を、水平に設定し、固定する作業である。
 手を抜くことが出来ない大切な工程である。
 明日と明後日の、二日間で完了するだろうか・・・?
 高所作業であることから、安全には最大限に配慮して、作業を楽しみたいと思っている。
 本体作業とは別に、強風が吹き荒れた事から、物置とした”テント”はどうなっているだろうか?
 雨に濡れたは困る道具・工具もある。
 明日、行く事で、これ等の安否確認ができる。

 スポーツジムでの、一時間のエアロバイクで有酸素運動を消化し、腹筋・背筋等の筋トレを消化している。
 早めに就寝します。
 明日を期して・・・・!
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強風も治まった2月12日の朝

2017年02月12日 | 日記
 三日前から、時折・小雪が混ざる強風が吹き荒れた。
 屋内に居ても寒かった。
 堪らず、暖房用の灯油を、買いに行かなければならない寒さであった。
 昨夜は、強風が戸を叩く音を聴き「寒むいなぁ!」と、眠りに就いた。
 今朝は、9時頃に目覚めた。
 昨日までとは、打って変わって、風も無く・陽光降り注ぐ、穏やかな日和であった。
 目覚めて、気に成っていた近隣に有る”ビニルハウス”を観た。
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、強風に呷られた結果が、気掛かりと成っていたビニルハウスである。
 写真・左は、強風の被害を受ける、昨日のビニルハウスの様子である。
 そして、写真・右は、強風も治まった、今朝の様子(強風による被害の程度)である。
 確かに、強風が吹く前に、何ヶ所か破損(破れた)した箇所は、見掛けていた。
 しかし、強風が吹き荒れた三日前から、破損個所が拡大していった。
 既に”人工的気候”を造り出す機能は、失せるまでになっている。
 写真で、何の被害も受けていないビニルハウスとの違いが確認できる
 弱点(破れ)箇所があれば、其処から拡大していく事を改めて知る事ができた。
 家屋にしても、風で一枚の瓦が剝がされると、”バラバラ”と連鎖して、剥れていくと聞く。
 「対岸の火事」でなく「人のふり見て我が身を直せ」・・・
 弱点(瓦のゆるみ等)を診断・治療の時期かと、考えさせられた光景であった。
 20年を経過した”我が家”である。

 
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45年前の本社研修を思い出して・・・

2017年02月11日 | 日記
 昨日・日記(「テレビを観ながら思い出したこと(2017.2.10)」)を書きながら、45年前を懐古した。
 長男が幼稚園生になって、半年が過ぎた頃、本社での6ヶ月間の研修(OJT)を受講する様、命令を受けた。
 単身で行くか・家族で行くかは、自由裁量であった。
 家族で行くとなると、長男の幼稚園をどうするか?と云う問題が生じる。 
 長男を長期欠席扱いにして、家族で行く事にした。
 研修の開始日にあたって、単身で赴き、借家探し等、迎え入れる準備を整えた。
 準備した借家は、地下鉄・丸ノ内線新高円寺駅近くの、6帖一間であった。
 やがて、衣類だけを携えて、長男達はやってきた。
 家族を迎え「東京・有限生活」が始まった。
 二度と東京住まいは無い!と、東京を家族で楽しんだ。
 新宿や高円寺での、ジャズライブに家族で通った。
 土日曜日には、羽子板市・達磨市、出初式(江戸木遣)等の催しを見物した。
 正月には、渋谷の百貨店での催しを楽しんだ。
 休みを利用して、小旅行にも行く事が出来た。
 長野・野沢スキー場で、民宿を営んでいる、同じ研修受講者が居た。
 空き部屋をつくってもらって、家族で行った。
 偶々、滞在中の一日が、1月15日の道祖神祭りであった。
 一面の雪原での花火が印象的で「もう一度行きたい!」との思いを、今も強く抱いている。
 研修も終盤となって、新宿のライブハウスに行った。
 ライブが終了後、お店の御厚意で、ジョージ大塚(ドラム)グループ(クインテットだったと記憶している)の写真撮影を許された。
 ジョージ大塚さんも、短い演奏で演出する等の”お気遣い”を頂いた。
 私生活面だけでなく研修は、人を知り、組織を知り、知識を得た。
 私の、その後の”活き方”を変えた研修であった事に、間違いはない。
 数か月間の”東京住い”は、公私ともに、極めて充実したものであった。
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