以前、大奥のような環境で過ごしてた時代、ヤなこと言われたときとか、次の日無意識に髪の毛巻いたり、ネイルを濃い紫や黒にしたり、スキのない服装したりしてたんですね。
わたしにとっては、相手に付け入るスキを与えない、ファッションって鎧のようなものだったんだと思います。鎧まとってたら、安心で、強気でいられる…というか。
比較的平和なときって、そのときの流行もあったけど、ナチュラルな服着たり、ゆるゆる〜ほわほわ〜だったりしてたかも(笑)
先日、ヨガの大きなイベントに行ったとき、周り皆、すっごいおしゃれなヨガウェア着てて、わたしなんて、着替えやすいのでいいや、という感じで行ったから、何だかちょっと圧倒されたんですね。自分で、好きで楽しくて着るのならいいけど、あ、この中にいたらわたし全然イケてない子かも、という焦りや恐怖感で着るのって鎧になりうるな、とちょっと思いました。
SNSもこう見られたい、ここ見せときたいっていうところは載せるけど、自分のほんとうに見られたくない部分は載せないでおく、っていうのもある意味鎧の部分がありますよね、でも、みんなそれ分かってて使ってるけど(笑)でも、自分が弱ってるとき、他人が眩しく見えすぎて、へこんじゃうことも、経験したりします。鎧って、他人からどう見られたいか、どう思われたいかっていう他人目線で自分を見ることなのかな、ということかもしれません。
でも、最近の風潮って、自分を自分目線で見てるっていうか、男の子も女の子も、どんな世代でも、自分の好きなものを選んで、好きな色をまとって、好きなテイストで、楽しんでる感じがあっていいなぁ!と思います。
ヨガにいらっしゃる方も、好きな色で揃えてたり、お気に入りのTシャツ着たり、ネイル可愛いくしたり、自分が好きだから、可愛いから楽しんでて、素敵だなぁ、といつも思います。
男だとか女だとか、キャラとか、愛されとかモテとか、勝ち組とか負け組とか、デキるとか使えないとか、そういうカテゴライズ、鎧を纏わなくていい時代、雰囲気っていいですね。
わたしも、クラスは、あたたかさの中で、それぞれが自分が好きだからこうする、こうしたいからこうする、こう言いたいからこう言う、という素でいられる、ちょっと鎧をそのへんに置いておけるような雰囲気にしたいなぁ、と思います。
また、無私で〜するという言葉、わたしは、自分のしたことに対しての相手からの感謝や報酬、自分に起こる成長やよい出来事を期待しない、という意味だと捉えているのですが、相手の要求に全部応える、相手色に染まってしまう、自分の気持ちを抑えてまで無理して合わせる、ということと紙一重だな、と思います。無私って言葉、美化されがちだけど、自分の思想や心まで明け渡してしまうことのないようにしたいですね!
平和なのか、戦争なのかわからないこれからの時代のなかで、ちょっと鎧を脱いでホッとする時間、でも心と思想は明け渡さないっていうのは、ちょっと自分を楽にする助けになりそうな気がします。