後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔298〕追悼・久米明さん。1回だけの思い出深い貴重な朗読講習体験でした。

2020年09月09日 | 追悼文
  俳優・声優の久米明さんが96歳で長寿を全うされました。
 こんな新聞記事が出ていました。

●俳優・声優の久米明さん、心不全で死去 96歳(朝日新聞)2020年4月23日

 俳優や声優として活躍した久米明(くめ・あきら)さんが23日、心不全のため東京都内の病院で死去した。96歳だった。通夜・葬儀は近親者のみで行う。
 1924年、東京生まれ。東京商科大(現一橋大)を卒業した後、演劇集団ぶどうの会、劇団昴(すばる)などを経てフリーに転身。テレビやラジオ、映画などで幅広く活躍した。
 日本大学芸術学部で教授として後進の育成にあたり、92年に紫綬褒章、97年に旭日小綬章を受章した。
 声優やナレーターとしても知られ、昨年までNHKのバラエティー番組「鶴瓶の家族に乾杯」のナレーションをつとめていたが、体調不良のため降板していた。


 私が久米さんに出会ったのは「日本大学芸術学部で教授として後進の育成にあたり」という時期でした。
 1972年に小学校教師としてスタートした私は、生活教育から演劇教育へシフトさせて大学講師の現在に到っています。
 1970年代後半から、まずは演出家や役者などの演劇関係の講師から集中的に学んだ時期が十数年ほどありました。80年代のあるとき、日本大学芸術学部(江古田)で日本演劇教育連盟の研究集会が開かれ、私は久米さんの朗読講座の世話人として立候補しました。
 朗読には関心が高く、それまでにも竹内敏晴、酒井誠、岸田今日子、冨田浩太郎、巌金四郎、小森美巳、太宰久夫さんらから朗読に関する考え方や技術などを学んできたのでした。
 日本大学芸術学部の校門前の喫茶店の二階で、久米さんと事前の打ち合わせを世話人2人で緊張しながらしたことを覚えています。若輩者の私たちに偉ぶらず紳士的に対応してくださったのが印象的でした。温かい人柄が感じられました。

 朝日新聞の「惜別」欄に、「控えめで渋く ボギーのように」という素敵な記事が載りました。三ツ木勝巳さんという記者の名前を記憶しておこうと思います。

■(惜別)俳優 久米明さん 2020年8月29日 4月23日死去(心不全) 96歳
「戦争で生き残り虚脱していたら、そこへ芝居が舞い込んだ」と話していた久米明さん=2012年 (写真の解説)

 ■控えめで渋く、ボギーのように
 新劇に一目ぼれし、ラジオ、テレビのドラマでも活躍した。洋画の声優、NHK「鶴瓶の家族に乾杯」の語り……。いずれも達人の域にあった。(以下略)


 久しぶりのおまけ、鎌田慧さんのコラムをどうぞ。

 ●壮大なゼロの記録
  安倍政治は自民党議員を支配、護送船団的官邸官僚と官僚支配の
  内閣人事局を駆使、憲法無視で突っ走ってきた

     鎌田 慧(ルポライター)

 安倍首相はジコチュウの代表である。
 退任記者会見で森友、加計、サクラ問題などへの批判が強かった
のは、政権の私物化批判だったのではないか、との質問に対して
「政権の私物化はあってはならないことであり、私は政権を私物化した
というつもりは全くないし私物化もしていない。まさに国家、国民の
ために全力を尽くしてきたつもりだ」。
 まず能書きをいい、それはないと否定し、美辞麗句を並べたてて
反撃する。安倍話法である。

 今回も「全身全霊を傾けて」「痛恨の極み」「断腸の思い」。
 政治は言葉だが、彼の言葉は自己防衛か、「地球儀を俯瞰(ふかん)
する」など、空疎な自己美化である。相手の心に届く言葉ではない。
 記憶に残るのは東京オリンピック招致のための欺瞞(ぎまん)語。
「アンダーコントロール」。福島第一原発事故から9年半、まだコント
ロールできていない。
 「憲法改正の世論が十分に盛り上がらなかった」。7年8ヵ月かけて
も、最大の目標だった憲法改定を達成できなかった。

 安倍政治は小選挙区制を利用した公認権と資金で議員を支配、護送
船団的官邸官僚と官僚支配の内閣人事局を駆使、憲法無視で突っ走ってきた。
 最後っ屁は「敵基地攻撃能力の保有」。専守防衛を破る発言をした
直後、史上最長在位の記録を達成するや、あっさり敵前逃亡。
 言葉への責任感はない。
   (9月1日東京新聞朝刊23面「本音のコラム」より)

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