後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔106〕さねとうあきらさん逝去、「演劇鑑賞教室を遊ぶ」をめぐっての発言が懐かしい思い出です。

2016年08月18日 | 追悼文
 2016年3月7日、さねとうあきらさんが亡くなりました。体調が思わしくないとは聞いていたのですが、突然のことでことばがありません。さねとうさんは児童文学、児童演劇の巨人の一人と言える方です。

■さねとう あきら(本名・実藤述 1935年1月16日 -2016年3月7日 )は日本の児童文学作家・劇作家。埼玉県狭山市在住。1972年に『地べったこさま』で日本児童文学者協会新人賞・野間児童文芸推奨作品賞、1979年に『ジャンボコッコの伝記』で小学館文学賞、1986年に『東京石器人戦争』で産経児童出版文化賞をそれぞれ受賞。『なまけんぼの神さま』、『おこんじょうるり』、『かっぱのめだま』、『神がくしの八月』、『ゆきこんこん物語』などの創作・評論多数。(ウイキィペディア)

 私が最初にさねとうさんを意識したのは、彼の書いた児童文学書からです。『地べったこさま』や『ゆきこんこん物語』など、齋藤隆介とはひとあじ違った創作民話の世界に魅せられていったのが始まりです。
 『ジャンボコッコの伝記』(1979年刊行。同年、小学館児童出版文化賞受賞)も記憶に残っています。実話に基づく物語で、 東久留米七小のあるクラスにやって来た鶏をめぐる担任と子どもたちのやりとりを描いていました。担任は細田和子さんと聞いています。
 卒業をひかえた彼らは、鶏をどう「処分」するか考えるのです。議論の末、確かみんなで食べてしまうのではなかったでしょうか。鳥山敏子さんの「豚を丸ごと一頭食べる実践」に繋がっていったように推測しているのですが、鳥山さんから直接聞くことはありませんでした。
  私が『演劇と教育』の編集部に在籍していた関係で、さねとうさんの原稿はけっこう読ませていただきました。役得で知り合いになり、亡くなるまでミニコミ「啓」を読んでいただいていました。かつて私も住んでいた狭山市在住というのも何かの縁でしょうか。

 一番記憶に残るさねとうさんとの思い出は、演劇鑑賞教室をめぐっての手紙でのやりとりでした。あるとき、朝日新聞に東久留米市の中学生の投稿が載りました。演劇鑑賞教室を見るのは楽しいのだけど、なぜ感想文を書かなければならないのかという率直な疑問を書いたものでした。それに対してすかさず反応したのがさねとうさんでした。投稿者に対して全面的に賛意を表するものでした。長年児童劇を創作し続けてきたさねとうさんならではの素早い「援護射撃」でした。
 これらの新聞記事に対する感想をすかさず私はさねとうさんに送りました。それとともに、パターン化した観劇後の感想文を書かせるという指導ではなく、劇をめぐっての「子ども座談会」を開くという実践を提起したのです。
  さらに、私が大いに評価する劇団えるむの「ベッカンコおに」(さねとうさん原作)を見たクラスの子どもが、自主的に感想文を原稿用紙に4枚書いてきたのです。これをさねとうさんに読んでもらったところ、これは一級の劇評だと評価してくれました。その顛末が「演劇鑑賞教室を遊ぶ」(拙著『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』晩成書房)に書かれています。

 さて、不幸は続くものです。脚本研究会「森の会」の後藤富美さんが、2016年7月29日、逝去されました。彼女から学んだことについてはいずれブログで触れることになるかも知れません。ところで、彼女の脚本の代表作が「おこんじょうるり」(さねとうあきら原作) です。なにか因縁めいたものを感じてしまいます。

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