江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

新市街地の造成

2019年02月22日 | 歴史・文化

 市街地の立ち直りは素早いもので、日ごと復興の槌音は高まったいきました。

 「去頃の大火を以て 一度び其頓挫を来さんかと気遣ひたる程も無く 規模宏大なる家屋の建築を見るに至り いわゆる焼け拡りの景況にて 目下120余りの新築家屋建ち揃ひ 其外工事中のものおよび工事目論見中のものも少なからず 貸家売家などは絶て なき有様にて新来者の如きは甚だしく不便を感ずる場合なり」(明治30年12月8日付北海道毎日新聞)。

 それもこれもやはり、船運と鉄道の結節点にあるという、人、物、情報の流通が集中される位置的な優位性によるものです。

 復旧再興の勢いは、従来の街区だけでは不足をきたしたのです。
こうしたことから、再び戸長、総代人、組長など重立ちが寄り合いを重ね、新しい市街地造成の計画が建てられました。
場所は、江別川が石狩川に注ぎ込む合流点です。
同時に、現在3条一丁目付近から5条二丁目付近にかけ、屯田兵用地2戸分を市街地に編入、これを石狩国江別町新市街地設置委員の名にて売り出しのは、30年8月のことでした。
かくてこの年の江別村は、人口6,734、戸数1,251と「巳ニ市街地ノ躰裁ヲ備ヘ」(「北海道庁第12回拓殖年報」)た上り調子の精気に満ちた相貌を見せつつありました。


註 :江別市総務部「新江別市史」191-192頁。
写真:明治31年 新江別市街地略図
 同上書191頁図4-2掲載図を複写し、掲載致しております。

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