江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

教育の国家統制

2009年06月12日 | 歴史・文化
 教育勅語の発布以降、教育の国家統制が明確になりました。

 統制は、学校教育ばかりでなく、当時通俗教育といわれた社会教育の分野にも及びました。特に、日露戦争後の日比谷交番焼き討ち事件に象徴されます。戦後処理への不満や社会不安の増大によって、その傾向が一層強まりました。平時の地方対策でした。

 自動の教育内容についても、この方向で画一化が図られました。明治37(1904)年、国定教科書の使用が全科目に拡大されました。
 また、科学技術の発展などの影響で教授内容が増加し、明治41(1908)年には義務教育が6年に延長されました。このため、教室不足が全国的に深刻な問題となりました。

 徳育涵養の中核に位置する修身についてはとりわけ念入りでした。
 江別第二小学校の場合、校訓は次のように記されていました。

「校訓並に模範人物調査」(明治45年道庁へ報告)
一、本校児童生徒は、礼儀を重んじ従順なるべし
二、本校児童規律を重んじ、勤倹なるべし
三、本校児童は清潔を重んじ衛生に注意するべし
 なお、模範人物は、二宮尊徳でした。

 運動会や遠足も奨励されました。
 江別小学校の校史によると、運動会は明治37(1904)年(日露戦争の開始年)が第1回、翌年6月に第2回目が実施されました。
 遠足は、年4回、体力の増進を目的に、近隣の小学校を徒歩で訪れています。
「遠足ノ際 高等34年ニ掘リ採トラシタル」(「江別小学校沿革史」)アカシアの苗木を学校林として植樹しました。

 学校財産造成の意味で学校林の拡大が盛んに奨励されていました。大人の思惑はともかく、これらは子ども達にとって数少ない楽しみな学校行事となりました。

(参考)当ブログ2009年 6月 9日(火)「文部省指定モデルスクール~2階建て扇形校舎と3階建て円形校舎
    当ブログ2009年 6月 5日(金)「高等科の設置」
    当ブログ2009年 6月 1日(月)「公立小学校設置」
    当ブログ2009年 5月31日(日)「実学のすすめ」
    当ブログ2008年12月 8日(月)「江別市の学校と国民学校制度2」
    当ブログ2008年12月 5日(金)「江別市の学校と国民学校制度」
    当ブログ2008年 9月10日(水)「学問のすすめ 福澤諭吉」
    当ブログ2008年 9月 9日(火)「北海道三県時代の教育」
    当ブログ2008年 9月 6日(土」「札幌農学校の拡充」
    当ブログ2008年 9月 5日(金)「屯田学校の開設」
    当ブログ2008年 8月27日(水)「商船学校の設立」
    当ブログ2008年 8月24日(日)「札幌農学校の創立」
    当ブログ2008年 8月23日(土)「開拓使仮学校開設」
    当ブログ2008年 8月16日(土)「教員養成と師範学校の設立」
    当ブログ2008年 8月10日(日)「村落・変則小学校の制定」
    当ブログ2008年 8月 9日(土)「学制公布と北海道特例」
    当ブログ2008年 8月 8日(金)「明治初年の教育状況」

註:江別市総務部「新江別市史」379頁.
写真:江別小学校運動会
   江別市青年会議所「写真集えべつ」より複写掲載いたしております。
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