真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「17歳の風景 少年は何を見たのか」(2005/製作:若松プロダクション・シマフィルム/配給:シマフィルム/監督:若松孝二/脚本:山田孝之・出口出・志摩敏樹/音楽:友川カズキ/演奏:石塚俊明(頭脳警察)・ロケット・マツ・松井亜由美・金井太郎/題字:柄本佑/支援:文化庁/出演:柄本佑・針生一郎・関えつ子・小林かおり・井端珠里・不破万作・田中要次、他)。
 2000年に岡山県で起きた、十七歳の高校生による金属バット母親殺害事件。野球部の後輩に金属バットで重軽傷を負はせた少年は、帰宅後同じく金属バットで母親を殺害。北海道を目指しママチャリ(劇中ではMTB)で逃走、十六日後に秋田県内で身柄を確保される。今作は、この事件に題材を得た映画である。
 黙々とMTBで北へと向かふ少年(柄本)。行く先々での、駅の待合室で自らの戦争体験を語る老人(針生)、戦時中に強制連行されて来た在日朝鮮人の老婆(関)、らとの出会ひを経て少年は終に竜飛岬に辿り着く。そこでMTBを壊してしまひ、少年は岬からチャリンコを打ち捨てる。
 余計なものをひとつひとつ削ぎ落として行つたところ、何もかも削ぎ落とし過ぎて何も残らなくなつてしまつたやうな映画である。簡潔に斬つて捨ててしまへば、何故母親を殺したのか。何故北に向かつたのか。向かつた先の北で、少年が見たものは果たして何であつたのか。何も答へを出せとは言はない。それは出せるならば出すに越したことはないが、所詮は一個の人間には叶はぬ相談であつたとしても無理はない。ならば、といふかに、しても。せめて何某か有効なアプローチの方向性くらゐまででも見出せなかつたならば、潔く映画なんて撮らなければいいんだ。
 漫然とした失敗作である。私はこのやうな映画から、何程かの意味を意図的に汲み取つて、ハッキリ言つてしまへば想像を通り越して創造して(捏造、といはぬのはせめてもの節度だとでも思つて頂きたい)、それで自分には何事か伝はつたかのやうな顔をする姿勢、営為の全てを一切評価しない。
 音楽は、絶叫フォーク歌手の友川カズキ。実も蓋も無い物言ひの連続になつてしまひ恐縮ではあるが、ただでさへ何もかも削ぎ落とし過ぎて何も残らなくなつてしまつたやうな映画の中にあつては、その歌声は邪魔なばかりである。「IZO」(2004/監督:三池崇史)の時のやうに、友川カズキ自体を巧みに物語自体の内部に吸収するやうな方策でも採らぬ限り、絶叫フォークが何を歌つてゐるのか歌詞に注意を傾けるだけでも、既に映画本体をおとなしく吟味することの妨げになつてしまふのである。頭脳警察の石塚俊明らの演奏による劇伴も、単純にボリュームの如何以上に過剰である。
 ネタバレもへつたくれも初めからないやうな気もするが、一応は何処まで話してしまつていいものやら悩む。最終的に、少年は壊れてしまつたチャリンコを断崖から打ち捨てる。これはチャリンコ乗りとしての私の特殊な倫理観であるやも知れぬが、岡山から竜飛岬の北端にまで、己が体を運んで呉れたチャリンコを、壊れてしまつたからといつて無下に打ち捨ててしまふやうな物語を、ドロップアウトカウボーイズは断固として是認することは出来ない。それはそれとしても、これでは、母親を葬り去り、チャリンコも葬り去り、それでゐて自分自身には一切何の手も下さない。“何を見たのか”もクソもない。単なる甘ちやんの物語である。
 MTBが壊れてしまふ描写も不自然である。あそこでああいふ風にチャリンコがチャリンコだけで逆走してしまふことも、一度倒れてしまつただけでいきなり走行不能にあそこまでMTBが壊れてしまふことも、共に考へるに難い。

 劇場には、“若松孝二に映画「実録・連合赤軍」と撮らせたい。”と、船戸与一、宮崎学らの名前の下制作費、三億円を目標に一口三万円の応募を募るチラシが置かれてあつた。一作ヤキが回つたからといつて、直ちに若松孝二を見切るつもりはないが、今作を観た後ではとても金を出さうといふ気にはなれない。長谷川和彦が、金さへ集まれば今度こそ本当に絶対に撮る、といふのならば三万といはずもう少し出してもよいが。


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