真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「吉沢明歩 誘惑 あたしを食べて」(2007/製作・配給:新東宝映画/脚本・監督:佐藤吏/企画:福俵満/プロデューサー:深町章/原題:『微風《かすかぜ》』/撮影:長谷川卓也/音楽:大場一魅/編集:酒井正次/助監督:金沢勇大/監督助手:新居あゆみ/撮影助手:松澤直徹・田島茂/編集助手:鷹野朋子/協力:小川隆史・広瀬寛巳・江尻大・淡島小鞠・金沢の姉・セメントマッチ・報映産業株式会社、他/出演:吉沢明歩・大沢佑香・日高ゆりあ・西岡秀記・千葉尚之・古市海見子)。題名の頭に“吉沢明歩”を冠するのは、本篇タイトルに従ふ。
 アキ(吉沢)は目覚まし時計に起こされると、牛乳を気だるくパック飲みし、機械的に着替へる。バイトする湘南のイタ飯屋に路面電車で向かふ模様が、吉沢明歩主演作らしからぬ、まるでアイドル映画然としてゐない淡々とした風情で描かれる開巻。開店し、店内は協力勢で繁盛する。かういふ場合、往々にして自主制作じみてしまふ悪弊は回避出来てゐない。二人客の内カメラの方を向いてゐる女として、淡島小鞠が明確に見切れる。続くカットで画面中央に抜かれる一人客の女が、丸つきり不味さうに料理を突いてゐるのは如何なものか。どういふ了見なのだか知らないが、映画に出たくなければ出なければいいんだ。これは明確な、この場面にとつてのマイナスにしか思へない。アキは会計を済ませた客から、この店はデザートは止めてしまつたのかと訊ねられ、答へに窮する。デザートは、店長・川野(西岡)の恋人・恭子(古市)の担当であつた。恭子がサーフィン中に事故死して以来、川野は店でデザートを出すのを止めてしまつてゐた。
 メタリック農家とかいふ小劇団の看板女優らしい、恭子役の脱ぎはしない古市海見子は、判り易く譬へると中尾ミエと草笛光子とを足して二で割つた感じ、判り易いのか?それは。台詞も与へられないが、パンチの効いた容姿で銀幕映えはする。今後ピンクに、本格参戦することはあるのか・・・・?
 千葉尚之は、アキの軽薄な彼氏・マサル。川野からは、マチャルと呼称される。マチャルと呼ばれるのが正に相応しいスチャラカな浜辺の町の若者像を、好感は持てないものの好演。アキはマサルとの関係を何となく続けながらも、未だ恭子を忘れられずにゐる川野に実のところは想ひを寄せてゐた。といふのは映画全体の根元にしては、マサル登場時には未だ説明不足か。即物的かつ物欲しさうないやらしさを濃厚に発散して素晴らしい大沢佑香は、アキの短大時代の同級生・リカ。アキを訪ねて店に現れると、速攻でイケメンの川野をロック・オン。その日にアキ経由で川野に連絡先を渡し、積極的にアプローチする。リカの積極性が川野に対してのアキの背中を押すといふのは納得行くが、無理からにセッティングされたリカと川野のデート。押し切られるままの川野とリカの絡みは、ピンクなので仕方がないといつてしまへばそれまでだが、敢て理想論を唱へるならば、心情の整合性乃至は説得力として川野はリカとは寝るべきではなかつた。同時に勿論、大沢佑香の裸が映画にとつて必要であることもいふまでもないのだが。匙加減の、非常に難しいところではある。日高ゆりあは、駅前でマサルにナンパされる尻軽女・沙織。アキとマサルを離れさせる役目も担ふ三番手裸要員。役柄もあるのかも知れないが、一人綺麗に撮られてゐないのが残念。
 リカのアキへの贈り物が、拳銃にすり替る件には工夫の欠片も見られない。ものの、あたかもATG時代の映画のやうな感覚で、衝動的にマサルに向けアキの構へたオートマチック式の拳銃と、デート中射的場―射的場のオヤジに広瀬寛巳―に入つた川野の射的銃とがオーバーラップする展開には震へさせられた。とはいへ、結局時代遅れの最も大きな果実には手を触れることのないままに、何しに出て来たのか判らない拳銃は、一発虚空に放たれただけで退場する。アキが引いた引鉄が、一度目は作動せずに二度目は作動した、説明は足りてゐない。部屋で贈られた菓子折りの袋の中から出て来た拳銃に仰天したアキが、処遇に困り手近な机の一番上の抽斗に放り込まうとするものの拳銃の厚みで抽斗が閉まらず、二番目の抽斗に入れようとするものの物が一杯で再び入らず。仕方がないので手提げ袋に入れ拳銃を家の外に持つて出る、といふ描写には佐藤吏のらしさがよく表れてゐたやうにも思へるが。そもそも、本来のリカからの贈り物が<バイブ>といふのもどうなのよ、といふ話ではある。すり替つた先の、ギャグとしてならば上手く機能してゐないこともない。その件の、運び屋と強面は何れも不明。
 意図的に一から十まで説明されることのないアキの川野への恋模様は、そこだけは文句なく見事な最後の濡れ場で結実する、やうに一瞬錯覚させられる。全篇を美しく彩る、ハッキリとした主旋律が強力な大場一魅の劇伴も最大の威力を発揮し、浮世は離れたとて、シークエンスを美しく撮り上げることだけに全力を注いだ長谷川卓也のカメラも火を噴く。全ての頂点が理想的にひとつとなつたクライマックスには思はず騙されさうにもなつてしまふが、最終的には、佐藤吏は今作に際して全体的に小器用に纏めようとし過ぎてゐるのではなからうか。含みを持たせることが、何か洗練でもあるかのやうな態度は、大ベテランにでも任せておけばいい熟練芸で、今作の場合は、専ら調子のいい、痒いところに手を届かせない勘違ひに止まる。小器用で小洒落た、イケ好かない映画を撮る人間なんて他に幾らでも居やがるので、佐藤吏にはもつと不器用に、もつと泥臭くとも愚直に物語を撮つてゐた方が、この人の映画は生きて来るやうな気がする。吉沢明歩を主演に据ゑながら、絶妙ながらも頑なにアイドル映画たることを拒んだ辺りには、持ち味が活かされてゐたといへなくもないのだが。

 ところで、重箱の隅を穿るにも程がある瑣末。川野の店に、不自然に空のデザート用陳列棚が残つてゐるのは、かつての名残として許容範囲にしても。ワン・カット見切れる表に出した手書きの―実店舗で使用中の―看板から、デザート絡みの文言を削つておかなかつたのは、さりげなくも目につくミスである。

 以下は再見に際しての付記< リカが初めて店を訪れる件、通り側の席に福俵満が見切れる。ドジな運び屋は江尻大。それと佐藤吏はピンク映画の客層を鑑みると、食事中の者には帽子を取らせるべきだ。


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