世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

昔取った杵柄

2012年10月31日 | 人生
久しぶりにいい汗をかいた。

シングルスのゲームは3~4年ぶりだろうか。




軽くラリーのつもりが、熱く燃えてきて真剣勝負になってしまった。

下手にむきになって捻挫したり、アキレス腱を切ろうものなら

年寄りの冷や水になりかねない。

最初はそう思って臨んだゲームだった。


最初はK氏が3-1と先行。

徐々にエンジンがかかってきて、5-4と逆転したが

最後は、時間切れでドローに。




30歳から始めたテニス。

病み付きになり、マイコートまで作った。(2か所も)

挙句はウィンブルドンまで行く始末。



だがこのところ、一緒にやってくれる相手がいなく、

ゲームからは遠のいていた。


     階段の踊り場で一人テニス


そこに、K氏からの嬉しいお誘い。

もちろん、二人ともテニスよりそのあとのビールがお目当て。


その前に、ビールがさらに美味しくなるように一汗かこうということに。



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だが、スポーツジムに行って驚いた!

平日の夜というのに、いるわいるわ、アスリート(?)たちが。


満員御礼状態だ。


これが成熟社会の実態なのだろうか。

仕事帰りに、真面目(?)にアフター5を楽しんでいる姿。


今、スポーツジムはどこもにぎわいを見せているという。

お金を出して、シコシコと熟(こな)しているようにしか見えない。


〇〇教室に入って、基本から習う。

ルールに従って、お行儀よくスポーツを楽しむ。


予約を入れ、時間通りに来て時間通りに終わる。

終われば、お疲れ様とあいさつを交わしながら三三五五と帰宅の途に就く。


判で押したような、日本人の真面目な姿がそこにはあった。

それはそれで決して悪くはない。


だが、どこどなく違和感を感じる。


静かすぎる。

心底楽しんでいるというより、義務感が漂っているように感じる。

黙々とこなしている。

ふざけるといった無邪気な姿が全く感じられない。


もっと破天荒であっていいような気がする。

創意工夫があっていいような気がする。


Playには、ルールに則ったゲームもあるが、

遊びと言い意味合いもある。


その遊びという色彩がすっぽりと抜け落ちたような、Play。



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人はいつから笑わなくなったのだろうか。

こころから笑っている人を見なくなった。


感動する心を失ってしまったのだろうか。


日本は古来、身体で感情を表現する術を身に着けてこなかった。

日本の伝統の武道はどれも、静かだ。

柔道も、弓道も。

まずは作法から入る。


相撲も然り。

勝ってガッツポーズさえ非難される。

勝利の喜びはあくまでも控えめだ。


笑うなんぞはご法度だ。

負けた相手を敬う気持ちからだろうが。



――――――――――――――――――――――――――――

発散するためのスポーツジムに行き、

返ってストレスがたまりそうな雰囲気。


スポーツやゲームはそもそも自然と一体だった。

今や、箱入りスポーツと化し、

汗をかいてもストレスになりかねなくなってしまった。




とはいえ、テニスは楽しい。

そして、そのあとのビールはもっと楽しい。


屁理屈は別にして、

ボクにとってスポーツとビールは切り離せない。

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