もはや自分を増やさないとついていけないことになっている塚口の上映スケジュールについていくためにはもはやいちいち見る順番を考えてると間に合わなくなるのでもうなんも考えずに見られるときに見られる作品をさっさと見ておくことにしました。なんかもうサンサン劇場の上映カレンダーとにらめっこしながら見る順番を考えてるとパズルをしてる気持ちになります。誰か塚口の上映作品を全て最大効率で見られる順番をtwitterで共有してください。
というわけで今日見てきたのはこの作品!
「メメント」や「TENET」といった時間軸トリックで観客の頭を大混乱に陥れたクリストファー・ノーラン監督のデビュー作、25周年記念のHDレストアで復活ということで見てきました。本作も短いながらも時間軸が頻繁に入れ替わって一連の事件の真相を巧みに覆い隠す手法が取られており見てる方は頭がこんがらがってきます。しかしまあノーラン監督作品は頭がこんがらがることを前提として見るのが正しいよな……。
創作のネタを探すために日常的に他人を尾行する習慣を持つ青年・ビル。ある日いつものように尾行していた男は、ビルと同じように他人を尾行しては家に侵入し、盗みを繰り返していた謎の男・コッブでした。ビルはコッブと一緒に他人の家への侵入を繰り返すようになるのですが……。
ビルの取り調べシーンから始まり取り調べシーンで終わる本作は、前述の通りのその中で頻繁に時系列が入れ替わり、前後の状況が明らかになるたびに登場人物の背景や行動が二転三転するという展開が69分という決して長くはない上映時間の中に詰まっています。
本作でもっとも印象的なのが、そのモノクロのビジュアルでしょう。作中年代は明らかにされていませんが、CDなどが登場するためおそらくは現代に近い時代でしょう。にも関わらず本編はモノクロで一貫しているのが、いかにも閉鎖的な箱庭環境下での物語という趣を強くしています。
事実、本作の主要な登場人物は主人公ビル、ビルが尾行する相手であるコッブ、金髪の女性、その女性と関係を持つ禿頭の男、取り調べを行っている警官の5人程度でほかはモブ。そして彼らの行動範囲はごく限られた街の中のみ。これだけ限定的なシチュエーションでこれだけ複雑なストーリーラインを作れるもんだと感心してしまいました。
他のノーラン監督作品に比べると短いのとわりとネタバレが明白な形で描かれるのでわかりやすいほうかもしれません。ノーラン監督作品の入門編としてもいいか?
真相としてはビルは最初からコッブにハメられていたわけですが、「存在しない人物」をでっち上げるという点でなんとなく押井作品の雰囲気を感じました。あとラストシーンで人混みの中にふっと消えるコッブの姿が好き。
次、「フォロウィング」の終了5分後に間髪入れずこの作品!
AI系SFの歴史のマイルストーンになることは確定的に明らかといえる本作が、岩浪音響でパワーアップして帰ってきた!
もう何回も見ている作品ですがいいものは何回見てもいいので何回も見ます。小説版とコミック版もいいぞ。
というわけで本作の音響なんですがまあ明らかにパワーアップしてます。特に本作はミュージカルシーンが非常に重要かつ印象的な作品なので音響がパワーアップすれば作品も二重三重にパワーアップするタイプ。この意味がわかるな?
塚口の音響といえば大迫力で座席すら揺るがす重低音の効果音やBGMですが、本作のミュージカルシーンではシオン役の土屋太鳳氏の歌声の透き通った高音がよりクリアになっている印象でした。特に「ユー・ニード・ア・フレンド ~あなたには友達が要る~」のあたりは歌声と校舎の外に広がる晴れ渡った青空のシンクロがたまらん。対して雨の中で歌われる「Umbrella」はしっとりとして、なおかつ「雨の中なので歌声が必要以上に響かない」という点にまで留意した音響になっていると感じました。
また、これはたびたび書いているポイントですが「画面外の音の位置」がはっきりわかるのがすごい。サトミがダイニングのテーブルでうたた寝をしているところに母・美津子が帰ってくるシーンなんか、本当にシアターのドアの向こう側から声と足音が聞こえてくる感じでしたからね。
そして本作の最大のクライマックスであり転換点となる「You've Got Friends ~あなたには友達がいる~」のシーンは言うに及ばず。一度に複数人が歌うシーンなわけですが、その中でも各キャラの歌声がはっきり聞き分けられるレベルでした。
あとやはりストーリー……というか、シオンが人間と同等の、人間と同じ意味での「自我」や「知性」や「感情」を持っているのかどうかを安易に描写せずに巧妙に隠しているのが実に巧い。シオン自身が「私は命令がないと何もできない」と発言しているし、じっくり見ているとシオンは「共感」をしていると取れるシーンがほとんどないんですよね。サンダーの祝勝会のときでもみんなが喜んでいる中ひとり無表情だったり。シオンをフォークト・カンプフ検査にかけたらどんな結果が出るんだろうか。この辺の巧妙さが本作のSFとしての大きな魅力だと感じます。
また、これは本作を初見の際にも書いた感想であり、自分の中でも非常に自慢したい解釈なので何回も書きます。こうして何回もこの作品を見直して思うのが、シオン=AIの立ち位置について。
本作におけるシオンの立ち位置って、常に「誰かの間(あいだ)」なんですよね。
幼少期のサトミとトウマの間、今のサトミとトウマの間、サトミと美津子の間、ゴッちゃんとアヤの間、サンダーと三太夫の間。
そして物語がクライマックスを迎えるのがホシマ本社ビルのふたつの棟の間、最後に光の奔流となったシオンがつなぐのが天と地の間。
本作におけるシオン=AIは、「間に立つもの」「つなぐもの」と言えるわけですよ! この解釈に至った瞬間わたくし思わずプラトーンのポーズしてましたからね。
いやー本作、見るたびに思いますが現代における「我はロボット」クラスの、SF史における指標、AI作品のターニングポイントとなる作品だと思います。